正直なところ、こうなる事はうっすらと予想できていた。
待ち合わせ…………そう言われた時に、もう少しちゃんと考えておけばよかったのかもしれない。嫌な予感を無視することなく、ちょっと強引にでも…………私が迎えに行くように伝えていれば、こんな事にはならなかった筈だ。
携帯を耳に当てながら、ため息を吐き出す。
それは相手に向けたものじゃなくて、こうなる事を事前に防ぐことができなかった自分に向けた呆れの感情だったんだけど。
自分を責めているように聞こえたんだろう。彼女はすごく慌てた様子で謝罪を繰り返して…………私が宥めることで、ようやく落ち着いた。
一息ついてから、会話を再開する。
『美咲ちゃん、本当にごめんね』
「あー、いえ。ちゃんと確認しておかなかった私も悪いんで…………えっと、近くに何が見えますか?」
『うーん、と…………あの、家、かな…………?』
「よりによって住宅街ですか…………」
『あぅ、その、ごめんね…………』
「謝んないでくださいよ。たしか花音さん、商店街の方に住んでるんでしたよね? そっち方面の住宅街ならある程度絞れるんで、なんとか探してみます。とりあえず、その場を動かないでくださいね」
『で、でも…………流石にもうちょっと目印になるような所の方が…………あっ、あっちにビルがあったよ!』
「ちょっ、花音さん!? あんまり動かないでもらえると…………って、切れてる…………」
ツーッ、ツーッと。通話の終了を知らせる音が、虚しく鳴り響いた。
帽子のつばを下げて、嫌味なほど晴れた空を見上げて。私はまた一つ、大きなため息を吐き出した。
花音さん、あなたそういうところが原因で迷子になってるんですよ、と。今すぐにでも、伝えてあげたい気分だ。
方向音痴だとは聞いていたけど、まさか日常生活を送るだけでこんなにも影響が出るほどだとは思わなかった。ほんと、今までどうやって生活してきたんだろう。
時計の時間を確認する。当初の予定時刻まで、あと十分ほどしかない。別に多少の遅れ程度なら私は気にしないけど…………うん。あの気弱な先輩は、きっと過剰に気にしてしまいそうだから。
通話中だって、なんども謝っていたくらいだし。気にしなくていいと伝えても、恐縮するばかりで…………いや、思わずため息を出してしまったのが悪いんだけど。
何かあったらすぐにため息を吐く癖、直したほうがいいのかもしれない。ただでさえ愛想が良いわけじゃないんだし、相手に威圧感を与えてしまうだろうから。
なんて、少し前の私なら気にしていなかったであろうことを考えながら。周囲に人がいないことを確認して、路地裏へと進む。
片目を閉じて…………最近やたらと存在を主張してくる
花音さんを見つけるのには、数秒あれば十分だった。泣きそうな顔で、路地裏を歩いている。
…………いや、ビルを見つけたって話じゃなかったんだろうか。なぜか件のものと思われるビルからどんどん離れている上に、自分がどの道を進んでいるのか全く把握していないように見えるんだけど…………気のせいだと思いたい。
あまり不自然に思われないように、少し時間を置いてから迎えにいくつもりだったけど。流石にこれだとどこまで行かれるか分かったもんじゃないし…………なにより、花音さんの慌てふためいている姿を、あまり見たくないから。
本当に、仕方のない人だなって。そんなことを考えて、少しだけ笑った。まだ出会って間もないのに、なんでこんなに知ったような感情を抱いているのだろうか。
親しみやすさ、というのだろうか。私には持っていないものを、彼女は持っているのだろう。彼女の欠点を補ってあまりあるくらい…………その美点は、彼女のことを助けているのだ。
だって、ほら。迷子になってしまった彼女のことを、こうして私が見つけに行こうとしているわけだし。
側から見れば、迷惑をかけられているようなもんなんだろうけど。そのことに対する怒りとかは全くなくて…………むしろ、役に立てることを喜ばしく感じてしまうんだから。
周りの人たちが。仕方ないなぁって、笑って済ませられるような…………そんな人なんだと思う。
肉体が空気に溶けていくような。それは刹那にも満たないほど僅かな時間に与えられた、幻のような感覚。
それが私の全身を包んで…………その場から、存在を消し去る。
次に目を開いた時、そこに映る景色は────。
☆ ☆ ☆
花音さんから連絡があったのは、昨日の夜のことだった。
連絡先は、こころの家で作戦会議をした時に交換しておいたから。なんの用事なんだろうとは思ったけれど、連絡自体は想定できたことだった。
通知をタップして、アプリを立ち上げる。そこに映った文面は意外にも、休日の外出のお誘いだった。
『その、美咲ちゃんが良かったらなんだけど』
そんな書き出しから始まった彼女の誘い文句を要約すると、つまりは私の演奏する楽器を決めようという話だった。
私以外の四人は、一度目の集会でそれぞれの得物を決めてある。
こころはボーカルをやるということだった。楽器を演奏することに興味津々な様子だったけど、それ以上に歌うこと自体が好きだったらしい。マイク片手にバク転やらなにやらやろうとした時は、流石に止めたけど。
まぁ、彼女が中心になって始めたことだから。たぶんボーカルをやるんだろうなってのは、予想できていた。
そもそも、一箇所に止まるのが苦手な彼女の事だから。楽器を持って大人しく演奏に従事しているのは、全く想像できないし。
最後まで、自分がなにをやるか考えていたみたいだけど。落ち着くところに落ち着いたって感じだ。
名残惜しそうに楽器を手放すのを見た時は、少しだけ心が苦しくなったけど。それでも、次の瞬間には笑顔で歌を口ずさみ始めていたから。ああ、彼女らしいなって…………私もつられて笑ってしまった。
のびのびとした雰囲気で嬉しそうに歌う彼女の姿は、強く印象に残っている。歌詞もリズムもめちゃくちゃだったけど、それはおいおい決めていけばいいわけだし。
瀬田さん…………本人から名前でいいと言われたから、薫さんか。あの人は元からギターをやるという話だったらしい。なんでも、こころが目立つ人を探した結果が、あの人だったそうだ。
ギターは目立つことが仕事、っていうのは流石に言い過ぎだと思うけど。概ね同感だ。バンドといったら最初にギターが頭の中に浮かぶくらいには、イメージとして定着しているわけだし。その点でいえば、薫さんはこれ以上ないほどはまり役だろう。
自信満々にギターを手にした彼女が、ただの素人だったという点を除けば。うん、間違いなく適役だ。なんであそこまで自分に自信が持てるのかは知らないけど、信じてもいいとは思う。
結構、努力家みたいだし。
飄々とした態度とは裏腹に、何かに取り組む時の瞳はとても真面目なもので…………信じてもいいなって思えるくらいには、様になっていた。
はぐみはベースだ。お兄さんからギターを教わったことがあるらしく、初心者ではあるけれど…………一応、経験者とも言える。体を動かすことが好きらしいから、そっちのイメージの方が強くて。音楽の経験があるのは、意外っちゃ意外だった。
っていうか、それならはぐみがギターをやれば良くない? って思わないこともなかったけど…………それを口にするのは、無粋というやつなんだろう。薫さんにもはぐみにも、失礼なことだと思うし。
ギターより弦が二本少ないから大丈夫、なんて言ってたのは凄く不安だけど…………花音さんも、そんなに単純なことじゃないって言ってたし。
ただ、あの子もあの子で素のポテンシャル自体は高いみたいだから。体力に自信はあるって言ってたし、重いはずの楽器も結構簡単にとり回してた。
ベースを弾いてる所を見ていたけど、案外才能があるんじゃないかな。いや、私は音楽についてはよく分からないから素人目にしかならないんだけどね。
花音さんはドラムだ。いや、当たり前だけどね。
私たちの中では一番の経験者で、とても頼りにしている。自信なさげな様子なのは、変わっていないけれど…………それでも、彼女の演奏はとても力強いものだった。
ドラムはとにかくテンポを守るのが大切って聞いたことがある。テンポを作り出して、他のメンバーがリズムを合わせやすいようにする役割を、彼女は持っている。
この話を聞いた時、大丈夫なのかって思わなかったのかっていうと…………うん、不安に感じたのは事実だ。
なにも、花音さんに文句があるわけじゃなくて。ほら、あの三人って…………なんか、我が道を行くって感じだから。それぞれが走り気味になったり、調和を乱すこともあるんじゃないかって…………まだ合わせて演奏したこともないのに、そんなことを考えてしまった。
段取り通りに演奏するってことがどれだけ難しいのかは、分からないけど。この場合においてはそれが、更に予想のつかない領域へと辿り着いてしまっていると思うのは、私だけじゃないだろう。
なにが言いたいのかっていうと、私は花音さんの腕と度胸を信用しているってこと。
度胸? って思われるかもしれないけど、あの人は意外にも大きなそれを持っている。
普段の態度が態度だから、そう見えないかもしれないけど。もしも本当に心が弱い人なら、こころと二人で人前でセッションなんて出来るはずがないんだ。
こころは自由で、勝手で、無茶振りもするかもしれないけど。それを相手が嫌がっているか、とか。置き去りにしてしまわないか、とか。そういう事については、かなり敏感だ。
その人に出来ないことを、彼女は強要したりはしない…………と、思う。そこは、ちょっと断言できない。だって、こころだし。
ええっと、つまり、あれだ。
自分がそうだとは気づいていないんだろうけど、花音さんは結構凄い人ってこと。
で、私なんだけど。実はまだ何をやるか決まってない。
いや、一応ピアノの経験があるからキーボードでいいんだけど…………ミッシェルについても気持ちの折り合いがついてなかったし、保留って事にさせてもらった。
自分勝手っていうか、足並みを揃えられてない事に不安を感じたりもしたけれど。その気になればなんでも出来るって信じてるから、そこは気持ちでカバーってやつ。
なんなら、私はただのアシスタントでも構わない。こころの…………このバンドの役に立てるのであれば、どんな役割でも十全以上にこなしてみせる。
そんなこと言ったら、きっと反論されるだろうから。みんなで一緒になって頑張らないとダメだって言われそうだから、心の中にしまっておいたけど。
みんながそれぞれの楽器を手に取っている中で、私だけじゃ蚊帳の外から眺めていたのも、ちょっと寂しかったし…………ね。
そんな私を見かねたのか、単純に心配だったのか。花音さんから一緒に楽器店に行ってみようって誘われたのが、今日のきっかけ。
だから、まぁ。その気遣いも嬉しかったし、特に断る理由はないから…………どちらかといえば、喜んで誘いを受けたわけなんだけど。
楽器店に案内するって、花音さん。あなた楽器を売りに行こうとして道に迷って、こころに捕まったんでしたよね…………?
その事に気づいたのも、ついさっきのことだから。はっきり言って、後の祭りというやつで。
「たまたま待ち合わせ場所の方に近づいてくれてて良かったですよ。探しに行く途中で見つけられましたし、結果オーライってやつですね」
「美咲ちゃん、ほんとに、その…………」
「もう謝らないでくださいよ。私としては、自分の不甲斐なさに腹が立ちそうなんですから…………前もって回避できたはずなのに、花音さんを不安にさせてしまったんです。なんなら、私の方から謝ったほうがいいくらいですよ」
「ふぇっ!? み、美咲ちゃんは悪くないよ! わ、私が…………えっと、どんくさいから…………」
「…………この話題、続けてもお互いによろしくないと思うんで。これで終わりにしましょう、ね?」
「あ、うん…………あの、美咲ちゃん。見つけてくれて、ありがとう」
「はい、どういたしまして。大して苦労したわけじゃないんで…………謝られるよりも、そういう風に言ってもらえるほうが嬉しいです」
無理やり話題を断ち切って、二人並んで足を進める。向かう先は楽器屋ではなくて、商店街の方だ。
せっかく近くまできたのだから、少しだけ寄って行こう。気まずい雰囲気を流すために口にしたことだったけど、花音さんは思ったより喜んでくれた。
なんでも、行きつけの喫茶店があるとか。
手を繋いでいる彼女は、よほど楽しみなのだろうか。そわそわと体を揺らしていて、落ち着きがない。
時折私の横顔を見ているのは、先ほどまでの罪悪感が抜けきっていないから…………なんだろう。恥ずかしそうに眉を下げて、頬を赤く染めているのが、なんだか可愛らしい。
そんな顔で見つめられたら…………どんな人でも、彼女のことを許してしまうに違いない。私は元から怒っていないけど、なんとなくそう思う。
目があったらまた謝られそうだから、気づいてないふりをして。
何気ない感じを装って、会話のタネを蒔いた。
「そういえば、その私服ですけど…………」
「えっ!? あ、うん、どこか変なところでも…………」
「いえ、似合ってるなって思いまして。フリル、好きなんですか?」
「…………うん、好きだよ」
「花音さん、おっとりしてるっていうか…………なんか、お姫様みたいですし。雰囲気に合ってるんですかね…………可愛らしくて、いいと思いますよ」
「あ、ありがとう…………で、でも、美咲ちゃんだって、その、似合ってる、よ?」
「いやぁ、私って花音さんみたいな服装が合わないタイプですからね。長年パーカーばっかり着てて、昔はよく男の子と間違われたもんですよ。だから…………それなりに着なれてるんですかね」
「えっ、ちがっ、そうじゃなくて…………その、カッコいいなって、本当に、思ったから…………」
「あはは、花音さん慌てすぎ。別にそんな穿った解釈をしたわけじゃ…………いや、うん、今のは私がよくなかったですね。どうにもひねくれてるみたいで、褒められても素直に喜べなくて…………サラッと流してもらえると嬉しいです」
「う、ううん、気にしてないよ…………でも、本当に、似合ってると思うから」
「ありがとうございます。そう言ってもらえると、嬉しいです」
花音さんも私も、やっぱり女の子というか。服の話となると、それなりに盛り上がった。
ところどころ不自然に言葉が引っかかっていたけれど、私と話す事にも慣れてくれたらしい。私に対して感じていたと思われる負い目のような感情も、だいぶ薄まった。
ふと、強い力で手を握られた。強い、とはいっても…………女の子にしては、という。感じ手としては些細な変化だけど。
なんとなく握り返せば、彼女は逆に力を抜いてしまう。
何がしたいんだろう。そう思って彼女の顔を見ても、特に変化はなくて。
強いて言えば、さっきよりやや顔が赤い気がするけど。それも、私の思い違いだと思うから。
私は前へと視線を戻して、ただ道を歩き続けた。
デート回の始まりです!(誰が相手とは言ってなかった)