※ご覧の作品は「奥沢美咲は、超能力者である」で間違いありません。
────私って、サイテーだ。
この数年間で何回、心底そう思ったことだろうか。自分の弱さから目をそらして、耳を塞いで、逃げ出してきただろうか。
変わりたいと思っているのに、そのための一歩を踏み出すことが出来ない。朝の布団の中で一人、どれだけの涙を流してきただろう。
逃げてきた回数も、流した涙の量も。とっくに数えることをやめてしまった。両手の指どころか、両足の指を使っても数えきれないほど…………私は、自分に嘘をついてきたのだから。それを目の当たりにして自己嫌悪することにも、耐えきれなくて。結局私は、自分を見つめることからも逃げ出した。
いつからこうなってしまったんだろう。
本当は答えがわかっているのに、そんな風に思い悩むのも…………これで、何回目だろうか。毎日一度は同じようなことを考えているから…………いや、やめておこう。改善しないのならば、数えるだけ無駄だ。これ以上自分を傷つける必要なんか、どこにもない。
今日も私は下を向いて歩く。
足元だけを見ていれば、誰かと目が合うこともないだろうから。だからいつのまにか、こうすることが当たり前になっていた。視界の端を流れていく景色と、見ていて不安になるほど遅く歩む両足だけが、私の世界だ。
星を見ることが、あんなに大好きだったのに。
こういう生き方をするようになってから、私には星の輝きが見えなくなってしまった。下ばかり見ているのだから、当たり前のことだけど。
思い出したように空を見上げた時でも、あの頃のようなドキドキは感じられなくて。夜空には星が溢れんばかりの煌めきを放っているというのに…………あの頃の輝きと、なんら変わらないものだというのに。
それを見る私の心が、変わってしまったから。
だから私の瞳には、星の輝きは映らない。あれだけ胸を高鳴らせて、追い求めていたはずなのに。
毎日毎日、縋るように胸元に手を置いても。まるで心が凍ってしまったかのように、あの時の鼓動は感じられなくて。
その度に私は涙を流す。苦しみも、悲しみも。その雫と共に溢れてしまえばいいのに。どれだけ洗い流しても、心の奥底に沈殿した負の感情はこれっぽっちも消えてくれやしない。
ほんと、サイテーだ。
こんな現実も、輝いてくれない星も、弱い私も。全部全部、サイテーなんだ。
あの頃に戻りたい。
何も悩むことなく、一人歌い続けたあの日の夜に。たくさんの星が降りしきる夜空を見上げながら、観客のいない舞台で歌い続けたあの夜に戻りたい。
星も私も歌声も、その全てがかけがえのない輝きを放っていた…………自分のことを好きでいられた、あの日々を取り戻したい。
でも、それは無理なことだから。
過ぎ去ってしまった時間は巻き戻ることはなくて。だからこそ、あの日に私が口にしてしまった一言は取り消せない。
本当は、大好きだったのに。
歌うことが好きで、歌詞を考えることが好きで、音楽が大好きだったのに。
どうして私は、あんなことを言ってしまったんだろうか。嫌なことがあったなら、そう言えばよかったのに。揶揄われる事が嫌だったのなら、やめてと口にすればよかったのに。
なのに、どうして、あんな。
────わたしは、歌なんて好きじゃないです。
思い出したくもない記憶なのに、これ以上ないほど鮮明な映像が流れていく。河原で歌ったことも、男子たちに見られたことも、それを理由に揶揄われるようになったことも、学級会が開かれるほど問題視されたことも。
そして、先生に聞かれたことも。
全てが忌まわしくて、忘れてしまいたいのに。
あの時口にしてしまった一言が、今も耳の奥にこびりついて離れてくれないから。だから今もこうして、思い出してしまう。
そうだ、あの時から聞こえなくなってしまったんだ。
音楽を聴いても、楽しい事があっても…………そして、夜空の星々を見上げていても。
だって、凍りついてしまったから。私が大切にしていた気持ち…………降り注ぐ流れ星を見た時に感じた、胸の高まり。
────星の鼓動、と。昔の私は呼んでいたけれど。
今の私には分かっている。そんなロマンティックなものじゃないって。
妹も言っていたじゃないか。心臓の音でしょ、と。その通りだよ、その通りなんだけど。
あの日たしかに感じたんだ。嘘じゃない、錯覚でも、幻なんかでもない。
これ以上ないほど高鳴った心音と、キラキラドキドキが奏でたハーモニー。私と星と歌が一つになってうまれた、かけがえのない輝き。
耳をすませなくても聞こえてきた、最高の歌。溢れてくる感情に身を任せて走った、尊い思い出だけが…………それを証明してくれる。
綺麗で、心地よくて、大切にしていたのに。
それなのに、手放してしまった。
私が自分から、捨ててしまった。
どうして、裏切ってしまったんだろう。本当に好きだったんなら、諦める必要なんてなかったのに。胸の内に抱きしめて、宝物のように…………ずっと輝き続けていればよかったのに。
どうして、どうして…………どうして?
どうして私が、こんなに苦しまなければいけないの? 全て諦めて、後悔しないといけないの?
ずっと、このままなのかな。
高校生になって、大学生になって、社会人になって。歳を重ねて大人になっても…………ずっと、このまま?
嫌だ、そんなの…………絶対に嫌だよ。
だって私はまだ、何もやってない。何も手に入れられてなくて、ドキドキを失ったままなのに!!
ふさぎこんだ私に、お母さんは何も言わなかった。責めることもせず、好きなようにすればいいと…………以前と変わらない優しさで、そう示した。
あっちゃんは…………どうなんだろう。私のこと、どう思っているのかな。こんな不甲斐ない私のことを、情けないと思っているのかな。
いたはずの友達は、私が暗くなるにつれて離れていってしまった。その事を、恨んだことがないと言ったら嘘になるけど。裏切りだと感じたこともあるけれど。
それでも、一番最初に裏切ってしまったのは私だから。自分の中にあったはずの『好き』という気持ちを切り捨ててしまったのは、他の誰でもない私だから。
変わりたい。あの頃のように歌いたい。
変われない。踏み出せない私では、夢を見ることすら許されない。
分かっている、全部分かっているのに。
結局私は今日も、下を向いて歩き続けている。
何が悪かったんだろう。どうしてこうなってしまったんだろう。私の何がダメで、私はどうすればよかったんだろう。
私はいったい、何を恨めばいいの?
ねぇ、誰か教えてよ。
私はどうすれば、もう一度あの頃のように────。
★ ★ ★
本当に一人で大丈夫、と。お母さんに何度も聞かれてしまった。あっちゃんにも「私がついて行った方がいいと思うけど」なんて、気を遣わせちゃって。
私ってそんなに信用ないのかな…………なんて、朝から落ち込んでしまった。そんな資格、私にはないのにね。
今までもずっとそうだった。
私が殻に閉じこもって、だんだん暗くなっていって。友達が居なくなって、先生から呼び出されるようになって。
学校にいくのが嫌になって、玄関で泣き出してしまったあの時から。
家族は私に対して、過剰に心配するようになった。直接言葉でそれを伝えられることは無かったけど、明らかに態度が変わった。
お母さんは今まで以上に私によく話しかけるようになったし、あっちゃんは何処に行くにしてもついてきたがるようになった。
決して、腫れ物を扱うように接された訳じゃないけど。それでも…………家族に気を遣わせてしまう自分が、情けなくて仕方がなかった。
せめて、彼女たちの前では。以前のように振る舞おうとしたけれど、ダメだった。お母さんとは上手く喋れなくなって、あっちゃんには自分から話しかけることすら出来なくなった。
きっと、後ろめたく感じているからだと思う。あれだけ楽しそうにしていたのに、手を引いて一緒に遊んだのに。それが出来なくなって、怖くなった。以前までの私とは…………あまりにも違うから、だから、裏切りのように感じてしまうんだ。
私が、二人から『わたし』を奪ってしまったんだ。
そんなこと言ったら、気にしてないって言われるだろうけど。気にしすぎだとも、言われると思うけど。
それが本心なのか、私を傷つけないための建前なのか。私には区別がつかないから…………だから、今日も私は二人の思いやりに甘えている。
甘えて、頼って、寄りかかって。一方的に『優しさ』を与えられて…………それを、当たり前のように消費している。その事実が、これ以上ないほど私を惨めな気持ちにさせる。与えてもらっている立場だというのに、不満に感じている。感謝すると同時に、その施しを嫌悪してもいる。
私って、ほんとサイテーだ。
お母さんがしきりに女子高を進めるようになったのも、男子に揶揄われたことが原因なんだと思う。というか、間違いなくそうだ。
あっちゃんが通っている、花咲川女子学園。あっちゃんは一つ年下だから、一緒の校舎って訳にはいかないけど。それでも来年には、同じ場所に通うことができるから。
あっちゃんも、花咲川にした方がいいって言うし。私も…………今の環境から、少しでも変わることが出来るのならって思ったから。
だから、とりあえず。学校見学に行くことにした。少しでも踏み出せるようにと、二人の反対を押し切って…………一人で。
だってそうすれば、何かが変わると思ったから。
一人でも頑張れるって、前みたいに振る舞えるって。明るくて、歌が好きで、なんでも輝いて見えていた。あの頃の私に少しでも…………近づけるって、そう思ったから。
なのに、私はどうして…………。
「はぁ…………」
自分の口から大きなため息が溢れるのを、他人事のように見つめている。両手はリュックの肩がけをギュッと握りしめていて、顔はいつものように下を向いていた。
数時間前に自分が口にした言葉を、取り消したくなる。何が「大丈夫」なんだろうか、分からない。少なくとも今の状況は、何一つ大丈夫なんかじゃない。
やっぱり、二人についてきてもらうべきだったんだ。変な希望を持たずに、意地を張らずに。一人では何も出来ないって認めて、二人を頼りにしていればよかったんだ。
家を出て、電車に乗って、学校へと向かう。
そこまでは良かった。順調で、何一つ不安なんかなくて…………やれば出来るじゃん、なんて。久しぶりに自分を褒めてあげたくなった。
花咲川女子学園にも、着くことができた。
銘板に「花咲川女子学園」って書かれてたから、間違いない。少し着くのが早かったかもしれないけど、遅いよりはマシだろうから。
あとは校門をくぐって、係の人に話しかけるだけ。それだけでよかった、はず、だったのに…………。
『あれ? もしかして…………戸山さん?』
『…………えっ?』
女の子に話しかけられた。言葉にしてみれば、それだけの事なんだけど。
話しかけてきた相手に、見覚えがあったから。だから、ダメだった。
クラスメイトだった。今の…………じゃなくて、小学生の時の。よく一緒に遊んで、仲良く会話した子だった。
なんで、なんて。聞かなくても分かる。きっと、目的は同じだろうから。学校見学に来たんだろうって事は、様子を見れば一目瞭然だ。
でも、そんな事はどうでもよかった。
私はただ…………彼女のことが、ひたすらに怖かった。
彼女が何かした訳じゃない。むしろ、私に良くしてくれた方だった。
男子たちからも庇ってくれたし、先生に虐めを訴えてくれた。泣き出した私を慰めてくれたし、みんなと一緒に見守ってくれた。
だから、彼女は何も悪くない。
悪いのは、私だから。弱くて、自分の殻にこもってしまう。そんな私だったから…………気がつけば、逃げ出してしまった。
後ろから聞こえてくる、呼び止める声を無視して。
私はただ、ガムシャラに駆け出した。
あそこで再会してしまったのは、単なる偶然なんだと思う。本当に、ただの偶然。彼女に私を追いかける理由はないし、逆に追い詰める意図もない。
だけど、私は弱いから。
あの子の姿を見るだけで、あの時の事を思い出してしまうから。歌を…………胸の高鳴りを手放した、あの日の出来事を思い出してしまうから。
そして何より、あれだけ仲が良かったのに…………私を「戸山さん」なんて呼ぶから。流れてしまった時間を、私が捨ててしまったものを、突きつけられたような気がして。
だから私は、逃げ出してしまったんだ。
結局どこに行っても、私は弱い人間のままなんだと。そう確信させるには、十分すぎて。
目の端から流れていく涙を、拭うこともせずに。私はひたすら、その場から離れていった。
そして、いつものように下を向いて帰路を進んでいる。涙はもう流れていないけど、自己嫌悪はコントロール出来ないほど肥大化していて。
やっぱり私は、一人じゃ何も出来ないんだと。そう確信するには、十分だった。十分すぎた。
ほんと、サイテーだ。
★ ★ ★
下を向いて歩く。すっかり慣れてしまったこの行為を、私はいつになったらやめる事が出来るのだろう。
高校生になったら、大学生になったら、社会人になったら。そのどれかのタイミングで、変わることができるのだろうか。
一人では何も出来なくて、踏み出す勇気すらないというのに。
私は自分が変わる事ばかり望んでいて、それなのに、自分に出来ることすら探そうとしない。
歌を唄いたい、星を見上げたい、明るかった自分に戻りたい、友達がほしい…………そして、もう一度『星の鼓動』を聞きたい。
願いは探さなくてもいくらでも思いつくのに、それを叶える術は一つも見つからない。
ここは何処なんだろう。私はいったい…………何処へ向かえばいいんだろう。
いつだって心は暗闇の中に佇んでいて。逃げるのは得意なくせに、そこから立ち去ることも出来ない。
視界の端を、景色が流れていく。
途中で誰かとすれ違ったけど、それすら顔を上げる理由にはならない。もしかしたら、ぶつかりそうになって避けてくれたのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。どっちにしろ、私は誰とも顔を合わせることが出来ないんだから。考えるだけ無駄なんだと思う。
顔を上げるのが怖い、人の目を見るのが恐ろしい。通行人の笑う声ですら、私のことを嘲笑っているように感じてしまう。
そんなこと、あるはずないというのに。
くだらない被害妄想は、この数年間一度だって私から離れる事はなかった。
バカだな、私って。そんなの、とっくの昔に知ってたけど。
やっぱりバカだよ。どうしようもないほどの、大バカだ。だって────。
下を向いてたって、星が見えることなんてない。そんな事は分かっているのに、いつも何かを探している。
私を変えてくれる輝きを求めて、あの日のように…………『星の鼓動』を聞きたいと思っている。
地面を見ていても、それが叶うことなんてないのに。
欲しいもの、やりたいことやステキなものや夢や希望なんかは、地面には落ちていない。
だけど、空を見上げても…………何も感じないから。私は結局、何を探せばいいかも分かっていなくて。
それがどうしようもなく、胸を締め付ける。八方塞がりというのは、このことを言うんだろう。
私は暗闇の中で独りぼっちだ。何処に向かうことも出来やしない…………。
だから、それは間違いなく奇跡だった。
俯いていた私の視界の端を、微かな輝きが横切った。キラリ、と。そんな音が聞こえてきた気がした。胸が僅かに軋んで、ドキッと跳ねた。
ここ数年の中で、一番の高鳴りだった。弱くて小さくて、気のせいといったらそれまでの…………そんな、心臓の鼓動。
一も二もなく駆け寄って、しゃがみこんだ私の姿は…………それはもう、奇妙に映ったことだろう。普段は必要ないほど人目を気にしているのに、その時だけは他のなにも見えなくなっていた。
星だ。星があった。
通学路の脇にある側溝のブロック。キラキラと輝く…………月日の流れを感じさせる、燻んだ輝きだったけど、間違いなく、私が求めていたもので。
なんでこんなところに、テープが貼ってあるんだろう。しかも、星型のマスキングテープだ。
そのことを疑問に思わなかったかといえば、嘘になる。でも、それよりも…………何かが起きる、そんな予感が頭の中を満たしていたから。
立ち上がって、周囲を見回す。
ない、ない、ない…………あった!
キラリと輝く、星型のテープ。足元にあるものと同じものが、道路標識の根元に見えた。
再び駆け出して、屈み込む。間違いなかった…………星だ、星が地面に落ちている!
そこからは、夢中だった。学校見学のことも、家に帰ることも忘れて。ただひたすらに街を駆け回った。
知らない場所で、帰り道も分からなくなるほど。
ただひたすらに走って、次を探して、その次を探した。
童心に返ったようだった。この瞬間、束の間の一瞬だけは…………子供の頃のように、ドキドキを感じていられた。
次の、その次と、さらにその次を。
星と星を線でつないで、星座を描くように。私の進んできた道に、名前が付いて輝いたらと。
そして、たどり着いた。
私が求めていたもの、欲しかったものがある所。
かけがえのない一瞬を、永遠に輝き続ける大切なもの。
その日、私は。
私が失ってしまったものの一部を、取り戻した。
胸がキラキラドキドキとリズムを刻んで、それはまるで…………『星の鼓動』のようだと。
あの時、あの場所で。赤く星のように輝くギターを手にした私は────無くしてしまった「わたし」を、取り戻したんだ。
☆ ☆ ☆
────ねぇ、聞こえる?
うん、聞こえるよ。
────届いた! うれしい! 見つけてくれてありがとう!
私も嬉しいよ! よろしくね!
────あなたの名前はなんていうの? わたしは、
私? 私は…………わ、たし、は…………。
☆ ☆ ☆
「おーい香澄、起きろー? 今日もうち、来るんだろ?」
「…………うん、おはよう……有咲ちゃん」
「…………また夜遅くまで練習してたのか? 昨日も蔵でかなり弾いただろうに」
「あっ、ご、ごめん…………もしかして、迷惑だった?」
「お前、それ本気で言ってる? …………別に大したことねーっての。じゃなきゃこうして毎日誘いになんかこねーよ。いちいち謝んなって」
「う、うん…………そうだよね。変なこと言ってごめん」
「だーかーら、謝るようなことじゃ…………いや、今のは私が悪かった。怒ってねーから、はやく準備しろ。練習時間、減んだろ」
「…………えへへ、いつもありがとう」
「はぁ!? な、なんだよ急に…………っていうかほんと、ギター弾いてる時はめちゃくちゃテンション高いくせに、普段は嘘みたいに大人しいよな。半年以上一緒にいるけど、未だに慣れねーよ」
「…………えっと、それは、その」
「別に責めてねーから、そこんところ履き違えんなよ。ほら、さっさといくぞ。ただでさえ面倒くさい授業受けたあとなんだから、あんまり手間かけさせんなよ」
「ご、ごめっ…………じゃなかった、ありがとう。すぐに片付けるね!」
「ったく、最初からそう言えばいいんだよ」