「これは驚いたね、美咲と日菜は知り合いだったのかい?」
日菜さんにこころとの関係性を聞こうとしたタイミングで、薫さんが彼女へ話しかけた。
「そうだよ? ト・モ・ダ・チ!」
日菜さんは私の肩に抱きつくように飛びかかってから、薫さんへ肯定を返す。耳元に吹きかかる彼女の吐息が、なんともこそばゆい。
それが自然であるかのように。日菜さんは私の肩越しに、薫さんへ向けて軽く手を振っている。明らかに、顔見知り同士のやり取りだ。
思わず、口を挟む。
「…………もしかして、日菜さんと薫さんって知り合いなんですか?」
「日菜とはクラスメイトなんだ。彼女は私の儚い運命を理解してくれる、数少ない理解者のうちの一人さ」
薫さんの口から語られた二人の関係性は、ある意味では衝撃的だった。世界がとても狭いとか、この尖りきった性格の二人が仲良くしているのを想像できないとか、そもそも儚い運命ってなんなんだとか。感じたことは色々あるけれど…………それよりも、日菜さんが学校に通っているという事実そのものが、かなり意外だった。
紗夜さんが学生の身分で…………って言っていたから、そうなんじゃないかとは思っていたけど。それはあくまで推測の範囲を出なかったから、適度に受け流していたというのに。
いや、だって日菜さんだよ? この…………なんというか、非常識の塊みたいな人が。普通の高校に通っているなんて、想像がつかないじゃん。集団生活とか、めちゃくちゃ苦手そうだし。
「日菜さんって、高校生だったんですね」
失礼だと分かっていても、確認せざるを得なかった。正直、本人の口から直接聞き出さないことには飲み込めない。
そんな私の気持ちを見抜いているんだろう。日菜さんは私から離れて数歩ほど進むと、両手を頭の後ろで組みながら和かな笑みを見せた。細められた麦わら色の瞳が、新月のように輝く。
「ま、幽霊学生なんだけどね。普段はお仕事と研究をしているから、登校するのはその日の気分次第かなー」
「えぇ…………それって、進級できるんですか?」
「そのための制度がある場所を選んだから、羽丘女子に通ってるんだよ」
あっけらかんと口にされた言葉に、首を傾げる。言葉の意味は理解できたけど、そんな制度が羽丘にあったのは初耳だった。
この街に引っ越してくると決めた時に、周辺の学校の特待制度は全部調べたはずだ。ただでさえ、無茶を言って一人暮らしをさせてもらうんだから。なるべく祖母の負担にならないように、そこら辺はしっかり厳選した。
学費の免除や、定時制の仕組み。校則によるアルバイト禁止があるか否かなどについて、それなりに詳しい自負はある。
羽丘女子学園は、花咲川女子学園からもそれなりに近い場所にある。もちろん、念入りに精査した。というより、最後まで花咲川とどちらを受験するか悩んでいたくらいだ。
結果的にいえば、花咲川で良かったけれど。こころとも、同じクラスになれたことだし。
いや、今はそういう話をしているんじゃなくて。
私の知識にある限りでは、日菜さんのいうような授業を免除させる制度は存在しないって事で。じゃあ日菜さんが嘘をついているのかっていうと、それは絶対にないだろうし。
考えれば考えるほど、頭の上を疑問符が飛び交っていくのが自分でもよく分かる。
やや混乱している私を見て、日菜さんは楽しそうに笑っている。人の顔を見て笑うのは流石にどうかと思うんだけど…………まぁ、日菜さんだから仕方ないとして。そういう態度を取られると、此方としても素直に聞きにいくのは憚られる。
そんな私を見かねたのか、薫さんが補足説明をしてくれた。
「彼女は界隈では有名人だからね。自分というブランドを利用することで、学校側に卒業までに必要な単位の全てを免除させたんだ。だから、制度がある学校を選んだというよりは…………自分だけ特別扱いするように、新しい制度を作らせた。という方が正しい説明になるだろうね」
「そういうわけで、日菜ちゃんはつまらない授業に出なくてもいいわけです、ぶい!」
「ああ、なんか納得できました…………相変わらず、非常識というか」
「ふふっ…………その非常識さもまた、彼女の魅力の一つさ」
さらっと相手を褒めるあたり、ブレないなとは思う。ただ……そんな風に言っている自分自身も非常識の部類に入るという自覚は、この人の中に存在しているのだろうか。正直、視線一つでファンを失神させるとかいうよく分からない現象の方がよっぽど理解できないんだけど。そこんところはどうお考えなんだろう。
俳優のような見た目の薫さんと、モデルのような見た目の日菜さん。確かに相性は良いのかもしれない。見た目も、中身も。ただのクラスメイトよりも交流が深そうに見えるのは、気のせいではないんだろう。きっと、それなりにお互いのことを理解している。
薫さんの言葉を借りれば、この人たちの出会いは必然だった…………ということだろうか? 戯言といってしまえばそれまでだけど、この二人だと妙に説得力がある気がする。
なんていうか、オーラが違う。抽象的な意味ではなくて、文字通り
運命論者ではないつもりだけど。そういう異質さの噛み合いというものは、確かに存在しているのだ。一般大衆の中において、彼女たちのような異彩を放つ者同士は自然と引き寄せられる。もしかしたら、無意識のうちに同類を探しているのかもしれない。
私のことを、こころが見つけ出してくれたように。私がこころに、どうしようもなく惹きつけられるように。
…………その理論でいったら、私と薫さんも運命の出会いを果たしていることになるのだろうか。あんまり認めたくないけど。
「本当は高校なんて行くつもり無かったんだもん。外国の大学を飛び級で卒業してきたからさ…………あとはやりたいことだけやろうって思ってたのに。おねーちゃんが日本でも高校くらいは出た方がいい、なんて言うから…………仕方なく?」
「紗夜先輩の言うことは聞くんですね」
「だっておねーちゃん、ちゃんとあたしの事を考えて言ってくれたんだもん! んーー! 今思い出しても『るんっ』ってきちゃう!」
両手の指を絡めてはしゃぐ日菜さんの姿からは、彼女が持つ超人的な肩書きを感じることが出来ない。紗夜先輩の言葉を信じるのであれば、この人は世界で有数の数学者であるというのに。私の眼に映る彼女は、どこまでも姉が好きなだけの女の子でしかなくて。
その「超人性」を限りなく潜めることができる彼女のことを、私は少しだけ恐れている。
もしも彼女が、全て計算づくで振舞っていたとしたら。身内に向ける好意も、私へと向ける関心も、一喜一憂する振る舞いも。何もかもが打算的なもので、本当の「氷川日菜」を覆い隠すためのものであったとしたら。
私の感覚を誤魔化すほどの、演技であったとしたらならば。
…………私の肥大したトラウマが生み出した、妄想なのかもしれない。むしろ、そうである可能性の方が大きいだろう。
それでも、心の片隅から消えてなくならない。この人に対する僅かな警戒心と…………それを塗りつぶすように広がる、期待の感情が。
この人ならば、もしかしたら。私の全てを受け入れてくれるのではないかと。数少ない同類…………人の枠を踏み越えてしまったものとして、手を取ってくれるのではないかと。
「
「ん? どうしたの美咲ちゃん、あたしの顔になにかついてる?」
「いや、結局こころとはどういう関係なのかなって思いまして」
まぁ、こうやって普通に接している分には何も感じないから。私の妄想なんだとは思うけども。
キョトンと首を傾げながら口元に手を当てている彼女の姿は、可愛らしい少女そのものだから。美人は得だな、なんてことを考える余裕ができてしまうくらいには…………感じていたはずの違和感も、どこかへと消え去ってしまった。
日菜さんは人差し指を一本立てて、自分の唇に当てながら考え事を始める。何から話せばいいのか、頭の中で組み立てているのだろうか。
唇に当てられている指が、その存在感を強く主張する。小さくて柔らかそうなそれが押しつぶされて、視覚で弾力を伝えてくる。
そういえば、この人にキスされたんだなって。出会ったばかりの頃を思い出すと、頬が熱を持ったようにジンジンと疼いてしまう。
この人、未だに私との関係性も明かしていないんだった。頬とはいえキスをするような関係って、ほんと、どんな間柄なんだろうか。
彼女の指から、目が離せない。一度気になりだすと、どうにも注視してしまう。
日菜さんは人差し指を唇の上で何回か跳ねさせた後、私の方へとその指を突きつけた。というよりも、押し付けた。自分の唇に当てていた指を、私の唇へと。
「ちょっ、ひなさっ」
抗議をしようとした私の口を、彼女の指が無理やり塞ぐ。ただ押し付けているだけじゃなくて、こちらの発言を的確に妨害している。
彼女の表情は笑顔そのものだけど、先ほどまでとは明らかに性質が違うもので。例えるならば、チェシャ猫のようなニヤケ顔が一番近いだろう。指の力に強弱をつけて、唇の感触を楽しんでいるようにすら見えてくる。
明らかに、確信犯だ。
薫さんの感心したような声が、隣から聞こえてきた気がする。いやいや、あなた絶対勘違いしてるでしょ。おー、じゃないって。なんでそこで素で驚いてるんだ。
無理やり振り払うのは簡単だけど、なんとなく負けた気がするから。視線で訴えかける。
意外にも、彼女はすぐに手を引いてくれた。
そして間髪を容れずに顔を寄せて────私の耳元で囁いた。
「ひ・み・つ」
語尾に音符の一つや二つが浮かんでいそうな、楽しそうな声音だった。瞬間的にこめかみに力がこもって…………きっと、側から見たら分かりやすい青筋が立っていることだろう。
またそれか、秘密主義もいい加減にしてほしい。そんな気持ちが湧き上がって…………そして、続けて伝えられた彼女の言葉で鎮火した。
「企業秘密なの、教えたら怒られちゃう」
ごめんね、と。最後に一言付け加えて一歩下がった日菜さんは、心底申し訳なさそうな顔をしていて。
私一人で勝手に盛り上がっていたのが、バカみたいだった。言いたいことは色々あったけど、その全てをぐっと飲み込む。
飲み込んで、飲み込んで。最後に残った一言だけを、絞り出すように口にする。
「今の、私の唇を触る意味はありました?」
「んーん? あたしがそうしたかっただけ」
もう一度吐き出しそうになったため息を…………今度は我慢することなく、盛大に吐き出す。ケラケラと笑う日菜さんは、なんというか…………もうちょっと人の気持ちを考えた方がいいと思う。
揶揄われたんだな、というのがよく理解できた。
いつか絶対、やり返してみせる。そんな反骨心を悟られないように仕舞い込んで、二人を置いて足を動かす。
日菜さんの隣を通り過ぎて、数歩進んだ先で立ち止まる。そして、後ろを振り返った。
「ほら、揃ったんだから行きますよ。時間に余裕があるわけじゃないんですから、さっさと移動しちゃいましょう」
「あれ? 美咲ちゃん…………照れてる? 頬どころか耳まで真っ赤だよ? えっ、もしかして…………今のでドキドキしちゃったの? かわいーんだー!」
「達観していても、まだまだ思春期の女の子…………ということかな」
そこの二人、少しは静かにしてください。
☆ ☆ ☆
ライブハウス、SPACE。
想像していたよりも小規模な外観のこの場所は、なんでもガールズバンドの聖地と呼ばれてるとかなんとか。
都市開発が行われる前から存在している、数少ない物件の一つでもあるらしい。
しかし、まぁ。こうして目にしてみると…………なんというか────。
「思ったよりもしょぼい所だね」
「ちょっ、日菜さん? 誰が聞いてるか分からないんですから、そういう言い方するのはやめてくださいよ」
「えー、だって…………聖地とかなんとか言われてるくらいだから、もっと大きいもんだと思ってた」
「いや、まぁ、気持ちは分かりますけど」
実際、名前負けしてるなって思ってたところだし。
「二人とも、勘違いをしているよ。聖地とは見た目だけで与えられる称号ではない…………どれだけの信仰を集め、人々の想いを受け止めてきたのか。その年月の積み重ねこそが、この小さなライブハウスを『聖地』足らしめているんだよ」
「おぉ、結構良いことを…………って、いま薫さんも小さいって言いませんでした?」
「ふふっ、小さいというのは悪いことじゃない。人目のつかない場所に咲く小さな花こそ、得てして…………見つかった時、人々の心を打つものさ」
「名言っぽく表現してるところ悪いんですけど、流石に中に入ったらやめてくださいね。喧嘩売ってると思われたくないので…………あっ、日菜さんもですからね? ただでさえ人を煽ってると勘違いされがちなんですから、少しは気をつけてくださいよ?」
「はーい! ほらっ、さっさと入ろうよ! 雨も強くなってきたし!」
「ちょっと? 日菜さん? 本当に分かってます?」
「ほら、薫くんも!」
「そう焦らなくても、ライブハウスは逃げたりしないさ」
あえての事なんだろうけど。私の問いかけに明確な答えを返してこない日菜さんの言動には、本当にヒヤリとさせられる。
SPACEの事は少し調べたけど、なんというか…………オーナーである都築詩船という人が結構な変わり者らしい。軽く検索をかけただけだから、詳しいことは分からないけど。なんでも、かなり厳しい人だとか。
流石に一見さんお断りという訳ではなさそうだけど、日菜さんの言動で怒らせたらどうなるか分からない。出禁とかになってしまったら、それこそ目も当てられない。
片手に私、もう片手で薫さん。二人の腕をそれぞれ引っ張りながら、日菜さんが扉を押した。
チリン…………と鐘の音が鳴るようなこともなく、軋んだような音を立てて扉が開く。
きた時間が早かったのと、雨だから…………ということもあるのだろう。パッと見た感じだと、人は少ない。というか、私たち以外だと一人しかいない。
それも、客らしき私服の女の子一人だ。
「あれ? 店員さんいないの?」
「私たちが早く来すぎてしまったみたいだね…………恐らくだけど、奥で準備を進めているところなんじゃないかな」
日菜さんと薫さんが会話している声が、どこか遠くに感じられる。何故だろうか、こんなにも気になって仕方がない。
夢見心地のような状態で、足を動かす。
「ん? 美咲ちゃん…………どうしたの?」
日菜さんの呼びかけにも、応える気にならなかった。小さな背中めがけて、足を進める。
足音が近づいてくるのが分かったんだろう。椅子に腰掛けていた女の子が、ゆっくりと此方へと振り返った。
そのタイミングで、彼女の目の前にたどり着く。
猫の耳のように編まれた髪の毛と、伏せ目がちな紫色の瞳。どこか影を感じさせる相貌からは、自信のなさというか…………気の弱さが見て取れた。
バッチリと、目が合った。
驚いたように目が見開かれた彼女の顔には、やっぱり馴染みがなくて。どこかで見たことがあるような既視感と、同じくらいに無視できない違和感が思考の中を満たす。
どうしてこんなに、気になるのだろうか。特徴的な髪型以外は、どこにでもいそうな少女だというのに。
私はいったい、彼女のどこがこんなにも────。
「お、奥沢さん…………っ!?」
遠くへと離れていた意識が、肉体に戻ってきたのを感じる。彼女の口から放たれた言葉は、間違いなく私の名前だったから。
それが逆に、私に正気を取り戻させた。
…………なんだか最近、こんな事ばかり起きている気がするけど。それでも私は、同じ言葉を口にするしかないから。
内心で「またか」と嘆息しながら、口を動かした。
「あの、私たちどこかで会ったことありましたっけ?」