「有咲ちゃん!」
初対面の三人に囲まれて困っていた戸山さんは、有咲と呼ばれた少女に話しかけられた瞬間、嬉しそうに彼女の元へと駆け寄っていった。困り顔から笑顔に変わるまでの切り替えの早さに、その親密さを感じ取ることができる。花が咲くような、とでもいうべきだろうか。安心感や信頼、色々な正の感情を内包した表情だった。
「ちょっと目を離した間にめちゃくちゃ人増えてんじゃん。なに、香澄の知り合い? お前、私以外に友達いたっけ?」
「い、いるよぉ…………さ、沙綾ちゃんとか、りみちゃんとか」
「…………ま、そんなもんか。それで、そちらの人たちは?」
「えっと、それがね…………」
なんというか、飼い主に尻尾を振る犬みたいだと思う。紗夜先輩の話をしている時の日菜さんに近いかもしれない。日菜さんは犬ってよりも猫みたいな人だから、ちょっと違うかもだけど。
有咲と呼ばれた…………いや、普通に有咲さんでいいか。明らかに苗字じゃなくて名前の方だけど、面と向かって呼ばなければ馴れ馴れしいとも思われないだろうし。
有咲さんは綺麗な金髪をツインテールで結んだ、可憐な雰囲気の少女だ。ただ、戸山さんと話している様子を見るに、外見に反して言葉遣いは少々荒いらしい。それでも言動の節々から戸山さんへの優しさを感じるあたり、善人寄りの気質をしているんだと思う。
彼女が時折こちらへと向ける視線には、どことなく警戒心のようなものが含まれているように見える。
私の勘違いじゃなければ。それは私たちが初対面の相手だから、というよりも。戸山さんが何かされていないか、という心配の感情が含む割合が大きくて。ちょっとだけ、申し訳ない気持ちになってくる。戸山さんを困らせていたのは事実だし、側から見たら集団で絡んでいるように見えただろうから。
有咲さんがこちらへ意識を向けているということは、彼女を見ている私と視線が重なるということで。
ふいに目があった彼女へ挨拶代わりに軽く手を振ってみたけど…………目を逸らされてしまった。ああ、うん、やっぱり不審者にでも見えているんだろうか。思わず苦笑いを浮かべてしまう。
戸山さんがうまく誤解を解いてくれることを願うばかりだ。
「日菜さん」
「あ、やっと反応してくれた」
「色々言いたいことはあるんですけど…………とりあえず、背中から離れてもらえませんかね。あと、頭を擦りつけるのもやめてください。ちょっと痛いです…………主に、人の目が」
「あんまり人いないよ?」
「目の前に二人いるんですけど」
「見せつけちゃえばよくない?」
「見せつけるような間柄でもないですよね?」
「それもそっか」
粘っていた割には、結構あっさり離れてくれた。有咲さんが私たちを不審な目で見ている理由の半分くらいは、日菜さんの人目を気にしない突飛な行動が原因だと思う。
戸山さんたち二人から目を離して、後ろへと振り返る。日菜さんがわざとらしく舌を出してウィンクしてきた。なんだろう、ちょっとイラっとした。
「美咲、私は少し席を外すよ。なにやら、込み入った事情があるみたいだからね…………私が此処にいたら、視線を集めてしまって話がしにくいだろう」
「あー、なんていうか、すみません。気を遣わせてしまって」
「なに、場面に合わせて舞台から身を引くのも、役者の仕事だ。あちらは美咲に用があるみたいだし、ここは君に任せるとしよう」
腰に手を当てて髪をかきあげる仕草は、悔しいけどよく似合っている。キザな言動をしても全く滑らないんだから、ちょっとズルいと思う。
ただ、彼女の申し出自体はすごくありがたい。さっきから気を遣わせてばかりで本当に申し訳ないけど、今回ばかりは人が少ない方が助かる。席を外してくれるというのなら、その思いやりを拒絶する理由はない。
「うーん、しょうがないなぁ。美咲ちゃん、また後でね」
「おや、日菜もついてきてくれるのかい?」
あからさまに不満そうな声を出しながらも、日菜さんは薫さんの方へと歩み寄った。その姿を見て…………正直、かなり驚いた。
だって、ほら。失礼かもしれないけど、日菜さんってそういう気遣いとか無縁だと思っていたから。なんだかんだ理由をつけてここに残るんじゃないかと身構えていた身としては、肩透かしを食らったような気分だ。
「…………いいんですか?」
思わず聞き返してしまった私へ彼女は笑顔を向けて一つ頷くと、その小さな口を開いた。
「うん。だって美咲ちゃん、そっちの方が嬉しいだろうし…………あとで沢山構ってもらえばいいかなーって」
「ふふっ、意外だね。君はもっと我儘な人間だと思っていたよ」
「えー、そうかな? あたし、結構尽くすタイプの女だよ?」
「いや、それはちょっと意味が違いませんか?」
「んー? 違わないと思うけどな」
いたずらっぽく笑う日菜さんの笑顔は、どこか色気すら放っているようにも見える。言葉の意味はよく分からない…………というか、深く考えないようにしているけど。それはそれとして、見ているこっちが恥ずかしくなってくるくらいには、彼女の表情は魅力的だ。
「まぁ、日菜さんがいいんだったら。お言葉に甘えさせてもらいますけど」
「あたしもあとで美咲ちゃんに甘えさせてもらうから、気にしないでね」
「いや、それはちょっと考えさせてください」
「えー、美咲ちゃん。相変わらずガードが硬いなぁ」
「なにバカなこと言ってるんですか」
「日菜ちゃんは天才ですー、バカじゃないもーん」
子供か! と。思わず叫びそうになったところで、この人が本当に天才だということを思い出した。普通じゃない雰囲気は常に出ているけど、どちらかというと無邪気な子供みたいなイメージが強いから。どうしても学者という言葉が似合わなく思えてしまう。
両手の指で自分の口を左右に引っ張っている彼女の姿を見ていると、余計にそう感じてしまうけど。これでも人類で上から数えた方が早いくらいには、頭の出来がいい人間なんだよね。
いや、本当にそうは見えないんだけど。
変な顔を作っている彼女の両手を掴んで、ゆっくりと引き離す。流石に、なんというか。美人だからという理由でカバーしきれないくらいには、見ていられなかった。
構ってもらえたのが嬉しいのか、ますます瞳を輝かせている日菜さんの姿を見て…………無意識のうちに、抑えていたため息が出てしまった。紗夜先輩、いつもこの人の相手をするの大変だろうな。なんて、ちょっと同情してしまう。嫌ではないんだけど、疲れるのは間違いないだろうから。
「とりあえず、話が落ち着いたら連絡しますから。また後で────」
無理やり話を断ち切って、この場の会話を終わらせようとした。その瞬間だった。
「はぁ!? 奥沢美咲ぃ!?」
「ちょっ、あ、有咲ちゃん、声が大きいって」
建物全体に響くような大きな声で、名前を呼ばれる。声の発生源へと目を向けると、私へと睨みつけるような視線を注いでいた有咲さんと再び目が合った。今度は逸らされることもなく、まっすぐと此方を見続けている。
時が止まったように。
彼女の瞳の中に映る感情は、嫌悪や敵意といった負のそれではないけど。かといって、好意と呼ぶにも程遠くて。
強いていうのなら、その両方をごちゃ混ぜにしたような。あまりにも複雑すぎて、彼女自身が自分の感情を理解できていない。そんな内心が見て取れた。
その姿に、どこか親近感を覚える。
だって、その気持ちの名前を私は知っているから。
やや剣呑な雰囲気を察したのか、私の前に出ようとした日菜さんを腕で抑える。その間も、視線は外さない。
戸山さんの制止を振り切って、有咲さんは私の方へと歩き出した。その一歩後ろを、戸山さんが追随する。戸山さんは泣きそうな顔になりながらも、有咲さんの服の袖から手を離さない。
目の前まできた有咲さんは、瞳を閉じて大きく息を吸った。そのままゆっくりと空気を吐き出して、それから目を開く。
「少し、話に付き合え」
緊張しながらもそう口にした。どこか有無を言わせぬ態度の彼女へ。私は、首を縦に振ることで自分の意思を伝えた。
☆ ☆ ☆
「ご、ごめんね奥沢さん…………あの、有咲ちゃ、い、市ヶ谷有咲って言うんだけど、その、市ヶ谷さんは」
「有咲ちゃんって呼んでもいいですよ」
「…………あの、有咲ちゃんのこと、怒らないでほしいんです。有咲ちゃんは、えっと、勘違いされやすいかもしれないけど、本当は優しくて、こ、こんな私と友達になってくれて、だから、あの」
「いえ、大丈夫です。なんとなく分かります」
温かいコーヒーを飲みながら。私の目の前で必死に市ヶ谷さんのフォローをする戸山さんを、彼女の話を肯定することで落ち着かせる。
『こいつから、あんたに話がある。私はしばらくそこら辺をブラブラしてるから、聞いてやってほしい』
そう言って頭を下げた市ヶ谷さんが悪い人じゃないっていうのは、どんなに鈍い人でも気がつくと思う。
私が市ヶ谷さんに嫌悪感を抱いてないことを理解した戸山さんは。それはもう、心底安心したというように、大きく息を吐き出した。その姿が、さっき私に声を掛けた時の市ヶ谷さんにとてもよく似ていて。
仲がいいんだなって。素直にそう思った。
「ご、ごめんなさい。有咲ちゃんが無理を言って…………その、お友達と一緒に来ていたのに、邪魔に、なっちゃって」
「元から日菜さんたちには席を外してもらう予定だったんで、気にしないでください。えっと…………戸山、さん? でいいんですよね。さっきも聞いたと思うんですけど、念のために確認しておきたいっていうか」
「は、はい! わ、わたし、戸山香澄っていいます」
「知っているらしいですけど、私の名前は奥沢美咲です。同学年らしいですし、名字でも、呼び捨てでも。好きなように呼んでください」
「あっ、え、いや、そ…………その、お、恐れ多いというか、なんていうか、あの、じ、じゃあ、お、奥沢さんって、呼ばせてもらいます」
「…………まぁ、それでいいなら。私も、戸山さんって呼ばせてもらいますね」
そこで一度会話を区切って、戸山さんの様子を確認する。どこか浮ついているというか、明らかに緊張していた。
正直、市ヶ谷さんまで席を外すとは思わなかった。まだ彼女のことは何も知らないけど、こんな状態の戸山さんを放っていくような人だとは思わなかったというか。
ぶっちゃけ、もっと過保護なタイプだと思ってた。実際、戸山さんのためにわざわざ頭を下げてくるくらいには、戸山さんのことを大切に思っているみたいだし。
自分の抱いていた感情を、飲み込んでまで。そこまでして、戸山さんに会話の機会を与えようとした。そんな市ヶ谷さんを、どうして嫌いになれるだろうか。
市ヶ谷さんが私に向けた感情の一部を、私はよく理解しているから。だからこそ、それを顔に出しつつも行動に表さなかった彼女には、尊敬すら感じているくらいだ。
そんなこと言ったら、煽りだと思われかねないけど。
「それで、話ってなんですか?」
カップをソーサーの上に置いて、話を切り出す。
戸山さんはどこか惚けた様子で私のことを見ていたけれど、その言葉に反応して我を取り戻した。
眩しいものを見るように、目を細めている。私の何が、彼女をそうさせるのだろうか。
言ってしまえば、私の方こそ。この状況を望んでいた。日菜さんたちには悪いと思ったけれど、どうしても戸山さんと二人で話をしてみたかった。だから、市ヶ谷さんの申し出は渡りに船というか。私にとっても都合が良かった。
戸山さんは、その特徴的な髪型を除けばどこにでもいそうな女の子にしか見えない。こころのように深い心の持ち主でなければ、日菜さんのように異質な雰囲気を放っているわけではない。
本当に、普通の女の子。
花音さんや紗夜先輩のような芯の強さも、薫さんのような自己に対する自信も持ち合わせていない。弱くて、すぐに折れてしまいそうな、そんな存在。
彼女の何が、私をこんなにも惹きつけるのだろうか。私の何が、彼女を惹きつけたのだろうか。それが気になって、ついつい心を読もうとしてしまう。
そうしないのは、いまの彼女が勇気を振り絞ろうとしているから。親しい関係でもない私と二人きりになって、正面から話そうとしているから。
その意思を、尊重したい。
「あの、私って、その、見れば分かると思うんですけど、ダメな人間なんです」
彼女の口から語られた言葉に、なんと返せばいいのか分からなかった。そんなことないよ、と言ってあげられるほど。私は彼女のことを知らないし。
なにより、彼女の瞳に強い力を感じるから。私はただ沈黙を保って、続きを促す。
「一人じゃなにも出来なくて、有咲ちゃんと出会ってなかったら、音楽も…………あっ、えっと、私、ギターやってるんですけど。それも有咲ちゃんが一緒にいてくれたから始められたというか、あの、本当に、大切な友達なんです」
まだ出会って一年も経ってないんですけど、なんて。照れ臭そうにそう付け加えた彼女の姿は、とても嬉しそうで。
あぁ、なんていうか。ちょっとだけ似ていると思った。多分、こころの話をするときの私も…………こんな顔をしているんだと思う。
「それで、有咲ちゃんと一緒に学校に通いたくて、だから、花咲川に行こうって決めたんです。有咲ちゃんはエスカレーター組で、そのまま高校まで上がるって。有咲ちゃんのおばあさんに聞いたから、だから、受験頑張ろうって思えたんです。あの、他の真剣に頑張ってる人に申し訳ないんですけど、私、そんな理由で学校を決めました」
「いや、分かるよ。私も似たような理由でこの街に引っ越してきたからさ」
「えっ、そ、そうだったんですか?」
「まぁ、それだけじゃないんだけど…………概ね、似たような理由だよ」
まさか、肯定されるとは思っていなかったんだろう。戸山さんは目を丸くしたあと、少しだけ嬉しそうに微笑んだ。ほにゃっとした、柔らかい表情。どことなく、小動物みたいに見える。
共通項を見出して、気持ちが楽になったんだろう。戸山さんはどんどん口の動きが滑らかになっていって、色々なことを話してくれた。
その殆どが、市ヶ谷さんの事なのは…………なんというか、聞いてるこっちまで照れくさくなってしまう。
本当に似ていると思う。見た目とか性格とかじゃなくて、境遇が。好きな友達がいて、その人と一緒にいたくて。そのためなら頑張れる。
彼女のことを知れば知るほど、共感する気持ちが強くなっていく。
「それで、その、実は…………あの、有咲ちゃんって、学校に通ってなくて」
楽しそうに話していた顔を、曇らせて。戸山さんは震える声で、そう口にした。言うべきか言わないべきか、最後まで迷っていたような口ぶりだった。
内容が内容だったため、気がついたら口を挟んでいた。
「え? 花咲川に通ってるからって話じゃなかったの?」
「そ、それはそう…………なん、ですけど。えっと、授業がつまらないから、最低限しか出席しないって」
「…………それ、学校がよく許したね」
「あの、有咲ちゃん、頭が凄くいいから…………同学年で一番成績が良くて、だから、その、先生も強く言えなかったらしくて」
不安そうな瞳が見つめているのは、私じゃないんだと思う。私を通して、どこか遠くを見ている。そんな気配が、彼女から放たれていた。
「それで、説得とかしなかったの?」
思わず口にした一言で、彼女の表情が凍りつく。
視線を下へと向けて、それまでとは違う語り方で。まるで出会った時のように、断片的に言葉を続けた。
「私が何か言っても、有咲ちゃんが学校に来てくれるとは思わなかったから…………それに、気分を悪くさせて、嫌われたりでもしたらって思うと、ど、どうしても、言い出せなくて」
「い、色々考えちゃったんです。わ、私、有咲ちゃんのためじゃなくて、自分が一緒にいたいから、だから、学校にきてほしいんじゃないかって。自分勝手な、我儘なんじゃないか、そう思ったら、怖くなっちゃって。だから、なにも言えなくて…………そ、そんな自分が、本当に嫌で、サイテーだったから」
「私には、有咲ちゃんしかいなかったから…………だから、絶対に嫌われたくなかった。だ、だって、私、有咲ちゃんにまで見捨てられたら…………こ、今度こそ、もう、二度と、踏み出せないって思ったから」
ポロポロと、目の端から涙を流しながら語る彼女の姿は、とても痛ましい。
分かるよ、そう言ってあげられたらどれだけ良かっただろうか。同情でも、慰めでも。それで彼女の気持ちを晴らすことができれば、どれだけ良かっただろう。
他人事だとは思えなかった。だってそれは、私がこころに対して感じていたものと同じ感情で…………でも、だからこそ。安易な言葉で慰めるわけにはいかない。
ハンカチで彼女の涙をぬぐいながら、言葉の続きを待った。
「だから、私、奥沢さんに感謝してるんです」
実は当初の予定だと、この戸山香澄が主人公だったんですよね。いうなれば、プロトタイプです。だから設定というか境遇が色々と似通ってますし、「星の声」編の構成はアニメ版一話と小説版一章に所々寄せてます。