『ど、ドロボーっ!!』
『ひゃっ!?』
────出会った時の印象は、決していいものではなかった。というより…………むしろ、どちらかといえば悪い方だったと思う。
正直、私はそこまで相手に威圧感を与える見た目をしているとはいえない。身長は中学校に入ってからほとんど横ばいで伸びず、顔つきだってどこか幼いまま。母親に似てタレ目だし、髪型だって特に刈り上げたりしているわけじゃない。
自分で言うのもなんだけど、普通の女の子だと思う。強いて言えば、髪の色が目立つくらいだろうか。それにしたって、決して悪い印象を与えるわけじゃない。昔は色々言われたりもしたけれど、親からの遺伝だって事を伝えれば問題が起きることもなかった。
『あっ、ぁ、ち、ちがっ、わ、わたっ、私…………う、うぅ…………』
『はぁっ!? ちょ、ちょっと…………な、泣くなよ! なんなんだよお前!』
だからこそ、初対面の相手に…………あいつに泣かれてしまった時は、割とショックだった。確かに、驚かせてやろうという気持ちが無かったわけじゃない。その時点でのあいつはただの不法侵入者だし、どんな事をやらかすか分かったもんじゃなかったから。精神的に優位をとって、スムーズに話を進めようと思ったのは、自然な流れだと思う。
不用心と言われれば反論できないけど。まさか敷地の中に入ってくるどころか、開けていたとはいえ、蔵の…………建物の中にまで入ってくる相手が、あんなに臆病な奴だとは思わなかったから。
掃除をしようと開け放っていた蔵の中にあいつの姿を見つけた時は、頭の中が真っ白になった。家の中で見知らぬ相手に遭遇した事が、怖かった。よからぬことを企んでいるかもしれないと思うと…………それが自分と同年代の女子であることも確認しないまま、とにかく先手を取ろうと思ってしまった。
思えば、私も私で必死だったんだと思う。少しでも冷静さが残っていたならば、自分から危険な真似をするんじゃなくて、警察なりなんなりに通報していたはずだから。
だから…………というか、それなりに緊張していたのは間違いないから。
箒を構えた私を前に腰を抜かして、埃の積もった床に崩れ落ちたあいつを見た時は、流石に拍子抜けしてしまった。
両目からボロボロと涙を流すあいつに、逆にこちらが申し訳ない気持ちになってしまったくらいだ。いや、どう見たって私に非はこれっぽっちも存在していないとは思うんだけど。そんなことがどうでも良くなってしまうくらいには…………可哀想なくらい、あいつは動揺していた。
そんなに取り乱すくらいなら、最初から不法侵入なんてするなよって。そう言ってやろうと思ったのは、間違いない。
でも、言えなかった。
『ご、ごめんなざい…………ご、ごめ、うっ、あぅ…………』
『…………あぁ、もう! 泣くなって言ってんだろ! 人んちに勝手に入ってきたくせに!!』
『ひっ…………ぁ、ぅ……うぅ…………』
『だ、だから泣くなって! なんなんだよお前!』
『ご、ごめ……怒らないで…………ごめんなさい…………ごめんなさい…………』
『う、うぜー! うぜーうぜーうぜー! 別に怒ってねぇから! だから泣くな!』
思わず素の口調で話しかけてしまったのも、良くなかったのかもしれない。普段ならそれなりに取り繕うというか、猫を被るんだけど。あの時は、そんなことを考えている余裕なんてなかったから。
自分の喋り方が、相手にどんな印象を与えるのか。なんて、考えたことなかったし。
結果として。それが事態をさらにややこしくしてしまったのは間違いないのだけれど。そんなことに思い至る事ができるのであれば、そもそもあいつと会話する機会もなかっただろう。通報して、それでおしまい。
…………そうしなかったことが、結果的に良い方向に作用したとは思うけれど。まぁ、それは置いておくとして。
人を泣かせてしまったことなんて、初めてだったから。それが自分と年の近い相手で…………不審者であるとはいえ、女の子だったから。だから、私も気が気でなかった。
どうして私が。よりにもよって、こんな奴に気を使わないといけないんだ。頭ではそう考えていたけれど、それを口にしたら更に泣かせてしまうと思ったから。
どうすれば、泣き止んでくれるのか。そんな事を考えていた私は、その時点で絆されかけていたのかもしれない。
だって、迷い子のようにしか見えなかったから。
ペタリと座り込んで、ごめんなさいと繰り返して。涙を流しながら…………信じられるか? ガチ泣きしてるんだぞ? 同い年とは知らなかったけど、少なくとも私よりは背の高い相手が。人目も気にせず、大粒の涙を零して、泣いていたんだ。
情けないというか、なんというか。
あまりにも、心が弱すぎると思った。
見た目や実年齢よりも、五つは小さく見えた。後になってそう伝えた時は「ひ、酷いよ」なんて傷ついたような反応をしていたけど…………だったら、最初から泣くなよ。そう思ってしまうのは、私が意地悪な性格をしているからなのだろうか。それともやっぱり、あいつが年齢不相応に繊細すぎるのか。
『落ち着いたか?』
『う、うん…………えっと、その』
『…………ま、お前が何をしようとしてたのかは知らないけど。とにかく、今回は見逃してやっから。いいか? 今回だけだからな? 見つかってピーピー泣くくらいだったら、もう二度と不法侵入なんかするんじゃねぇぞ? 分かったか?』
子供をあやす経験なんて、後にも先にもこの時ぐらいだと思ってた。いや、自分と同い年の相手を子供扱いもどうかと思うけど。そう思ってしまうくらいには…………何度も繰り返すようだけど、目の前の相手は幼げで。
まさか、その後も関係が続くなんて。というか…………その、と、と、友達になるなんて。この時点では、これっぽっちも考えていなかった。
わざわざ持ってきたタオルで拭いてやって、涙と鼻水と汗でひどい有様になっていた顔を、なんとか見れる状態まで戻してやった。
その時、初めてまともにあいつの顔を見た。
私に負けず劣らず、子供っぽい顔をしていた。長い睫毛のついた瞼と、宝石のように輝く綺麗な紫色の瞳は…………零れ落ちそうなほど、大きくて。
なんていうか、よくよく見れば。普通に綺麗な顔立ちをしていた。
これでもっと明るくて、自信のある態度をしていたのなら。きっと、クラス中の人気者なんだろう。そう思えるくらいには、見た目は好印象だった。
…………常に挙動不審で、人と目を合わせようとしない態度さえなければ、の話だけど。
感じたのは、親近感だった。私はここまで自己主張が弱いわけじゃないけれど…………それでも、同じタイプの人間だと思ったから。
すなわち、友達が少ない。というか、多分いない。
初対面の相手にこんな事を考えるなんて、失礼だとは思うけど。まぁ、あいつは不審者だったし。遠慮なんて、どこかに置いてきてしまった。
それに、直接口に出して「お前、友達いないだろ」と言うわけでもないのだから。何を考えたって私の自由だろう。
そんなあいつに。ちょっとだけ、興味を持った。ただ、それ以上に面倒くさいと思ったのも事実だから。
全部なかったことにして、何も見なかったことにして。それで、はいサヨナラ。それで終わらせるつもりだった…………そう、あいつが、あのギターを見つけなければ。
『あ、あの…………す、すこしいいですか?』
『あ? なんだよ。言っとくけど、私が見つけてなかったら犯罪なんだからな? 通報してたら、あんた犯罪者だよ? 分かってんの?』
『ひぅ…………ご、ごめんなさい…………も、もう二度と、し、しません。ご、ごめ』
『分かった! 分かったから! また泣くのだけは勘弁してくれよ! …………はぁ、なんなんだよこいつ…………で、なに?』
『あ、あの…………あれって、な、なんですか?』
『はぁ? あれってどれだよ』
思えば、ここが分岐点だったんだと思う。
好きなはずの事を諦め続けてきた、あいつの…………そして、誰かと触れ合う事を諦めていた私の、分岐点。
決して交わるはずのなかった二つの人生が。なんの巡り合わせか、交差して…………そして、重なり合ってしまった瞬間。
人はそれを、運命と呼ぶのだろうけど。きっと彼女は、こう言うのだろう。
『星の導き』だと。
『そ、その、星のマークがついた…………』
『星ぃ? …………あぁ、あれか。知らないけど、質流れしてきたなにかだろ。なに? あれが目当てで侵入してきたの? それで、なに? もしかして譲ってもらおうとか? いやいや、どんだけ厚かましいんだよ』
『ひっ、ち、ちがっ…………あ、あの、私、星を辿って、あっ、星のシールを見つけて、それで、ここに、だから、えっと、あれが、その、それで…………』
『星の、シール…………? じゃあ、なに? 不法侵入するつもりは無くて、たまたま辿り着いただけって言い訳でもするつもり?』
『そ、そんなつもりじゃ…………あ、あれ? もしかしたら、そ…………そう、なの、かも?』
『…………呆れた。あんた、本当にそんな理由でここまで来たの? シールだかなんだか知らないけど、危機意識が足りないんじゃないの? 自分が年頃の女の子だって分かってんの? 変態のいる家に迷い込んだらどうするつもりだったの? あんた、大した抵抗も出来ずに捕まりそうじゃん…………もうちょっと、考えて行動しなよ』
『ご、ごめんなさい…………』
なんというか、目が離せなくなりそうだった。俯いて、涙目になって、謝って。そんな姿を見せるあいつに、既に…………情が移りはじめているのは、間違いなかった。
振り返ってみれば。この時から既に、予感がしていた。
なにかが始まりそうな予感。私と、あいつの出会いによって…………これまでの退屈な日々が、覆されてしまう。そんな予感が。
『…………ま、いいよ。あんなのが気になってまた不法侵入されても困るし、見てけばいいじゃん』
『も、もうしません』
『どうだか。あんた、いまいち自分が何をしたのか分かってなさそうだし』
あいつの迂遠な要求を認めたのは、気まぐれだったのだろう。それがどんな気持ちからきたものだったのか…………早く帰ってほしかったのか、それとも、少しでも長くいてほしかったからなのか。それは、私にも分からないけど。
でも、その気まぐれが今の関係に繋がっているのだから。
少しだけ、感謝してやってもいい。あの時、らしくない気遣いを見せた私に。泣き顔ばかりじゃなくて、笑った顔も見てみたい…………そう思った私に、ほんと、ちょっとだけなら、感謝してもいい…………かも、しれない。
『これっしょ? うわっ、おもっ、なに入ってんだこれ…………楽器、か?』
★ ★ ★
『おい、おい…………どうした? 大丈夫か!? 私の声、聞こえてる!?』
『────うん、聞こえるよ』
『あ、よかった…………じゃねぇ! 急に黙り込むのはやめろ! ビックリするだろ!』
『────私も嬉しいよ、よろしくね』
『…………は? まて、おい、お前…………誰と喋ってるんだ?』
『────私? 私は、わ、たし、は…………』
『私の名前は、「
★ ★ ★
あいつ…………戸山香澄と出会って、半年近くの時が流れた。
あの日から、あいつは毎日私の家を訪れるようになった。ギターはくれてやったから、もううちに来る必要なんてないのに。飽きる事なく、わざわざ足を運んできた。
それは夏休みが終わって、学校が始まっても変わらなかった。
あいつは一駅先の場所に住んでいるらしい。それなのに、学校が終わってから遊びにくるなんて。ほんと、受験生としての自覚が足りてないんじゃないかって思わなくもないけど。
でも、そんな風に突き放そうと思えないくらいには。同じ空間で過ごす時間が増えるにつれて…………私は、香澄に対して色々な感情を抱くようになっていた。
最初は、庇護欲だったと思う。精神的に不安定で、すぐに謝る。そんなあいつが見てられなくて、目が離せなかった。それがあまりにも酷いから、虐待されてるんじゃないかと疑ったりもした。
問いただして…………過去に虐められていたと知った時は、らしくもなく、怒りに震えたりもした。香澄が怯えてしまうから、なるべく平静を装っていたけど。それでも、顔が強張るのを抑えられたかどうかというと…………あまり、自信がない。
二人で一緒に、蔵を掃除した。付き合う義理なんて無いってのに…………いや、ギターを譲ってやったから、その御礼のつもりだったのかもしれないけど。それでも、一人じゃないということが…………私の自惚れじゃなければ、と、友達が。一緒にいてくれるというのは、悪い気持ちじゃなかった。
お婆ちゃんから蔵の鍵をもらって、中を自由に使えるようになってからは。あいつは地下のスペースでギターを弾くようになった。
掃除が終わって、此処を訪れる口実が無くなった時に。あいつが、あまりにも寂しそうな顔で笑ったから。だから、私から誘うような真似をしてしまった。
くればいいじゃん、なんて。少し前の自分が聞いたら、耳を疑うこと間違いないだろう。あんな出会い方をして、それで関係が続くなんて…………しかも、どちらかといえば私が引っ張るようになるなんて。思いもしなかった。
あいつは毎日、学校と自宅と…………そして、私の家を行き来した。
虐められた過去があるというのに、友達がいないと言っていたのに。それでも毎日登校する香澄の姿を見て…………私は、なんだか、不登校気味な自分を恥ずかしく感じるようになっていった。
こういうのって、比べられるようなもんじゃないと思うけど。私の抱えている事情なんて、あいつから見れば大したものじゃないように思えて。だから…………あいつには言ってなかったけど、私も、少しずつ登校する回数を増やすようになった。
これが慣れれば、案外大したことなくて。どうして今まで躊躇っていたんだろうと思えるくらいには、学校生活も悪いもんじゃなかった。
ただ、素直にそれを認めることも出来なくて。
毎日楽しそうにギターを弾いては帰っていくあいつに、なんて言えば分からなくて。だって、友達が出来るのなんて…………初めての事だったから。
せめて、置いていかれないように。
小さな頃に挫折したピアノのことを思い出して、キーボードを買った。
あいつの、驚いた表情と。一緒に演奏できるって知った時の嬉しそうな笑顔は、今でも鮮明に思い出すことができる。
あいつは出会った時のアレを最後に、一度だって自分から何かを要求する事はなかったから。もしかしたら、迷惑になるんじゃないかって思ったけど。そんなの杞憂だって分かって、私も…………その、なんだ、嬉しかった。
二人で練習した。演奏を合わせて、歌を唄った。
有咲ちゃんの前でなら、歌えるんだ。なんて、そんな風に言われて。ニヤけそうになる顔を抑えるのに必死になった。あいつは、そんな私の様子に全く気がついていなかったけど。
少しずつ、少しずつ。あいつに笑顔が増えていくのを見て、安心した。口にした事は一度もないけど、心配だったから。
もしかして、一生あのままなんじゃないかと。気が弱くて、不安定で…………そして、一人で秘密を抱えたまま。自分の世界に閉じこもってしまうのではないかと、思っていたから。
ギターが上手くなっていくにつれて、自信を取り戻していくあいつの姿を見ているのは…………なんか、ゲームのキャラを育てているような。そんな、不思議な感覚だったけど。いつしか、自分のことのように喜べるようになっていた。
これなら、大丈夫だろうと思った。私がいなくても、一人になっても。あいつはどこでだって、輝くことができる。少しだけ、寂しい気もしたけど…………そう思えることが、嬉しかった。
でも、それは私の勘違いだった。
偶然だった。たまには私から、迎えに行ってやろうと。そんな気まぐれを起こしたからこそ、知ってしまった。知ることが、出来た。
私がいない場所、あの蔵へと続く道を行くあいつは…………あの日と変わらないまま、何もかもに怯えた様子で。
ずっと、地面を見つめながら。不安そうに、怖そうに、足早に歩いていて。
衝撃的だった。私が勘違いしていた、という事よりも…………あんな風に怯えながらも、私の元を訪れていたという事が。私の胸を強く締め付けた。
声をかける事が出来なかった。見てはいけないものを、見てしまったような気がして。あいつが私の家に着く前に、走って家に戻った。
私の顔を目にして、いつもの笑顔を浮かべるあいつの姿を、蔵の中から見て。私は結局、何も言いだす事が出来なくて。
そのまま冬が過ぎて、受験のシーズンがやってきた。その頃には演奏する時間も少なくなって、代わりに勉強を教える事が多くなった。
私の学校が花咲川であると知ったあいつは、それまで以上に受験に力を入れるようになったらしい。本人から遠回しにそう聞いた時は、そのいじらしさに胸が高鳴った。
ただ、私が不登校気味だと知った時の顔は、よく覚えてないけれど。それでも…………寂しそうだった事だけは、理解していた。
結局、伝えるタイミングを逃してしまったから。私はあいつに、学校に行くようになったと言えなくて。
恥ずかしいのもあったし、気まずいのもあったけど。なにより、素直になれない私の性分が…………どうしても、邪魔をしてきたから。
それに、怖かった。
私が香澄に気を使ったと思われて…………それが、あいつの負い目になる事が。今の心地よい関係を崩してしまう事が、何よりも怖かった。
もしかしたら、私の方があいつを強く必要としていたのかもしれない。そう気がついたのは、いつのことだろうか。
少しずつ笑顔が増えて、私に心を許して行くあいつの姿が。私にどれだけのものを与えたのか、あいつは知らないんだろう。
でも、言い出せなくて。私から伝えるべきだっていうのは、分かっていたのに。受かったと報告してきた香澄に、生返事をしてしまった。
そして…………なんだかんだと言い訳をしているうちに、三月になってしまって。
このままじゃいけないという、焦りが強くなっていく中で。
教師から電話で伝えられた事実を、チャンスだと思った。だから、利用させてもらうことにした。
入試で、満点を取った生徒がいた。
だから、言い訳に使ったんだ。それが…………どんな結果を生むか、深く考えもせずに。
『あ、私も学校に行くことになったから』
『えっ、そ、そうなの!? 有咲ちゃんと一緒に学校に行けるんだ! う、嬉しい…………で、でも、どうして急に』
『なんか、奥沢美咲ってやつが学年主席を奪っていったらしいからさ…………だから、その、あんまり乗り気じゃねーんだけど、仕方なくっていうか、べ、別にお前のためとかじゃねーから、だから、か、勘違いすんなよ!』
『…………そっ、か。そ、そうだよね…………』
本当、バカな奴だよ。素直になれない私も、そんな私の言い分を間に受けたあいつも…………大馬鹿、だろ…………。