「えっ、台風の影響で飛行機が遅れた?」
叫ばずに済んだのは、背中を向けている方から楽器の演奏が聞こえ続けていたから。ライブ中であることが分かっていて、自重できたから。そうじゃなかったらきっと、大きな声で叫んでいたことだろう。
『いま急いでSPACEに向かってて、電車に乗るところなんだけど…………』
電話の相手は他でもない。ライブに誘ってくれた鵜沢先輩その人だ。いつものように快活な調子じゃなくて、声からは焦りと諦めの感情が伝わってくる。
ライブハウスの壁に掛けられた時計を見れば、長針はライブ開始から既に数回回りきっていて。事前に確認していたスケジュールの順番的には、既にグリグリが演奏を始めているはずの時間に過ぎてしまっていた。
鵜沢先輩を含めて、グリグリのメンバーは全員花女の三年生だと聞いている。三年生は昨日まで修学旅行に行っていて、今日の午前中にはこちらに帰ってきている筈だった。
一度帰宅してゆっくりと準備を完了させて、その後リハーサルをして本番。だから大丈夫だと、そう聞いていた。
だから、そのタイミングで台風が接近してきたのは不幸としか言いようがなかった。
言いたくないと思っていても、下手な慰めは意味がないと分かっているから。記憶の中にある距離感を当てはめて…………簡潔な事実を口にする。
「空港の最寄駅ですよね? それだと…………多分、終わりまでに間に合わないんじゃ」
『…………うん、そうだよね。もしかしたらって思って、ちょっとでもそっちの状況が知りたかったから…………ライブ中だって分かってたのに、電話しちゃった。分かってたけど…………間に合わない、かも』
「いや、それは…………でも、それじゃあ先輩たちは」
言葉にした直後から、後悔が襲ってきた。自分から口にしたことだというのに、罪悪感が湧いてくる。口ごもって、次の言葉が出てこない。
『一応まだ諦めてはいないつもりだからさ! それに、ほら! ライブは今回限りじゃないしさ! …………ありがとう、奥沢ちゃんの声が聞けてちょっと元気出たよ。ライブ、楽しんで…………それと、ごめんね』
「ちょっ、鵜沢せ────」
『電車きたから、切るね』
ツーっ、ツーっ、と。無機質な音が鼓膜を揺らす。その音が少し悲しげに聞こえてくるのは、私の気のせいなのだろうか。
相手に届くことのない言葉であっても、あの人の名前を呟かずにはいられなかった。
「鵜沢、先輩」
たしかに。鵜沢先輩が言っていたように、ライブは今日だけのものではない。また別の日に出演して、そこで演奏を聴かせてもらえれば何の問題もない。
だけど、問題はそんなに簡単なことじゃない。私たちみたいにグリグリの演奏を楽しみにしていた他のお客さんはガッカリするだろうし、一度ドタキャンをしてしまえばグリグリの信用にも傷が付く。
台風がきてしまったから、飛行機が飛ばなかったから。それは人の身ではどうしようもないことで、自然を相手に個人の力が介在する余地なんてあるはずがないんだけど。だとしても、それを万人が理解しているか。そして、通じるかどうかは別問題だ。
ままならない、思い通りにいかないのが現実というものだけど。それにしたって、あまりにも悲しすぎる。
このまま先輩たちがライブ終了までに間に合わないで、今日一日が終わってしまうとしよう。それで明確に被害が出るところといえば、間違いなくこのライブハウスだ。
ドタキャンによる被害というものは、バカにならない。最近はSNSやなんかですぐに風評が広まってしまうから、なおさらのこと。事情があるからといって、許されるとは限らないのが人間社会の難しいところで。
必ずしも、全てが悪い方へ動くわけじゃないけども。
それでも、なにかと個人に厳しい世の中だ。電車が止まって会社に遅刻してしまう人たちが、会社から「遅延を予測して早めに家を出るべき」と言われた。なんて話は、枚挙に暇がない。その是非は置いておくとしても、主張として一定の支持があるのは事実だ。
今回のことだって、そんな厳しいスケジュールを入れていた側の自己責任だと追求されてしまえば。あとは当事者部外者関係なしに、それぞれの価値観で判断されることだろう。誰が悪いとかの話ではなく…………誰かが責任を取らなければいけない場合は、往々にして認識が甘い人が責められることが多いのだから。
そして、責任感の強い人ほど。そういった批判に心を痛めてしまう。たとえ誰が悪いわけでもなくて、単に運がなかったのだとしても。自分の責任だと、自分の認識が甘かったのだと、そう考えてしまう。
あの優しい鵜沢先輩や、その仲間たちなら。きっと、自分を責めてしまうことだろう。
お客さんが満足できなくて、グリグリは演奏ができなくて、ライブハウスはトラブルを被って。そんな、関係者全員が不幸な出来事が起きてしまうなんて。
運が悪かった、環境が悪かった。
そんな言葉で誰もが納得できる世界だったのなら…………私は、もっと早く自分を許せていただろうから。
…………ただ、そういう事情を抜きにしても。今考えるべきことは、そんな感情面の話ではなくて。
結局のところ、私はどうするべきなのだろうか。
このままステージに戻っても、それまでのように楽しめる気分ではなくなってしまった。演者はグリグリだけじゃないとしても、他のグループよりはグリグリの演奏を楽しみにしていたのは間違いないから。
知り合いであることを抜きにしても、こうしてこの場にいる以上は、無関係とは言い難い。なにより、目を逸らして無かったことにするのは…………なんていうか、私が嫌だ。
じゃあ、私に何が出来るだろうか。
もしも私が客じゃなくて、出演者の一人だとしたら。曲を増やしたり、MCを伸ばしたりして時間を稼げただろう。鵜沢先輩たちが間に合うことを信じて、ステージの上でやれる事を実行していたのかもしれない。
だけど、今の私はただの観客にすぎない。ライブをどうこうする力はないし、口を出す権利すら持っていない。
はなから舞台の上に立っていないのだから。私に出来ることといえば、黙ってことの成り行きを見守ることぐらいで────。
「ダメだよ! 何があろうと、お客さんを待たせるのだけは絶対にダメ!!」
声を聞いているだけで、内心が伝わってくるほどの。とても大きな責任感を込めた言葉が、通路の奥から響いてきた。
私も、そしてきっと、他の人たちも。彼女のその言葉だけは、聞きたくなかったんだと思う。私の脳裏には。その怒鳴り声よりも早く、頑固なオーナーの声が響いていて。
嫌な予感というものは、いつだって外れた試しがない。
「穴を開けたら、二度とウチの敷居はまたがせないよ」
☆ ☆ ☆
「戸山さん? …………それに、市ヶ谷さんも。どうして、こんなところに」
声の聞こえてきた方へ駆けつけた私が見つけたのは、先ほどまで一緒にライブを楽しんでいたはずの知り合いが涙を流している姿だった。
泣いているのは、戸山さん。その隣に付き添っている市ヶ谷さんは、戸山さんを慰めていて…………そんな二人の近くにいる見覚えのない黒髪の少女が、おろおろと所在なさげにステージの方を見つめていた。
私の存在に気がついた戸山さんは、目を大きく開いたあと…………そこから大粒の涙を零しながらも、私の方へと飛びついてきた。
ある程度、慣れてきたというか。危なげなく受け止めて、衝撃が彼女に伝わらないよう数歩下がる。
私の胸元から、見上げるように。彼女はこちらへ視線を合わせて、口を開いた。
「あの! お、奥沢さん! た、大変なんです! オーナーさんが、グリグリ…………あっ、りみちゃ、と、友達のお姉さんのバンドなんですけど、台風で飛行機が動かなくて、それで、ライブに間に合わなさそうで、あの、出禁になっちゃうかもしれなくて!」
「大丈夫、落ち着いて…………その話は、もう聞いたよ。グリグリには私も知り合いがいるんだ」
相変わらず説明するのは得意じゃないんだなって。こんな状態であるにも関わらず、そんなことを考えてしまった。吃る回数が目に見えて減っている分、ある程度は精神的な壁を乗り越えたのかもしれないけれど。
彼女もグリグリに縁があるというのは、素直に驚いた。こんな風に涙を流すくらい親しいとあれば、今回の出来事は相当ショックだったのだろう。鵜沢先輩の電話と、僅かながら聞こえてきたオーナーの声から、どんな事態になっているのかはある程度把握しているから。その事を伝えて、認識の共有を行う。
あとは彼女の背中と後頭部を優しく撫でて、とにかく呼吸を整えることに専念する。なぜか最近はこういう機会が多いから…………我ながら、動きが洗練されているのが分かる。
ハラハラと涙を流している彼女の姿を見て、こうして余計なことを考えられるくらいの余裕が出来たのは。はたして、良いことなのだろうか。自分よりも狼狽している人を見つけたことで、逆に幾分か冷静になれた。
彼女に感謝するべきなのかもしれない。お陰で、ある程度考えが纏まった。
「それで、その…………」
「他のバンドの人たちがある程度頑張って時間を引き延ばしてくれるけど、それでも間に合うかどうか分からない…………そんなところかな?」
「は、はい…………」
「…………少しだけ聞こえてたんだけど、オーナーさんは」
「ぐ、グリグリが出演できなかったら、で、出禁になるって…………ゆりさん、あんなにSPACEが好きだって言ってたのに…………」
正直に言ってしまえば。
ただの客である私に出来ることというのは、全く存在していない。運営側でもなければ出演者でもない、完全な部外者である私に出来ることなんて。そんなもの、あってはならない。
だけど、それは…………私がただの一般人だったら。という前提の上での話であって。
その気になれば、私は全てを解決させる事だってできる。そう…………超能力を使えば、一手で事足りる。
瞬間移動を使って、グリグリの四人を此方へと連れてきてしまえばいい。そうすれば、今すぐにだってステージに立たせることが出来る。
お客さんも喜んで、戸山さんも泣かなくてすんで。そこで険しい顔をしている少女が苦悩することも、オーナーが苦渋の決断をする必要もなくなる。
国民的ロボットアニメを見て、人々の殆どが夢見たことだろう。あのひみつ道具さえあれば、学校や会社に遅刻しなくてすむのに、と。今この瞬間だって、そう考えている人がいるのは間違いない。
私が持っている力は、そういう願望を擬似的に叶えることだって出来る。誰もが考えたことのある妄想を、現実のものにすることが出来る。
だけど、だからといって。
私と同じ立場になったとしたら、どれだけの人々が行動を起こすことだろうか。
私には、とてもじゃないけど実行出来ない。それは鵜沢先輩がどうでもいいとか、意地悪をしたいからじゃなくて。
少し考えれば。ううん、考えなくても分かる事だと思うけど。
私たちが生きているのは、国民的ロボットアニメの世界でもなければ、超能力が一般的になったライトノベルの世界でもなくて。
ごく普通に人が生きて、ごく普通の生活を営むような。そんな、何の変哲も無い世界だから。
超能力者なんてものは御伽噺の中の存在で。もしも私が瞬間移動を用いて、彼女たちをここに連れてきたとすれば。
まず、間違いなく。大騒ぎになる事だろう。ライブどころの話じゃなくなって…………世界中が注目する中で、ツチノコや何かと同じ扱いを受けるかもしれない。
我が身可愛さ、と言ってしまえばそれまでの。だけど、決してバカに出来ない感情が。助けになりたいと思う気持ちに蓋をして、私をこの場所へと釘付けにしている。
もしかしたら、悪いようにはならないかもしれない。超能力なんてもの、突拍子がなさすぎて信じられないかもしれない。噂程度にとどまった風評が、一定期間を経て自然消滅してくれるかもしれない。
だけど、人命が関わっているならともかく。そうではない状況で、困っている人がいるというだけの話で。少なくとも私は…………自分の身を危険に晒すことは出来ない。
それは、私が特別薄情な人間というわけじゃない。同じような立場の人が百人いるとしたら、九十九人は同じ判断を下す筈だ。
誰にだって、生活がある。私一人の話じゃない。友達や、家族や、クラスメイト。私と関係のある沢山の人に、迷惑をかけてしまうかもしれない。そう考えたら…………一人の人間である以上、およそ全能の力を持っていたとしても、立場に行動を縛られてしまう。
だから、ままならないと思う。
奥沢美咲を人間たらしめている全てのものが、超能力者としての奥沢美咲を束縛している。普通の生活を求める代わりに、超越者としての立場を奪ってしまっている。
日常と超常の板ばさみというのは、その手の物語には欠かせない要素だと思う。リアリティとイマジネーションを両立させてこそ、空想でしかない物語に説得力が生まれるのだから。
だからこそ、人々に正体がバレないように過ごす…………というのは。使い古された設定でありながら、いまも廃れることなく受け継がれているのだろう。
私がこうして、普通の女子高生である「奥沢美咲」に囚われているように。歯がゆくても、見かねていても、力があったとしても。
これから先、人として生きていく以上は。
大っぴらに力を使って、目立つような事は避けなければいけないのだから。
「とにかく、信じて待とう。それくらいしか、出来ることはないと思う」
「…………はい」
戸山さんに向けたはずの言葉が、私の心に虚しく響く。それは、私が後ろめたい気持ちを抱いているからなのか。
それとも…………最初から、自分に言い聞かせるための言葉だからなのか。
私は、無力だ。
☆ ☆ ☆
「────なんて考えてたのが、バカらしくなってきますね」
そう吐き出した言葉には、呆れの感情が多分に含まれていたけれど。決して無視できない程度には、安堵の気持ちも含まれていて。
なんていうか、常識というものがどこかにいってしまったような気がする。
「ん? 何か言ったかい?」
ギターの調整をしていた薫さんが、私の言葉に反応した。キーボードの感触を確かめながら、視線をそちらへと向ける。
やはり、役者という事なのだろう。沢山の人たちの視線を受けながらも、彼女はあくまで自然体だった。いや、むしろ…………普段よりも輝いているような気すらしてくる。
本当に、理解できない。何がそんなに嬉しいのだろうか。打ち合わせもなく、台本も存在していないというのに。この場に立つことの、何がそんなに楽しいのだろうか。
…………本当は、分かっている。だって、今の私も同じような気持ちを抱いているから。
「いや…………というか、薫さん。ギター弾けるようになったんですね」
だけど、それを素直に認めたくなくて。誤魔化すように口にした言葉は…………なぜか、彼女の感性を刺激してしまったようで。
両手を胸に当てて、これでもかと輝く笑顔を見せた彼女が。演劇のワンフレーズを諳んじるように、私へと語りかけてくる。
「
「ああ…………練習、したんですね」
「美咲ちゃーん! ドラムの準備できたよー!」
「りょーかいです」
薫さんと話していた私へ、日菜さんから声が掛かった。視線をそちらへと向ければ…………二本のスティックを握った彼女が、どう見ても初心者とは思えないレベルの演奏をしていて。
これが即興で、ドラムには今まで触れた事もないというのだから驚きだ。私が言えた事じゃないのかもしれないけど…………やっぱり、日菜さんの才能は常人離れしている。
そんなこんな言っているうちに、私も準備が完了した。
「はい、それじゃあ…………始めますか」
ステージに登る前はあれほど緊張していたはずなのに、今はこんなにも落ち着いている。それが少し不思議で…………同時に、ドキドキしている私がいる。
「曲は何にするの?」
「なんていうか……適当に合わせるんで、いい感じにお願いします」
「あはは、なにそれ! いいね! 最高だよ! ロックンロール!!」
「これでも私は
「いや、日菜さんはゲストですからね。こころ達も今日はいませんし…………」
気分が盛り上がってきたのか、変なことを言い始めた薫さんに釘をさす。今日はあくまでも、助っ人として。つまり、脇役の一人として。
本当の始まりは、まだまだ先の話だから。細かいと思われるかもしれないけど、そこら辺の認識はしっかりしてもらわないと困る。
「ふふっ、分かっているさ。美咲は本当に、こころの事が好きなんだね」
「はぁ? どうしてそんな話になるんですか。あの、勘違いしないで欲しいんですけど────」
「それじゃあ始めようか。この歌を、子猫ちゃんたちに捧げよう」
「いや、あの。その前に私の話を────」
「まずは一曲目────『ロメオ』」