「私、戸山香澄です! よろしくお願いします!!」
すっかり様子の変わってしまった戸山さんが、マイクに向かって自分の名前を名乗りあげる。ハキハキとした口調、輝くような笑顔。まるで人が変わってしまったかのように、明るく振る舞う姿。それは先ほどまでの…………穏やかさの中に感じた力強さとは異なる魅力を宿していて。
まるで、というより。丸っきり人が変わってしまっているんだけど。
そんなこと、他の誰かに言えるはずもなくて。というより、他人の秘密を言いふらすような事は絶対にしないけども。
ただ、なんていうか。見違えたように元気な彼女を見ていて、思った。
「奥沢さん、さっきからボーッとしてるけど…………大丈夫か?」
「市ヶ谷さんこそ、戸山さんの方ばっかり見てるじゃん」
「ばっ、ちげーよ! 私は、別に…………」
市ヶ谷さんもキーボードを担当しているらしいから。戸山さんが一人で場をつないでいる間に、一緒に機材を調整している。
誤魔化しついでに揶揄ってみると、予想通りの反応が返ってきて。そのある意味では正直すぎる態度に、思わず笑ってしまう。
文句ありげに此方へと向けられた視線に気がつかないふりをすれば。彼女はため息を一つついて、前へと顔を向けた。ギターソロで観客を盛り上げている戸山さんの、その背中を見つめている。
戸山さんに引っ張り出されて動揺していた彼女も、覚悟を決めたんだろう。彼女に文句の一つも言わずに、こうして演奏のための準備をしている。
言葉ではこちらに気を遣っている市ヶ谷さんだったけど、その意識は最初からずっと戸山さんへと向けられていて。彼女の背中を見つめる市ヶ谷さんの瞳には…………なんともいえない、複雑な感情が宿っていて。
ああ、この人は知っているんだなって。心を覗き込むまでもなく、それが理解できた。
ただ、知っているからといって。そこを興味本位で突いていいかというと、そんなことはありえないから。
むしろ今までの人生の中で知ってしまったことの中でも、トップレベルにデリケートな問題だろうし。
色々と気になるのは間違いないけど。あまり深く踏み込まないように、自分を抑える。
すっかり黙り込んでしまった市ヶ谷さんの隣で、作業を続ける。
「あいつ、さ」
そんな調子で、もう少しで準備が終わるって時になって。意外なことに、市ヶ谷さんの方から話を振ってきた。
あいつ、というのはほぼ間違いなく戸山さんのことだろう。この流れで違う人の話題を振られたら、そっちの方が驚いてしまう。
チラリ、と。視線をそれとなく市ヶ谷さんの方へと向ける。彼女は戸山さんを見つめたままで……その横顔は、どことなく寂しげだ。
口元をギュッと噛み締めて。揺れる視線は、次の言葉を探しているのだろうか。
「戸山さんのこと?」
「そう、香澄! …………どう思った?」
助け舟を出すつもりで話に乗れば。市ヶ谷さんは食いつくように、体を僅かに揺らしながらそう問いかけてきた。友人が他者からどう見られているのか、気になって仕方がないといった様子だ。
好奇心というより、気掛かりなんだろう。今の戸山さんと、少し前までの戸山さん。その両方を知っている人であれば、誰だって不思議に思うだろうから。というか、言葉を選ばないのであれば「変だ」と指摘されてもおかしくない訳だし。
人は自分が理解できないものを遠ざける。戸山さんの変貌ぶりは、一般的な感性でいえば十分距離を置く理由になり得るだろうから。
その奇異の視線が、彼女へと向けられていないか。市ヶ谷さんはそれが心配で、不安なんだと思う。表に出していないだけで、たぶん……憤りも感じているんじゃないだろうか。
戸山さんの心は、その本心を覆い隠すように。数多の後悔や苦悩、恐怖に満たされていたのだから。過去に人間関係で何かあって、それが原因であの気弱な性格になったことは想像に難くない。
その戸山さんが一番心を許しているのが、市ヶ谷さんだから。その過去を知っていて…………そして、自分のこと以上に気にかけているんだ。
よく分かる。私だって、そうだから。変なものを見る目に囲まれて過ごしてきたあの子に関する噂話に、驚くほど過敏になってしまっている。
私にとっての弦巻こころが、彼女にとっての戸山さんなんだ。
「まぁ、なんていうか……ちょっと驚いたかな」
なんて言えばいいのか、迷ったというのはある。口を突いて出た言葉は、その場しのぎのような曖昧なもので。もしかしたら、無関心であるかのように受け取られてしまうかもしれない。
ただ、それ以上に。私は本当に心の底から、戸山さんがギターを弾く姿に驚きを隠せないでいた。
────上手い。ただひたすらに、技量が高い。もしかしたら、此処で演奏していた人たちの誰よりも。
彼女は歌っていない。市ヶ谷さんは作業を止めてしまって…………黒髪の子は踏ん切りがつかないのか、ベースを抱えたままどうするべきか悩んでいる。曲は始まってすらいなくて、この場には彼女のギターの音だけが響いている。
それでも、見ていれば分かる。
この場にいる者たちは、その誰一人として。この現状に不満を感じていない。
恐ろしいほどに正確で、一部の迷いもなくて。その上で、音が跳ね回るような躍動感に満ちている。指の動きの一つ一つが力強くて…………メロディを聞いているだけで、勝手に心臓が高鳴るような。そんな旋律が、戸山さんのギターを通して鼓膜に響いてくる。
叩きつけて、引っ掛けて。そうして生まれた二種類の音を絶え間なく繰り返して、その上から更に別の音を重ねていく。違和感を全く感じないくらいに完成された、確かな技術。
新しい登場人物に戸惑っていた観客たちも、戸山さんから目が離せないでいる。人の目を惹きつけてやまない魅力が、戸山さんから放たれていた。
ただ上手いだけじゃない。言葉では表現しきれないほどの…………いうなれば、カリスマというやつだろうか。彼女には、それがある。
弱さの中に芯のある強さを隠し持っていた
だから、純粋に驚いた。
一つの体の中に、二人の少女が。名前も起源も同じで、辿った道だけを違えたみたいな。喩えるならば、双子のような。そんな関係性の二つの魂が、心の中で喧嘩する事なく同居している。
静かに燃える魂と、明るく輝く魂。
戸山香澄という少女は、二つの人格がお互いを支え合うことで成り立っている。私だからこそ気がつくことができた、彼女の本当の姿。
…………どうして、こう。私の周りにはこんな風に珍しい人ばかりが揃うんだろうか。もしかしたら私は、そういう運命の下に生まれてきたのだろうか。
「いや、ほんとビックリしたよ。戸山さんって、あんなにギター上手かったんだ」
「…………いや、まぁ、アレを見たらそう思うのもおかしくないんだろうけどさ。私が聞きたいのは、そういうことじゃねーっつーか、なんていうか、その」
「戸山さん自身のこと?」
「…………奥沢さん、分かってて言ってんだろ」
「たしかに
「…………」
あまり悠長に喋っている時間もない。市ヶ谷さんの様子を伺いながら、止まっていた作業を進める。とにかく何かしていないと落ち着かないのか、彼女も手を動かし始めた。
数分経って。やるべき事を全て終わらせてから、市ヶ谷さんの方に向き直る。私が話しかける気配を察したんだろう。彼女は緊張で身を強張らせながら、私の目を見つめてきた。綺麗な瞳に、不安の色を強く残して。それでも目を逸らさず、視線を合わせる。
そして、言葉の続きを口にした。
「気になる気持ちは痛いほど分かるけど、本人の目の前で内緒話はちょっと憚られるかな。市ヶ谷さんだって、あんまりいい気分じゃないでしょ?」
「そう、だな」
彼女もあんまり乗り気じゃなかったんだろう。私が言及を避けているのを理解して、そのまま退いてくれた。それでも訪ねてきたのは、彼女が戸山さんを大切に思っている証拠だと思うから。
彼女が安心できるように、少しだけ言葉を付け足しておく。
「そんなに心配しなくても、戸山さんを避けたりしないよ。少なくとも、市ヶ谷さんが懸念しているようなことにはならないから」
「…………そっか。それなら、よかった。あいつ、あんたのこと尊敬してるからさ。他の誰でもない、あんたにだけはあいつを拒絶してほしくなかったっていうか…………いや、なに言ってんだろうな、忘れ────」
「あーりさ! 準備できた?」
「うわっ、ち、ちかっ…………! き、急に出てくんなよ!」
下を向いていて気づかなかったんだろう。演奏の手を止めてこちらに近づいてきていた戸山さんに話しかけられて、市ヶ谷さんが狼狽えている。
うん。話題にしていた当人に話しかけられるというのは、結構ビックリするよね。いや、満更でもなさそうな顔をしているのを見る限り、顔を赤くしているのはそれだけが理由じゃないんだろうけど。
戸山さんに迫られて真っ赤になっていた市ヶ谷さんの顔が、スーッと青く染まっていく。私と戸山さんの間で視線を行ったり来たりさせてから。器用にも、小さな声で叫ぶ。
「っていうか香澄! もしかしてお前、今の話盗み聞きしてなかっただろうな!?」
「え? 美咲ちゃんと何か話してたの? なになに? こっそり教えて!」
「ぜってーー嫌だ! ほら! 準備出来てるから!! さっさと始めんぞ!」
「えー! …………りみりん聞いて、有咲がグレた!」
「えっ、香澄ちゃん? ど、どうしたの? 有咲ちゃん?」
「ちょっ、変なこと言うのやめろって! だいたいお前は────」
りみりん、と呼ばれたベースの少女の元へ向かった戸山さんを市ヶ谷さんが追いかける。みんなが笑顔で、本当に楽しそうにしていて。
たぶん、これがバンドをやるって事なんだと思う。だから私も…………これからのことが、心の底から楽しみに感じられる。
いつか、近い将来で。今度はみんなと一緒に、このステージに立ちたいと思う。その時にはもっと沢山練習して、もっと上達して。自分たちの曲を用意して、大勢の前で歌をうたって、楽器を演奏する。
まだなにも決まっていない私たちだけど。今日みたいな経験をした以上は、それが無理な事とは思えない。たとえ数奇な巡り合わせによる一日限りの出来事でも、諦めなかった事が大切だと思うから。
だから────。
「ほら、市ヶ谷さん。戸山さんも…………お客さん、待ってるから」
薫さんと日菜さんのパフォーマンスのおかげで間が持っているけど、それもいつまでも続けるわけにはいかない。特に薫さんなんて、戸山さんのあのギターの後に演奏しているわけだから。
…………全く緊張とか感じてなさそうなのは流石だけど、それも限界があると思う。まだまだ初心者の域を出ない薫さんでは、流石に見劣りしてしまう。彼女の腕が悪いわけじゃなくて、比較対象が悪い。
戯れてる三人を窘めて、それぞれの位置へと誘導する。
なんだかんだこの場を離れない黒髪の少女も、それなりに覚悟を決めているんだろう。アンプに端子を差し込んで、音を鳴らし始めた。この子も上手い、それなりの練習を積み重ねているのが分かる。
「美咲ちゃん」
「ん? どうしたの戸山さん」
「ありがと、
「それ、市ヶ谷さんに言ってあげたほうがいいんじゃない? きっと喜ぶよ」
「ううん。それは
そう言って目を細めて笑う戸山さんの表情には、どこまでも無垢で屈託がない。誰もが子供の頃に持っていた純粋さをそのままに成長したかのような、曇りのない笑み。世界は素晴らしいんだと心の底から信じている、そんな瞳。
親近感というか、何というか。人に誰かの面影を重ねることが多い私だけど、こればっかりは仕方がないと思う。だって、あまりにもそっくりだから。
うん。私の一番大切な友達に、似ていると思う。見た目とか振る舞いとかそういうのじゃなくて、心のあり方が近いんだ。
「本当は美咲ちゃんとも一緒に演奏したいんだけど、有咲が拗ねちゃうから。だから、ごめんね?」
片目を閉じて、人差し指を唇の前に添えてから。悪戯っ子のような微笑みを浮かべて、戸山さんはそう言った。
真っ赤なギターを身に纏い、彼女はステージから観客たちを見下ろした。その後ろ姿を見届けてから、舞台裏へと足を進める。
「見てて、私たちが輝くところ」
背後から聞こえてきた声に、片手を上げて応えた。
☆ ☆ ☆
「おまたせ! どうなってる!?」
馴染みのある声が聞こえてきて、後ろを振り返った。彼女たちの騒がしい足音は、演奏の音で掻き消されて、舞台までは届かない。
息を切らせて、小柄な体を疲労で震えさせながら。ようやく、今日の主役が駆けつけた。
「鵜沢先輩」
「あっ、奥沢ちゃん! まだお客さん残ってる!?」
私の姿を見つけるや否や、鵜沢先輩は脇目も振らずこちらへと走り寄ってきた。彼女の肩越しに奥へと視線を向ければ、ギターケースを担いだ少女がオーナーに頭を下げている姿が目に入る。どことなく特徴が似通っているから、あの人がりみりんと呼ばれてた少女の姉なんだろう。
他の二人は膝に手をついて下を向いていて、それなりに無理してきたのが分かる。彼女たちの立場に立って考えてみれば、気持ちはよく理解できるから。仕方のないことだと思うけど。
目の前までやってきた鵜沢先輩の背中に手を当てて、呼吸を整える。楽器を担いでここまでやってきた彼女は、四人全体で見ても消耗が酷いから。まずは落ち着いてもらわないと、話の一つも出来ないだろうし。
「鵜沢先輩、こっち見てください」
「えっ、な、なに? どうしたの?」
俯き気味な彼女の頬に手を添えて、しっかりと視線を合わせる。この作業にも慣れてきて、相手に負担を掛けることもなくなった。
「えっ、えっ、奥沢ちゃん? なにを────」
「動かないでください」
【落ち着いて。ゆっくりと息を吸って】
頭の中に直接イメージを染み込ませて、強制的に呼吸を調整する。心臓の動きに合わせてテレパシーを送り、激しく脈動していたそれを平常時と同じくらいに落ち着かせた。
短時間で、目で見て分かる程度には。鵜沢先輩の息づかいが改善されて、血色が良くなった。至近距離で見つめられた時に、大体の人は照れてしまうから。この頬の赤らみも、その範疇として扱っていいだろう。彼女の肌が白いから、ちょっと目立っている。
ついでと言ってはなんだけど。雨で冷えた体をそれとなく温めて、汗は乾燥した風に見せかけて吹き飛ばす。ライブ中に体調を崩されたりでもしたら、本末転倒だ。
最後にゆっくりと背中をさすって、彼女から離れる。手のひらに感じていた熱が引いていって、少しだけ名残惜しい。
目をギュッと閉じてしまった彼女へと、声をかける。
「大丈夫ですか? だいぶ楽になったと思うんですけど」
「ぁ、え? …………奥沢ちゃん、今のなに?」
「ちょっと苦しそうだったんで、落ち着かせようと思いまして。これでも結構得意なんですよ、子供をあやすのとか」
「…………? あ!? いまリィちゃんのこと子供扱いしなかった!?」
「言葉の綾ですって。大体の人は目を合わせて背中をさすってあげたら呼吸が落ち着くんですよ。友達にそそっかしい人がいるから、慣れちゃったんです」
「いや、うん。確かに落ち着いたのは落ち着いたんだけど…………あの、頬に手を当てる意味ってあった?」
「一人じゃ顔を上げるのも辛そうだったんで…………えっと、もしかして首を痛めたりしました?」
「い、いや、そんなことないよ! …………うん、なんでもない。あ、ありがとね!」
頬を仕切りに気にしながら、鵜沢先輩は私の顔に視線を向けたり逸らしたりしていて。
そんなに恥ずかしかったんだろうか。彼女の見た目とか相まって、やけに仕草が可愛らしい。
身を半分横に逸らして、彼女にステージが見やすいようにしながら。幕を少しだけめくって、口を開く。
「ほら、見てください。まだ、誰一人帰っていませんよ」
「…………ぁ」
最初に目を惹くのは、ギターボーカルである戸山さんだろう。横顔を見るだけで分かるほどの、楽しそうな笑顔。キレのあるピッキングが支える正確で力強い演奏が、大気を震えさせるような音を生み出している。
単純な配置の問題で、市ヶ谷さんたちの姿はここからは見えないけれど。練習を重ねてきたのがよく分かる演奏が聞こえてきて、戸山さんのギターとよく噛み合っているのが伝わってくる。
同じキーボードを演じる身としては、こっちの方が技術の高さが分かりやすい。
だけど、視界の中に映るのは戸山さん一人。それと、彼女に降り注ぐ照明の光。
更には、振り続けられている数多のペンライトが。舞台の上に立つ彼女たちの音を、光で祝福していて。
間違いなく、一目で分かるくらいに。これ以上ないほどの盛り上がりが、ライブハウスを満たしていた。
「そっか、間に合ったんだ…………」
「大遅刻なのは事実ですけど、欠席にはなってませんよ…………ここにいるみんな、先輩たちの曲を楽しみにしてたんです。もちろん、私も」
「うん…………うんっ! ありがとう! 本当に!」
「お礼ならオーナーさんに言ってくださいよ。私とか戸山さんとか、飛び入りで参加することを許してくれたんですから」
「えっ! 奥沢ちゃんもライブしたの!?」
「即席な上に数曲だけですけどね。なんとか、場を冷やさないくらいは出来ました」
「奥沢ちゃん…………ありがとう!!」
感極まって抱きついてきた彼女を受け止めながら、他の三人に視線を移す。鵜沢先輩が目立つことをしたせいか、全員の視線が此方へと向けられていて。
一人一人に目を合わせて、鵜沢先輩にやった事と同じ要領でコンディションを整える。
こころや戸山さんみたいに上手くは出来ないけど。私に出来る限りの笑顔を浮かべて、彼女たちへと口を開いた。
「あとは、よろしくお願いしますね」