奥沢美咲は、超能力者である   作:親指ゴリラ

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 その時、舞台裏で何が起きたのか。


『  』は誰だ?

 

 ────運命の出会いだと思った。

 

 あの日、星のシールを追いかけてたどり着いた場所。埃のかぶった蔵の中で、私はかけがえのない二人の友人を手に入れた。

 

 一人の名前は、市ヶ谷有咲ちゃん。優しくて、かっこよくて。私なんかには勿体無いほど魅力的で、ステキな女の子。同級生と話すことが少なくなって、友達の一人もいなかった私に。五年ぶりにできた、新しい繋がり。

 

 一歩間違えたら不法侵入で捕まっていたかもしれない私を、その広い心で受け入れてくれた。本当に、本当に、心の底から大切な人。口ではいつも厳しいことを言っているけど、一度だって私のことを見捨てようとしなかった、優しい子。

 

 いま思えば、迷惑になっていたかもしれないけど。彼女と出会ったあの場所に、私はほとんど毎日訪ねに行った。

 

 有咲ちゃんは呆れたようにため息を吐いていたけど、それがただの癖のようなものだというのは後から知った。いつも飲み物を二人分用意してくれていて、一緒に過ごす時間が楽しくて。それで…………自惚れじゃなければ、有咲ちゃんも同じ気持ちでいてくれたと気づけたから。嫌われる事が怖くてビクビクしていた私も、だんだん素の自分を出せるようになった…………と思う。

 

 一緒に蔵を掃除して、二人だけで過ごせる場所ができたのは。出会ってから、どれくらいの時間が経った頃だっただろう。たしか、夏休みが終わる前だったとは思うけど。毎日が新鮮な日々だったから、そこまで正確な時間は覚えていない。

 

 ただ、有咲ちゃんの役に立てるのが嬉しくて。ついに掃除が終わってしまった時は、寂しくて仕方がなかった。

 

 あのギターを譲ってもらった事への、お礼の気持ちもあったから。蔵の掃除、という口実がなくなってしまった以上は。私には、彼女に会いにいくための理由が。新しい口実が見つけられなくて。

 

 もしも、有咲ちゃんから『もうこなくていいよ』なんて。言われたら、どうしようって。それが、考えすぎたってことは分かっていても…………胸の奥に住み着いた不安感は、時を経るごとに大きくなっていったから。だから────。

 

『ここ使って、練習しなよ』

 

 そう言われた時は。一瞬、言葉の意味を理解できなかった。頭の中が真っ白になって…………少し遅れて、会いにきてもいいって言われてるんだと実感した時は。

 

 有咲ちゃんを困らせてしまう事が分かっていても、溢れる涙を堪えることが出来なかった。

 

 嬉しくて、そして、情けなくて。握りしめた拳を震えさせながら、私の反応をしきりに気にしていた彼女の姿を見て。有咲ちゃんに不安そうな顔をさせている自分が、許せなくて。お礼と謝罪の言葉を繰り返しながら、子供のように泣き続けた。

 

 結局その日は泣き疲れて寝てしまったから、有咲ちゃんの家に初めて泊まることになって。そのときになってようやく、私は「友達」ができたんだという実感が持てた。

 

 だって、分からなかったから。人に笑われるのが怖くて、誰かに馬鹿にされるのが恐ろしくて。人と向き合うことが出来なかった私には、友達という存在がどんなものだったのかさえ忘れてしまって。

 

 それを、彼女が思い出させてくれたから。

 

 

 だから、有咲ちゃんだけには伝えてある。

 

 お母さんにも、あっちゃんにも。他の誰にも伝えていない、私の秘密。

 

 あの日、有咲ちゃんと出会った時に。私が出会った、もう一人の友人。それを友人と呼ぶのは、少しおかしなことだと思うけど。だけど、他になんて表現すればいいか分からないから。

 

 有咲ちゃんに出会って、あのギターを持った時に。心に感じた、確かなリズム。頭の中を弾けるように巡っていった、キラキラと輝く感情の高ぶり。

 

 かつて私が大切にしていて、自分から捨ててしまった。二度と出会うことはないと思っていた、高鳴る胸の音。空の彼方から落ちてきて、地面に降り注いだ。数多の流れ星を見た時のような、ドキドキとワクワク。

 

 

 心の中の、その奥の奥。自分でも気がついていなかったくらい、深いところで。彼女はずっと歌っていて、ずっと待っていてくれた。

 

 私が歩みを止めても、私が歌う事をやめてしまっても。星空を見上げることすらできなくなって、目を閉じて諦めてしまった私を。それでも見捨てずに、語りかけてくれていた声。

 

 彼女()の名前は、『星の鼓動(戸山香澄)』。

 

 聞こえないふりをして遠ざけていた、もう一人の私。幼い頃の、ただ歌うことが好きだった時の。純粋で、真っ直ぐで、眩しい一面を残した…………かつての私。

 

 戸惑いはなかった。むしろ、安心してしまった。私が焦がれて、捨てきれなかったものが。眩しくて、輝いていて、手を伸ばしたかったものが。形を変えて、心を持って。私の中に存在していてくれたのだから。

 

 私には出来なくなってしまったことを、彼女はやり遂げてくれる。私の代わりに歌って、私の代わりにキラキラして、私の代わりにドキドキしてくれる。

 

 だから……私は彼女()を、もう二度と手放さない。

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 ────ねぇ、聞こえる?

 

 うん、聞こえるよ。

 

 ────届いた! うれしい! 見つけてくれてありがとう!

 

 私も嬉しいよ! よろしくね!

 

 ────あなたの名前はなんていうの? わたしは、戸山香澄(星の鼓動)

 

 私? 私は…………わ、たし、は…………。

 

 

 私の名前は、「戸山香澄(とやまかすみ)」!!

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

『出来ないんだろう?』

 

 私の心を見透かすような、そんな視線だった。オーナーさんが口にした言葉を聞いて、私は冷や汗が止まらなかった。何かを言おうとしていたはずの口は動かなくて、呼吸すらままならなくて。

 

 有咲ちゃんが私の前に出て、オーナーさんの視線を遮ってくれるまで。自分の体を、これっぽっちも動かすことが出来なかった。

 

 オーナーさんに言われたことが、頭の中で何度も繰り返された。

 

 

『ゆりたちが来るまでの時間を、あんたが稼いでくれるのかい?』

 

 それはつまり、私に人前で演奏をしろっていうことで。そう言われる可能性を頭の片隅に置いていたのにも関わらず、出来るって言おうとしていた筈なのに。

 

 いざ、その時がきた途端。私は何も言えなくなってしまった。

 

 考えてみれば、当たり前のことだった。もう一度『星の鼓動』が聞こえるようになって、ギターが弾けるようになって。少しばかりの自信が、身についたとしても。

 

 私という存在そのものが、劇的に変わったわけじゃないんだから。五年間抱えていた苦悩が解決したわけでも、あの時のトラウマが癒えたわけでもなく。

 

 ただ、ギターを手に入れたというだけで。人前で歌うことへの恐怖心が、薄れてくれるはずもなくて。

 

 あの蔵の中で、有咲ちゃんの前でなら。それならば、歌えるんだと。そんなことを成長だと思っていた自分が、情けなかった。

 

 だって、何の役にも立ってない。

 

 私が歌えば、ギターを演奏すれば。まだライブを終わらせなくて済むと、それを許してくれると。オーナーさんは、そう言ってくれたというのに。

 

 グリグリの人たちも間に合って、りみちゃんもお姉さんのことで不安に思う必要がなくなるというのに。

 

 それなのに私は、この大切な一瞬で。自分の過去に囚われて、行動を起こすこともできなくて。

 

 情けなくて、惨めで。涙が出そうだった。初めてこのライブハウスに来た時に感じた、あのドキドキも。いまは凍りついたように停止して、少しも聞こえてこない。

 

 

 ライブしたいという気持ちに、偽りはない。あのステージの上で、舞台の上で。堂々としていた奥沢さんや、楽しそうにしていたりみちゃんのお姉さんみたいに。私も、輝くことが出来たなら。

 

 そう思って、一度だけ挑戦しようとした。

 

 オーナーさんの前で、ギターを弾く機会をもらった。いつも蔵の中でやっている通りにすればいいって、そうすれば大丈夫だって。自分に言い聞かせて、ギターを構えたのに。

 

 ダメだった。歌は喉元で突っかかって、一言も出てこなかった。ピックを握る手が震えて、今までの練習を何一つ活かすことも出来なかった。

 

 恐ろしかった。一緒についてきてくれた有咲ちゃんが、私を見限ってしまうのではないのかと。チャンスをくれたオーナーさんが、私に失望の目線を向けてくるんじゃないかと。そう考えたら、とてもじゃないけどドキドキなんて感じられなくて。

 

 私がそんな調子だから、もう一人の私も出てこられなかったんだと思う。『星の鼓動』を感じた時にしか、あの声は聞こえてこないから…………有咲ちゃんと一緒に演奏している、あの瞬間にしか。表に出てきてくれないから。

 

 有咲ちゃんも、オーナーさんも、私を責めるようなことはなくて。むしろどちらかといえば、親身になって相談に乗ってくれたけど。あの時にはもう、私はなんとなく察してしまっていた。

 

 私が大好きで、憧れていた人たち。誰の視線にも怖気付くことなく、強く大きく、星のように輝く人たち。眩しくて、遠く離れていて、手が届かない場所にいるから。

 

 そういう者に、私はなれない。

 

 

 本当に、サイテーだと思う。結局、私は何者にもなれなくて。せっかく、奥沢さんのお陰で有咲ちゃんともっと仲良くなれたのに。元気を貰えたはずの私が、他の誰かのために行動できないなんて。それじゃあ私は、いつになったら変われるんだろう。

 

 どんなことがあったら、本当の意味で変われるんだろう。

 

 どうしたら、勇気を────。

 

 

 

「戸山さん、大丈夫」

 

 

「────あとは、私たちに任せて」

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

「すごい…………」

 

 自然と、そう口にしていた。鳴り響く演奏と歓声に掻き消されて、周りの人には聞こえなかったと思うけど。

 

 でも、みんな同じ気持ちだと思う。

 

 有咲ちゃんも、りみちゃんも。今日の出演者の人たちや、オーナーさんだって。

 

 この場にいる人たち全員が、あの人達の奏でる音楽に聞き惚れている。誰だって恋に落ちたと錯覚してしまうような、胸を強く高鳴らせる。無敵で、最強の歌。

 

 技術とか経験とか、そんなの関係なしに。思わず耳を傾けて…………そして、目が離せなくなる。

 

 

 舞台の上に立つあの人たちの輝きを。瞬き一瞬ですら、見逃したくないと思ってしまう。沈みきっていた気持ちが浮き足立って、同じステージに立ちたいと、そう思わせるだけのものが。あの場所には満ち溢れていて。

 

 ギターボーカル、ドラム、キーボードのスリーピース。それも、ついさっき結成されたばかりの即興バンドだなんて。この曲を聴いているうちの何人が、そのことに気づけるだろうか。いや…………本人の口から直接聞いたとしても、信じられないと思う。

 

 だって、目の前で話を聞いていたはずの私が信じられていないのだから。無関係の人が聞けば、そんな馬鹿なって。そう言って笑うに違いない。

 

 それくらい、奥沢さん達の演奏はすごい。

 

 

 特に私の目を惹くのが、瀬田さんだ。この人は…………正直、ギターはそこまで卓越して上手いという訳じゃない。でも、それは他の二人の演奏のレベルに比べてって意味であって。人前で演奏する分には、十分すぎるほどだと思う。

 

 だって、明らかに奥沢さんと氷川さんがズバ抜けているというのに。数種類のフレーズと、いくつかのコードを組み合わせているだけの。バリエーションに乏しい瀬田さんのギターが、全く浮いていない。

 

 奥沢さんと氷川さんが、合わせるのも上手いという理由もあるんだろうけど。この二人の音に重ねて、それでも悪目立ちすることなく…………むしろ、お互いの魅力を引き出しているこの演奏が。いまの私には、あまりにも刺激的で。

 

 だって、私だったら。戸山香澄だったらきっと、あの中に入っていけない。

 

 私が瀬田さんくらいの実力で、即興でバンドを組んだりでもしたら。技術がどうこうとかいう以前に、心が負けてしまう。

 

 私じゃなくたって、それは変わらないと思う。世の中の大半の人たちが、前に出ることを躊躇うはずだ。誰だって失敗を恐れていて、その気持ちに打ち勝つことができるのはごく僅か。

 

 それなのに、瀬田さんは。

 

 いまの私よりも経験が少なくて、いまの私よりも出せる音が少ないはずなのに。それなのに笑顔で、人前で歌って、誰かを楽しませようとしている。

 

 音で、歌で分かる。あの人は本当に、これっぽっちも失敗を恐れていない。人の視線を受け止める器量を持っていて、物怖じしない心の強さがある。

 

 

 奥沢さんも、氷川さんも。ライブという形で人前で演奏するのは、今日が初めてらしいのに。どうしてこんなにも堂々と、伸び伸びと自分を魅せられるんだろう。

 

 …………ドキドキが止まらない。

 

 もっと彼女達のことを知りたい、もっと彼女達の演奏を聞いていたい。

 

 でも、それよりも。もっともっと、強い感情が。抑えたくても堪えきれない、胸の高鳴りが。臆病なはずの私を駆り立てて、前へ前へと歩ませようとしてくる。

 

 

 ────ライブが、したい。

 

 有咲ちゃんと、りみちゃんと一緒に。あのステージの上で輝きたい、キラキラドキドキしたい。子供の時のように、あの頃のように。不安とか、トラウマとか、そんな余計なことは一切忘れて。

 

 ただ、歌うことだけを考えていたい。

 

 

 そう思ったら、走り出していた。

 

 周りの人たちはみんな、奥沢さん達の演奏に夢中になっているから。誰一人(・・・)として、私の行動に気がつかなかったと思う。

 

 バカだと思う。今からギターを取りに帰ったって、絶対に間に合わないはずなのに。外は雨が降っていて、走って帰ったらずぶ濡れになってライブどころじゃないはずなのに。

 

 何故か(・・・)その事に思い至らなかった私は、もう一人の私のために。そして、私自身のために。有咲ちゃんからもらった、あのギターを取りに行こうとして────。

 

 

「────香澄ちゃん、どこいくの?」

 

 

 いるはずのない人の声で、呼び止められた。

 

 

★ ★ ★

 

 

「…………え?」

 

「どうしたの? そんな顔しちゃって……幽霊でも、見ちゃった?」

 

 

 ニコニコと、目を細めて笑う彼女は。何が楽しいのか、先ほどまでよりも遥かに機嫌が良さそうで。両手を頭の後ろで組んで、悪戯っぽい声音で私に話しかけてきていて。

 

 でも、言葉を返せなかった。

 

 彼女の言葉からは、特に含むものは感じられないけど。その薄められた瞼の奥に輝く瞳が、肉食獣のような強い眼光を放って、私のことを見据えていたから。

 

 思っていたことが、口からこぼれ落ちる。

 

 

「ど、どうして…………ここに、いるんですか?」

 

「えー? 酷いなぁ、あたしがここにいちゃダメってこと?」

 

「そ、そんなことは……でも、だって、さっきまで、たしかに……な、なんで…………」

 

「んー、理由っていうか。ちょっと香澄ちゃんに用があったから、待ってた(・・・・)んだよね。二人きりになりたくてさ」

 

 エントランスの中には、他に誰もいない。私と彼女の、二人きりで。スタッフさんの一人くらいいてもいいはずなのに、不自然なほど姿が見えない。

 

 ライブハウスのドアに背を向けている私と、ホール側から此方に近づいてくる彼女。一歩ずつ歩み寄ってくるその姿が恐ろしく感じてしまうのは、私の気のせいなんかじゃない。

 

 雨の音と、演奏の音が聞こえてくる。水が地面に打ち付けられる音が、嫌に大きくて。ライブハウスの奥から聞こえてくる音楽が、いつもより小さく感じられる。

 

 そして、その二つの中に。彼女が靴を鳴らす音が、違和感なく紛れ込んでいて。

 

 コツ、コツと。単調に響く硬質なそれが、鼓膜を通して、頭の中に染み込むように入り込んでくる。

 

 

 目で見たものが信じられない、耳で聞こえてくるものが信じられない。

 

 だって、私の記憶が確かならば。目の前に立っているこの人は、いまはあのステージの上に立っていて。

 

 仮に、本物なのだとしたら。いま聞こえているはずのドラム(・・・)の音は、いったい誰が演奏しているのだろう。

 

 誰が、誰が、誰が?

 

 目の前の現実と、聞こえてくる現実。お互いを矛盾させるそれらが、私の認識をこの場所から剥離させる。

 

 

「まぁ、そう警戒しないでよ。あたし、香澄ちゃんとも仲良くしたいんだからさ」

 

「…………あ、あなたは、誰、なんですか?」

 

「えー? もう忘れちゃったの? 酷いなぁ、ついさっき自己紹介したばっかりじゃん」

 

「だ、だって! さっきまで奥沢さんと一緒に! い、いまだって、音がしてるのに!」

 

「あ、そういうことね! うーん…………ま、見てもらった方が早いかなぁ? ほら、こっちきて」

 

「や、やめっ…………は、離して!」

 

「ほらほら、抵抗しないの」

 

 至近距離で瞳を覗き込んできた彼女は、同じ人間とは思えないほど力強くて。掴まれた手首が、少しも動かせない。

 

 そして、人間の手とは思えないほど冷たくて。まるで、死人のようだと。そう思ったら、悪い予感が止まらなくなって。しゃくりあげるような悲鳴が、喉から鳴った。

 

「ひっ」

 

「傷つくなぁ、あんまり怖がらないでよ」

 

 全く傷ついたような素振りも見せずに、カラカラと笑いながら。彼女は私の手を引いて、抵抗する私を軽々と引きずっていく。

 

 その足は、ライブ中のホールへと繋がる扉の前まで。迷いなく進んで、そこで止まった。両開きの扉に、空いている方の手を掛けて。ゆっくりと押し出す彼女は、嗜虐的な笑顔を見せていて。

 

 

「ほら、見て」

 

 

 扉の向こう側の瞳と、目が合った。

 

 悲鳴は出なかった。全身を蝕むような恐怖に思考が停止してしまって、何も考えられなくなった。

 

 それなりの距離があるにもかかわらず。舞台の上に立つ彼女が、私のことを見ているのだと。なぜか、すぐに理解できた。茶目っ気を含んだウィンクを飛ばされて、体が強張る。

 

 扉が閉じられて、漏れ出て大きくなっていた音が元の大きさに戻る。一瞬のことだから、誰も扉が開けられたことに気がつかなかったと思う。

 

 最初から此方を見ていた、あの人以外は。目の前にいるこの人と、寸分違わぬ同じ見た目をした、あの人以外は。

 

 

「あ、あ、ひ、氷川…………さん?」

 

「うんうん、計算通りの反応だね! …………面白くないなぁ」

 

「え、でも、演奏してて、え? どうして、ここに?」

 

「別におかしな事でもなくない? 香澄ちゃんだって、同じようなものでしょ?」

 

 何を考えているのか分からない。氷のように冷たい笑顔が、私の瞳の中を覗き込んでくる。瞳の奥にある、本当の私まで。何もかもを見通しているような黄金(・・)の目と、その口ぶりが。

 

 怖い、恐ろしい。今すぐ逃げ出してしまいたいほど、悍ましい。

 

 

「あ、かっ、ひ」

 

 呼吸が出来ない。息の吸い方を忘れてしまったみたいに、パクパクと口を開けては閉じてを繰り返す。

 

 私のそんな痴態を見た彼女…………氷川さん(・・・・)は、それまでの悍ましい気配を引っ込めて。困ったように笑った。

 

「あー、びっくりさせすぎちゃったかな? ちょっと揶揄うつもりだったのに、やりすぎたかなぁ。美咲ちゃんに怒られちゃうかも

 

 

 ほら、大丈夫だからさ。ね、落ち着いて」

 

「…………っは、ぁ」

 

「うーん、意地悪するつもりはなかったんだけどね。香澄ちゃんがあんまりにもいい反応するから、ついつい気分が乗っちゃったよ。ごめんね?」

 

 それまでが嘘だったかのように、平常心が戻ってくる。だけど、恐怖心だけは拭えなくて。最初から一貫して嗤い続けているこの人が、何を考えているのか分からなくて。

 

 涙が頬を伝うのが分かる。

 

 

「あたし、香澄ちゃんには感謝してるんだよね。香澄ちゃんのお陰で…………美咲ちゃんがまた一歩、あの時の美咲ちゃんに近づいてくれたんだからさ。だから、そのお礼にちょーっと背中を押してあげようと思ったんだよね」

 

 私の視線を無視して、彼女は話を進める。口では仲良くしたい、なんて言っていたけれど。その態度を見れば、この人が私のことをどうでもいいと思っていることは明白で。

 

「ほら、香澄ちゃんにプレゼントがあるんだ! とはいっても、元々香澄ちゃんのだから。ちょっと意味が違うかもしれないけど」

 

 そんな彼女が取り出したものを見て。私はもう一度、言葉を失った。

 

 だって、それは、私の家にあるはずで。この人には、絶対に手に入れられないはずのものなのに。

 

 同じ種類の、別のものなんじゃないかとも思ったけど。分かりやすい場所に貼られた星型のシールが、私の所持品であるということを雄弁に物語っていて。

 

 ────私のランダムスターが、彼女の手に握られていた。

 

 

「これ、必要なんでしょ? もってきといたよ」

 

 

 

「これで、ライブできるよね?」

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