奥沢美咲は、超能力者である   作:親指ゴリラ

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 注意:なんでも許せる人向け。たぶんバッドエンドです。

 if:もしも奥沢美咲が、あの日こころと出会わなかったら。


10/1 奥沢美咲誕生日記念番外編
ifエンド シャルル


『美咲、誕生日おめでとう』

 

『おねーちゃん、おめでとう!』『おめれと!』

 

 母の言葉を皮切りにして、妹と弟が祝福を口にする。どちらもたどたどしい口調で、それがとても微笑ましい。なんというか、心が温かくなる。

 

 今日は私の誕生日だ。机の上にはいつもより豪勢な料理が並んでいて、その中心にはバースデーケーキが置かれている。家族五人で分けるとはいえ、ちょっと作りすぎだと思う。私のために用意されたものだと分かっているから、嬉しさ半分恥ずかしさ半分で。言葉にできない感情が、胸の内を満たしていた。

 

 妹は私へ嬉しそうな笑顔を向けている。自分の誕生日でもないのに…………なんて。そういう風に考えてしまうのは、私が捻くれ者だからなんだろう。妹たちの誕生日になったら同じような顔をしているくせに、変なところで素直に喜べないんだから。我ながら、面倒な性分をしていると思う。

 

 逆に、弟は私の方へ視線を向けてすらいなかった。口から垂れている涎と、キラキラと輝いた瞳は正直者だ。目の前に置かれたご馳走やケーキに夢中で、母の許しが出るのを今か今かと待っているのがよく分かる。そんな弟に母は苦笑していて…………母によく似た顔の私も、同じような表情をしているんだろう。

 

 「ママ」でも「パパ」でもなく、「おねーちゃ」と最初に口にしたとは思えないほど、いまの弟は私に無関心だ。でも、なんでだろうか。そんな彼の姿ですら、とても愛おしいものに思える。

 

 まぁ、それは弟に限った話じゃなくて。私の隣の席を確保して、自分へ意識を向けてもらえるように私の裾を引いている妹に対しても。私は同じような気持ちを抱いているのだけれど。

 

 姉心なのか、母性なのか。愛情には沢山の種類があって、そこに名前をつけるのは難しいことだから。

 

 私が感じているこの温かさが、どんな意味を持っているのか。まだ幼かった私は、それすら理解できていなかったんだと思う。

 

 

『みさきちゃん、たんじょうびおめでとう!』

 

 私の大切な友達が、こちらへとプレゼントを差し出している。包装紙に包まれた、小さな箱型のプレゼント。

 

 その包み紙が、あまりにも綺麗な柄をしていたから。なんとなく、開けるのがもったいなくて。

 

 開封を催促する友達と、逡巡する私。並んでいる二人の顔には、隠しきれない笑みが浮かんでいる。私は…………その笑顔を、ずっと見ていたかったのに。

 

『これ、みさきちゃんににあうとおもったんだ! つけてみて!』

 

 開いた箱の中にあったのは、一つのヘアピンだった。シンプルな色をしているけど、しっかりとした作りのもの。子供の小遣いで買うには明らかに不釣り合いなほど、高価な代物だった。私にとっては、値段以上の価値がある…………大切なものであるのは間違いない。

 

『ちょっと、おおきくないかな?』

 

『えへへ、ずっとつけてくれるとうれしいな。わたしたちがおおきくなって、おとなになっても!』

 

『…………うん、たいせつにするよ。ずっと、いつまでも』

 

 

 人は、自分の気持ちすら十全に理解できない生き物だ。だから、それが自分以外のものとなると…………想像で補うしかなくなってしまう。

 

 私は信じていた。家族から与えられる愛情も、家族へと向けていた愛情も。打算や損得を抜きにした、尊いものであるのだと。

 

 家族全員が揃ったあの光景が当たり前で、これから先も…………ずっと、続いてくれるものなんだと。明確に言葉にしたことは無かったけど、無意識のうちに信じていた。

 

 私は信じていた。あの子を大切に思う気持ちも、あの子から向けられた笑顔も。そこに偽りはかけらも無くて、何もよりも輝いていて。

 

 いつの日か、胸を張って親友であると口に出来る日が来るのだと。捻くれ者で、素直になれなくて、恥ずかしがり屋だった私が。それでも躊躇うことなく宣言できる、そんな時が訪れてくれるのだと。

 

 約束を、守り続けることができるのだと。

 

 

 

『美咲』

 

『おねーちゃん』

 

『みさきちゃん』

 

 

 

 全部、全部、幻だ。錯覚で、幻覚で、幻想なんだ。

 

 私が見ている、この夢と同じように。全ては…………一晩経てば消えてしまうような、泡沫の景色に過ぎなかった。

 

 嘘つきだ。母も父も、妹も弟も、あの子も…………そして、私自身も。

 

 愛なんてなかった。繋がりなんて消え失せた。約束すら忘れてしまって、あの子の名前すら思い出せないのに。

 

 

 じゃあ、なにもかも過去に置き去りにしてしまった私は。中身のない空っぽな私は。

 

 こんな意味のない幻に縋って、心を置き去りにしてしまった私はいったい、いったいなにを、なにを信じて…………生きていけばいい?

 

 

 ねぇ、誰か教えてよ。

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

「…………最悪」

 

 寝汗で服が肌に張り付いているのを感じる。じっとりとして、吸い付くように。ペタリとした湿った感触が気分を害して…………言葉通り、最悪の目覚めとなってしまった。

 

 念動力で水分を飛ばし、ついでに身体中から老廃物や汚れを消す。服が新品のようにパリッとした張りを取り戻し、身体は風呂上がりのように清潔さを手に入れた。とはいえ、気分は依然として最悪のままだけど。

 

 不規則な生活習慣が身についてからは、こうして超能力で楽をすることが多くなった。というよりも、日常生活のほとんどを超能力に頼ってるといってもいいかもしれない。

 

 自堕落だなとは思う。でも、誰にも迷惑をかけていないわけだし。どうせ、咎める者も存在しないのだから。私の精神を律していた何かが壊れた時に、楽をすることへの罪悪感も消えてしまった。

 

 

 携帯の画面をつけて、時間を確認する。通信会社との契約を切ってしまった今となっては、この板も少しお高い時計へと変わり果てている。元から連絡をする相手なんていなかったわけだし、不自由はしていない。

 

 画面に映った数字は、時間がとっくに昼を過ぎているという事実を示している。学校に行かなくなって、起きる時間がだいぶ遅くなった。

 

 

 一皮むけば、私なんてこんなもんだ。

 

 一人じゃ何かをやる気力もなくて、なんでも便利な力に頼って、まともな生活を送る気すら起こさない。危機意識も薄弱だから、改善する兆しすら見えないわけで。一度折れた棒切れが二度と元の形に戻らないように、堕落した私も常識人には戻れないんだと思う。

 

 まぁ、私が常識人だったかと問われれば。元から少し怪しいわけだけど。

 

 だって、私ってバケモノだもん。超能力なんて力を持っている奴が、まともな人間として育つわけがないじゃん。そもそもの問題として、人間じゃないんだから。人のふりをしたところで、滑稽に見えるだけだ。

 

 だから、最初からこうして生きていけばよかった。バケモノはバケモノらしく、自分のやりたいことだけを、本能に従う獣のように行って生きていればよかったんだ。

 

 なんていったら、生きていくために必死な獣たちに失礼かな。私、生きようとする意思すら手放しかけてるわけだし。

 

 

「あぁ、今日は十月一日か。どうりで…………」

 

 あんな夢を見たのか、と。続く言葉は口にしないで、心の中で握りつぶす。

 

 また私が幼かった頃、幸せの絶頂だった時の思い出。家族全員が揃って、盛大に祝われた…………かつての誕生日パーティーの記憶。我ながら女々しいことだ。いや、一応は女であるわけだから…………それが普通、なんだろうか。

 

 憎たらしいほどに輝く太陽をぼうっと眺めながら、夢の内容を反芻する。

 

 幸せで、温かくて。どこまでも希望に溢れていて…………そして、懐かしい思い出。

 

 

 心底、吐き気がする。

 

 偽りの記憶に、なんの価値があるのだろうか。両親は私を捨てた、最初から愛してなどいなかった。私は妹たちを捨てた、きっと、私も愛していなかったのだ。

 

 だいたい、あの子が私の誕生日パーティーに出てきた時点でおかしな話だ。あの子が私にプレゼントをくれたのは…………あぁ、それすら思い出せない。いつのことだっただろうか。どうでもいいか、全部私の妄想なのだから。

 

 だから、全部嘘だ。思い出も、喜びも、温かさも。何もかもが嘘で塗りつぶされた、虚像に過ぎない。無意味で、醜悪で、未練だけで彩られた…………私の心の弱さが見せた、気持ちの悪い幻覚。

 

 超能力に目覚めてから、普通の夢を見ることなんてなくなったから。こうして過去の思い出を夢として見るたびに、自分が嫌になってしまう。

 

 どうしようもない現実に打ち砕かれてから、私はこうして幻覚を見るようになった。もともと幻を見せる類の超能力も使用できていた私は、すぐに原因に思い至った。

 

 要するに、自慰行為なのだ。現実が嫌で嫌で堪らないから、過去の思い出に逃げようとしている。無意識のうちにそれを望んでいるから、自分自身に幻覚を掛けてしまう。

 

 気持ち悪い、自分が嫌になる。いや、元から嫌いだけど。

 

 あんな光景を見て、自分を慰めているなんて。過去に囚われた人間ほど、見苦しいものはないと思うけど。それにしたって、あまりにも浅ましいとは思わないのだろうか。

 

 …………思っていても、やめらんないだろうけど。私はいつになったら、この不毛な行いから卒業できるのだろうか。本当に、度し難い。

 

 

 いっそ、全てを忘れてしまえれば────。

 

 いや、それだけはダメだ。出来ないことではないし、既に何度かやらかしていることだけど。

 

 これ以上、自我を薄めるような事はしちゃダメだ。約束を破っちゃいけない。嘘つきになってはいけない。

 

 どんな約束だったか思い出せないけど。

 

 どんなに現実が嫌だとしても、どれだけ自分が嫌いだとしても。それでも、自分を殺すような真似だけはしてはいけないんだ。

 

 だって、そうじゃなかったら。私はとっくの昔に、自ら命を絶っているはずなのだから。そうしていない以上は、生きていかないといけないはずなんだ。

 

 

 …………いや、ちょっとまて。

 

 おかしくないか? どうしても、生きていないといけないのか? 意味なんてないのに、理由なんて存在しないのに? 私を覚えている人間なんて、この世に一人もいないのに? それでも私は、みっともなく生きていかなければいけないのだろうか。

 

 約束、約束ってなんだ。どんな約束だった? なぜ私が生きていないといけないんだ? 死んではいけないのか? 自分を殺してはいけないのか?

 

 何故なんだ、私はどうして…………苦しみ続けなければいけないんだ。

 

 

 

 痛い、痛いよ。頭が痛い。

 

 割れてしまいそうだ。痛くて痛くて、我慢できない。あと少しで何かを思い出せそうなのに、痛みがそれを妨げる。

 

 右脳と左脳が真っ二つに切断されるような痛みが、思考を遮る。何も考えられない、何も考えたくない。

 

 思い出したくない(・・・・・・・・)

 

 

 楽になりたくて、自分の頭へと力を打ち込む。あれだけ警笛を鳴らしていた痛覚が麻痺していって、スッと痛みが引いた。

 

 思考にポッカリとした穴が開いて、そこから負の感情がどこかへと漏れていくのを感じる。代わりに多幸感が溢れてきて、視界が星の輝きで満たされていく。

 

 過呼吸一歩手前まで進んでいた発作が収まって、安定した呼吸を取り戻す。耳をすませれば、自分の心臓の音が聞こえてきて。一定のリズムで刻まれるそれに安心感を覚えていると、再び眠気がやってきた。

 

 

 気持ちいい、心地よい。

 

 まるで親の胎内に戻ったような気持ちだ。心音を子守唄の代わりにして…………意識が薄らいで────。

 

 

 

 

 ────にゃー。

 

 

 猫の鳴き声が、聞こえた気がした。

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 両親が離婚してから、抜け殻のように生きてきた。あの人たちが私を捨てたことも、私が妹たちを見捨ててしまったことも。認めたくなくて、受け入れたくなかった。

 

 私が何か行動できていたら…………そんな風に考えたのも、一度や二度ではなかった。それが非人道的な行いであったとしても、躊躇うべきではなかったんだ。二人の思考を誘導して、家族をかけがえのないものだと思い込ませる。可能か不可能かでいえば、私なら出来ることだった。

 

 人の気持ちを弄ぶなんで、考えただけで嫌悪感が止まらないけど。それで今まで通りの生活が出来て、妹たちとも一緒に居られるのであれば、やるべきだったんだ。

 

 私に、あと少しの勇気があれば。

 

 人の道を外れて、罪を背負う勇気さえあれば。私が後悔する必要も、妹たちを泣かせてしまうことも無かったのに。

 

 元を辿れば、私が全て悪いんだから。

 

 私が超能力なんて持っていたから。人の心が読めて、不貞を知ってしまったから。ショックを受けて、取り繕うことすら出来なかったから。だから、両親に気づかれてしまったんだ。私が、二人の秘密に勘付いた事実を。知られてはいけなかったのに、知られてしまった。

 

 私が、いなければよかったのに。

 

 あるいは、両親のように嘘をつくのが上手ければよかったのに。

 

 超能力なんて余計な力を持っていなければよかったのに。

 

 ああであれば、こうであればと。なんの意味もないことだと分かっていても、そう考えてしまう。何もしなかった後悔と、その気になればどうとでも出来たという事実。理想と現実の板挟みで、心が擦り切れていく。

 

 

 五年間だ。私の人生における、実に三分の一に相当する時間。現代に住む人々の平均寿命で見ても、決して無視できる長さではない。

 

 五年間、ずっと一人で生きてきた。祖母は私の滞在を許してくれたけど、他でもない私が心を許せなかった。まだ誰かを信じて、愛して、裏切られるのが怖かったから。だから、ずっと殻にこもって生きてきた。

 

 一人で心の中に閉じこもって、勝手に自分を痛めつけて。そうする事で、少しでも許されたかったのかもしれない。あの日常を壊してしまった私を、自分自身が許せなかったから。だから少しでも贖罪になればと、そう思って生きてきた。

 

 結局、全部無駄だったと分かっているけど。それでも、無意味な行為だと切り捨てたくはなかった。

 

 私はあとどれだけ自分を傷つければ、この罪悪感から解放されるのだろうか。何もかもがどうでもよくなった今であっても、あの頃から感じ続けてきた苦しみはちっとも消えてくれなくて。

 

 むしろ、心に熱がなくなった分だけ。負の感情が鋭い痛みとなって、心を冷たく閉ざしていくのを感じる。

 

 

 痛くて、冷たくて、苦しくて。

 

 なんでもいい、誰でもいいから。こんな私を助け出してほしかった。漫画やアニメや小説に出てくるような、ヒーローがいてほしかった。

 

 自分が許せなかったけど、許してほしかったから。だから、探し続けてきた。暗く濁った心の中にある、一筋の希望を。

 

 誰よりも大切だと。胸を張ってそう言える相手、約束で結ばれた…………かけがえのない宝物を。あの子(・・・)を探し求めて、私はこの街へと帰ってきたんだ。

 

 期待していなかったといえば、嘘になってしまうから。

 

 正直にいえば、私は願っていた。

 

 私が手放してしまったもの、大切にしていたはずのもの。取り戻せるはずがないと思っていても、諦めきれなかったものを。

 

 もう一度この手に掴めることを、私は心の底から望んでいた。

 

 

 なのに、なのに…………どうして?

 

 五年越しに故郷へと出向いた夏の日。懐かしさと一筋の希望を胸に抱いていた、まだ自分の愚かさに気づいていなかったあの日。

 

 私がたどり着いた真実は、最も残酷なものだった。

 

 あの日二人で向かった場所、思い出の「星見の丘」で。私は一人地面へと項垂れながら、獣のように慟哭した。

 

 声が枯れ果てるまで叫んだ。諦められなくて、何度も、何度も、土地に宿った記憶を読み取り直した。希望と絶望をないまぜにした、不安定な精神を酷使して、自分に宿った力を使い続けた。

 

 …………やめられ、なかった。

 

 そんな、嘘だ、誰か、嘘だと言って、と。喉が掠れて、まともな声が出なくても。叫ぶ気力がなくなって、譫言のように現実逃避を口にして。

 

 頭に走る痛みを無視して、あの日の光景を何度も見直した。

 

 何度も、何度も、何度でも。

 

 幾度繰り返しても、その現実が変わることはなかった。認めざるを得なかった。在りし日の、その光景の中で、私は一人ぼっち(・・・・・)で空を見上げていた。その側に、人影はなかったから。

 

 

 間違っているのは、私の記憶だった。

 

 あの子なんて最初から存在していなくて。現実から逃げたかった私が心の中に生み出した、嘘っぱちの友達だったんだと。

 

 それを認めたくなかったから。

 

 

 

 私は結局、花咲川女子学園へと入学した。

 

 勉強も運動も、片手間だった。それだけで十分だった。普通の人間に出来ることが、私に出来ないはずがないのだから。わざわざ力を入れる必要もなくて、適当にこなした。

 

 アルバイトもやらなかった。私はその気になれば食事しなくても生きていけると、感覚として理解していたから。友達付き合いをする暇もなかったし、お金は必要なかった。たまに思い出したように食べ物を口にする以外、使い道はない。

 

 普通の高校生が体験しているであろう全ての日常を、私は放棄した。

 

 

 そして…………その代わりにうまれた時間を、あの子を探すことだけに費やした。

 

 全てをかけた。あれだけ使用を躊躇っていたはずの超能力を、常に使い続けた。

 

 人の記憶を覗き込んだ、土地の記憶を呼び起こした。負担が大きいから、毎日少しずつ捜索を進めた。

 

 呼びかけも行った。少ない人脈を頼って、私の及ばない方面でのアプローチを行ってもらった。少しでも手掛かりがあるのなら、見落としたくなかったから。あまり期待していなかったけど、沢山の人に頭を下げた。

 

 記憶を頼りに、街を辿った。部屋に飾られた地図を埋め尽くすように、その日見たものを描き込んでいった。ノートを何冊も使い切って、自分の思い出を整理した。

 

 最終的には、違法な行為にも手を染めた。一般には公開されていない情報を手に入れるために、公的機関に忍び込んだりもした。罪の意識は存在していたけど、焦りと絶望で気が狂いかけていた私は、止まることが出来なかった。

 

 その過程で、人の記憶を操る力を手に入れたりもした。どうしても目撃されることが避けられない場合には、その時の出来事を忘れてもらうことで難を逃れた。

 

 全部だ。私に出来ること、私が想像のつく範囲のことは全部やった。今度こそ、なにもしなかったことを後悔したくなかった。なにかに取り憑かれたように、ただガムシャラに日々を過ごした。

 

 それだけ、やっても。

 

 どれだけ、やっても。

 

 私の記憶の中にいたはずの少女の姿は、影も形も見えなくて。

 

 

 ────あの日から、ちょうど六年の月日が経ったとき。

 

 私は何もかも諦めて、もう一度…………自分の殻に閉じこもった。

 

 二度と出られないくらい、深く、強く。以前のものとは比較にならないほど強固なそれは…………もはや、檻と呼ぶ方が正しいのだろう。

 

 学校にも行かなくなった。掛かってくる電話や、訪ねてくるクラスメイトが煩わしかった。

 

 …………本当は、嬉しい気持ちもあったけど。もう二度と期待なんてしないと決めたから。

 

 誰も愛さないと、決めてしまったから。

 

 

 だから、わ、私は、やりたくなかったけど、嫌だったけど、それでも、やらないよりは、なにもしないよりはマシだと思ったから、二度と傷つきたくなくて、傷つけたくもなかったから、期待しなくなかったから、だか、ら、私は、誰も喜ばないと分かっていても、それでも、なにもしないで後悔するよりは、やってから後悔したかったから。

 

 

 私はまた一つ、許されない罪を重ねてしまった。でも、仕方がなかったんだ。何もできない私には、そうするしか道がなかったから、そうしないと、また期待してしまいそうだったから。だから、だから…………っ!

 

 

 

 雲ひとつない空の下。嫌味なほど晴れていたのが印象的な、あの日。

 

 

 ────私は、自分と関わりを持った全ての人々の心の中から…………私に関係する記憶を、全て消した。

 

 

 この街には…………いや、この世界には。もう、私の名前を覚えている人なんて一人もいない。

 

 『奥沢美咲』は、この世に存在していない。

 

 

 当たり前だけど、後悔した。それまで普通に会話してきた人が私のことを知らないという事実に、目眩を覚えることもあった。

 

 でも、それと同じくらいには。なんだろう、とても晴れやかな気持ちになったのも、事実だった。

 

 これで必要以上に悩まないでいい、苦しまないでいい。誰かから愛されることもないけれど、誰からも嫌悪されることもない。

 

 そう考えてしまうのは、私が捻くれ者だったからなのだろうか。今となっては、自分のことですら分からないけど。

 

 私を知る者が居なくなった世界で、私は誰よりも自由になった。その事実だけは、間違いなく本物だと思うから。

 

 

 実に、六年ぶりだろうか。体感的には、もっとずっと長かった気もするけど。

 

 

 久しぶりに、大きな声をあげて笑った。

 

 嬉しかった、愉快だった。あの子のことを誰も覚えていなかったように、誰も私のことを覚えていない。そんな私がここに居るということは、あの子だって世界のどこかに存在しているに違いない。

 

 狂人の理論だと自覚しても、嬉しくて仕方がなかった。

 

 笑って、笑って、最後に…………一言だけ呟いた。それは誰に宛てたわけでもなくて、強いていうのであれば、世界中へと向けたものだ。

 

 

 『こんにちは(ハロー)』、そして『さよなら』と。

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 頬が濡れるような感覚で、目が覚めた。

 

 視界いっぱいに、鮮やかなパステルカラーが広がっていた。鼻先にくすぐったい感触が伝わってくる。

 

 丁寧に整えられた水色の体毛と、獣臭さを感じさせない香水のような匂い。無意識のうちに息を吸い込めば、甘い香りが胸をいっぱいにした。

 

 微睡みの中で感じたその匂いが、私の心に安定感を取り戻す。頭の中まで溶けてしまいそうな、そんな心地よさ。

 

 なにか、よくない夢を見ていたような気がするけど。この匂いのおかげだろうか、とても気持ちの良い寝覚めになった。

 

 胎児のように丸めていた体を伸ばして、上半身を起こす。

 

 私が動いたことで、その生き物も体を捻ってこちらを見上げた。

 

 金色の瞳と、視線が合う。縦に大きく裂けた、人のものではない瞳。覗き込んでも覗き込んでも、言葉が聞こえてくることのないそれが、私の瞳を覗き込んでいる。

 

 なぜか後ろめたい気持ちになって、視線をそらす。癖のように後頭部をかいてから、話しかけた。

 

 

「…………また、来たんだ」

 

 ────にゃー。

 

 

 猫、猫だ。明らかに飼い猫であると思われる、清潔さを保った水色の猫。両耳の下にはリボンが結び付けられていて、とても可愛らしく似合っている。

 

 その相貌が、今は交流の途絶えた知り合いのことを思い出させる。

 

 気まぐれに体毛に手を添えて優しく撫でてやれば、気持ちよさそうに喉を鳴らす。相変わらず、人懐こい子だと思う。

 

 頬に感じた湿った感触は、この子が私に舌を押し付けた時のものなのだろう。私が寝ているといつの間にか現れるこの猫は、毎回のように私の頬を舐めることで目覚めを促してくる。

 

 キス魔なところまで、あの人に似なくてもいいのに。結局最後までどんな関係だったのか分からなかった知り合いを思い出して、ちょっとだけ感傷的な気分にさせられる。

 

 撫でる動きを止めた私の指先を、彼女の舌先がつつく。それを催促と受け取って手を動かせば…………何を思ったのだろうか。彼女は私の方へと体を近づけて、匂いを押し付けるかのようにあちこちへと体を擦り付けてきた。

 

 まるで、親に甘える子供のようだ。

 

 パーカーの胸元のチャックを開けて、彼女をそこへと入れてやった。さしたる抵抗もなく受け入れてくれた彼女の体を布一枚越しに撫でながら、重い腰を上げる。

 

 ゴソゴソと動き回ってベストなポジションを探す彼女をよそに、あたりの風景を見回す。

 

 すっかり赤くなった空を眺めて、無為な一日を過ごした事実を受け止める。最近は、こうやって一日中寝続けてしまうことが本当に多くなった。それだけ、無気力に生きているということなのだろうか。きっとそうなんだろう。

 

 せっかく起きた事だし、久しぶりに街へと向かってみようか。あまり毎日毎日、同じ場所で眠り続けているのもどうかと思うし。

 

 夕焼けを見ているようで、どこか遠くを見つめている。瞳の焦点がズレていって、視界はどんどん彼方へと。

 

 このまま誰も辿り着けないほど遠くまで行くことができたらと、何度願った事だろうか。臆病なままの私は、自分で命を絶つ勇気すら持てないままだから。過去と約束に縋って、命の責任の拠り所にしてしまうんだろう。

 

 本当に、馬鹿らしい。そんな風に、自分を嗤ったのを最後にして。

 

 すっかり寝床になってしまった「星見の丘」から、私は姿を消した。

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 遠視越しに感じる喧騒が、やけに懐かしいものに思える。上から見下ろす人の街は、太陽や星々にも負けないほど輝いていた。

 

 私はいま、雲の上に浮かんでいる。

 

 人の心に触れるのが怖くなってから、私はこうやって遠くから人々の営みを盗み見るようになっていた。まるで、神様が下界を見下ろすような…………なんて言いかたをしたら、傲慢だけど。

 

 ここから街を見下ろす権利は、私にだけ許された特別なものだから。ちょっとくらい得意げになってしまっても、バチは当たらないと思う。

 

 湯たんぽのような温かさを放つ猫を抱きしめながら、自分ごと念動力で浮かべる。

 

 空の上の特等席。ついぞ誰にも明かすことがなかった私の秘密を、こうして猫相手に自慢しているのは…………結局のところ、誰かに私を受け入れてほしかったからなのかもしれない。

 

 

 ────にゃー。

 

 猫が甘えるような鳴き声をあげて、私の胸元へと体を預けてくる。安心しきったその様子が、まるで私を慰めてくれているかのようで。擦り切れて疲弊しきった私の心を、少しだけ楽にしてくれた。

 

 

 そんな彼女を撫でながら下を見ていると、目立つ集団に視線を引き寄せられた。

 

 

 バンド、だろうか。マーチング調の衣装に身を包んだ五人の少女たちが、人だかりの前で楽しそうに今日を演奏していた。

 

 その中に二人ほど見覚えのある顔を見つけて、ちょっとだけ驚いた。

 

 人付き合いを放棄した私でも知っているくらいには問題児であると有名だった、元クラスメイトの金髪の女の子。

 

 そして…………最後まで私のことを気にかけてくれていた、中学時代からの知り合いであるショートヘアの女の子。

 

 

「そういえば、ライブ見にきてほしいって言ってたっけ」

 

 最後まで、その機会はなかったけど。よくよく思い返せば、もう少し愛想をよくしておいた方がよかったかもしれない。

 

 

 

「羨ましいなぁ」

 

 

 その五人が、心底楽しそうに演奏をしているものだから。思わず口にしてしまって、それがなんだか恥ずかしかった。

 

 誰かと笑いあって、キラキラと輝いていて。それが、まるで星のようで…………今の私には、あまりにも眩しすぎる。

 

 眩しさで、目が焼けてしまいそうだ。

 

 

 

 でも、そうか。よかった。

 

 私がいなくても、変わらないんだ。世界は変わらず回っていて、人々はそれぞれの人生を一生懸命に走り続けている。

 

 私がいなくても、変わらない。

 

 

 それがなんだか嬉しくて…………そして、ちょっとだけ寂しかった。

 

 誰も聞いていないだろうから。今くらいなら、素直な気持ちで言葉を口にしてもいいだろう。

 

 偽りだらけの人生、嘘で彩られた現実であったとしても。私の胸のうちに溢れる感情と、人々の笑顔は真実だと思うから。

 

 

 

 

 

 

「幸せになってね、委員長」

 

 

 そして、さよなら。

 

 




 これを誕生日記念と言い張る勇気。執筆中にガルパライフを見てしまい作者の心もボロボロになった。まさか夢ネタまで被るとは…………もうバッドエンドは暫く書きたくないね…………。

 以下登場人物紹介

 奥沢美咲
 心の拠り所をなくしてしまい、自己嫌悪と罪悪感に囚われてしまった闇落ち主人公。押しつぶされそうになる心を守るために行った度重なるセルフ記憶消去と精神誘導によってボロボロ。独り言が増えて、睡眠時間も増えた。起きないときは本当に起きない。星見の丘で体を丸めて死んだように眠っている。

 自殺はしない。たぶん今頃かわいい猫と一緒にあてもない旅に出ていると思う。そうじゃなかったら作者の心が罪悪感で死ぬ。本編での弦巻こころの活躍を今まで以上に強く実感した。ありがとう弦巻こころ、美咲を救ってくれ弦巻こころ。

 委員長
 奥沢さんをどうしても笑顔にしたかったガール。奥沢さんの人探しを手伝ったり、他にも色々やったりしていた。バンドもその流れで始めた。
 奥沢さんの記憶を失ってからはとてつもない喪失感に苦しんでいたけれど、バンドの仲間達によってある程度立ち直った。日々の生活の中で、ふとした拍子に名前も思い出せない誰かの姿を探している。

 色々書きたかったけど心がしんどいのでここまでにします。奥沢美咲、本当に誕生日おめでとうございます。
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