奥沢美咲は、超能力者である   作:親指ゴリラ

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もしもこころが『五歳』だったら 2-1

 

「────前から思ってたんだけど、美咲ちゃんってこころちゃんに激甘だよね」

 

「は? …………いや、どうしたんですか急に」

 

 

 片肘を机に立てて、手で顔を支えながら。こちら見つめてしみじみとそう言った日菜さんに向けた私の瞳は、それはもう胡乱げであった事だろう。

 

「みしゃき?」

 

「ん、なんでもないよ」

 

 不思議そうな顔で此方を見上げるこころの頬を撫でて、話を無理やり誤魔化す。彼女はその小さな体を擽ったそうに捩りながらも、離れようとはしなかった。むしろ、もっとやってと言わんばかりに。つきたての餅のような顔を、此方へと押し付けてくる。うん、可愛い。

 

 でも、まぁ。ちょっと危なかった。なんの前触れもなく揶揄されて、思わず素で「は?」なんて口にしてしまった。

 

 幸いにもこころは私の右手を弄るのに夢中になっていてあまり聞いてなかったみたいだけど、汚い言葉は彼女の教育に悪い。大切なお子さんを預かっている以上は、もう少し気をつけないといけないだろう。

 

 

 握ったり、揉んだり、頬に押し付けたり。何が楽しいのか。私と比べてはるかに小さな両手で右手を弄ぶ彼女の姿は、心なしか凄く満足気だ。おもちゃとかゲームとか、あるいは絵本とか。小さい子って普通はそういうものの方に興味を抱くものだと思うけど、いまのこころには私の手しか見えていない。

 

 ほんと、不思議な子だ。私には何がそんなに気に入ったのか理解できないけど、悪い気はしないから。

 

 彼女の動きに合わせて頬を撫でたり、さすったり、指を摘んだりして。それで喜んでくれるから、ついつい構ってしまう。この歳にして既に魔性の女としての片鱗を見せてくるというか、なんというか。いろんな意味で将来が楽しみで、ちょっと恐ろしい。

 

 子供らしい丸く柔らかな頬は、撫でているだけで日頃の疲れが吹き飛んでしまいそうで…………えっと、なんだっけ。

 

 そう、日菜さんだ。一部始終を見ていた彼女は、おそらくそれを指摘したかったんだろう。いや、まぁ。ほんと今更というか、浅い付き合いでもないのに。今になって口出ししてきたのか分からないけど。

 

 目の前にいる彼女のことを一瞬忘れてしまっていた程度には、心ここにあらずという言葉が当てはまっていただろうから。

 

 こころだけに、なんて。くだらない冗談が頭の中を過ぎるのを努めて無視しつつ、日菜さんから視線をそらす。

 

 彼女はいつも通りのニコニコ笑顔を浮かべているけれど。もしかしたら…………なんだ、自分だけ蚊帳の外に置かれたことへの意趣返しをしようとしているのかもしれないから。彼女に対して抱いた、このちょっとした罪悪感は。つけ込むには十分過ぎるし。

 

 気づかれないことを願いながら、明後日の方へと顔を向けて…………偶然、こっちを見ていたこころと目があった。彼女の頬を撫でている手の、その親指を軽く口に含みながら。目尻を下げて、頬を上気させて。

 

 嬉しそうに微笑んだ彼女の表情に、此方まで頬が緩んでいくのを感じる。

 

 

 それが、日菜さんのツボにはまったんだろう。相変わらず、感性がよく分からない人だ。それを隠すそぶりもなく、彼女は口を大きく開けてケラケラと笑い声を上げ…………落ち着いた後に、もう一度口を開いた。

 

「正直見てて胸焼けしてくるっていうかさ…………まぁ、あたしとしては美咲ちゃんが幸せそうで良かったって思うけど」

 

「その表現はなんか違いませんかね…………別に、普通でしょう。子供が嫌いな人ってそんなにいないと思いますし」

 

「美咲ちゃん、言い訳くさーい」

 

「なっ…………」

 

「素直にこころちゃんが大好きーって言えばいいのに、照れ屋さんなんだから」

 

 

 いや、たしかに自分でも苦しいとは思っていたけれど。それなりに猫可愛がりしている自覚があって、あんまり構い過ぎると嫌われるかなって悩んだりしていたけど。

 

 それを面と向かって指摘してくるのは、この人くらいのものだろう。それも、本人の目の前で。これっぽっちも言葉を選ばず、堂々と。

 

 人間ってのは不思議な生き物で。たとえ自覚があったとしても、他人から図星を突かれると不機嫌になるものだ。ズバズバと本音を口にしている、といったら聞こえはいいかもしれないし、好印象に思う人もいるのだろうけど。そういう性格の人というのは、得てして敵を作りやすいものだから。

 

 本当だったら、私もこの人に文句の一つや二つは言っていいと思うんだけど。

 

 日菜さんの厄介なところは、まるで心を読んでいるかのように相手が不快に思うか否かのラインを的確に見抜いてくるところで。こんなに感情を引っ掻き回されているのに、私はなぜかこの人を憎めない。

 

 

「みさき、かおがまっかだけど…………だいじょうぶ?」

 

「…………ああ、うん。大丈夫だから、あんまり気にしないでくれると嬉しいな」

 

 こころは純粋に、私の心配をしてくれているんだろうけど。その優しさというか…………気遣い? が、いまの私にとっては致命の一言で。目尻に涙を浮かべるほど笑っている日菜さんを他所に、こころは心の底から気遣わしげな表情をしているんだけど。

 

 顔が熱い。まさか好意を指摘されるだけで、こんなにも恥ずかしい思いをすることになるとは思わなかった。だって、ほら。いい年した高校生が、干支が一周しそうなくらい年下の女の子に夢中になってるって。なんか…………その、字面が怪しいというか、世間体が悪いし。

 

 いや、単に私が素直じゃないってだけの話なんだろうけど。それにしたって…………こう、もうちょっと言葉を選ぶとかさ。

 

 

「みさき、みさき」

 

「ん? どうしたの?」

 

 せめてもの抵抗というか。空いている左手で目元を覆っていた私へと、こころが再び話しかけてくる。小さな声で繰り返すように名前を呼ぶ姿は、子供が気を引こうと必死になっているに違いなくて。

 

 ちょいちょい、と。招き猫のように手を動かす彼女の動作に、考えるよりも先に体が動いてしまう。繋がれたままの右手をゆっくりと下ろしながら、彼女へと顔を近づける。

 

 こころは椅子に膝を立てて、ちょっぴり身を乗り出して。招いていた手を口元に添えて、日菜さんに聞こえないように衝立代わりにした。子供特有の、内緒話がしたいという仕草。

 

 その意図を読み取って、耳を彼女の口元に寄せる。こころが口を開いて、彼女の吐息が皮膚の上を軽く撫でた。

 

 

「あたしは、みさきのこと、すきよ」

 

 

 小さな声であったのにも関わらず。その一言は、煩いくらいに頭の中で大きく響いて。いきなりどうしたの、とか。彼女が望むのであれば、私も好きだよ、とか。かけるべき言葉は幾らでもあったはずなのに、体は稲妻に打たれてしまったかのように、自分の意思で動かせなかった。

 

 だって…………その一言に込められた感情が、あまりにも暖かいものだったから。

 

 私のくだらない葛藤、あるいは…………意地。そういった、凝り固まった価値観。用意していた言い訳は、全部、氷解するように消えてしまった。彼女からのワンフレーズ程度の言葉で。それはもう、跡形もなく。

 

 固まってしまった私と、何かを期待するような目で見てくるこころ。そして、いよいよ営業妨害レベルで大きくなった笑い声を発している日菜さん。いや、聞こえてたんなら少しは聞こえなかったふりでもしてくださいよ。こころ、完全に内緒話のつもりで話してたじゃん。

 

 いや、そうじゃない。日菜さんには後でキツく言っておくとして、今はそれよりも優先するべきことがある。

 

 顔を俯かせて、体をモジモジと揺らして。時々こっちに上目遣いを向けてくる、可愛らしい生き物。この子に対して、ちゃんと言ってあげないといけない事があるだろうから。

 

 がっつり見てくる日菜さんの視線を、努めて無視して。どこかしおらしいこころの、小さな肩に手を乗せて。先ほどの光景の焼き増しのように、彼女の耳元に顔を寄せる。

 

 

「私も、好きだよ」

 

 

 顔を見なくても分かる。勇気を振り絞ることで口にできた、その一言で。彼女の表情はきっと、輝かんばかりの笑顔になっているだろうから。

 

「みさきっ!」

 

「────っと」

 

 感極まったのか。抱きついてきた彼女の体を、壊してしまわないように。優しく抱き返す。首元に手を回して、全身で抱きしめてくるこの小さな友達に対して…………溢れてくる愛おしさが、止まらない。

 

 公衆の場であるという意識が残っているにも関わらず、こうして目立つ行為をしてしまう程度には。日菜さんのいう通り、私はこの子に甘いんだろう。

 

 いや、もしかしたら。甘いのは彼女に対してではなく、自分に対してなのかもしれない。なんだかんだいって、愛情に飢えているのは間違いないだろうから。

 

 純粋で、混じり気のない。そんな好意を向けてくれるこの子のことを、私は手放せないでいるのだろう。

 

 

 

「ご注文の品、おまたせしました!」

 

 ガンっ、と。私のグラスだけ、やや強めに机の上に配膳して。強めとはいっても、少し音が出るくらいのものなんだけど。

 

 いつのまにか近くまできていたつぐみが、そのまま四人がけのテーブル席の最後の椅子に腰掛ける。

 

 彼女の目の前には、注文した覚えのないケーキとドリンクが置いてあって。それはきっと、つぐみの分なんだろう。

 

 いつも通りのほんわりとした微笑みに、少しの威圧感を織り交ぜて。つぐみは他の二人に目もくれず…………私の瞳を見つめながら、口を開いた。

 

 

「お父さんが休憩をくれたから……一緒にいたいんだけど、いいよね?」

 

「あ、うん」

 

 つぐみ、ちょっと怖いよ。

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

「はい、あーん」

 

「あー」

 

 一口サイズに切り分けたチョコレートケーキを、こころの口元へと持っていく。彼女の口のサイズは年相応で、小さく切り分けておかないと大口を開けても入りきらない。

 

 無条件の信頼と、無防備にさらされた口内。綺麗に生えそろった白い歯と、血色のいい赤い舌が、そこはかとなく危険な雰囲気を醸し出している。主に、私の自制心とかそういうやつが危ない。

 

 ケーキを口にしては、その甘さに「んー!」と足をバタバタさせている彼女を見ていると。黒服の人たちから止められているのにも関わらず、際限なくおやつを与えたくなってしまう。ちゃんと歯を磨いているとはいえ、この歳の子供は虫歯になりやすい。あんまり甘いものばかり食べさせていたら、いずれ彼女を苦しめることになるだろう。

 

 分かっている、分かっているんだけど。この、悪魔のように誘惑してくる可愛らしい天使を前にしてしまうと。どうしてもそこらへんの理性が千切れ飛んでしまう。

 

 雛鳥に餌を与える親鳥でさえ、もうちょっとちゃんと考えていることだろう。少なくとも、餌の与えすぎで太らせてしまうような事はないはずだ。

 

 このまま誘惑に負け続けたら、絶対にこの子のためにならない。

 

 うん、それはもう。痛いくらいよく分かってるんだけど…………。

 

 

「私の分も食べる?」

 

「いいの?」

 

「半分こしようか、黒服の人(保護者)には内緒だよ」

 

「わかったわ! ふたりだけのひみつね!」

 

「あれー、あたしたちも見てるんだけどなー」

 

 

 あの神出鬼没な黒服の人たちのことだから。まず、間違いなく見られてるんだろうけど。それでも止めに入ってこないのは、こころがそれを望んでいるからだろう。

 

 あの人たちがこころに向ける感情は、子供に対する庇護欲なのは間違いない。でも、それ以前に…………関係性としては、主人と従者だから。こころが喜んでいる以上は、止めに入ってくることもない。度を過ぎた行為でない限り、の話だけど。

 

 だから今のところは、見逃してもらえる範囲なんだろう。案外、喜んでるこころを眺めて癒されているのかもしれない。

 

 今の私みたいに。

 

 

 ジュースで喉を潤しているこころを眺めながら、ケーキを口にする。うん、美味しい。

 

 そこまで舌が肥えてるって訳じゃないけど、やっぱりこの店のケーキは他のところより数段美味しく感じられる。値段も高校生が通えるくらいには手頃だし、量も申し分ない。

 

 何個か買って帰ろうかな、なんて。今後のことに想いを馳せながら、黙々と咀嚼する。なんていうか、いつもより甘さが少しだけ控えめな感じがするけれど。それが私の舌にちょうどあっているというか、やけに食べやすい。

 

 

「つぐみ、このケーキだけどさ。味付け変えた?」

 

「えっ!? ……えっと、どうしてそう思ったの?」

 

 ちょっとした質問に対して、つぐみが少し大げさに反応する。どこか落ち着きがないというか…………うん、心当たりがありそうだ。

 

「いや、なんていうか…………いつもより美味しく感じるからさ。甘さがちょうどいいっていうか、あっ、いつものやつも美味しいんだけどね? 今日はそれより好みに近いから、ちょっと気になって」

 

「…………そっか、そうなんだ」

 

「うん、何個か持ち帰りたいんだけど。まだ残ってたりする?」

 

「う、うん! まだ沢山あるよ!」

 

 美味しいなんて言われ慣れてるだろうに。椅子から立ち上がって、身を乗り出して。ともすれば、ぶつかってしまいそうなほど。

 

 顔を寄せてそう言った彼女は、自分が目立つ行いをした自覚があったんだろう。すぐに席に座りなおして、恥ずかしそうに視線を下へと向けた。

 

 チラチラと私の方を見ては、手元へと視線を戻している。頬が薄っすらと朱色に染まっていて、照れているのが分かる。

 

 その姿を見て、理由はなんとなく想像ついたけど。それを私の方から聴きだすというのは、やっぱりなんか違うだろうから。彼女から口にしてくれるまで、ちょっとだけ待つ。

 

 隣で次の一口をせがむこころのためにケーキを切り分けていると、その間に覚悟を決めたんだろう。つぐみが顔を上げて、決意のこもった瞳が此方を見据える。

 

 少し躊躇うようなそぶりを見せてから、口を開いた。

 

 

「えへへ、実はね────」

 

「それ、つぐちゃんが作ったやつなんだってさ」

 

「日菜先輩!?」

 

 

 …………日菜さん、流石にそれはつぐみに謝った方がいいと思うんですけど。

 

 そんな非難を込めた視線を、彼女へと向ける。にへら、と笑みを浮かべることで受け流される。やっぱり、後で、じゃなくて、今すぐにでも、一言いっておいた方が良かった気がしてきた。

 

「もう! もう! なんでバラしちゃうんですか!?」

 

「えー、だって見てて焦れったいんだもん。ちゃんと伝えておかないと、またこころちゃんに首ったけになっちゃうよ? まぁ、言葉が被ったのは申し訳ないと思うけどさぁ」

 

「うっ、それは、そうかもしれないですけど」

 

 

 胸の前で指を合わせてモジモジしているつぐみの姿は、それはそれで可愛らしいし、いつまでも見ていたい気がするけど。流石に……フォローの一つや二つは入れておかないと、また落ち込んでしまうだろうから。

 

 わざとらしく咳払いをして、こちらへと視線を誘導する。

 

 つぐみの…………やや潤んでいる瞳を見て、正直、少しドキッとしたけれど。そんな内心を悟られないように蓋をしてから、口を開く。

 

 

「ありがとう、美味しかったよ」

 

 私にできる限りの、笑顔を添えて。あんまり得意じゃないけれど。彼女の目に映っている私の顔を見る限りでは、まぁ、及第点なんじゃないだろうか。

 

 甘くなってしまった口の中を、オレンジジュースの酸味で洗い流して。彼女の反応を見る前に、視線をそらす。いや、だって、ほら、恥ずかしいし。

 

 

「……………………」

 

「……………………」

 

 

 なんか、変な空気になってしまった。沈黙が耳に痛くて、反応が気になってしまう。だけど、彼女の方を見る勇気は出ない。

 

 黙々と、黙々と。口を開けて待っているこころの元へと、フォークでケーキを運ぶ。

 

 そんな空間を切り裂いたのは、またしても日菜さんの言葉だった。

 

 

「にひひ、二人とも可愛いんだ」

 

 語尾にハートマークが浮かび上がってそうなくらいの、甘い、甘い声。聞いているだけで背筋にゾクゾクとした感覚が走るような、そんな蠱惑的な言葉。

 

 彼女はきっと、小悪魔めいた笑みを浮かべていることだろう。そんなことを想像しながら、聞こえなかったふりをして。私は空気を入れ替えるために、無理やり話題を変えた。

 

 

「ところで、今日の予定なんですけど────」

 




 長くなったのでキリのいいところで分割。
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