えがおのオーケストラっ! 1
「わざわざごめんなさいね。忙しいでしょうに、都合をつけてもらっちゃって」
「いえ、こちらからも聞きたいことがありましたし。ちょうどよかったっていうか、その、特に問題ないです」
「そう言ってもらえると助かるわ」
机の上に重なった何枚もの書類を確認しながら、彼女はチラりと私の方へと視線を向ける。瞳に宿った理性的な光が、私の内心を読み解こうと探りを入れているのが分かる。でも、それは決して私に何か思うところがあるというわけではなくて。どちらかといえば、気を使っているんだと思う。
普通なら中々立ち入ることがないであろう場所。外からは部活動に精を出している生徒たちの声が聞こえてきて、どこか遠いもののように感じてしまう。日が伸び始めているとはいえ、まだまだ夏本番というには程遠いから。カーテンが開きっぱなしになっている窓辺からは。まだ時計の短針が四を過ぎたばかりであるというのに、黄色く染まった光が差し込んできていて。
その光を浴びながら机に向かっている彼女の姿は、しっかり者というイメージをそのまま現実へと持ち込んできたみたいで。
あまり彼女のことを知らない私がこう思うのもおかしな話だけど、とても「らしい」と感じられた。
「それで…………私としては、期待の後輩さんとの会話を少しくらいは楽しんでいたいのだけれど。あなたは人を待たせているみたいだし、要件は手短に済ませるわね」
「あー、その、なんかすみません。気を遣わせてしまって」
「なに言ってるの。こっちから呼び出してるんだから、あなたが謝る必要なんてどこにもないのよ」
真面目なのね、と。皺一つない制服を少しも着崩すことなく、綺麗にレンズが磨かれたメガネの位置を直しながら。
あなたほどではありませんよ、なんて。思わず口にしてしまいそうなほど「真面目そう」な彼女────この学校の生徒会長である
入学式の際、私は新入生代表挨拶を任されていたから。彼女との面識自体は、その時に出来ていたけれど。
一年生と、三年生。学年の差が二つもある以上は、それこそ、同じ部活動でもしていない限り交流など生まれるはずもない。私が所属している天文部はこころと私の二人だけの部活だから。彼女とは、お互いが顔を知っているだけという関係でしかなかった。
こうして気軽に話しかけてくれるようになったのは、割と最近のこと。というか、具体的にいえば。私がSPACEで即興バンドを組むことになった、あの日からのことで。
意外なことに。生徒会長という役職を持っているこの人は、グリグリのキーボードを担当しているのだ。いや、まぁ、風紀委員である紗夜先輩もギターをやっている訳だから。そんなに変なことでもないんだろうけど。それでも、こうして仕事に従事しているこの人がバンド活動をしているというのは、なかなかに衝撃的なことだった。
だって、ほら。なんか…………そういうのに厳しそうだし。世間一般的に見たバンド活動って、結構チャラチャラしたイメージが強いだろうから。私も調べるまでは、なんとなくそんな感じの先入観を持っていたし。
彼女が曲を演奏している姿を見た後だと。鵜沢先輩に紹介されなかったら、それが生徒会長だと気がつけなかったかもしれない。演奏中の彼女はメガネを外しているから、印象がだいぶ違う。たぶん、私じゃなくても分からないと思う。
あの日、一緒にレストランに行ったメンバーとは全員連絡先を交換したから。個人的な通信手段を手に入れた彼女からは、今日の要件は前もって聞かされている。たしかに、ちょっと面倒だとは思ったけれど。それは彼女の責任じゃないし、業務上発生してしまった「仕方ない」ことの一つでしかない。
用意されていた席に座って、正面から見つめ合いながら。共通の話題を持つ知り合いとしてではなく、会長と生徒として。雰囲気を切り替えて、真剣な瞳を向けてくる彼女を見て。
私は自然と姿勢を正して、あらかじめ決めていた答えを用意しながら。彼女の次の言葉を待った。
「──奥沢美咲さん、生徒会に入る気はない?」
「すみません、辞退させてください」
☆ ☆ ☆
まぁ、長々と前置きをしていたわけだけど。この話の主題は、これ以上ないほどシンプルなもので。
つまりは、ただの意思確認だ。
前にも、鵜沢先輩から話は聞いていた。もしかしたら生徒会に誘われるかもしれないから、と。まさか、その生徒会というのが鵜沢先輩の友人だとは思わなかったけど。そのおかげで断りやすかったというか、話を通しやすかった。鵜沢先輩には、感謝しないといけない。彼女という存在を間に挟まなかったら、もっと話は長引いていたことだろう。
今日はその話をするために、ここに来たわけで。前もって自分の意思は伝えてあったから、話はあっさり纏まった。
「一応、ちゃんと本人から直接話を聞いたっていうのが大切らしいの。返事自体は前からもらっていたのに、わざわざ時間を作ってもらっちゃって。本当にごめんなさい」
「いや、その、分かります。形式的なものって、結構大事ですし」
「でも、面倒なのは事実でしょう? 呼び出して、説明をした上で、返答を貰わないといけないなんて。いまは幾らでも便利なものがあるのに、こういう所はいつまでたっても変わらないのね」
書類に何か書き込みながら、肩を叩いている彼女を見て気がついたけれど。私も無意識のうちに、緊張していたんだ。それが、こうして解かれたことで。止めようとする意思が働く前に、口から軽いため息が出てしまった。
そんな私を見て、鰐部先輩は苦笑を見せる。苦労しているんだろう。慣れた、というか、馴染んだというか。経験を感じさせるような、そんな表情だ。
そして、再び口を開く。
「自分では気がついてないかもしれないけど、奥沢さんって教師からも生徒からも評価がすごく高いのよ。勉強も運動も出来て、問題も起こさない。頼めば雑用でも手伝ってくれるし、仕事が早い。これは今のうちから生徒会に入ってもらって、経験を積んで、ゆくゆくは次代の生徒会長にー、って。たくさん推薦がきてるのよね」
「いやいや、流石に過大評価だと思うんですけど。手伝いだって、私の手が空いてる時くらいしか出来ませんし」
自分の知らないところで評価されているというのは、なんだか変な気分にさせられる。身に覚えがないわけじゃないけど、納得しかねるというか。私だってただの…………とは口が裂けても言えないけど。超能力者なだけの、女の子なわけだし。正直、その、なんだ。
期待されるのは、困る。
そんな内心が、顔にも出てしまったんだろう。鰐部先輩は諭すような口調で、言葉を続けた。
「普段の行い、いかに問題を起こさないか。教師からの評価っていうものは、自分に苦労をかけない生徒に与えられるものなの。授業中に喋らない、廊下は走らない、風紀を乱さない。一つ一つは大したことじゃなくても、当たり前のことを当たり前にできるっていうのは、美点の一つよ」
「…………なんか、そこまで言われると生徒会の話が断りづらくなるんですけど。その、胸が痛むというか」
「気にしないで。先生方も強制する気はないみたいだし…………言い方は少し変かもしれないけど、あわよくば、みたいな感じなの。あなたは学生らしく、やりたいことをすればいいわ。勉学に励んでも、部活に励んでも、バイトを掛け持ちしてもいい。もちろん、バンドをやったって構わない。でも、その中で少しでも生徒会の活動に興味が出てきたのなら。その時は一言ちょうだいっていう、それだけの話よ。重く受け取る必要はないの」
「なるほど、それなら、まぁ」
うまい返しが思いつかなくて。誤魔化すように笑顔を浮かべて、曖昧に頷く。教師からの覚えがいいというのは、まぁ、あんまり実感が湧いてこないけど。少なくとも、悪い噂が流れるよりは何倍もいいだろうから。あまり否定を重ねるのもよくないし、素直に受け取っておいた方がいいのかもしれない。
「さ、この話はこれでおしまい。それで、次の要件なんだけど…………」
私が少し困っているというのを、汲み取ってくれたんだろう。鰐部先輩は引き出しの中から新しい紙を取り出して、私の方へと差しだしてきた。
「これは?」
中身はなんとなく察していたけれど、それが合っている確証はないから。受け取りながら、そう尋ねる。
想像が間違っていないのなら、これは
自分でも驚いてしまうくらいには。鰐部先輩へと向けた私の声には、期待の感情が混じっていて。
私は思っていたよりも、この話を楽しみにしていたらしい。
手にした透明なクリアファイル。中の書類に印刷されている文字は、私が求めていたもので。手に力が篭って紙に皺をいれてしまいそうになるのを、意思の力で堪える。
「文化祭でライブがしたいって聞いたから、昨日のうちに用意しておいたの。必要事項を記入しといてくれたら、なるべく早く提出してくれると嬉しいわ」
「はい、必ず。明日にでも提出します」
「あら、やる気ね。こういう祭り事って、結構好きなのかしら」
「正直、私はそこまで拘っているわけじゃないんですけど…………なんていうか、あの子が喜びそうなので」
あの子、という表現でも。私が誰のことを言っているのか、彼女には伝わったらしい。入学してからずっと、私はあの子と一緒にいたわけだから。仲がいいということは、それなりに広まっているんだろう。私の存在が霞むくらい、目立つ存在だから。無理もないと思うけど。
納得したように頷いた鰐部先輩から視線を逸らして、手元の紙に書かれている内容を確認する。文化祭まではまだ時間があるけれど、こういう段取りは早ければ早いほどいいだろうから。せっかく出来た繋がりを、利用しない手はない。
『花咲川女子学園文化祭における、体育館使用許可申請書』
そう書かれた一枚の紙が、いまは宝物のように輝いて見えた。
☆ ☆ ☆
「それじゃあ、失礼します」
「また、いつでも来て頂戴ね」
「はい、用事があれば。お世話になります」
軽く手を振って見送ってくれた鰐部先輩に、頭を下げてから。音を立てないように気をつけながら、生徒会室の扉を閉める。先輩は結局、最後まで書類仕事を続けていた。忙しい中、というか。彼女は私が時間を作ったと思っているんだろうけど、その多忙さでいえば、むしろ私の方が時間を頂いている方だ。
本当に頼りになるというか、面倒見がいいというか。わざわざこうして書類を用意して説明までしてくれたことには、感謝しかない。
二つしか歳が違わないというのに、あの頼もしさはなんなのだろうか。大人の女性っというか、結構憧れる。
「みーさき! お話はもう終わったの?」
「わっ、あぶなっ」
考え事をしている間に、急に飛びかかられたから。咄嗟に体が動いたおかげで、倒れないで済んだけど。それにしたって、少しは気をつけてほしいと思う。
背中から首元に回された手をほどきながら、後ろへと振り返る。予想通りというか…………そこにいたのは、こころだった。
こうして私が出てくるのを、待っていてくれたんだろう。その気持ちが嬉しくて、自然と緩みそうになる頬を必死に押しとどめる。今はそれよりも、危ないことをしてはいけないって注意しないと。相手が私だったからよかったものの、別の人に同じことをやって怪我でもしたら大変だ。
彼女の肩を抑えて、瞳を見つめる。
「…………?」
私の抗議の視線に、気がついているのかいないのか。嬉しそうにニコニコ笑っている彼女を見ていると、それだけで仕方ないなって気持ちにさせられる。うまく誤魔化されているというのは自覚しているんだけど、こればっかりは勝てない。
ため息を飲み込んで、代わりに口を開く。
「文化祭でのライブ、出来そうだよ」
「ほんとう!?」
さっきまでの笑顔をニコニコと表現するならば。今のこれは、パァっという音が聞こえてきそうなほどの。まるで満開のひまわりのような、輝く笑顔で。眩しすぎて、直視できそうにない。
そんな内心を悟られないように、目をそらしながら。彼女からの問いかけに、肯定を返す。
「うん、申請書もらってきた。あとは記入して提出するだけ。私がやっとくから、任せて」
「さすが美咲ね! あたし、すごく嬉しい! 文化祭で、みんなの前でライブが出来るなんて! 今からワクワクが止まらないわ!」
「はいはい、分かったから。ほんと、少しは周りの目を気にしてほしいっていうか、あの、声を小さくしてほしいんだけど」
「さぁ、早速作戦会議をしましょう! 美咲、ほら、はやく!」
「あぁ…………ダメだ、聞いてない」
今すぐにでも走り出しそうな彼女に引っ張られて、早足で外へと向かう。ここからは後ろ姿しか見えないけど、彼女のご機嫌な鼻唄はよく聞こえて。
ああ、多分。すごくいい笑顔をしているんだろうなって。顔を見なくても、伝わってきた。
でも、それは彼女だけじゃない。柄じゃないけれど、私だって楽しみにしているのだから。この気持ちを共有できることが、何よりも嬉しい。
今日は全員が集まれるから。こころの家で、今後の方針を話し合う予定だ。それも、ある意味では。今までのものよりも大切なことについて、だから────。
「本当に、本当に! 楽しみね、美咲!」
「…………そうだね、こころ」