私たちの組んだバンドでは、五人から薫さんを除いた残りの四人が花咲川女子学園に在籍している。花音さんは二年生、私とこころとはぐみが一年生。
一年生組の中でも、私とこころは1-Cで同じクラス。はぐみは1-Aだから、二つ隣のクラスに所属している。
必然的に私はこころ、はぐみ、花音さん、薫さんの順で交流する機会は多い。こころに関しては私生活でもかなりの時間を共に過ごしている上に、去年からの付き合いだから。他の三人と比べれば、知っていることは色々と多い。たとえば、寝る時に何かに抱きつく癖があるとか。
一番仲のいい相手を一人挙げなさい、と言われたのなら。私は間違いなく、弦巻こころの名前を口にする。それは三人を蔑ろにしているというわけではなくて。単純に、客観的に見たとしても、これ以上ないほど明白な事実だから。
学校が違う、学年が違う、クラスが違う。そんな些細な要素一つでも、当人たちの間では見えない壁を感じているものだ。多くの人が経験していると思う。仲の良かった友達と別のクラスになって、そのままなんとなく関係が解消されてしまった、みたいな。子供、あるいはそこから抜けきれていない私たち高校生にとって、教室を隔てる壁一枚の距離が、そのまま精神的な距離になってしまう。
それこそ、何かしらの共同グループに所属でもしていない限りは。人の縁というものは、割とあっさり途切れてしまう。そこに特別な思い入れがあったり、切っても切れないような絆が結ばれているなら。そう、幼馴染みたいな関係なら話は変わるかもしれないけど。
この狭いコミュニティにおいて。別のクラスの生徒という存在は、近いようで割と遠い。同じ学年、同い年齢であるというのに。教室内に足を踏み入れるだけで、まるで異物が混入しているかのような空気が出来上がってしまう。どこか落ち着かなくて、居た堪れない雰囲気。同学年でこれなのだから、学年が違う、あるいは制服が違うとしたのなら。どんな反応をされるのかは、想像に難くない。
放課後になれば、大体の生徒は教室を出る。そのまま帰宅したり、どこかに寄ったり、部活動に参加したり。理由は人それぞれだけど…………というより、教室に居残る理由を探す方が難しいだろう。誰だって、最終的には帰宅するのだから。授業が終わった後は、用のない場所だ。
だけど、誰もいないというわけではない。勉強していたり、友達と駄弁っていたり、なんとなく携帯を弄っていたりと。そういう生徒というものは、一定数は存在しているわけで。
そんな彼女たちからすれば、私とこころは気になって仕方がないんだろう。教室を開けた後の一瞬の静寂と、時折向けられる視線が。私たちに対する警戒心と好奇心を、如実に表している。
というか、はぐみとこころが飛び掛かってきたのを受け止めたりしていたせいで…………なんだ、こう、余計に目立ってしまっている。ただでさえ目を惹く要素が沢山あるというのに、そこに騒がしさを加えたのなら。そりゃあ、こうなるだろう。
刺さる刺さる、視線が刺さる。実際に触れているんじゃないかと錯覚してしまうほど、露骨に注目を集めてしまっている。
こころとはぐみは気づいていないのか、あるいは気づいた上で気にしていないのか。こんな衆目の中でも、全く動じていない。その神経の図太さを、少し分けてもらいたいくらいだ。最近注目されることに慣れてきた私よりも、遥かに堂々としている。
だからこそ、やらかしてしまったというか。偶然目があったとはいえ、話しかけるべきではなかったのかもしれない。前述した二人に対して、彼女────戸山さんの動揺っぷりは、それはもう、見ていられないほどで。
私と同じで、人の視線に敏感なんだろう。普段から人目を避けて暮らしている人ほど、そういったものに影響を受けやすいものだから。
最初こそ私に手を振っていた戸山さんも、自分が目立ったことを自覚したのか。顔を青くしたり、赤くしたりと。お約束のような反応をした後に、自分の机へと視線を下ろしてしまった。
うん、ごめん。教室内で目立っている集団に関わりがあるって思われたら、こうなるよね。配慮が足りなかった。
可哀想なくらい身を縮こませながらも。彼女は私を無視してしまわないように、チラチラと上目遣いで目を合わせてくれている。健気というか、献身的というか。小動物的な反応を見せている彼女と、ギターを握った時の彼女の姿が。ある意味では別人だと理解しているのに、どうしても結びつかなくて。
それが、おかしくて。笑ってはいけないはずなのに、頬が緩みそうになる。
なんていうか、市ヶ谷さんが過保護になるのも分かる気がする。放っておけないというか、守ってあげたくなるというか。そんな雰囲気が、彼女にはあるんだろう。人によっては欠点と感じるかもしれない彼女の特徴は、私や市ヶ谷さんみたいな人種にとっては魅力的なんだ。
ベクトルこそ違えど、私がこころに向けている感情と同じようなものを。市ヶ谷さんは戸山さんに向けている。だからこそ彼女は、私を警戒していたんだ。庇護欲と独占欲は近しい感情で、相手への気持ちの大きさによって揺れ動くものだから。似たものを持っている私に、戸山さんが盗られると思っていたのかもしれない。
私が、こころを盗られてしまうと思っていたように。
「あら、あなた。美咲のお友達?」
「あっ、ちょ、こころ」
微妙な雰囲気の中で浮かべる曖昧な笑顔というのは、日本人特有のものらしい。
この島国出身として恥ずかしくない笑みでお茶を濁していた私と戸山さんの間に、こころが自分の体を差し込んだ。跳ねるような、トコトコと音が鳴るような。そんなステップで、瞬く間に戸山さんとの距離を詰めて。
戸山さんからすれば、急に目の前に現れたように感じられたことだろう。初対面ということを忘れてしまいそうなほど気さくというか、遠慮がないというか。それがこころの良いところでもあるんだけど…………人見知りしそうな戸山さんには、相性が悪いかもしれない。
もとより、会話の一つもせずに立ち去るつもりはなかった。ちょっと目立ったからといってここで彼女を放置してしまっては、逆にクラスメイトからの関心を買うのは目に見えている。というか、私たちが去った後に無言の関心が彼女一人に殺到してしまうのは流石に可哀想だし。
挨拶と、ちょっとした世間話。ついでに、こころに軽く紹介でもして。その後に自分たちの活動に戻ればいい。SPACEでのライブ以来、ちょくちょくお互いの近況を連絡する仲になったわけだし。バンドというか、音楽の共通点もあるわけだから。折角だ、アドバイスの一つや二つでも貰っておきたい。
彼女たちは普段、どんな活動をしているのか。これからの活動の参考までに、聞いておくのも悪くない。
そんなことを考えながら。こころの質問責めにタジタジになっている戸山さんを助けるために、こころを制止しようとして────。
「あ、あのね、みーくん…………ちょっといい?」
「…………えっ、はぐみ? なに?」
はぐみに、袖を引かれた。
なんでこのタイミングで…………なんて思ったのは、否定できない。私の声に含まれていた感情の多くは、予想外のことに対する驚きで。
とはいえ、なにも呼び止められたこと自体が原因ではない。もちろん、それも理由の一つではあったんだけど。私にとって大事だったのは、呼び止めてきた
そして、振り返った時に見た彼女の顔が。とても緊張しているというか、強張っていたから。いつも通りの笑顔じゃなくて、不安そうな色が強く浮かび上がっていたから。
柄じゃない、といったら失礼かもしれないけど。少なくとも、今のはぐみは私が見てきたことのない表情をしていて。それがあんまりにも、彼女に似合っていないものだから。
だから私は、こころを止めようとしていたことを忘れて。はぐみの次の言葉を待った。
視線で話を促す私の瞳を、正面から見つめて。先ほどまでと違って、周囲の反応を気にした様子で。
はぐみは背伸びする事で顔を近づけて。それから、他の人に聞こえないように。私の耳元で、そっと囁いた。
「みーくん、香澄ちゃんのお友達なの?」
まるで、立場が逆になったようだった。いや、どちらかといえば、同じになったと言うべきなのだろうか。奇しくもそれは、こころが戸山さんへ投げかけた問いかけと同じもので。
こころと違うのは、その言葉に何故か焦りのような感情が含まれているということ。そうであってほしい、そんな本心が伝わってくるような。必死さを感じさせるものであるということ。
どうしてそんなことを聞くのか、とか。はぐみこそ、名前呼びだなんて。戸山さんと知り合いだったのか、とか。どうしてそんなに不安そうにしているのか、だとか。聞きたいことが色々と出来てしまったけれど、それら全部をいっぺんに胸の奥へとしまいこんで。
こころたちの方をしきりに気にしながら私の返答を待つはぐみの姿に、何か事情があるということを察しながら。私は、当たり障りのない言葉を返すしかなかった。
「友達…………うん、たぶん、そうだと思うけど」
断定せず、かといって否定もせず。そんなお茶を濁すようなことを口にしてすぐ、胸の中に後悔の感情が溢れかえった。
嘘ではない。まだ付き合い自体はそこまで長くないけれど、そう呼んでも構わないと思う程度には。そして、そう思われていたらいいなと思うくらいには。私は戸山さんに対して関心があって、好意を感じている。それは、間違いないと思う。
ただ、この居心地の悪さはなんなのだろうか。いや、分かってはいる。私はこの幼げで純粋な同級生に対して、後ろめたい気持ちを抱いてしまっているんだろう。
疑うことを知らなくて、人の善意を心の底から信じられる。それなりに関係を築いた上で私が彼女に感じた印象の多くは、そういった性根の素直さに占められているから。そんな彼女に対して少しでも誠実でありたいというのが、私の望みでもあって。
どっちつかず、曖昧な言葉で適当な受け答えをしてしまったことに。それなりに罪悪感があるんだ。
繰り返すようだけど、戸山さんのことを友達だと思っているのは間違いない。
ただ…………なんというか、私のいう「友達」とはぐみの口にした「友達」の間に。含みというか、期待しているものの差を感じられるというか。基準が違うというか。
「そ、そうなんだ! みーくんと、香澄ちゃんが…………」
だって、ほら。はぐみの表情を見ればよく分かる。あんなにも不安そうにしていたのに、勇気を振り絞って問いかけてきただろうに。私の返事を聞いてからは、こんなにも嬉しそうにしているじゃないか。
彼女が何を期待しているのかはよく分からないけど。あそこまで深刻そうな表情をしていた以上、軽い内容ではないことは確かだろう。
何度も、確かめるように。私の目の前で考え事をしながら、片手を胸の前に掲げているはぐみの姿は、どこか気合いを入れているようにも見受けられる。
っていうか、間違いなく。戸山さん関連でなにか話があるんだろう。ただのクラスメイトという以上の何かを、はぐみは戸山さんへと向けている。
彼女の視線を辿れば、一目瞭然だ。私と戸山さんの間を行き来する彼女の瞳は、希望という名の光で瞬いていて。
私の袖を引いたままの彼女の指を、私は振り払うことができない。次に何を言われるのかなんて分からないけど、それでも「面倒ごと」だとはこれっぽっちも感じないくらいには。はぐみも戸山さんも、友人として大切に思っているわけだから。
「あ、あのね、みーくん……はぐみ、みーくんにお願いがあるんだけど」
「ん、なに? 言ってみて」
戸山さんたちに聞かれたくないのか、はぐみは私に顔を寄せて小さな声で頼みごとをしてくる。低めの身長と、それに見合った小さな顔。普段の彼女を知っているからこそ、こうして近くで見つめるたびに、彼女のことを年下の子供のように感じてしまう。自然と声が柔らかくなって、弟や妹を相手しているみたいに接してしまう。
それがあんまり良くないことだっていうのは、理解しているんだけど。妹たちにもはぐみにも失礼なことだって、自覚しているつもりなんだけど。それでも気がつけば私は、彼女に二人の面影を重ねてしまっている。
お兄さんがいるって言ってたから。妹らしさというか、そんな雰囲気が身についているんだろう。私にとって毒のような、薬のような。抗いがたい魅力というものが、彼女には備わっていて。
魔性の、って。頭につけたほうがいいと思う。いや、私が流されすぎなだけなんだろうけど。でも、誰だって甘やかしたくなると思う。少なくともはぐみの周りの人っていうのはみんな過保護で、彼女のことを大切にしているわけだし。
だから、うん。そんな彼女から「お願い」って言われて、深く考えることもなく頷いてしまったのは。正直、仕方がないと思う。これがはぐみじゃなくてこころとか花音さんだったら…………ああ、いや、どちらにしても首を縦に振ってしまいそうだ。
だって、大切な友達だし。
頭の中でつらつら重ねていた言い訳の末に、結論を出したところで。はぐみは言いにくそうな顔をしながらも、言葉を続けた。
「その、えっと、迷惑だったら! 断ってほしいんだけど────」