奥沢美咲は、超能力者である   作:親指ゴリラ

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 楽しい思い出、美しい記憶。それらは、人が生きるためにはどうしても必要なものだと思う。

 

 人格というものは、経験の積み重ねによって形成されていくものだから。振り返った時に胸の中を満たしてくれる過去というものは、何物にも代え難い。

 

 何かを体験して、影響を受けて。人生はきっと、死ぬまでそれの繰り返しなんだろう。

 

 だからこそ、人は過去に縋ってしまうのかもしれない。自分の精神を揺るがす何かに遭遇した時、過去を見つめることで自己を取り戻す。歩んできた道を、積み重ねてきたものを再確認することで。何度倒れたとしても、また立ち上がることが出来る。

 

 両親が離婚して、家族が散り散りになって。失望に絶望、諦めの感情が渦巻く中で私が生きてこられたのは。きっと、幸せだった頃の思い出を頼りにしていたから。

 

 両親がいて、妹と弟がいて、友人がいて。誰を疑うことなく、愛を信じて過ごしてきた日々。今はもう届かなくて、失ってしまったもの。その破片を掻き集めて、微かに感じられる温もりがあったからこそ。諦めてもヤケを起こすことなく、失望しても見切らずにいられた。

 

 先の見えない道を、胸元に抱えた微かな光で照らして進み続けた。かつてとは比べるまでもなく遅々とした、見るに耐えない歩みだったけど。

 

 諦めきれなかったからこそ、今の私がいて。隣を見れば、こころがいてくれて。その奥には、みんなが並んでいて。この景色を守るためならば、私はどんなことでも出来るって。心の底から、そう思えるんだけど。

 

 

 それでもやっぱり、人は過去に引き寄せられる生き物だから。縋ることはなくても、懐かしいと思うことは止められなくて。

 

 私は今でも、失ってしまったものを取り戻したいと願っているのかもしれない。両親がいて、妹と弟がいて、そして「あの子」がいる。そんな日々をもう一度手にしたいと、諦めきれずにいる。

 

 良くも悪くも、それ(・・)があったからこそ。思い出があったからこそ、私は生きてこられたから。

 

 満たされて、幸せを感じているというのに。私にはもったいないくらい、恵まれた環境に身を置いているというのに。

 

 欲張りだから…………あるいは、子供だから。どうしても、求めてしまう。

 

 

 人の感情に触れると、影響を受けてしまうというのは。私が人の心を覗き込む時に、決して忘れないようにしていることだ。

 

 なにも、私に限った話じゃない。楽しそうにしている人を見て、笑顔を浮かべてしまうように。悲しんでいる人の気持ちを推し量って、共感してしまうように。怒っている人に相対して、萎縮してしまうように。

 

 人は多かれ少なかれ、誰かの感情に影響を受けて生きていて。私は直接触れることができる分、余計に注意しないといけないってことで。

 

 それは…………分かっていた。いや、分かっていたつもり(・・・)だったんだけど。

 

 

 感情に触れることで、気持ちが変化するというのならば。過去に触れる(・・・・・・)ということが、精神にどんな影響を与えるのか。私はもっと深く考えておくべきだったんだろう。

 

 家族写真の残ったアルバムを見て、センチメンタルな気持ちになるように。サイコメトリーを使ってピアノから経験を読み取った私は、かつての自分に影響されているんだと思う。

 

 身の回りの人たちに、家族の面影を感じて仕方がない。些細なことで、ちょっとした触れ合いで。私がピアノを弾いていた頃の、まだ家族が全員揃っていた頃の記憶を思い出してしまう。

 

 誰かの姿を通して、過去の一部を見ている。似ているどころか、共通点なんてほとんど存在していないのに。妹や弟の影が、誰に対してもつきまとう。

 

 嫌ではない。だって私は、今でも妹たちを愛しているから。無邪気で、純粋で…………私の後ろをついて回った二人のことを、忘れられるはずがない。

 

 少しだけ、辛いと感じる。あれだけ好きだったのに、二人の生活を守ることができなかった。姉としても、一人の人間としても不甲斐ない自分が。情けなく思えてしまうから。

 

 だけどそれは、後悔を忘れていないということだから。どれだけ切なくて、胸を締め付けるようなものであったとしても。今の私なら、沢山の人に支えられている「奥沢美咲」なら、受け入れられる。

 

 以前まで感じていた、泥沼の中で溺れているかのような、絡みつくような粘着質な気持ちは存在していない。苦しむことも、悲しみにくれることもなくなった。

 

 少しだけ懐かしくて、それでいて、どこか寂しい。夜に一人でいる時に感じるような、ふとした瞬間に感じる孤独感。感傷的な感情にも、随分と慣れた。時の流れが悲しみを薄れさせて、いつの日か忘れさせてくれると思えるくらいには。今の私は、前を向いて進んでいると胸を張って口にできる。

 

 だって、この想いはとうの昔に振り切ったものだから。

 

 

 ただ、この愛おしさが過去の家族に向けたものならば。

 

 私は本当に、彼女たち自身に好意を抱いているのだろうか。面影に、彼女たちを通して見える妹たちに対しての気持ちを、誤認してしまっているのではないだろうか。だとすればそれは、誠実さに欠けた行いじゃないだろうかと。

 

 それが少しだけ、怖いと思う時がある。

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

『音楽の授業で、音感のテストがあったんですよ。曲を聴いて、音符を書くんです。例えば…………きらきら星だったら、ドドソソララソ、みたいに。それと同じ要領で、こころの鼻歌からメロディを書き出してみたら…………面白いんじゃないかって、思うんですけど』

 

 みんなの前でそう提案したのは、私だ。

 

 実のところ、そこまで難しいことじゃないと思っていた。落ちるべきところに落ちたというか…………現状を考えると、ベストな提案なのは間違いないだろう。

 

 こころの感性を基にした、世界にひとつだけのメロディ。私自身のセンスには、そこまで自信を持っているわけじゃないけれど。彼女の歌を一番近くで聞いてきた身として…………そして、それなりに音楽に触れてきた経験を加味した上で判断するに。多少の贔屓目を抜きにしても、こころの鼻歌には光るものがあると思っている。

 

 これを曲に作り直すことができれば、きっと。そんな期待を抱いたのは、私だけじゃない。はぐみも、花音さんも、薫さんも。何かしら感じるものがあっただろう。はぐみや薫さんなんかは手放しで称賛していたし、花音さんも肯定的だった。

 

 だから、この時点では。私は成功をこれっぽっちも疑っていなかったし、それは今でも変わっていない。

 

『こころ、思いついた鼻歌を出来るだけ録音して私に送ってくれる?』

 

『ええ! もちろんよ、たーーーっくさん! 送るわね!』

 

 こころも嬉しそうだったし。その瞳と声音からは、私への信頼の感情を読み取ることができた。あんなに気合いを入れちゃって…………鼻歌だけのはずなのに、数分の録音データが届いたのには驚いたけど。参考になる資料は多いに越したことはないし。これだけあれば、十分いけると思った。

 

 

『────、────♪』

 

「ダメだ、集中できない」

 

 携帯に繋いだイヤホンを、耳に差し込んだまま。机から離れて、ベッドの上へと身を投げ出す。

 

 清潔さを保ったままの、取り替えたばかりのシーツのいい肌触りが触覚を刺激する。聞こえ続けているこころの鼻歌の心地よさも相まって、瞳を閉じればこのまま意識が落ちてしまいそうだ。

 

 ただ、時間に余裕があるわけではない。次にバンドのメンバー全員で集まるまでに残された数日間の中で、一日丸ごと空いているのは今日だけだから。

 

 普段なら部屋に遊びにくるこころも、今日は部活動があるとやらで席を外している。

 

 実は私も誘われていたけれど、作曲活動と天秤にかけた上で…………断腸の思いで断った。正直にいえば、こころと一緒に休日を過ごしたかった。今日を逃したら予定が大幅に遅れるから、それは出来なかったけど。

 

 そのかわり、今夜は眠るまで彼女の話を聞くことになっている。それと、次は一緒に活動するって約束もした。というか、天文部の入部届けに名前を書いた。

 

 

 そんな訳もあって、今日は久しぶりの。そして、貴重な一人っきりの時間を過ごすことになった。私が嫌っていっても離してくれないだろう彼女の声は、今は携帯に取り込んだ鼻歌からしか聞こえてこない。

 

 思い返せば、こころの誘いを断ったのはこれが初めてかもしれない。私が流されやすいってのもあるかもしれないけど…………あの子は、私が寂しいと感じる暇を与えてくれないくらい。私と一緒にいてくれるから。だから、どうしても寄りかかってしまうんだろう。

 

 以前と比べれば、だいぶマシになったとは思うんだけど。色々な人と知り合って、言葉や時間を重ねて。こころに対してのみ向けられていた関心や執着も、それなりに薄れたと思っていたんだけど。

 

 こうして一人になれば、それがただの思い違いだったっていうのがよく分かる。想いの性質というか、種類は変化したのかもしれないけど。私の感情の多くの部分は、彼女に向けられているんだ。

 

 独占欲や、執着心。そこから生まれていた嫉妬や焦燥、暗い感情は無くなって────いや、薄れている。

 

 完全に消えた訳じゃない。だって、それらは全部愛情の裏返しで、コインの裏表みたいに切り離せないものだから。私からそういう醜い部分が完全に消えるとすれば、それは他人に対する興味関心が無くなってしまった時くらいのものだろう。

 

 だから、それがあり得ないって断言できるくらい。私はこころのことが好きで、大切に思っていて。

 

 だからこそ、彼女がやりたいって言ったバンド活動を成功させたい。

 

 

「そう、思ってるんだけどな」

 

 難儀なことに、今はその感情が邪魔をしてくる。

 

 毎日聞いていて、とっくの昔に聞き慣れているはずの彼女の鼻歌。それをメロディにおこして、音符を書く作業を進めるはずだったのに。

 

 かれこれ一時間近く机に噛り付いて作業をしていたのにも関わらず、進捗は微々たるものだった。

 

 慣れていない、というのもあるかもしれない。そもそも普通に過ごしているだけなら、聞いた音を音符で表現するって経験をすることはないだろうし。実際、私もそんな経験はほとんどない。この前の授業でやった一回のみだ。

 

 遠い昔、それこそ記憶にも残っていないくらい小さかった時に。少しだけやったような気がしないでもないけど、それも子供のお遊びみたいなもので。経験としてカウントするには、いささかお粗末だと思う。

 

 ただ、それを踏まえたとしても。経験不足が、足を引っ張っていたとしたって。数フレーズだけしか出来ていないというのは、どうしたものか。

 

 いや、作業自体はそこまで難しくない。経験不足を言い訳にしようとしたけれど、そんなもの(経験)がなくたってこれくらいは普通に出来る。そうじゃなかったら、自分からみんなに提案できないだろう。

 

 言い出しっぺになったのは、自信があったからだ。自分だったらやりとげられるという、確信があったから。

 

 実際、授業では問題なく時間内にこなすことが出来ていた。音楽の経験とか、そういうのがある時点で他の人たちよりは一歩前を歩いていて。普段キーボードを弾いている時の要領で、頭の中にあるメロディを紙面の上に描くことができた。

 

 

 じゃあ、どうして今はそれが出来ないのか。思い悩んでいるわけでも、作業に集中できない状況なわけでもないのに。なぜ、出来ていたことが出来なくなっているのか。

 

 …………本当に、口にするのも恥ずかしいんだけど。精一杯、目を逸らしていたんだけど。

 

 

 つまり、結局のところ。作業に集中できなくなってしまうくらいには、私はこころの声が好きだったという事で。

 

 自分が思っていた以上に。こころの声が好きで、こころの歌が好きで。だからこそ、ついつい聞き入ってしまう。

 

 ペンを持つ手が止まって、考えようとしていたはずの頭が働かなくなって。気がつけば再生が終わっていて、リピート機能によって一番最初に戻っている。

 

 時折思い出したように少しだけ書き進めては、長く続かずに手を止める。そんなことを繰り返していては、いつまでたっても次の作業に進めるはずもない。

 

 

 魅力的というか、蠱惑的というか。いや、まぁ、なんだ…………女の子の声なのは間違いないんだけど。普段から聞いていたはずのそれが、イヤホンを通して耳元で聞いてみると。

 

 別人のように、印象が変わる。それこそ、思わず放心してしまうのを止められないくらい。

 

 

 こうして休憩を挟んでいる間も再生を止めようとしないのが、私の心情をこれ以上なく物語ってしまっているというか。

 

 要するに、弦巻こころという少女は。近くにいなくても、鼻歌だけでも、私の心を強くかき乱してしまうということで。私には、その力に抗う手段がなくて。だからこそ、楽譜を書く事ができない。

 

 

 

 

 …………いや、いやいや、いやいやいや。

 

 流石にそれは、どうなんだ? 同級生の、それも同性の、ましてや友人の声に。しかもあれだけ一緒にいて、毎日聞いているというのに。

 

 それを耳元で再生しただけで、やるべき事が手につかなくなるっていうのは。ちょっと…………こう、考えものだと思う。

 

『────、──、──♪』

 

 いや、でも、そんなこと言ったって集中出来ないものは出来ないわけだし。むしろ、そこで自分の気持ちをごまかす方がよくないっていうか。素直になれない方が、不健全っていうか。

 

『──、────♪』

 

 とにかく、今日中にある程度進めておかないとダメな訳だから。幸い、作業にとりかかるのが早かったおかげで時間はまだまだある訳だし。少し羽を休めて、昼食を取ってから。今度は通しじゃなくて、ワンフレーズごとに再生を止めて────。

 

『──、────、────♪』

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

『────、────♪』

 

『──♪』

 

『──────、──♪』

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

『────? ──、──?』

 

『──────』

 

『──────────、──?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『縺ソ縺、縺代◆』

 

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