「おいしい! みーくん、このカレーすっごくおいしいよ!」
「それ、さっきも聞いたよ」
「とーちゃんがね、おいしいものを食べた時はちゃんとおいしいって伝えないとダメって言ってたんだ! はぐみもね、そう思う。だってこんなにおいしいん!」
「はいはい、分かったから。だからもうちょっと落ち着いて食べようね…………ほら、ほっぺにについてる」
小さな口を大きく開けて食べたからか。うまく口の中に入らなかったカレーのルーが、彼女の頬に付いてしまっている。
卓の横に置いてあるティッシュを取って拭ってやれば、少し照れくさそうな様子で「ありがとう!」なんて伝えてくるものだから。それがなんだか微笑ましくて、私も自然と「どういたしまして」を口にできていた。
化粧気が少ないのが、いい方向に働いているんだろう。はぐみの肌は子供のように柔らかくて、それでいて年相応の張りを持っている。体を動かすことが好きらしいから、それも理由なんだろうけど。シミひとつなくて、素直に羨ましい。
なんていうか、健康的っていうのがよく当てはまっていると思う。見ていて飽きない。
先ほどよりも幾分か大人しく、それでも嬉しそうに瞳を輝かせて。まるで食べ盛りの少年のようにカレーを食べるはぐみを見ながら、私も自分の分に口をつける。
カレーなんて、誰が作っても同じ味になると思っていたけれど。これが存外、バカにできないというか。
自分で作るようになって、初めて分かることもあるんだなって。そう思えるくらい、料理というものは簡単なようで奥が深かった。
こころがあまりにも私の部屋に転がり込んでくるものだから、自分のために用意していたはずの食事を、二人分用意するようになって。下手なものを食べさせられないから、少しずつ味にも気を使うようになったけど。これが私一人だけだったら、量だけを重視していたんだろうし。
試行錯誤、こころのことを考えて積み重ねた経験が。こうやってはぐみを喜ばせることになったのは…………予想外というか、なんというか。
いやまぁ、はぐみだったら私がどんなものを出しても美味しいって言ってくれそうな気もするけど。それはそれとして…………なんだ、悪い気はしない。
はぐみからの差し入れ、大皿に盛り付けたコロッケを一つ取って、そのまま咀嚼する。カレーの味一色に染まっていた口の中に、肉の旨味が染み込んだじゃがいもの風味と食感が流れ込んできて。お互いがそれぞれの長所を潰すことなく、むしろ引き立て合うように混ざり合っていく。
カレーに使っている肉も、はぐみの所で買ったやつだから。その肉汁が溶けているカレーとは、相性が良いのかもしれない。元々ハズレのない食べ合わせだけど、そこらのチェーン店で食べるよりも美味しく感じる。
産地が同じだと味の調和が出来るとかなんとか、最近読んだ料理漫画でそんな感じの描写を見たことがある気がする。いや、関係ないか。単純に、素材がいいんだろう。
「うん、美味しい。はぐみの所のコロッケ、やっぱり好きだな」
「────! えへへ…………そうでしょ! とーちゃんが作ったコロッケ、はぐみも大好きなんだ!」
私がコロッケに手を伸ばしたあたりから、それとなくこちらをチラチラと見つめていたから。素直な感想を口にすれば、はぐみは待っていましたと言わんばかりに全身を使ってコロッケの良さをアピールしてきて。
その予想通りの反応を見て、頬が緩んだ。やっぱり私って…………こういう風に素直に反応してくれる相手に弱いのかもしれない。
はぐみの言っていたことの意味が、理解できた気がする。言葉一つでこんなに喜んでくれるのなら、ちゃんと美味しいって伝えた方がいいに決まってる。もしかしたら、そういう何気ない感謝の気持ちが。夫婦関係を円満に回すための潤滑油になっているのかもしれない。
そんな、取り留めのないことをつらつらと考えながら手と口を動かしているうちに。いつのまにか、私とはぐみの皿は空になっていた。
若干物足りなさそうな顔をしているはぐみに、声をかける。
「はぐみ、おかわりいる?」
「うん! はぐみ、まだまだ食べられるよ!」
すっかり綺麗に…………それこそ、米粒一つ残っていないんじゃないかってくらい丁寧に完食されたはぐみの皿と、ついでに自分の皿も取って。台所へと向かう。
そして、白米とカレーを盛り付けながら…………ふと、思った。
こうして彼女と二人で食事を取るのは、実は初めてなんじゃないだろうか。
学校だとクラスが違うから一緒に食べる機会は多くないし。席を共にする時でも、必ずこころが隣にいたから。
なんていうか、ちょっと新鮮かもしれない。はぐみはフレンドリーなタイプの女の子だから、バンド活動以外でもそれなりに交流はある。私の勘違いじゃなければ、同級生のなかでは親しい方だと思う。
ただ、私以上に。はぐみはどちらかといえば、こころと気があう方だから。私が彼女と顔を合わせる時には、その間にこころが加わるのが当たり前で。
私は、こころやはぐみのように積極的に他者に関わる人間じゃないから。こころが居なかったら、彼女と出会う事もなかったんじゃないかと思うと。こうやって一緒に卓を囲んでいること自体が、ちょっとした奇跡というか。なんだか、不思議に感じられる。
あんなに、他人と関わることを恐れていたはずなのに。
考え方ひとつ、捉え方ひとつ。ちょっとした価値観の変化で、こんなにも感じるものが変わってしまうだなんて。それこそ、本当に魔法みたいで。人の心っていうのは、超能力なんかよりもよっぽど不思議なものだと思う。
だって、もっと知りたい。
はぐみだけじゃなくて、花音さんや、薫さんや、日菜さん、委員長。一月前までは、こころの事しか考えていなくて…………盲目的に、私とこころさえ居ればそれでいいと思っていたはずなのに。瞳を閉じれば、いつだってあの子の姿が映り込んでいたはずなのに。
いつのまにか、私の世界も広がって。自分の居場所に人を招く事ができるくらいには、心を開く事が出来た。
この手の中にあるものは。全部、自分一人では手に入らなかったもので。だからこそ、大切にしなければいけないんだろう。
一緒にご飯を食べているだけで、大げさかもしれないけど。本当にそう思うんだから、仕方がない。
今日の私は…………いつもより少しだけ、そういう気分なんだろう。
「おまたせ、持ってきたよ」
考えることが、止められない。
☆ ☆ ☆
「ふー、はぐみもう入らないや。みーくん、ごちそうさま!」
「お粗末さまでした…………結構食べてたけど、大丈夫? お腹苦しかったりしない?」
「んーん、だいじょうぶ。美味しかったから、ついつい食べ過ぎちゃったけど。はぐみ、無理はしてないよ」
「そ、よかった」
私が動いたのに合わせて。一緒に立ち上がろうとしたはぐみの肩を、そっと押し返す。
キョトンとした顔で尻餅をついているうちに、彼女が持ち上げようとした皿を回収して。自分の皿の上に重ねる。
「気持ちは嬉しいけど、はぐみはお客さんなんだからさ。食べ終わったばっかりなんだし、そこで座ってなよ」
「あっ…………で、でも」
「でも、じゃなくてさ。自分の家だと思って…………ってのは、流石に無理かもしんないけど。はぐみ、さっきからずっとソワソワしてるじゃん? もう少しリラックスしてさ。すぐ戻るから、まっててよ」
「う、うん。わかった」
なにをそんなに緊張しているのかは、分からないけど。
私の家に入ってきてから…………というか、玄関で顔を合わせてからずっと。はぐみは自然体でいるようで、かなり気を張りつめさせている。
諸々の所作がぎこちなかったり、時々声が上ずっていたりと。初々しい…………とでもいえばいいのだろうか。とにかく、落ち着きがない。元気そうに見えるのも、どちらかといえば空元気に近い。
ご飯を食べている間は、比較的いつも通りだったんだけど。皿が空になって、会話が途切れた瞬間。まるで借りてきた猫のように、居心地が悪そうにソワソワと体を揺らし始めて。
ギャップ、という奴だろうか。あまり良くないとは分かっているけれど、それがおかしくて。思わず顔が緩んでしまいそうになる。
ああ、でも、どうだっただろう。確かに私も、初めて友達の部屋を訪ねた時は。今のはぐみのように、緊張しっぱなしだったかもしれない。
いつのことだったか思い出せないくらい、昔の記憶だけど。眼に映るもの全てが新鮮で、見覚えのない景色の中にいる自分という存在が、まるで異物のようで。ひどく頼りなく思えた。もしかしたら…………今のはぐみは、そんな嘗ての私のような心境なのかもしれない。
はぐみの交友関係がどんなものなのか、私には知り得ないことだけど。この反応を見ている限りだと、部屋に上がった経験はそこまで多くないのだろう。
ほら、家の中で遊ぶより外で走り回っている方が好きみたいだし。
「じゃあ…………早速っていっちゃなんだけど、そろそろ作業に戻ろうと思うんだけど」
「あ、曲作りするんだよね!? はぐみも手伝うよ!」
卓の前に座ってミッシェルを抱きかかえていたはぐみに声をかけると、彼女は待っていましたと言わんばかりに身を持ち上げて。そのまま、私の方へとにじり寄る。
それまでの所在なさげな姿とは打って変わって、やる気満々といった様子だ。お手伝い、というのは建前でもなんでもなくて、本心からの言葉だったんだろう。もしかしたら、私よりも作業に対して前向きかもしれない。
とはいえ、この状況ではぐみの手を借りるような場面はほとんど無いというか。正直なところ、作曲というのは私にとっても初めてのことだから。なにを手伝って貰えばいいのか、全く分からない。
かといって、彼女の気持ちを無下にしたくない。打算とか一切なしに、純粋に助けになりたいと思っている彼女の気持ちを。私は無駄にしたくない
「あー…………じゃあ、隣で見ててもらってもいい? ほら、見て貰えば分かると思うんだけど…………恥ずかしいことに、まだ全然進んでなくてさ。今から集中するから、間違ってるところとかあったら教えてほしいな」
「わかった! はぐみに任せて!」
紙とペン、それから携帯を持って。はぐみの隣へと座る。卓の上に紙を広げて、イヤホンを片方だけ耳に付ける。
そして、もう片方をはぐみへと差し出す。
「ほら、これ付けて」
「えっ?」
「え? …………いや、ほら。音声垂れ流しにするより、イヤホンつけてた方が聞き取りやすいしさ。はぐみも聞いてないと何が何だか分からないだろうし、こうした方がいいと思ったんだけど…………嫌だった?」
「う、ううん。ちょっとビックリしただけ!」
ややぎこちない動きで、イヤホンを受け取ってから。はぐみは恐る恐るといった様子で、右耳に差し込む。
心なしか、少し頬が赤い気もするけれど。そこは流石に…………見て見ぬ振りを、するべきなんだろう。
いつもこころとイヤホンを分け合っていたから、自然と同じことをしてしまったけれど。はぐみ的には、恥ずかしいことだったのかもしれない。確かに、こうやって実際にやってみると…………少し、距離が近すぎるかもしれない。
それとなく視線をはぐみに向ければ、彼女は先ほどにも増して体をモジモジと揺らしていて。なんだ…………ちょっと、迂闊だった。距離感を間違えたというか、なんというか。似たタイプのこころがアレだから、すっかり感覚が麻痺していたけれど。
はぐみって、私が思っている以上にシャイな性格だ。
「じ、じゃあ…………よろしく」
「う、うん! はぐみ、頑張るよ!」
ちょっと…………なんだ、私まで緊張してきた。