奥沢美咲は、超能力者である   作:親指ゴリラ

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えがおのオーケストラっ! 13

 

「みーくん、そのメロディ…………ここと交換した方が流れが綺麗だと思うな」

 

「ん、ちょっと待ってね…………んー、そう言われてみれば…………たしかに、そっちの方が良さげかな」

 

「あ、それとここなんだけど…………こころん、すっごく機嫌がいいから少し音外してるよ。あと半音下げた方が自然かも」

 

「ん…………私もちょっと違和感あったんだよね、ありがとう」

 

「えへへ、どーいたしまして!」

 

 

 鼻歌を聞いて音符を書き出す作業を再開してから、だいたい三十分程度。最初はぎこちなかったはぐみも、時間が経つにつれて音と紙面に集中していって。

 

 隣に人が居るというのが、大きいんだろう。今度は私も、こころの声に心を乱されることなく……ましてや、眠ってしまうようなことも起きずに。こうして、作業に取り組むことが出来ている。

 

「はぐみ、実は結構音楽とか聞く方だったりする? なんていうか…………音に対しての感覚が鋭いっていうか。ぶっちゃけ、私よりも向いてる気がするんだけど」

 

「んー? はぐみ、体動かす方が好きだからあんまり曲とか聞かないかなぁ。あっ、でもね! バンドやるって決めてからにーちゃんの持ってるCDとか借りてるから、もしかしたらそれかも」

 

「お兄さん、ギターやってるんだっけ」

 

「うん。はぐみも、ちょこっとだけ教えてもらったから弾けるよ。今はベースの方が得意だけど」

 

 意外、って言ったら失礼かもしれないけど。私が想像していた以上に、はぐみは音楽的な感性に優れていた。

 

 私が書き出した音符と、聴いている鼻歌を頭の中で一致させることが出来て。その上で、どこを改善すればいいのかを的確にアドバイスしてくれるから。予定よりも遥かに早く、作業が進んでいて。

 

 音楽に正解なんてない、というのは分かっているけれど。乱雑に繋げられていただけのこころの鼻歌が、綺麗な一本線に繋げられていくようで。まるで、答えにたどりつくための方程式を熟知しているかのような。そんな彼女の隠された才能に、ただただ感心させられる。

 

 

 そんな気持ちを正直に伝えれば、はぐみは照れくさそうな表情を浮かべた。素直でまっすぐな、褒められた子供が浮かべそうな、見ていて微笑ましい笑顔。その頭に思わず手が伸びそうになって…………努めて停止させる。

 

 なんていうか、距離感を掴みあぐねるというか。こうして部屋に招き入れたのが理由なのか…………彼女をいつもより近くに感じていて。だからこそ、触れ難い。

 

 なんなのだろうか。はぐみは友人で、大切なバンドのメンバーだというのに。二人きりになることで、普段との違いを感じてしまう。

 

 はぐみって、いつもこんな雰囲気だっただろうか。いや、元気なところとかは間違いなくいつものはぐみなんだけど。

 

 心境の変化があったのか、私の錯覚なのか。あるいは…………感じ方が変化しただけなのか。今日のはぐみはちょっとだけ、いつもよりも女の子らしいというか。

 

 しおらしい、というのとも少し違う。うまく言葉にできないような…………そんな、些細な違いなんだけど。むしろ、私の勘違いって可能性の方が高いけど。

 

 それが気になって…………なんか、放って置けない。

 

 

 私の視線に気がついたはぐみが、何を感じ取ったのか。私を見つめ返してから…………少し逡巡して、口を開いた。

 

「でもはぐみ、みーくんみたいに楽譜を書くのは無理だと思うな。こころんの歌、聴いててもいい曲だなーって思うだけで音符とか出てこないもん」

 

「んー…………ほんとに? 私に気を使ってるとかじゃなくて?」

 

 我ながら、意地悪な言葉だったと思う。つい反射的に口にした、そこまで深い意味のない一言だったんだけど。はぐみは頭の上に疑問符を浮かべて…………少し経ってから、言葉の意味を理解したんだろう。慌てるように言葉を重ねた。

 

 

「えっ!? ち、違うよ! はぐみ、そういうつもりじゃなくて…………えっと、ほら! カレーを食べた人が美味しいって思っても、同じ味のものが作れる訳じゃないでしょ? 美味しいのはわかるけど…………だから、えっと」

 

「あー…………つまり、難しい漢字を目にしたら読めるけど、何も見ないで書けって言われたら無理…………みたいな奴? 『薔薇』とか」

 

「う、うん! そんな感じ! …………その、はぐみ、あんまりべんきょう得意じゃないからわかんないけど」

 

「いや、だいたい理解出来たよ。私も英文読むのは得意だけど書けって言われたら少し考えるし」

 

「だ、だから…………あの、はぐみはみーくんに気を遣ったとかじゃなくて。本当に、すごいなぁって思ってるから、その」

 

「ううん、今のは私が意地悪だったよ。ごめん」

 

 要らぬ一言が、余計な心労を産んでしまった。目の前で胸に手を当てて安堵のため息を吐き出しているはぐみを見ると、心の底から申し訳ない気持ちになる。

 

 だけど、これで理解できたというか。彼女の言動から感じていた違和感の正体を、なんとなく察した。というか、この反応には見覚えがある。

 

 

 戸山さんだ。コミュニケーションに長けているはずのはぐみが、私に頼んできっかけを作って、ようやく話しかける決心がついた時の。戸山さんに対する…………いや、それは戸山さんが特別なわけじゃなくて。もちろん、はぐみが変というわけでもなくて。

 

 どういう理由かまでは、想像がつかないけど。はぐみはもしかしたら、恐れているのかもしれない。

 

 かつての私が、こころに対して同じ気持ちを抱いていたように。友達というか…………身近な相手が疎遠になってしまうことを、恐れている。

 

 思い返せば、以前からたびたびそんな気配を感じていたというか。変なタイミングで顔色を伺ってくることがあった気がする。言葉の合間に「迷惑じゃなかったら」って付け加えたり…………というか、つい先ほど家を訪ねてきた時も言っていた気がする。

 

 表面上はにこやかで、あまり顕在化していなかったけれど。こうして注意深く振り返ってみれば、よく分かる。

 

 あの日、私が戸山さんと顔見知りであると知った時のはぐみの表情。強張った、不安そうな顔の裏に隠されていた、微かな怯え。

 

 そして、それを払拭するような。希望を見つけた人が浮かべる、不安定な微笑み。

 

 間違いない。

 

 この子は、北沢はぐみは。戸山さんへ向けていたものと似たような気持ちを、今の私に対して抱いている。疎遠になること、あるいは…………機嫌を損ねることを不安に思っていて。きっと、それを自覚していない。

 

 ようやく分かった。はぐみは繊細なんじゃなくて、臆病なんだ。

 

 

 正直な気持ちを言ってしまえば。私は今すぐにでも、彼女の抱えている不安を晴らしてあげたいと思っている。心の奥底を覗き込んで、原因を見つけて、それを払拭してしまいたい。

 

 だって、絶対に何かある筈だ。私がこころに執着していたのは、それまで友人を作ろうとしていなかったから。本来は身の回りの人たちに向けるはずだった感情の全てを、一人に対して押し付けていたから。そして…………元を辿れば、私が人を信用していなかったから。

 

 不安に感じるのには、怯えてしまうのには、必ず理由があるはずだから。それこそ、何年経っても忘れられないような。決して良いものとは言えない記憶が残っていてもおかしくない。

 

 例えば、友達と喧嘩別れしてしまったとか。そうじゃなくても、はぐみが望まない形で縁が切れてしまったとか。そんな苦い思い出が、彼女の心の中に根付いているのかもしれない。

 

 だけど────。

 

 

「あのさ、はぐみ」

 

「────みーくん? どうしたの?」

 

「…………いや、なんでもない。あと少しだし、パパッと終わらせちゃおっか」

 

「うん! はぐみ、頑張るよ!」

 

 

 彼女の抱えているものは、私が安易に踏み抜いてはいけないものだと思う。友達だからと、望まれていないことにまで足を踏み入れるのは…………それは、なんか違う。

 

 もしかしたら、私も臆病なのかもしれない。はぐみの事情を知ること、彼女の脆い部分に飛び込むことを恐れているのかもしれない。

 

 

 今の距離感を、この関係を。壊してしまうかもしれないから。

 

 はぐみが怯えているように、私も躊躇っている。

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 問題を先延ばしにするのはよくないと分かっていても、誰にだって踏ん切りがつかない時があると思う。

 

 自分の人生、これからどう過ごすのか。みんな多かれ少なかれ悩んでいて、その多くを胸の内にしまい込んでいるんだろう。他人の悩みを知る機会というのは、思っている以上に少ないもので。

 

 それが対人関係に関わるのならば、なおのこと。複雑な上に正しい答えのない問題に向き合うというのは…………これがなかなか、難しい。

 

 

みーくん…………」

 

「はぐみ?」

 

 小さな声で名前を呼ばれて、呼び返してみたけれど。彼女から返ってくる言葉はなくて。

 

 その代わりに、服の袖を掴まれた。弱々しくて、すぐにでも振りほどけそうなのに。どうしてか、そうする気になれないような。小さくて柔らかい、五本の指。

 

 その手を見てから、もう一度はぐみの顔を見つめる。

 

 

「はぐみー?」

 

「ん…………」

 

 なんとなく、もう一度呼びかけてみたものの。やっぱり、ちゃんとした返事は戻ってこない。

 

 それもそのはずで。目の前で卓に突っ伏しているはぐみは、両腕を枕代わりにしていて。彼女の感情を色濃く映し出す両目は、今は閉じられている。

 

 肩を軽く揺すってみたものの、反応はない。

 

 

「寝ちゃったか」

 

 音符の書き出しが終わって、いざキーボードで演奏してみせようかという頃には。もう既にうとうとしていたけれど。まさか演奏中に寝てしまうなんて、流石に予想外というか。

 

 でも、私も少し前に同じことをしてしまったわけだし。人のことを言える立場じゃないかもしれない。音楽を聴いていると眠くなるというのは、割と一般的な感性なんだろう。

 

 ましてや、お腹いっぱいになるまで昼ご飯を食べていたのだから。食後の満足感…………心地よさも加味すれば、こうなることは予想できたのかもしれない。

 

 

 彼女のためを思えば、今すぐにでも起こすべきなんだろう。こんな体勢で寝ていたら、体に悪いだろうから。寝かせておくにしたって、布団にでも連れていって、横にしてやったほうがいい。

 

 だけど…………なんでだろう。もう少しだけ、こうしていたいというか。私の名前を呼ぶ彼女の寝顔を、見ていたいというか。

 

 きっと、私が思っていた以上に。私はこの子のことを、気に入っているんだろう。それこそ、こうして自分の部屋に招き入れてもいいと思っている程度には。

 

 

 だからこそ、気になって仕方がない。

 

 はぐみはいったい、何をそんなに恐れているのだろうか。

 

 私が覚えている限りでは、彼女との間に壁を作るような出来事はなかったはずで。

 

 私が無自覚のうちに彼女を傷つけていた……という可能性もない訳ではないけれど。私は人から向けられる感情には、これ以上ないほど敏感だから。はぐみが私に向けている気持ちに、嫌悪感はこれっぽっちも含まれていないのは理解できていて。

 

 むしろ…………出会って一ヶ月も経っていないにしては、過分なくらいに友好的なほうだと思う。はぐみがフレンドリーな性格なことを踏まえても、かなりいい関係を築けているのは間違いない。

 

 なのに、何を不安に思うことがあるのだろうか。

 

 

「────いかないで

 

 こんなに辛そうな顔で、そんな言葉を口にするなんて。いったい、どんな夢を見ているのだろうか。

 

 弱々しく袖をつかんでいた手が、力強く握りしめられて。歪んだ生地が波打って、いくつもの皺が浮かび上がる。

 

 どうしてそこまで、追い詰められているのか。考えても答えは出なくて…………それが、酷くもどかしい。

 

 

 握りしめられたはぐみの手を取って、指を一本一本丁寧に解く。追いすがるように、掴むものを求めて動く手を。私の掌で、そっと包み込む。

 

 そのまま、衝撃を与えないように。はぐみの肉体を、念動力で持ち上げる。

 

 机に向かって突っ伏していた状態から、仰向けの姿勢へ。細かい力加減にも慣れたもので…………これだけ大胆に動かしていても、彼女が起きる気配はない。

 

 彼女の手を握りながら、ベッドまで移動して。念動力で掛け布団を少しずらして、空いたスペースにはぐみを横にする。

 

 どこまでも、無防備だった。

 

 ぎゅっと瞑られた瞳と、硬く閉じられた口元。額に浮かび上がる汗、力強く握りしめられた手から伝わってくる高い体温。そのどれもが、はぐみが緊張状態にあるということを示していて。

 

 誰が見たって、魘されているというのが理解できるだろう。悪い夢を見て、苦しんでいる。なんとかしてあげたいって、そう思ってしまうほど。はぐみは辛そうにしていて…………それが、私の決心を揺さぶっている。

 

 どうにかするのは簡単だ。テレパシーで精神を安定させてやれば、すぐにでも安眠を与えることが出来る。彼女のことを思えば、少しでも早くそうするべきで。

 

 だけど、いまならば。はぐみの見ている夢を覗き込めば、彼女が何を恐れているのかを正確に理解できるかもしれない。はぐみのためになるならば。私は自分の意思を曲げてでも、そうしたい。

 

 覗くべきか、否か。

 

 

 空いている方の手のひらを、はぐみの額に当てる。

 

 そのまま私は、瞳を閉じて────。

 

 

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