一度だけ、みーくんの目が好きだと言ってみたことがある。
それが、どんな経緯で、どんな話の流れで口から出た言葉なのか。今となっては、もう思い出せないけど。
透き通った色の奥底で、炎が揺らめいているような。水晶のように綺麗で、硬い光を放っているのに、視線はとても柔らかくて優しい。そんなみーくんの瞳が、好きだって、伝えたかったんだけど……あの時のはぐみは語彙力が乏しくて、もっとずっと拙い表現をしていたと思う。
呆けたような表情で見つめてくるみーくんの顔を見ていると、何故か気持ちが落ち着かなくて。なにも聞かれていないのに、なにも言われていないのに。あの瞳が、あの輝きが。はぐみの心の奥底に隠された、自分自身でも気がついていなかった感情を、覗き込んでいる気がして。
だから、自分から口にしたのに。気恥ずかしくなって…………弁明するように、それでいて、気持ちが伝わってくれるようにと。とにかく、大げさに身振り手振りをして。矢継ぎ早に言葉を付け足したことを、今でも覚えている。
本当に、大好きだったから。
いつも優しくて、どんなときでも見守ってくれていた。あの瞳で見つめられるだけで、胸の奥がポカポカして、どんなことでも出来るって、そう信じられた。
もちろん、みーくんの好きなところはそれだけじゃない。みんなと一緒にいる時に見せる、困ったような微笑みとか。作曲するときの、真剣な横顔とか。頭がよくて、はぐみにも分かるように勉強を教えてくれるところとか。
なにげなく、見つめていただけだったのに。
みーくん、最初はあまり笑わなかったから。
だから、気がついたときにはもう。目が離せなくなって、いつも姿を視線で追いかけるようになっていた。
自分でも、変だなって思った。だって、みーくんのことを考えていると、全力で走りきったあとみたいに、心臓がバクバクになるから。
はぐみ、びょーきなのかもしれない。そんなことを思って、怖くなって、とーちゃんやかーちゃんに相談したけれど。話を聞いた二人は、大きな声を上げて笑うばかりで。怒るべきだって分かっていたのに、恥ずかしい気持ちでいっぱいいっぱいになっちゃって。
戸惑って縮こまるはぐみに、かーちゃんは「それが人を好きになるってことなんだよ」って言って、はぐみは「でも、なんかへんなんだ」って言い返して。
いつか分かる時がくるよ、なんて。かーちゃんは、嘘つきだと思う。
だって、まだわからないんだもん。あの時からそれなりに時間が経って、色々なことを経験したのに。みーくんや、こころん、かのちゃん先輩、薫くん…………ハロハピのみんなと過ごして、ベースが弾けるようになって、成長したのに。
はぐみがみーくんに向けているこの感情は、他のみんなに向けているモノとは違うって。そんな、わかりきっていた事実しか教えてくれなくて。
むしろ、時間が経つにつれて。もっとわからなくなっていくようにすら、感じられて。
温かいのに、冷たくて。心地よいはずなのに、どうしようもなく苦しい。特別なはずだったのに、大切にしていたのに。あの日抱いた気持ちとは、ちょっとだけ…………ううん、すごく変わっちゃった。
あの笑顔も、言葉も、過ごしてきた日々も。間違いなく本物で、みーくんの優しさだって、嘘じゃなかったはずなのに。
楽しかった思い出の最後には、いつだってあの言葉が聞こえてくる。それまでの温かい気持ちを全て吹き飛ばすような、冷たくて無感情な声が。耳の中に残って、頭の中で繰り返される。
ねぇ、みーくん。お願いだよ、はぐみ、もっといい子になるから。迷惑をかけないし、ちゃんとお手伝いできるように、頑張るから。
だから────。
『私の気持ちなんてわかんないよ、はぐみには…………ううん、誰にも。いくら考えたって、絶対わかんない』
────そんな目で、はぐみを見ないでよ。
☆ ☆ ☆
「はぐみ? 聞いてる?」
「────ひゃっ、えっ、みーくん? どうしたの?」
「いや、どうしたのって…………はぐみ、さっきからずっと上の空だったけど。大丈夫?」
「う、うん! 大丈夫だよ! …………ごめんねみーくん、はぐみ、まだちょっと寝ぼけてるかも」
近くまで体を寄せて。はぐみの顔を覗き込んできたみーくんの顔を、なぜか直視できなくて。ぼんやりと考え事をしていたはずの意識が一気に浮かび上がって…………そのまま、慌てて目を逸らしちゃった。
どうしてなんだろう。水晶のような瞳に見つめられるだけで、はぐみの中にある後ろめたい気持ちまで見透かされてしまうような気がして。せっかく、みーくんがはぐみのこともちゃんと見てくれるようになったのに。
今度は逆に、はぐみの方が。あの頃のみーくんのように、みーくんに向き合えなくて。それがなんだか、すごくさみしい。
一緒に居られる時間を、ずっと求めていたから。二度と会えないって、話せないって、そう思っていたから。だから、こうして幸せな時間が再び訪れたのが、未だに信じられなくて。
だから、寝ぼけてるって。咄嗟に口から出た言い訳は、嘘じゃない。
あれから一ヶ月も経つのに。この現実が夢だったらって思うと、どうしても怖くなっちゃう。
最近、よくない夢ばっかり見ているのも理由なのかもしれない。本当は夢の中の出来事が現実で、今過ごしている時間こそが、はぐみの見ている夢なんじゃないかって。そんなことを考えていると、どうしても夢心地が抜けきれないから。
起きているのに、夢の中にいるみたいで。だから、みーくんに触れるのが怖い。だって、シャボン玉みたいにはじけて消えちゃうかもしれない。
考えすぎなのかな…………考えすぎなだけだったら、いいのに。
「そ、それで、その、ごめんね? はぐみ、ちゃんと話聞いてなかった」
「いや、まぁ、別に気にしてないけど…………なにか悩んでることがあるなら、聞くよ?」
顔を近づけるどころか、耳元まで寄せて。囁くようにそういったみーくんは、やっぱり、すごく鋭くて。何気ない一言でも、ドキッとさせられちゃう。
寝ぼけてるって、言ったのに。全然、誤魔化されてくれないんだもん。
そういうところは、前から変わってない。懐かしくて、温かくて、心配をかけているのに、迷惑になっているのに。それを感じさせないくらい、優しいから。
きっとまた、大切なものを失くしちゃう。
だから、何も言わない。ううん、言えない。だって、もうみーくんに迷惑は掛けたくないから。
それに、信じてもらえるか分からないし。みーくんに変な子を見る目で見られたら、絶対に立ち直れないもん。
そんなはぐみの気持ちも、伝わってくれたのかもしれない。見つめ合っていた目をそっと伏せてから、もう一度開いて。思わずため息が出ちゃうような、そんな笑顔を浮かべる。
愛想笑いとは、少し違う。これで、この話はおしまい。そういう意味の、みーくんの優しさが込められた表情。
そして、少し寂しそうで。どこか遠くを見つめている、そんな顔。見ているだけでむず痒くて、みーくんをそういう気持ちにしているのがはぐみだと思うと、胸の中がゾワゾワとして、落ち着かない。
「はぐみ」
名前のつけられない感情が、抑えられなくて。なんとなく、気まずく感じちゃうから。視線をそらしたはぐみの耳元に、みーくんがもう一度顔を寄せてくる。たった一言、名前を呼ばれただけなのに。はぐみの心臓はまた、全力で走ったみたいに大きく速く音を立てる。
どうか、みーくんには聞こえませんようにと。それまで考えていた色々なことが、たった一つの思考によって上塗りされて。
そんなはぐみの気持ちも知らずに。なんて、知られたくないって考えているくせに、身勝手な事を思いながら。
みーくんがはぐみにだけ見えるようにと。体で隠しながら立てた人差し指の先へ、視線を向ける。
「あかりちゃん、ずっとついてきてるけど。相手してあげなくていいの?」
「あ…………」
はぐみたちから、少し離れたところ。塀の曲がり角に体を隠しながら…………でも、ちょっとだけ顔が見えるように体をはみ出させて、あかりがこっちを覗き込んでいた。はぐみに怒って帰ったと思ってたのに、戻ってきてたんだ。
言われるまで、全然気がつかなかった。考えごとばっかりしていたから、周りが見えていなかったんだと思う。
「いってあげたら? 多分…………っていうか、絶対。はぐみに用があるんでしょ」
「え、で、でも」
はぐみたちが気がついたことに、あかりも気がついた。拗ねたような顔をしたまま、視線を明後日の方へと逸らして、それで、時折はぐみの方を見てくる。
その視線が、どんな意味を持っているのかなんて。はぐみにだって、すぐにわかる。
だからこそ、胸が締め付けられて…………取り返しのつかない事をしてしまったんじゃないかって、心が痛くなっちゃう。
あかり、ごめんね。やっぱり、はぐみじゃ上手くできないや。
☆ ☆ ☆
練習をサボったのを怒ったこともあるし、どっちかといえば、ソフトボールにそこまで乗り気じゃなかったはずなのに。最近のあかりは、ほとんど毎日といっていいくらい、はぐみのところにやってくる。
それ自体は、とても嬉しい。だって、もしも少しでも間違っていたら。あの瞬間に、はぐみが間に合わなかったら。あかりは、二度とソフトボールが出来なくなっていただろうから。
だから、元気そうにキャッチボールをしてくれるだけで。はぐみは、嬉しかったんだけど。
でも、まさか、みーくんにあんな風に当たるなんて思っていなかった。だって、
みーくんは、気にしてないって言ってるけど。はぐみは、二人に仲良くしてほしかったから。
はぐみがしたことに対して、後悔の気持ちはないけれど。あかりが元気な姿を見せてくれるのは、純粋に嬉しいけど。その代わりに二人の接点が消えちゃうんだとしたら…………って考えたら、急に怖くなって、頭の中が真っ白になっちゃって。
どんな言葉を、かければいいんだろう。そんなことばかり考えて…………それでも、答えは出てくれない。
もし、はぐみが間違えたら。それで、また失くしてしまったらって。あかりを傷つけて、みーくんに迷惑をかけて。
どうしよう。なんて言えば、あかりはみーくんと仲良くなってくれるんだろう。
叱るだけじゃダメで、でも、ダメなことはちゃんとダメって教えないといけないから。だから、それをわかってほしくて、みーくんに謝ってほしかったのに。
きっと、今のはぐみが何を言っても。あかりの態度を頑なにさせてしまうだけで、意味がないんだと思う。
わかってる、はぐみにだって、それくらいわかってるんだ。でも、どうすればいいのかだけが、いつもわからない。どんな言葉を使えば引き止められるのか、想像できないんだ。
なんでもうまくできるみーくんや、出来ないことはないって信じてるこころんみたいに。はぐみも、誰かのために行動できたら。誰かのヒーローになれたら…………なんて、そんな夢を今でも見てる。
わからない、わからないよみーくん。はぐみはどうすればいいの、どうすればよかったの? どうやったらあかりを、香澄ちゃんを、こころんを、かのちゃん先輩を、薫くんを、ミッシェル…………ううん、みーくんを、引き止められるの?
はぐみなりに考えて、一番いいと思う行動をしたけれど。それでも、上手くいかない。あかりとみーくんは、前みたいに仲良くならなかった。
みーくんに居なくなってほしくないから、はぐみに出来ることは、ちゃんとやろうって決めたのに。少しでも手伝えるように、役に立つように頑張ろうって、そう決意したのに。はぐみに与えられた時間を、もう二度と訪れることのない機会を、無駄にしてしまう。
どうしたらいいの?
お願いだから、誰か教えてよ。