「ねぇ、玲兎くん……4月に話したこと覚えてる?」
「忘れることはないけどな。人が何時産まれるかって話だろ?」
隣で小説を読みながらも、彼はすぐに答えてくれた。
それが嬉しくて、思わず唇が弧を描いてしまう。
「うん」
「もうすぐ一年か……早いな」
「うん」
そう。
彼と初めて会ったのは、去年の4月。
彼のクラスにいた中学から付き合いのある友達に用事があって訪れ、帰ろうと近くを通り掛かった時、ポツリとした声が聞こえた。
『産まれた瞬間の記憶なんてないよな』
誰かに問いかけていた訳じゃないことは、なんとなく分かった。
それでも、気付けばわたしは問いかけていた。
その時交わした会話から、わたしと彼は不思議と一緒にいることが多くなり、今は恋人の関係になっている。
このことについては、また別の機会に話したい。
「で、それがどうしたんだ?」
「……最近さ、ふと思うことがあるんだ」
無言でも、彼が続きを促したことが分かった。
「――人は……死ぬのかな、って」
「成る程。今度は死についてか」
彼が本を閉じた。
「産まれた以上、人も植物も機械も建物も、いつかは死んだり、枯れたり、故障したり、壊れたりする。でも、偉人って言われてる人達や有名な物は、今の世にも名前を残してる。これって……生きてるとは言えないのかな? 死んだって、言えるのかな?」
少しの無言。
やがて彼は口を開いた。
「死ぬってのは、簡単に言えばこの世から居なくなるってことだ。けど、それもやっぱり客観的意見でしかない。あるかどうか今は別にして、死んだと思われた人間が生きていた場合、死とは言えない。例に出すのは失礼だが、植物状態がそうだと思う。意識がなくても、心臓は動いている。生きていると言えばそうだし、死んでいると言えば、やっぱりそうかも知れない」
「……わたしは、生きてるって思いたい」
「同感だ。けど、簡単に決める訳にもいかないことだ。少なくとも、俺達にどうこう出来る問題じゃない」
彼が、頭に手を乗せてくれた。
横を見れば、でも彼は目を閉じている。
そして、この距離でも聞こえない程の小さな声で、何かを言った。
辛うじて聞き取ることが出来たのは、わたしの名前だけ。
「――死ってのも、色々ある。不慮の事故、殺人、自殺、心中、過労、寿命、孤独、栄養不足、病。これは俺の考えだが、今挙げた中で死と言える物は、寿命だけだ」
「魂が、終わるから?」
「ああ。フィクションでよくあるだろ? 事故で死んだ人間が、霊体となって現れるってやつ。これは、体だけが死んで、まだ魂は生きているから」
「でも、寿命は魂と体が同時に終わる」
彼は頷いた。
「突き詰めていけば、やっぱり寿命も死とは言えないかも知れないけどな……他の死は、とても魂まで同時に終わるとは思えない」
わたしも頷いた。
平和的な死、とでも言えるかも知れない。
悲しいことに変わりはないけど、家族に見守られる中で、魂が終わりを迎える。
どれだけ健康な人が、そのまま年をとっておじいちゃん、おばあちゃんになっても、やっぱり寿命は来てしまう。
それは、人によって違う。
もしも生をまっとうしたなら、その人は本当の意味で安らかに眠ることが出来ると思う。
でも、事故や自殺だと、親しい人は悲しむ。
当たり前のことだけど……。
「本当に悲しいのは――死んでしまった、その人」
「……体が死んで、魂が生きている。魂が死んで、体が生きている。どっちの状態も、死んでいるとも、生きているとも言えるだろう」
「うん」
「心臓が止まっていても、まだ間もないなら蘇生は可能。脳が壊れたら、それは多分どうにもならない。動物ってのは、ややこしい種族だ。産まれたら死ぬ。唯一絶対と言い切ることが出来る。だってのに、お前が言った様に、偉人は今も名を残している。そして、当人を尊敬する人間の中では、そいつは生きている」
「その人本人じゃないのに?」
「ああ。だから、地球が終わらない限り、そいつらは生き続けるだろうな。今だけじゃなくこれからも、そいつらを尊敬する奴は現れる。今この瞬間にも、そういう奴は産まれているかも知れない。多重になっていくんだ」
「多重?」
どういうことかな?
「ある人物を尊敬する。そして、その人物を知っていけば、そいつが尊敬していた人物に行き当たる」
「ぁ……その人を尊敬したら」
「そいつはまた産まれる」
一度頷き、彼は答えた。
「多分、人が死ぬってのは、詰まる所誰もそいつを憶えていないってことだと思う。極端な話、俺に関する記憶を持つ人間からその記憶が全部消えたら、その瞬間俺は死ぬ……人の心臓ってのは、脳かも知れないな」
「それなら、玲兎くんは死なないね」
「ああ。悠歌も死なない」
「うん」
もし、記憶を失ってしまったなら、何が何でも引っ張りだそう。
もし、それが無理だったなら、また来栖玲兎をわたしに刻もう。
『忍野悠歌』から、『来栖玲兎』が消えない様に。
『来栖玲兎』から、『忍野悠歌』が消えてしまわない様に。
今は、なによりも大切なこの人が、決して死なない様に。
――ベッドの上で重ねた手は、確かな温もりを与えてくれた。