空色の病   作:ハードボイルドハリネズミ

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 初めまして。松原花音のヤンデレが見たくて書きました。


一日目 I

 たとえば己の人生が一つの本だったらどうだろう。

 

 綿密に練られた世界観、緻密に作られた登場人物、細密に張り巡らされた伏線。己が生命だと勘違いしている代物の、その全てが点と線によって書かれた一つの物語だとしたらどうだろう。

 

 運命などと騒ぎ立てる出逢いも、宿命などと喚き散らす離別も、それら全てが誰かにコントロールされている操り人形(マリオネット)の演劇に過ぎないとしたらどうだろう。

 

 遥かな上位存在が、人間という玩具を操って奏でるオペラだとしたらどうだろう。

 

 そんなこと、我慢できるか? 束縛された運命と独占された宿命を甘んじて受け入れることができるか?

 

 できようはずがないだろう。人は神を知らない故にその物語を知らない。故にその運命と宿命を人生として享受する。無知故の幸福を未知として受け入れる。

 

 ────しかし、人が人に束縛されるのなら話は別だろう。

 

 たとえばその鎖は恋という名の妄執。

 

 たとえばその枷は愛という名の狂気。

 

 それらが炎の如く燃え上がり、病の如く蝕むのなら、人は決して耐えれない。その拘束からの脱出を望み、あらゆる全てを振り払い、忘我してでも現状からの逃避を望むはずだ。

 

 〝彼〟もまたその一人。空色の恋に心を焦がし、しかしその空色の恐怖に怯え、それを忌避した逃亡者。

 

 ────その物語を、今、此処に語るとしよう。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 ────ここに来るのは二年ぶりだろうか。

 

 夏。七夕を目前に控え、星を彷彿とさせる笹飾りが街のあちこちに出現する季節。(うっす)らと揺らぐ風が軽い緑を叩き、さらさらと織姫と彦星の邂逅を祝う歌を寿(ことほ)ぐ。

 

 その中で、凡そ風流を祝うとは思えない表情で佇む男が一人。黒髪の端を風に揺らし、眼鏡の奥の双眸を酷暑への恨みに曇らせる、十代後半ほどの青年だ。

 

「……あつ」

 

 額を伝う汗を拭い、そう呟く。七月の始め、まだ夏本番だと呼ぶには一月(ひとつき)ほど早いというにも関わらず、その日の最高気温は三十を記録していた。

 

 場所はとある駅前。スーツケースを(かたわ)らに置き、誰かを待っているかのように男は腕時計を見ていた。その動作を何度も繰り返し、「遅いな」と数回呟いたところで、腕時計から目を離し、空を見上げた。

 

 それはどこまでも広がる紺碧の空だった。雲一つない快晴。澄み渡る鮮やかなスカイブルーに、彼は顔を顰める。

 

 空色は、あまり好きではなかった。その色を目にする度に、彼の頭に()()()()()がちらつく。快晴の空を見る度に思い出す姿と声。その何度目になるかもわからないフラッシュバックを強引に()じ伏せ、彼は再び腕時計に目を落とした。

 

 針は十四時を半分ほど回った辺りを指し示していた。待ち人来ず、などと現状を皮肉って薄く笑い、大して面白くもないなと自嘲する。

 

 現に彼は今待たされていた。当初の待ち合わせの予定時刻は十四時。それを三十分オーバーし、さらにはこの炎天下の中で待たせるなどどうなのかと訴えたい。涼むために近くのコンビニに入った回数は既に五回を超えている。そろそろ店員の派手な少女から向けられる「何やってるんだろうあの人」と言いたげな視線が痛くなってきたところだ。

 

 シャツの裾をはためかせ、内側に風を送る。一刻も早くシャワーでも浴びたい気分だった。

 

「遅いな」

 

 不思議に思った。彼が待つ人物は、性格的に誰かを待たせることを良しとしない人間だ。常に行動目標の優先順位に他者を置き、その為の努力と労力を惜しまないような人物。少々言動が妙なことに目を伏せれば、その有りようは完璧とさえ言える。

 

 そろそろ電話の一本でも入れようかと思い、スマートフォンを取り出す。登録されている電話番号に指を這わせ、あとは通話ボタンを押すだけといったところで、メッセージアプリの着信音が軽快に鳴り響いた。

 

 そこに表示されていたのは、『今駅前に着いた』という文字。漸くこの長い待ちぼうけに終止符が打たれることに彼は歓喜し、その待ち人の姿を探した。

 

 幸運にも、それはすぐに見つかった。紫紺を日光に煌めかせ、まるで物語の中から飛び出してきたかのようなその容貌は、仮にどれだけ距離が離れていようとも見間違えることはない。

 

「随分な重役出勤だね、()

 

 そこにいたのは、彼の()()である瀬田薫だった。

 

 開口一番皮肉を飛ばされた薫は、気障(きざ)ったらしく〝王子様〟のオーラを振り撒きながら彼に近づき、

 

「ああ、すまない由也(よしや)。だが怒らないで聞いてほしい。さっきまでとある子猫ちゃんの相手をしていてね。こちらに向かうのが遅れてしまったんだ」

 

 ああ、儚い……。

 

 言葉の最後にそんな形容詞を付け加え、薫は告げた。〝由也〟と呼ばれた彼はその様に溜息を吐き、頭を抱える。

 

「二年前から変わってないようで何よりだよ、薫。王子様キャラは相変わらずだ」

「そういう君こそ、引っ越して環境が変わっても、皮肉屋は相変わらずのようだね」

 

 互いに軽口を叩き合う。数秒の沈黙の後、どちらともなく吹き出すように笑った。

 

 本当に、変わっていない。背丈が伸び、多少容姿が大人びようと、その根底にあるものは二年前と何も(たが)わぬということを、二人はこの場で再認識した。

 

「行こうか、由也。千聖も再会を楽しみにしている」

 

 そう言って、薫は彼の前に立って歩き出す。彼にとっては二年ぶりの街。かつての懐かしい顔触れに会うことを心待ちにして、薫の後へ続いた。

 

 だがしかし、彼はまだ気づかない。柊木(ひいらぎ)由也(よしや)、十七歳。その運命の歯車は、既に()()()()の介入を許してしまっていることに。

 

 あの日の紺碧の空色は、もうすぐそこに────。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 柊木由也は、かつてこの街に住んでいたことがある。

 

 生まれたのはまた違う都市だが、転勤族の父の都合で、幼少の時分から頻繁に転校を繰り返してきた。小学校五年生から中学校二年生までの間、彼はその度重なる転居の内の一つとしてこの街にいた時期があったのだ。

 

 幸いにして、転校先の学校には彼の従妹──母親同士が姉妹──であった瀬田薫がいた。偶然にも互いの家自体それほど離れておらず、勝手のわからない街であっても彼が困ることは少なかった。

 

 しかし、中学二年生の終わり、またもや父の転勤により彼は別の都市へ引っ越すこととなった。もう何度も繰り返してきたことであり、大した悲しみというものもなかったが、それでも少しばかり()()()()()があったのも事実だ。

 

 そんな彼が二年ぶりにこの街を来訪したのには当然理由がある。

 

 遠縁の親戚が亡くなった。父方の縁者で、家の中ではそれなりに大きな発言権を持つような老人だったらしい。両親は通夜に呼ばれたが、会ったこともなく、まだ学生の身分である由也は行かなくてもいいとのことだった。

 

 両親が家にいない期間は五日間。その間の由也の生活の面倒を見てもらうため、母が瀬田家に預かってもらえるよう頼んだのだ。

 

 学校は、ちょうど期末テスト終了直後ということで、俗に言う〝テスト休み〟と呼ばれる期間に突入していた。次の登校日までも時間があり、態々自宅に拘る理由というものも無くなっていたのだ。

 

 由也としては、もう高校生なのだし一人でもその程度なんとかなると思っていたのだが、そこは親心というものだろう。どれだけ歳を重ねようと子供は子供だ。心配なことには変わりない。

 

 そのような事情で、彼は二年ぶりにこの街の土を踏んだ。別に記憶が風化するほど長い年月が経ったわけでもなく、僅かな懐かしさは覚えたものの、かつて見た街並みと全く変わっていないというその事実が、彼の少しばかりの郷愁を洗い流す。

 

「なんだ、二年前と全部一緒なんだ。これだったら迎えに来てもらわなくてもよかったじゃないか」

「まあそう言わないでくれ。それとも、(友人)と久し振りに街を歩くのは嫌いかな?」

「いや、嫌いじゃない」

 

 スーツケースを後ろ手に転がし、由也はそう返した。

 

 薫を待っていたのは一抹の不安の解消の為だ。もしかしたら街並みがガラッと変わっている、という可能性もあった。薫の家に辿り着くのにも、二年前の記憶と現在の街の姿が符合しないイフを考慮し、由也は万全を期したのだ。

 

 その結果、不必要な酷暑に苛まれる羽目になった、と彼は思うが、それはもう過ぎた話だと、喉元まで出かかった言葉を吞み下す。

 

 そういえば。由也はふと心に飛来した疑問を薫に投げた。

 

「なあ薫。お前、さっき『子猫ちゃんの相手をしてて遅れた』やら何やら言ってたけど、何してたんだ? えーっと、あれか? 演劇部?」

「いいや違うよ。部の活動は今日は休みさ。……ああ、君には言ってなかったね」

 

 薫は伝え忘れていたことに漸く思い至ったように顎に手を当てた。何か重要な伝達事項でもあるのかと由也は身構えたが、薫から飛び出した言葉は、そういったものとは全く違ったものだった。

 

「最近バンド活動というものを始めたんだ。さっきまではその練習をしていてね」

「……バンド?」

 

 意外なカミングアウトだった。意外過ぎて思わず聞き返してしまうほどには。

 

 確かに薫は昔から器用ではあった。演じようと思えばどんな役柄でもこなせるその器用さは、近くで見ていた由也自身がよく知っている。しかしとうとうそれが演劇以外の分野にまで進出したのかと、彼は己の従妹の技術の幅広さに畏敬すら抱いた。

 

「〝ハロー、ハッピーワールド!〟と言ってね。儚い場所さ……ああ儚い……」

 

 その畏敬も、薫の言葉で何処かへ吹き飛んだ。こいつは果たして〝儚い〟の意味をちゃんと知っているのだろうかと思ったが、それはもう散々他の誰かがツッコンでいるのだろうと、彼は薫の日常を邪推する。

 

 しかし、それと同時に感じたこともあった。

 

「楽しそうだな」

「ああ。シェイクスピアのこう言っている。『運命とは、最もふさわしい場所へと、貴方の魂を運ぶのだ』と……」

「おお、お前がシェイクスピアの言葉を正しいっぽい意味で使ってるの、初めて聞いた」

 

 再びの軽口と、笑顔。楽しそうに生きる奴だとは思っていたが、今は二年前にも増して楽しそうだと由也は感じた。

 

 薫もそれを肯定する。事実、その通りなのだ。楽しんでいると胸を張って言えよう。

 

 瀬田家へ向かい歩を進める最中(さなか)、「あっ」と薫が何かに気づいたかのように声を上げた。

 

「どうした?」

「買わなければならないものがあったのを思い出したよ。今日は君の為に我が家でパーティーでもしたいと思っていてね。飲み物をまだ用意していなかった。済まないが、先に向かっていてくれないか。君の分は……」

「……オレンジジュース」

「甘党も変わっていないようで何よりだ。ああ、それと鍵を渡しておこう。着いたら好きに(くつろ)いでいてくれ」

 

 確認するように告げ、薫は近くのコンビニへと向かった。由也は変わらぬ街並みに惑うことなく瀬田家へと歩みを進める。

 

 地面からの輻射熱(ふくしゃねつ)が鬱陶しい。二日後に七夕を控えているというのに、織姫と彦星(引き裂かれた恋人)の一年に一度の逢瀬がこのような熱帯夜では報われない。

 

 ────ふと、〝恋人〟という単語が、とある記憶を呼び起こす。

 

 かつての空色。二年前にこの街にいた時に別れた()()()の記憶。それは、出来れば思い出したくもない病のような記憶だった。

 

 もう終わったことだと、由也は頭を横に振った。その離別に何か特別な事情は絡んでいなかった。ただ、中学生の若き日の思い出が、やむを得ない力──彼の場合は親の転勤──によって引き裂かれただけの話だ。その時交際していた少女とは少しばかり()()()()()()()()()()けれど、それは既に断絶した関係性に過ぎない。よって、もう回想することなど何もないはずなのだ。

 

 脳内にへばりついた記憶を振り払い、意識を現実に引き戻そうとした────次の瞬間。

 

「うわっ────」

「きゃっ────」

 

 曲がり角の先から飛来した衝撃が、不意に由也に衝突した。控えめな悲鳴。由也はスーツケースを支えにしていた為倒れずに済んだが、ぶつかってきた方からは地面に人体がぶつかる小さな音が聞こえた。怪我などしていないかと心配した由也は急いで駆け寄る。

 

「ご、ごめん、だいじょ────」

 

 大丈夫、と続く声は出なかった。由也は自らの視線の先にいる少女を────その()()()()()を見つめ、声帯が振動をやめるほどの驚愕に見舞われたからだ。

 

 小さな体躯だった。触れれば折れてしまいそうな細腕も、気弱そうな表情も、何もかもが()()()()()()()と重なる。

 

 見覚えがあった。忘れるはずもない。先程までの回想の中、甘い恋人という関係に酔い痴れていたのは、間違いなく己とこの空色に他ならないのだから。

 

「すみません、少し()()()をしていて急いでて……」

 

 少女は大きな瞳で由也を見つめ、そう言った。恐らくは弁明のつもりだろう。

 

 しかし由也にそれを大人しく聞くだけの余裕はなかった。

 

「怪我はないみたいだね。じゃあ俺はこれで……」

 

 少女の手を掴んで地面から起こし、謝罪すら忘れて逃げるように踵を返した。人道的に褒められた行為ではなくとも、由也はこの行動こそが最善だと信じていた。

 

 有り得ない、一体どんな偶然だ。その思いが脳内を駆け巡る。

 

 どうして、どうして、どうして。考慮すらしなかったイフに、酷暑すら忘れて鳥肌が立つ。

 

 ────なんでこんなところにいる、()()

 

 あの日の空色は、すぐそこに。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 少女────松原花音は笑う。その幼さの混じった美貌を喜悦に染め、熱の籠もった吐息を空気に残留させるように吐き出す。

 

 ()()()()()()()。彼女の心を支配する無窮の歓喜。かつて悲劇的にも引き裂かれた恋人は、七夕を目前にして再び逢瀬を果たしたのだ。織姫と彦星にも負けない究極のラブロマンスだと、花音はこの邂逅をそう信じていた。

 

 二年前、二人は誰よりも愛し合っていたのに。〝仕事の都合〟なんていう無粋な輩が邪魔をした。

 

 きっと彼も別れたくなんてなかったはず。願わくばもう一度────否、一度と言わず何度でも、甘い愛を囁きたかったはず。美しいかつての思い出の中でしか聞けなかった言葉を、花音は何度も繰り返す。

 

 好きだ。誰よりも。愛している。ああきっと、彼もそう言ってくれるよね。だって、私達は誰よりも強い()で結ばれているんだから。

 

 だから、帰ってきてくれたんだよね?

 

「ああ、やっぱり変わってないなあ、彼。眼鏡かけるようになったんだ。髪型もちょっと弄ったのかな。でもすぐにわかっちゃった。だって、すっごく優しいんだもん。ぶつかった私のこと、〝大丈夫?〟って心配してくれたもんね」

 

 花音は笑う。その瞳は、どこまでも深い深淵のように、(くら)く、(くら)く、(くら)く、立ち去ってしまった彼の背中を思い起こしていた。

 

「えへへ、また会えて嬉しいなあ。これもきっと、愛の力……だよね」

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