『修練場』での訓練は、無事に終わった。こちらの指示の精度はともかくとして、闇吉備津は神筆の指示に忠実に動いてくれている。キャストとしては当然の事とはいえ、なんとなく嬉しいものだ。
その嬉しさが手伝ったのだろうか。図書館に戻ろうとする闇吉備津を呼び止めて、こうして『白雪の森』のマップを二人で散歩している。とはいえ、闇吉備津は黙りこくったまま、喋ろうとしない。二人の間の会話は、あなたが『マップを見て回りたいから、護衛をお願いしたい』みたいな建前を並べて以来、完全に途絶えている。
『白雪の森』は名前の通り、辺り一面を深い雪で覆われている。積もっている雪は常に新雪、真っ白で柔らかく、踏む度にさくさくと軽い音が鳴った。歩いて足跡をつけても、数歩進んで振り返ってみると、そこには足跡一つない完璧な雪景色が広がっている。なんともメルヘンだ。
訓練をしている時も思ったが、闇吉備津はこのマップによく似合う。瞳以外の一切が寒色なので、雪の中に立たせても色彩が全く喧嘩をしない。そればかりか、すっかり溶け込んでしまう。
……見ていて寒そうなことだけが、唯一の欠点だろうか。刀を振る際の邪魔になるのだろうが、そこまで思い切るならいっそ、着物の袖を片方引き千切ってはどうだろう。
そんな馬鹿げた事を考えていた為だろうか。
「――待て。その道を行くのは、危険だ」
足を止めるのが、一歩だけ遅かった。言葉を聞いて、振り返ったその瞬間。体ごと振り返る為に、一歩だけ前に足を踏み込んでしまった、その瞬間。
ずるっ、と足元が滑った。例えるなら、うっかり沼に足を踏み入れてしまったような具合だ。足を踏み外した時の嫌な感覚の後、体が大きく傾く。
闇吉備津が跳び出すのが見えたが、彼の腕がこちらに伸びるよりも、自分が倒れていく速度の方が早かった。何か深い穴に、落ちていく――。
*
どれだけ時間が経っただろうか。一秒か、一分か。
ともあれ、あなたが気を取り直した時には、そこは暗い穴の底だった。遠く、頭上には丸い穴がぽっかりと空いていて、そこから外の光が漏れ込んでいる。結構な深さの穴のようだ。
あなたは疑問に思っただろう。こんな深い穴を落ちて、どうして自分は無事なのか? 擦り傷どころか、打撲の鈍痛さえない。
「そろそろ退くが良い」
下から声がして、あなたはそこでようやく、自分が闇吉備津を下敷きにしてしまっていることに気付いた。
いや――もしかして、闇吉備津が自分を守る為に、敢えて下敷きになってくれたのだろうか?
ともあれ、あなたは慌てて闇吉備津の上から退いた。闇吉備津は立ち上がって軽く砂埃を払うと、頭上を見上げ、次には穴の壁に寄って籠手で引っ掻いたりしていた。恐らく、上に登る方法を模索しているのだろう。
何か、声を掛けなければ。
選択肢【助けてくれた闇吉備津に、何を言おう。】
①偶然か意図してかは分からないが、自分を助けてくれたのだ。感謝の言葉を投げかけた。
②そうだ。彼は穴に落ちた挙句、自分の下敷きになったのだ。怪我などしていないか、慌てて問いかける。
③……掛けなれば、とは思ったのだが。急な展開に、声が出てくれない。
【②感謝の気持ちも当然あったが、自分より何より彼のことが気にかかった。】
何か、声を掛けなければ。【そうだ。彼は穴に落ちた挙句、自分の下敷きになったのだ。怪我などしていないか、慌てて問いかける。】
声に振り返った闇吉備津は、いかにも不機嫌そうであった。
「受け身も碌に取れない奴が、他所の心配をしてどうする」
正論ではある。けれども、結果的に今回自分は無事であったのだから、次に誰かの心配をするのは当然である――なんて、屁理屈をこねてみる。闇吉備津はますます眉間の皺を深くさせたが、それでも最後まで話を聞いてくれていた。
法螺貝を吹いたような、低い溜め息。
「……我もまた、傷一つなく五体満足だ。何なら触診なりなんなり試してみるが良い」
では失礼して、と試しに右腕を手に取ってみる。隣で真顔が、「本当に触るとは思っていなかった」との感想を述べていた。
触れた腕は、恐ろしく冷たかった。まるで筋肉の型で作られた氷袋を撫でているようだ。滑らかな肌の感触も、中に詰まった筋肉の固い反発もあるのに、体温だけがない。病的に白い肌の色相応、いや、それ以上だ。
「分かっただろう。お前は生身で、我はキャストだ。心臓の鼓動すらない、今を生きておるのかも分からぬ影法師だ」
その一言と同時に、触れていた腕を軽く振り払われた。しっしっ、とでも言いたげである。
「我を人と同じように扱うな。それが互いの為でもある」
あなたが何かを言うよりも、闇吉備津があなたを抱え上げる方が早かった。突然腰のところに腕を回されたかと思えば、次には頭を後ろに、小脇に抱えられていたのだ。
すっかり面食らって、首根っこを掴まれた猫のようになっていると、背後からガッと、鉱石を割る時の音がした。
「この穴は、自然に出来た物ではないらしい。どうにも地面が溶けた跡のようだ……土や岩が溶けあって、すっかり硬質化している」
土が溶ける? 火山ならばまだしも、こんな雪原でそんなことが有り得るのだろうか?
あなたが疑問を口に出さずとも、闇吉備津は言いたいことを察したらしい。
「我にも何があったかは分からぬ。だが、今となっては好都合だ」
言うが早いが、体が上に上がっていく。ザクッ、ガガッ、と先程も聞いた音が鳴る。
少しして気付いたのだが、闇吉備津は穴の側面に手足を刺し込んで、これをピッケル代わりにして穴を登っているらしい。当然ながら、無茶苦茶な怪力がなければなせない技だ。重力に逆らいながら、ひたすら岩のように固い壁を割り続けなければならないのだから。
あなたの視界には遠のいていく穴の底と、闇吉備津の背中を覆う髪が見えているだろう。
闇吉備津が穴を登る度に、長い髪が暴れて、あなたの顔をぺしぺしと叩いてきた。ふわりと、土の匂いに混じって、図書館で偶然出会った時にも嗅いだ、あの独特な匂いがする。他でも嗅いだ覚えがある匂いな気もするが、どうにも思い出せない。
あなたは、闇吉備津に話しかけようとしたが、
「黙っていろ。舌を噛むぞ」
こう言われてしまったからには、もう大人しく抱えられているしかない。
そうこうしていれば、周りが明るくなってきた――。
*
「どうにか這い上がれたか」
闇吉備津は穴から出ると、早々にあなたを地面に下ろした。
あなたが改めて感謝を述べると、闇吉備津は「礼は不要だ」とそっぽを向いてしまう。
「お前が死ねば、我が存在が危うくなる。それだけの話だ」
ちらり。赤い目だけが、こちらを見た。
「……そも、我は道具なのだから、感謝の情を抱くのがまず間違いだな。省みられよ」
腕組み、身長差をフルに活用してこちらを見下してくる。なんとも高圧的な態度。先程よりも当たりが強い気がするのは、きっと気の所為ではないだろう。
もしや、接触があった分、距離を置こうとしているのだろうか? であれば、これは寧ろ、一歩踏み込むチャンスなのではないか? 可愛げのある言い方をすれば、これはようするに照れ隠しの類なのであろう。……彼の『他者を傷つけぬ為に、他者と関わらぬようにする』性質のことを思うと、あまりに失礼な表現かも分からないが。
ともあれ、あなたはここで、一つ話題を持ち出してみることにした。
選択肢【今まで気になっていたあの事を、聞いてみよう。】
①ここは、身近なところから攻めてみよう。時折嗅いだ、あの独特な匂いについて尋ねた。
②少し、踏み込んでみてもいいんじゃないか。そう思い、滅鬼刀のことを聞いてみる。
③こうなったからには思い切ってみよう。以前踏んだ地雷、お供の話題をここで出した。
④……やっぱり後が怖いから、何かを聞くのはやめておいた。
【①まずは雑談から始めよう。せめて、隣に居ても不快に思われない程度にはなりたい。】
ともあれ、あなたはここで、一つ話題を持ち出してみることにした。
【ここは、身近なところから攻めてみよう。時折嗅いだ、あの独特な匂いについて尋ねた。】
「匂い……?」
闇吉備津は怪訝な顔をしたが、自身の揉み上げを掬って、軽く匂いを嗅いだ。
「嗚呼」と納得した様子で言う。
「これは金木犀だ」
予想外の言葉に、あなたは鸚鵡返ししただろう。
「一部のマップに自生している。丁度、人の来ないような所に群生していて……思えばここの所、通い詰めている。それで匂いがついたのだろう。あれの芳香はきつい」
どのマップのどこにあるのかは、生憎と口を滑らせてくれなかった。とはいえ、成る程。今後闇吉備津を探す必要が出た時には、これを頼りにすればいいかもしれない。
なお、金木犀が好きなのかと尋ねると「これが花を愛でる手合いに見えるか」と真顔で返された。
長く吐くような、溜め息が漏れた。呆れたとばかりに、遠くに視線をやっている。
「全く。先程穴に落ちたばかりだと言うに、早々に雑談とは。能天気な奴だ」
その言葉の最後は、金属が鳴る音で〆られた。長い髪が揺れるシルエットだけが、辛うじて目で追えた。
闇吉備津は滅鬼刀を抜いて、こちらに向き直っていた。理解が追いつかない。何かが、彼の気に障ったのだろうか。だから、こんなに険しい表情をしているのか。
大振りの刃は、雪明かりを吸ってギラギラとテカっている。
「動くな」
鋭い言葉。鼓膜を麻痺させる低音と、獣じみた眼光。自分の二回りはある偉丈夫に刃を突きつけられているのもあり、体はすっかり硬直する。
――白色が、肉薄する。残像が見える。
あなたを押しのけると、闇吉備津はそのまま真後ろ目掛けて刃を振りかぶった。
「っ、」
僅かに呻く声、火花の鳴る音、爆ぜた眩い光。
慌てて振り返れば、闇吉備津が何かを真っ二つに切り捨てるその瞬間が見えた。地面に転がった三角錐は、斬られて尚、電気を纏ってバチバチとうるさくしていた。
辺りを見渡してみれば、遠く、木立の間に二つの目が光っているのが分かるだろう。巨大な雪だるまの形をしたヴィラン、フロスティがこちらをじっと見据えていたのである。
「先程の穴を作った張本人だろうな」
右腕に流れた電気の感覚を払うように、闇吉備津は刃を一振り。姿勢を低く構え、ヴィランとの距離を伺っている。
あなたに、一言。
「扉に向かって走れ。討伐は叶わずとも、時間は稼ぐ」
ヴィランの討伐は、回復の泉などの施設を整えた上で、四人がかりで行うことが推奨されている。相手は一撃でこちらを瀕死に出来る上、体力魔力共に有り余っているからだ。
一人で立ち向かうとなれば、敵の攻撃は集中する。逃げに徹したとしても、一度回避を見誤っただけで、致命傷まで追い込まれかねないのだ。余りにも無謀と言えた。ここは図書館の管轄内であるから、それこそ死ぬような傷を負ってもどうにかはなるだろうが、そういう問題ではないだろう。
あなたは、一瞬躊躇ったはずだ。闇吉備津と親交を深めたい一心で彼を呼び出し、また穴に落ちた時に咄嗟に彼の安否を心配するようなあなただからこそ、「はいそうですか」と引けなかったのだろう。
そして、気付いた。見上げた闇吉備津の横顔は、にわかに高揚している。
――好戦的な色。爛々と光る隻眼の赤。刀を握り締める腕は、力の入れ過ぎで筋肉が張り血管が浮かび上がっている。
人斬りが夜道で旅人を認めたのだと、そう説明されても納得出来る表情なのだ、これは。あなたは、初めて闇吉備津と出会ったあの瞬間、『燃える焔のような虹彩』だと感じた事を思い出していた。
この状態の闇吉備津を一人置いていくのは、危険なのではないか。ヴィランを相手にする時点で無謀なのに、彼はその性分から、さらに無茶をしてしまうのではないか。
選択肢【あなたが次に取った行動は?】
①とにかく、何もしないのは不味い。そう直感したあなたは、逃げるのも忘れ、咄嗟に闇吉備津へ声を掛けた。
②とはいえ、生身の自分では、邪魔にはなっても助けになれることはない。大人しく逃げることにした。
③そもそも腰が抜けてしまって、身動きが出来ない。
この状態の闇吉備津を一人置いていくのは、危険なのではないか。ヴィランを相手にする時点で無謀なのに、彼はその性分から、さらに無茶をしてしまうのではないか。
【とにかく、何もしないのは不味い。そう直感したあなたは、逃げるのも忘れ、咄嗟に闇吉備津へ声を掛けた。】
【①『闇吉備津っ!』】
もしかしたら『闇様』だとか、その手の仇名だったかもしれない。『待って』でも『おい!』でもいいだろう。とにかく、あなたは彼を呼んだのだ。
闇吉備津はハッと我に返った。眼を見開き振り返り、あなたを見る。赤色の虹彩と視線が絡まった、その時。
「――ッ」
燃えるような瞳の色が、途端に鎮火するのが分かっただろう。
気付けばあなたは、穴を登った時と同じように、腰に腕を回され、担ぎ上げられていた。
闇吉備津は「離脱する」と言うが早いか、脱兎が如く雪道を駆ける。人一人を担いでいるとは思えない速度だ。雪景色が、視界を高速で流れていく。ヴィランとの距離が、みるみる開いていく。
「此処が
低音が、すぐ真横で語りかける。
「貴様のようなのは、真っ先に死ぬ。持ち込んだ武具が優秀であった幸運を、噛み締める事だ」
時折邪魔な木を一閃斬り捨てながら、闇吉備津は真っ直ぐ走り続けた。後ろ、ヴィランから飛んでくる遠距離攻撃も、恐らく音で感知しているのだろうか、危なげなくかわしている。
……もしかして、自分の言葉は、お節介でしかなかったのだろうか。
背負われているのもあって、すっかり委縮している内に、森に茂る木々は薄れていく。
最後の一本を横切ると、扉が立っている以外、小石の一つすら落ちていない、まっ更な平地が現れた。マップには必ず一つは用意されている、緊急用の出入り口だ。
「瞬間移動が出来る魔法陣があるだろう」
闇吉備津とあなたが扉の正面に辿り着いた時には、ヴィランもまた、森から平地に足を踏み入れていた。
「この扉も、それと理屈は同じだ。移動には数秒かかる。その間に扉に衝撃が加われば、何が起こるか分からん」
闇吉備津はあなたを抱えたまま、扉を大きく開く。嫌な予感。
あなたが暴れようとする前に、首根っこを引っ掴まれると、問答無用に扉の中へ放りこまれた。
「殿は任された」
最後に見えたのは、一人ヴィランに立ち向かう、闇吉備津の後ろ姿だった――。