金木犀の香る中、白色が跳び跳ねている。
森の一角、開けて空き地のようになっている所を風が如く走り抜けると、最後にだんっと勢いつけて地面を蹴り、木の幹に対して直角に着地、自重に地面に落ちる前にもうひとっ跳びしてさらに上へ。挙動の度に、長い髪が生き物のように動き回る。重い甲冑と筋肉を物ともせず、空を駆けた人は、ついにその刃を抜いた。空中、踏ん張りの利かない中でも、腕の筋肉だけをフルに使い一閃美しく刃を振るう。巨大な刃は風に舞った小さな金木犀の花を、一個だけ捉えて、切り裂いた。
たんっ、と地面に着地をした闇吉備津は、滅鬼刀を何度か握り直して、感触を確かめているようだった。彼の背後では、風に吹かれた金木犀がぽとぽとと、自分の花を落としては風にくれてやっている。
「……振り抜きがまだ甘いな。危うく、標的に選んだ花以外も巻き込みかけた。次はさらに……」
この筋肉質な人の鍛錬と言うからには、てっきり筋力を維持する為のものかと思っていたのだが、意外とそうでもないようだ。
闇吉備津が曰く、
「刃は当たればいいという訳ではない。いかなる角度で入った刃であろうが、当然、そのまま斬り抜けてやろうという気概はあるが、平時からそれではただの獣だ。真に武人たるならば、振るう太刀筋の全ては意図したものであるべきだろう」
あなたはしばらく、闇吉備津の鍛錬を眺め続けた。素振りや腹筋といった一般的な物から、持ち込んだ的を仮想敵と踏んで動作を確認したり、巨大な岩を素手で殴り続ける事もしていた。
さらに言えば、あなたは痛感したに違いない。この闇吉備津は『戦闘を楽しんでいる』。訓練の最中であっても彼は妥協せず、その目は炎のように煌々としている。普段の寡黙で、冷めたように振る舞う姿と比べれば、この時の闇吉備津はあまりに生き生きとしていた。
「……お前には、花の匂いがどのように感じられているだろうか」
動き続けて数時間、ようやく彼の中で一区切りついたらしい。闇吉備津は傍らの樹の根元に腰掛けると、そんなことを切り出した。
「我には最早、感じ入るところは何もない。花が強く香っている事は分かる。だが、それだけだ。追手を撒いたり、血の匂いを誤魔化すのに使えそうだとは思うが、それ以外の事はよう分からん。これが健全な状態でないことは理解できているが、それでも、理解をする為の根本が失われていて、どうしようもない」
あなたはここで初めて、闇吉備津の本音を聞いた気がした。
自分の正面、胡坐を掻いて遠くを見る輪郭に、言いようのない哀愁を感じたのだ。
「戦でしか心を楽しませる事が出来ぬ以上、これは最早人ではない。戦う事でしか人と交われぬ以上、これに最早健常は望めない」
赤い隻眼が、あなたを見据えた。
これはきっと、彼なりの誠意なのだろう。あなたの心を理解したからこそ、闇吉備津はこうして改めて線引きをしようとしているのだ。
「お前が我を友と呼べど、我はそれに真摯に応えられるか、酷く怪しいのだ。分かってくれ」
選択肢【闇吉備津の言葉に、あなたは何を思っただろう。】
①本心から「戦いが好きなことは悪い事じゃない」と答える。
②納得はできないが「戦いが好きなことは悪い事じゃない」と慰める。
③語調を強めに「もっと平和な生き方も出来るはずだ」と窘める。
④闇吉備津へ近付いて「もっと平和な生き方も出来るはずだ」と説得する。
あなたは胡坐を組んだ闇吉備津につかつかと歩み寄った。赤い瞳に視線を向けられている中を、堂々と胸を張って、気負いも何もなしに進んでいく。
【口から着いた言葉の語調も、歩みと同様に迷いのないものだ。巨大な刀を持つ偉丈夫にかける物としては、畏れ知らずもいいところだった。】
「以前言ったであろうに」
赤色が細まる。喉を焼かれているような、不自然な低音が響く。
「『平和な生き方』だと? そも、貴様が我を呼び出した故はなんだ、我と共に戦場を駆ける意図は何か。闇の軍勢を討つ為であろう。その大目的を忘れて、我が意まで己の思い通りであれと命ずるのか」
その言葉への反証は完璧に出来た。
初めて話しかけた時、驚いたように目を見開いたこと。鍛錬の邪魔をしてしまった時、他のキャストが集まっている場所を教えようとしたこと。お供の話をして不機嫌にさせたにも関わらず、その後の呼び出しや散歩への同伴には真摯に応じてくれたこと。そうして何より、自分を二度に渡って助けてくれたこと。
こんな彼を、どうして武器と言えるのだろう。どうして心が無いと言えるのだろう。どうして――『戦うことでしか交われない』と、諦めることができるだろう。
彼はただ、自分の人間らしさを否定しようと躍起になっているだけだ。
「……お前は」
あなたの言葉を聞いて、闇吉備津が応えようとしたその時。突如として足元の地面が地響きに揺れた。ずしん、ずしん、と何か巨大な物が足踏みしているような揺れだ。
二人揃って咄嗟に震源の方を向いて――その比喩が比喩ではなかったことを知る。遠く木々の向こう、巨大な鬼のようなものが図書館に向かって歩いていくのが見えるのだ。恐らくは新手のヴィランであろう。
「指示があれば聞こう」
あなたのすぐ傍から、そんな言葉が上がった。同時、巨体があなたのすぐ傍らに立って、長い影が地面に伸びる。
「テイルマスターたるお前の方が、図書館の内情などには詳しかろう。それらを鑑みた上で、我に指示してみせるがよい。さすれば――」
滅鬼刀が振り抜かれる音。鞘のない刀身が、空気を切り裂き抜かれる音。
視線を上げれば、闇吉備津があなたの姿を見下ろしていた。けれどもそれは身長差から見下ろしているだけであって、決して見下してはいない。燃えるような虹彩は、ただただあなたを見つめていた。
「汝が戦友として、必ずその意を為してみせよう。振るわれる剣ではなく、背を預ける一人として駆けてみせよう」
あなたの手には自然、神筆が握られていた。それは彼の滅鬼刀に比べれば酷く小さく、紙すら斬ることは出来ないだろうが、それでも彼の手にある刀と、握った意図は変わらない。困難に立ち向かう為の、意思表示。
神筆が空をなぞる。筆先から伸びる光が闇吉備津に指示を、『あなたが見たい彼の物語(次の描写)』を、伝える。
「――是としよう。任せるが良い」
横顔が、遠くに浮かぶ影を前に獰猛に笑った。【③彼はここに来てようやく、あなたのことをテイルマスターだと認めたのだろう。】白髪の侍は、もう舞台に上がることを躊躇わなかった。
今、戦場に幕が上がる。あなたの隣、長髪が風に踊り、鎧が擦れて音を立てる。
ここから、あなたと彼の物語が始まるのだ。
*
「嗚呼、お前か。……今日は芋焼酎か、お前の趣味か?」
「勝手に袋を覗くな、と。別に一時間もせずに表に出るところだろうに」
「……我を驚かせたかった? こうして顔を遭わせた時点で、匂いから酒があることは分かっておったがね」
「そうしょぼくれた顔をしてくれるな。是が驚こうが驚くまいが、酒の味は変わらん」
「つまみは要らぬ」
「……」
「味や刺激が強い物が良い。あまり上等な舌は持っておらんだ」
「なんだ。途端、尾を振る犬のようになりおって……」
「……」
「全く、つくづく物好きな奴だよ。お前は」
*
Aルート【偽悪者の誉れ】
生存エンド【彼は笑う時、目元だけを綻ばせるのだと知った。】