翌日、司波達也は朝早くホテルをチェックアウトし、深雪、水波、和泉と共に再び九島邸を訪れる。荷物だけを先にホテルから奈良駅に送り、身軽になっての訪問だ。
身軽といえば、今日の深雪は珍しくパンツルックである。それも街遊びよりハイキングに向いている丈夫な生地の物で、上もブラウスでなく秋物のロングニット。ただ、だから地味になっているかというと、そんなことは全くない。
水波も深雪に合わせたのか、ニットのセーターに踝まであるパンツ姿だ。ただ水波の方はサイズに少々余裕があって、女らしさより少女っぽい可愛らしさが勝っていた。
そんな中、和泉は一人だけロングスカートにブラウスの上から薄手のジャケットだ。靴も機能性よりファッション性重視だ。歩き回ることには不向きに思える格好に、ホテルを出た直後、思わず達也は問うた。
「本当に、その服装でいいのか?」
「……私、そんなに歩くつもりないし」
伝統派の拠点となっている場所は社寺が多いようだ。そして、社寺といえば基本は山に存在する。嫌でも歩かざるをえないと思う。
「今回は観光だけして帰らない?」
「和泉は一体、何しに来たんだ?」
「九島と君の会合の結果を見届けるためだけど?」
「なら、和泉だけ先に帰るか?」
呆れた達也がそう提案するも、和泉は小さく首を振った。
「まだ大室屋に行ってない」
こいつ、本当に何しに来たんだ。叫びたい気持ちを達也は懸命に抑えた。
こうして朝の七時に大室屋が開いているわけもなく、仕方なしについてきた和泉と、深雪と水波を連れて、九島邸で達也は光宣と合流した。
「初めまして、和泉守様。九島家当主、九島真言の末子、第二高校一年、九島光宣です」
挨拶した光宣に対し、始め和泉は驚いたように目を見張った。しかし、すぐにその目は細められることになった。
「宮芝家当主、宮芝和泉守だ。今日はよろしく頼む」
そう言った和泉の目に妙な警戒の色が見えて、逆に達也は戸惑いを覚える。少なくとも、達也は今の時点で光宣を危険だとは考えていない。だからこそ、達也は和泉が光宣の何に警戒心を覚えたのかが気になった。が、今すぐ聞けることではない。
ひとまず九島家の用意したリムジンに乗り、最初の目的地である奈良盆地南西部の御所市にある「葛城古道」と呼ばれる散策路に入った。
葛城古道は観光であれば六、七時間ほどを掛けてのんびりと歩く散歩道だが、今回は時間的な余裕が無い。光宣はリムジンに散策路の出口で待っているよう指示して、立ち乗り式の電動ロボットスクーターを借りようと達也たちに提案した。
「じゃあ、私はリムジンで待っているよ」
ここでも和泉はまるきりやる気が感じられない様子だ。
「彼女は体調でも悪いのですか?」
リムジンから少し離れた所で光宣が達也に聞いてくる。
「俺も良く分からないんだが、そうであれば申告しているだろうから、気にしなくていいと思う」
達也としても今日の和泉がどうしてやる気に乏しいのか分からないのだ。和泉は周公瑾の捕縛にも意欲を燃やしていたし、伝統派も嫌っていたように思える。なのに、なぜ今日はこうまで意欲が低いのか、達也にも見当がつかない。
ともかくと気持ちを切り替えて臨んだ葛城古道の捜索は空振りに終わった。と言ってみ光宣も最初から可能性が低いと言っていたし、落胆はない。
葛城古道を出た後、光宣は達也たちを橿原神宮から石舞台古墳、天香具山へ案内した。正確にはその付近にある伝統派の拠点に連れていったのだが、捜索は空振りに終わりどれも単なる観光になってしまった。が、特に橿原神宮は和泉が喜んで見て回っており、機嫌も少し上向いた様子だったので、それだけは収穫だった。
時刻はいつしか午後三時を回っていた。五人は東大寺へと通じる道と春日大社に通じる道へ分岐する交差点でリムジンを降り、光宣の先導で春日山遊歩道へと歩き出した。
「かーごめ、かごめ……」
そして遊歩道に入って少し、唐突に和泉が歌い始める。その声を聴いてすぐ、達也は立ち止まって深雪に預けていた右腕を軽く揺すった。
深雪もすぐに達也の腕を放した。
「気づいたようだね、悪くない反応だよ、さ、砕けろ」
達也たちの反応を見ていた和泉が、言いながら遊歩道を強く踏みしめた。その瞬間、達也が感じていた結界が砕け散った。
「魔法の出力を最小限に絞って、ギリギリまでこちらに気づかせないようにしていた高位の結界術者によるものだと思ったのですが」
「九島の子倅、ただの高位の結界術者が、いかに二日酔いだといえ、私を誤魔化せるはずがなかろう」
「二日酔い?」
思わぬ言葉に問い返すと、和泉は気まずそうに目を逸らした。
「文句なら三輪の酒など出した九島に言ってくれ」
「出したのは老師でも飲んだのは和泉だろう」
未成年飲酒も悪いが、それで仕事に影響が出るなど最悪だ。
「本調子じゃないんだ。静かにしていてくれないか」
和泉がそう言っている間にも木々の間で気配がザワリと揺れ始める。
「水波!」
「はいっ!」
達也に命じられた水波が障壁を構築するのと同時。その表面に銀光がはじけた。
防御壁の外に跳ね返った銀光の正体は太い針、あるいは極小の矢だった。
その飛来した方向に達也は部分分解の魔法を放つ。立て続けに悲鳴が上がり、二人の男が木陰から転がり出てきた。分解の魔法は和泉にあまり知られたくないものだが、達也が敵を即座に倒せる魔法は限られている。すでに扉を破壊する場面を見られているのだから、このくらいは許容範囲のはずだ。
その間に光宣は達也が迎撃している方向とは反対側に歩いていた。無防備に見える光宣に向かって激しい攻撃が集中する。
しかし、その全ての魔法が当たらない。風や火や音を発生させる魔法は光宣を貫いて何のダメージも残さず霧散し、直接外傷・内傷を与える魔法は作用対象不在によりことごとく破綻している。
「幻影、ですか? 信じられない……」
「パレード。忍術の要素を取り入れた九島家の秘術よ」
水波の呟きに対して解説する深雪の声には、称賛を超えた戦慄が宿っている。
「それにしてもすごいわ……あの精度、リーナより上じゃない」
「別に日本を離れた九島の傍流より優れていたとしても、自慢にはならぬだろう?」
深雪の言葉にそう返してきたことで、和泉はリーナがアンジー・シリウスであることに気づいていなかったことが分かった。達也の素早い目配せに深雪と水波が頷く。和泉が知らない情報を達也たちが知っていたとなれば、かえって警戒心を煽るだけだ。
その間に光宣は放出系魔法「スパーク」を放って達也たちを包囲する魔法師の半数の無力化を成功させていた。光宣の魔法のスピードは控え目に見積もっても第一高校元生徒会会長・七草真由美に匹敵するものだ。そして、その魔法の威力は魔法師が無意識に展開する情報強化の防壁を易々と突破して敵に直接、魔法を作用させられるものだった。
光宣の幻影が指差す先で、次々と人が倒れていく。
敵の攻撃は光宣の実態を捉えられない。
敵も格の違いともいうべき力量をようやく覚ったのか。一人の魔法師が隠れていた物陰から姿を見せた。
呪符を構えているから投降ではないだろう。姿をわざわざ見せた以上は逃亡でもないだろう。一か八か、いや、破れかぶれの攻撃に打って出る構えだった。
光宣の魔法が、呪符を構えた術者を倒す。
それとほぼ同時、光宣の、というより深雪のほぼ真横の茂みから、小さな影が走り出た。
魔法師ではない。人間よりずっと小さく、遥かに俊敏な四つ足の獣。
「管狐!?」
光宣が驚愕の声をあげる。
「深雪さま!」
水波は自分を主の盾とすべく、深雪に覆い被さろうとしていた。
「伏せ!」
そして和泉は管狐に対して厳かに命じていた。その瞬間、狐はさながら犬のように、長い胴体を地面につけて伏せの姿勢になっていた。
「管狐を……支配したのですか?」
「下位の術者の使役していたものだ。驚くべきことではない」
和泉はそう言っていたが、光宣の驚きようを見る限り、十分に驚くべきことなのだろう。本当に、宮芝は古式の魔法に関しては規格外だ。
その後は、どこからともなく現れた宮芝の手勢が倒した魔法師たちを運び出した。けれど、さすがに捜索は打ち切ることになり、和泉が訪問を熱望していた大室屋に寄り、光宣から案内された老舗ホテルの温泉で戦闘の疲れを取り、東京へと戻ることになった。