周が呼び出した影獣が森崎に刻一刻と迫ってくる。対する森崎はCADを敵に向けるだけの時間がない。だが、それが何だというのだ。森崎は左に向けたままのCADの引き金の上の指をもう一度、動かす。
その瞬間、森崎の足元の水が盛り上がり、鋭い槍状になって正面の影獣を貫いた。影獣が形を失い、水面に落ちて消えていく。
森崎が行ったのはCADの方向と無関係な場所での魔法の発動。早さを極めるために森崎が習得したドロウレスと原理は一緒だ。本来なら攻撃に転じるときのための隠し玉のつもりであったが、仕方ない。
両手のCADを周に向け、影獣の迎撃にはCADを向けない魔法発動によって行うようにする。攻撃は最大の防御とも言う。特に魔法の発動が早い反面、防御に必要な干渉力は高くない森崎にとって、敵を攻撃に専念させないことは苦手な大威力の魔法を牽制するために大事なことだ。
森崎が時間稼ぎをしていることには、周も気づいているようだ。森崎の牽制で手傷を負うことを厭わず、手持ちの令牌を全て使い尽くす勢いで猛攻を仕掛けてくる。けれど、簡単にやられはしない。
宮芝家の教えを受けるようになってから、森崎はこれまでに何度も模擬戦を行ってきた。そして、何十回、何百回と負けた。これ以上、負け方は知らないというほど負けた。
何十、何百という負けの経験を重ねながら、森崎は遅滞戦闘の訓練を積んできた。負けるのは仕方がない。けれど、どうすれば殺されるまでに最大の時間を消費させることができるのか、それを徹底的に叩きこまれた。
森崎の負けとは、期待された時間を消費させることなく敗れることだ。そして、今の森崎は宮芝の精鋭術士を相手にしても、ほとんど負けることはなくなってきている。幾度もの敗北の経験をしたからこそ、本番では負けてやらない。
使いきって捨てたと見せかけた令牌から追加の影獣を呼び出す方法も、耐久の高い敵を潜ませておいて反撃に耐えて追撃を行う方法も、こっそりと地面に令牌を埋めておいて上を通るのを待つ方法も。その奇襲も、その奇襲も、その奇襲もかつて負けた経験があるもの。だから、引っかかってはやらない。
決め手のないことに焦れたか、周が切り札ともいえる鬼門遁甲を発動させた。それを知ることができたのは、森崎の右手首のリストバンドに仕込まれた御守りのおかげだ。
ちりん、ちりんと音が響き、リストバンドから転がり出た子鈴が右斜め前方を指し示す。対鬼門遁甲用の対抗魔法、導きの鈴。鈴の音に導かれて、虚空に飛んだ水槍が方向を変え、周の右足を貫く。
「くうっ」
苦悶の声を漏らしながらも、周は化成体を呼び出して反撃に出る。が、それは出現すると同時に、どろりと溶けて形を失った。
「解呪!? 馬鹿な!」
周が驚きの声をあげる。
「予想時間より早く完成させるとは。さすがですね」
森崎が待っていたもの。それが松下隠岐守を中心とした結界術士たちによる、化成体の出現を封じる領域魔法の完成だ。
「よく覚えておくがいい。宮芝が仕掛けるときは、必勝を確信したとき」
森崎が言うのと同時に、水が、雷が、短刀が周に向かって襲い掛かる。これまで結界術士たちの護衛に回っていた郷田飛騨たちによるものだ。
「宮芝家、予想以上ということですね」
不意に周が白いハンカチをふわりと投じた。白いハンカチは一瞬だけ周の姿を覆い隠し、しかし、そのまま水面に落ちた。
「なぜ私の遁甲術が通用しない!?」
周が理解不能というように叫ぶ。それに対して森崎をはじめとした宮芝の魔法師たちは笑みを浮かべるでもなく、淡々と攻撃を繰り返していく。
それを見た周が取り出したのは、今度は黒いハンカチだった。目の前に大きく広げられたハンカチはまたも一瞬だけ周の姿を覆い隠し、地面に落ちた。今度は前回と違い、ハンカチが落ちたときには周の姿が消えていた。しかし、森崎に焦りの気持ちはない。
「ぐっ!」
少し後に苦悶の声が聞こえ、周の姿が少し下流に現れる。
「影封じの結界。なるほど貴方がたは彼との戦闘の時間を利用して私に対抗するための結界の準備を事前に整えていた。そうですね」
影での逃走を封じられた周は、今度は身体強化での強引な逃走を試みていた。その速度は時速四十キロから五十キロに達するほどに見えた。しかし、その逃走も進み始めて間もないうちに壁に当たったかのように跳ね返された。
「三重、いや、四重……五重の結界!? どれだけの人数をつぎ込んだ!」
「それだけは最後に教えてやろう」
まさか森崎から返答があるとは思わなかったのだろう。周が驚きに目を見張っていた。
「八十名だ!」
呆れたような笑みを浮かべた周公瑾に魔法攻撃が殺到する。攻撃を受けて体勢を崩したところを狙い畳みかける。何度も地面を転がり、水飛沫をあげる。それでも、周は倒れない。何がそこまでさせるのか、どれほど傷を負おうとも周は諦めない。懸命に生き延びる術を探して戦い続ける。その様は、どこか宮芝の術士にも似て見えた。
しかし、このままでは拙いことになる。すでに宮芝は攻勢に出ている。ここで仕留められないと、今度は高度な術を維持している結界術士たちの方が息切れする。
「小官が仕留めます!」
宣言を行うと同時に、これまで使用していた射撃戦用のCADを捨て、近接戦用のCADを取り出した。
森崎が手にしているのは、これまで使用していたものと同じ拳銃型の特化型CAD。だが、こちらは銃口に相当する位置の上部に小型の装置が取り付けられており、そこから極細の長さ二メートルほどのワイヤーが伸びている。
振り下ろされた右手のCADから伸びたワイヤーが周の頬を打とうとする。それを周は大きく後方に飛びのいて躱した。
「今度は剣術ですか。多彩ですね!」
忌々しそうに周が言った通り、森崎のワイヤーは剣術の圧斬りが使われている。触れれば身体を二つに裂くほどの威力だ。受けられるものではない。
両手のCADから伸びたワイヤーを自在に振るい、森崎は周に迫る。周囲の郷田飛騨たちからも周の退路を制限するように魔法の援護射撃が行われている。
「雷走波」
そしてついに、一人の術者の放った術が周の脚を止めた。それを見た郷田飛騨が周の後方に古式魔法、火燕閃を放って後退を制限する。
絶好機に森崎が地を蹴った。疾風のごとく周に迫り、まずは左手のCADを振り下ろすが、周はそれを半身になって躱す。続いて放たれた右手のCADでの足元へと薙ぎも、腰ほどまでも跳んで躱してきた。長いワイヤーが災いして、今の特化型CADでは、森崎は至近距離での素早い攻撃ができない。
ならば、余計なCADなど捨ててしまえばいい。宮芝に弟子入りしてから鍛錬を欠かさなかった森崎の魔法に並ぶもう一つの武器は左腰にある。
振り下ろした体勢のまま握る左手の力を弱めれば、CADはするりと滑り落ちた。その手を僅かに左に動かせば、そこには愛刀の柄がある。その柄を逆手のまま握り、身体の捻りも利用して左手一本で引き抜くと同時に、掌で反転させる。
いかに発動を早くするために工夫しようとも、魔法を使うには僅かの時間は必要になる。ならば、魔法以外の手段を併用すればいい。そして、歴史の長い宮芝は、その方法を受け継いでいた。それが、魔法ではない純粋な剣技、宮芝流剣術の逆月。
森崎が放った一撃は左脇下から肋骨を砕き、心臓に傷をつけた。周が血を吐きながら、右膝を川面に浸す。そのときには、森崎はすでに後方へと跳躍をしている。
殺到する火、水、風、岩、雷、短刀、矢。すでに回避する力を失っていた周は嵐のような攻撃を全身に受けた。衣服の切れ端が、肉片が、鮮血が京の夜に散る。嵐のような猛攻が収まったときには、周の身体は川底にあった。
これで周公瑾の暗殺は成った。残るは後始末のみ。
「さて、名倉三郎殿。話を聞かせていただいてもよろしいかな?」
郷田飛騨が戦場から遠ざけていた名倉を呼んで尋ねる。
「もはや私は七草家には帰れぬということですかな?」
「話を聞かせていただいた後は自由にしていただいて結構。しかし、それは貴方にとっても望ましいことなのですか?」
名倉と周の関係は宮芝に知られてしまっている。その状態で七草に帰ったところで、果たして身の安全は保障されるのか。
「どうやら我々の完敗のようですな。私の身柄、お任せします」
名倉は礼儀正しく、執事の礼をもって郷田に応えていた。
周公瑾、古都内乱編の半ばで倒れる。
というわけで、古都編はまだ続きます。