西暦二〇九六年十月十五日、放課後。今年の論文コンペを二週間後に控えた第一高校の校舎内の其処彼処に、準備作業による喧騒とは趣を異にする密かなざわめきが生じていた。
話題になっているのは突然の来訪者。二、三年生にはお馴染みの、一年生でも知らぬ者はごくわずかという有名人、七草真由美だ。
来賓用の応接室でその真由美の相手をしているのは二人。一人は司波達也。そして、もう一人が宮芝和泉守治夏だった。
「ごめんなさいね、達也くん。一高に来るのが一番無難だと思ったものだから……」
「いえ、気にしないでください」
「おや、私に対しては何もないのですか?」
「ただの勘だけど、宮芝さんは、当事者側の気がするからね」
おどけて言ってみせた治夏に対し、真由美の反応はなかなかに手厳しい。
「達也くんは、名倉さんのことを覚えてくれているかしら」
そう言って真由美が切り出したのは、自身のボディガードを務めていた名倉三郎という魔法師が行方不明になっているということだった。そして、治夏はその魔法師の名に聞き覚えがあった。先日、周公瑾を抹殺した際に拉致した七草の魔法師だ。
「それで、先輩はどうしたいんですか?」
「真相を、知りたいの」
生きているのか、それともどこかで殺されているのか。何も分かっていないはずなのに、父の弘一は名倉のことをさっさと切り捨てようとしている。
「私のボティガードが、七草家の命令で苦境に陥った。死ねと命じたわけじゃないのは分かっているけど、そうなる可能性も高い仕事を命じたのだから結果的には同じよ。私はそこから目をそむけたくないの。七草家の一員として、せめて事の真相は知っておきたい」
「先輩のお気持ちは分かりました。しかし、俺に何を? 名倉さんを見つけろと言われても、俺には探偵のノウハウもなければ捜査に協力してくれる人員の伝手もありません。残念ながら、お役に立てないと思います」
「宮芝さんは?」
「七草の仕事についての心当たりだ。私よりも元会長殿の方が詳しいのではないか?」
白々しくも答えると、真由美は少し考えた後、口を開いた。
「犯人はおそらく、横浜の件の関係者よ!」
「横浜の件と仰いますと?」
「去年の横浜事変の関係者。ここ最近、名倉さんは中華街を探っていたみたいなの」
「よくそんなことが分かりましたね」
「あの人、ボディーガード以外の仕事で私の側を離れる時は、その仕事が終わった後にお土産をくれるのが習慣だったのよ。最近は中華街のお土産が多かったわ。私のことを小さな女の子と勘違いしているのかな、と思っていたけど……名倉さんは自分が何をやっていたのかヒントを残していたんじゃないかなって、今はそんな気がする」
名倉はなかなかに良い対応をしていたようだ。この分なら、真由美は京都に向かう。そこには護衛が必要だ。
「達也、元会長殿には世話になった。それに京都が不穏な状態とあらば我々の安全のためにも状況は確認しておかねばならないのではないか?」
「京都の治安維持は高校生の仕事ではないと思うぞ」
「確かにな。だが、我らには力がある。力がある者として、請われれば力を貸すということも必要なことではないか?」
「利己主義の塊のような和泉が言っても、説得力がないんだが」
達也の発言に真由美までもが同意するように頷いている。おかしいな、宮芝ほど己を捨てて国のために尽くしている組織は他にないと思うのだが。
「ともかく、元会長殿が京都に向かわれるのなら達也はそれを護衛すべきだ」
「俺はともかくとして和泉はどうするつもりだ?」
「京都とならば古式が関わっている可能性は高いだろう。無論、私も力は尽くさせてもらうつもりだ。しかし、私は個人戦についてはあまり自信がない。私にも護衛が必要だが、どうするか……第一高校の卒業生ということで十文字にでも依頼するか」
そう言ったところ、真由美は非常にじっとりとした目で見つめてきた。
「ねえ、宮芝さん。それって単に二人で旅行に行きたいって言うんじゃないの?」
「な、何を言っているのかな。これはあくまで元会長殿の望みを叶えるためで、けして私利私欲のために言ったことではないぞ」
慌てて否定するも、真由美は疑わしそうな目で見つめてくる。
「十文字先輩も京都に行くのなら、なおさら俺が護衛に付かなくてもいいんじゃないかと思うんだが」
更には達也までもが、そんなことを言い出した。拙い、このままでは克人との京都旅行がなくなってしまう。
「じゅっ……十師族の直系が二人で出向くとなれば、関西に余計な緊張を生んでしまうのではないかな」
「それって、私たちとは別行動をしたいって言っているのよね」
「語るに落ちたな」
元会長殿、どうして貴女は味方しているはずの私を背中から刺すようなことを言うのか。そう叫びたい気分だったが、懸命にこらえる。
「ともかく、元会長殿が京都で真相を調べたいと思うのなら、達也に協力を仰ぐのが一番。そう思ったから、ここに来たのであろう」
「確かにそうね。達也くん、私はまだ七草家の娘でしかなくて、自分自身には社会的な力なんて何も無い。魔法師としての実力も才能も所詮は属人的なもので、警察を動かすことも警察の代わりに犯人を捜すようなこともできない。結局は、私の自己満足でしかない。そんなことで危険を冒すのは愚かしいことなのかもしれない。でも」
「分かりました」
達也が真由美の言葉を遮った。
「では二十一日、日曜日に。場所と時間は先輩のご都合に合わせます」
「……ありがとう、達也くん」
真由美がソファの上で深々と頭を下げた。
「あと、宮芝さんも一応、ありがとうね」
達也と治夏とで真由美の対応が違いすぎる気がするのだが、これは問いただした方がいいのだろうか。
「じゃあ、時間と場所は明日にでもメールします」
「では、私の方でも十文字に都合を聞いておこう」
「ねえ、本当にただ京都に行きたいだけじゃないわよね」
「失敬な。きちんと仕事をするつもりだよ」
治夏が真由美に語った内容に嘘はない。治夏個人としては単に克人と京都旅行を楽しむつもりでいる。けれど、それで仕事をしないということにはならない。
今回の件は、周公瑾の殺害で終わりではない。宮芝家としては周公瑾に協力していた京都の伝統派の粛清を行い将来の禍根断つことまでを目的としている。その際、克人と真由美という目立つ二人は敵の警戒を分散させるという、目的達成のために重要な役割を果たしてもらうつもりでいる。
治夏本人が出向くのが最も戦力的には優位に立てる。しかし、宮芝は何がなんでも治夏が出張らなければならないほど脆弱ではない。実際、周公瑾を殺害するための作戦においては森崎や郷田飛騨守を中心とした治夏の側近組以外が活躍した。
要は囮も立派に当主の役割なのだ。ただし、囮には危険もつきまとうものだ。
けれども、その危険も十師族という強力な戦力が隣にいれば、かなり緩和される。加えて、克人と二人で旅行もできるのだから、正にいいこと尽くし。とはいえ、進んで危険を冒したいわけではない。だから、治夏はせいぜい人の多い観光地を狙って動き、裏で動く実行部隊の秘匿の一助となれればよい。
「では、京都でお会いできることを楽しみにさせていただきます」
本音は心の奥に隠し、治夏はそう言いながら微笑みかけることで会談を終わりとしたが、達也も真由美も最後まで、どこか胡散臭そうな目が和らぐことはなかった。
ともかく十文字関連での治夏の信用度が著しく低いということだけは思い知った。