昼休みの生徒会室にて、会計の市原鈴音はいつになく緊張した面持ちの七草真由美の姿を見つめていた。
今日は来客があるから、それまでに絶対必ず生徒会室に集まっているようにと何度も念を押されたのは今朝のことだ。鈴音はこれまで学校内において、これほどに緊張した真由美を見るのは初めてだった。
けれど、それも無理のないことだと思う。鈴音の手元にあるのは、昨日、校門前で起きた森崎駿と宮芝和泉という生徒の言い争いの顛末書。真由美と摩利が校舎内に戻ってからの二人の言い争いを目撃した二年生からの聞き取りの結果が記されている。
その内容を読めば、一科生である森崎が二科生である宮芝に、文字通りの再起不能ぎりぎりまで追い込まれていたことが容易に読み取れた。幸いにして司波深雪の執り成しにより、風紀委員の教職員推薦枠として打診がされている森崎を失うという結果にはなからかった。
だが、これまでに入手できた宮芝の言動からすると、森崎への攻撃は意図的なもの。そもそも一科生を皆殺しにしてでも、一科に上がってみせると豪語しているのだ。今後も同様の事件は発生すると考えた方がいい。
過去、第一高校において……いや、魔法科高校において二科生が一科生に昇格するために意図的に一科生を害するというのは聞いたことがない。そもそも二科生は一科生に実力的に劣るのであるから、一科生を害して枠を空けるなどという企みは成立しない。けれど、宮芝の魔法はその常識に当てはまらない。
鈴音は急ぎ入試のときの宮芝の成績を確認してみたが、二科生の中でも中の下。取り立てて見るべきものはなかった。
ただ、宮芝には他の生徒と違い、試験中に試技無効と扱われた一回があった。それは、事象が発生しているのに、何も観測ができなかったというものであった。
処理速度、演算規模、干渉強度、いずれもゼロ。それは、非魔法師が魔法の使用を試みて失敗したときと同じ観測結果だ。けれど、事象は発生していた。それは、ありえない結果であった。
監督官が宮芝に聞いてみると、いつもの癖で術式を隠蔽する魔法も同時使用してしまったためということだった。そうして、意識して隠蔽を解いてもらった結果が正式に記録された入試の結果だということだった。
推測になるが、一科生にあれだけ執着を見せる宮芝が入試で手を抜いたとは考えにくい。おそらく、並列処理の一方を止めても、もう一方の速度が上がらないのと同様、隠蔽の魔法を使用しなかったといって本来の魔法の威力や精度が上がるというものではないのだろう。
ここから考えられることは、入試の成績が宮芝の実力と見ていいこと。そして、彼女が実戦レベルで強力な術は使用することができないだろうということ。
けれど、それで彼女が無能かというと、そうではない。魔法師といっても所詮は人。人が人を殺すのに、重火器は必要ない。それこそ金属製であれば工具のようなものでも、就寝中の相手なら簡単に殺せる。
相手に気づかせずに攻撃できるという点では、宮芝の能力は脅威だ。けれど、一方で防御という面では有効性に疑問符がつきそうだ。
宮芝の最大の優位性は隠匿性にある。しかし、守りについては相手の攻撃に対処するという性質上、隠蔽性は有利には働かない。この場合、強力な魔法が使えないという欠点が強く表れそうだ。
真由美の言うには、今朝、宮芝は姿を変える魔法を使っていたという。これは有力な対抗手段を持たないからこその擬態だったのではないか。
けれど、それでも容易に対処できる相手ではない。森崎を翻弄したという奇門遁甲なる術。そして、その他の鈴音の知らない隠し玉。それらへの対策が明確にならない限り、迂闊に敵対はすべきではない。
鈴音はそう考えていた。
待つこと少し、生徒会室のインターホンが来客を告げる。
「いらっしゃい。遠慮しないで入って」
相手が待ち人であることを確認した真由美が、平静を装った口調で告げる。
ロックが外れた引き戸を開けたのは、司波兄妹の兄である司波達也だった。しかし、部屋に入ってきたのは妹の司波深雪が先。達也は深雪を先に通した後で続いてくる。一連の動作の自然な流れは、この兄妹が普段からそういう行動を実行していることを思わせるもの。そして、その後に続いてくるのが招かれざる客、宮芝和泉。
入室するなり司波深雪に、礼儀作法のお手本のようなお辞儀を見せられた真由美は、ともかく席にかけるように伝える。
今日の昼食会、生徒会側の出席者はホスト席の真由美、鈴音、風紀委員長の摩利、そして生徒会書記の中条あずさの四名。そして一年生側が司波深雪、司波達也、宮芝和泉の三名。
「お肉とお魚と精進、どれがいいですか?」
あずさが訪ねたのは、食事を前にすれば今の緊迫した状況も少しは緩和されると考えてのものだろう。あずさの質問に、司波達也、続いて司波深雪が精進料理を選び、宮芝和泉の番となった。
「失礼とは存ずるが、信頼関係にない者の手を経たものは口に入れられない性分でな。此度は辞退させてもらう」
なるほど、これが真由美と摩利が言っていた百パーセントの喧嘩腰かと鈴音は密かに溜息をついた。もしも宮芝の発言が本当だとして、それならば摩利のように弁当を持参しておけばいいだけの話だ。それなのにわざわざ、こんな言い方をするのは生徒会側に対する牽制としか考えられない。
「そ、そうですか……」
実際に気弱なあずさは、いきなりの先制攻撃を受けて、早くも真由美に助けを求めるような視線を送っている。
「人それぞれ事情はあるでしょうから、無理に勧める必要はないでしょう」
やむなく鈴音の方であずさに助け舟を出しておく。
その後、真由美が今期の生徒会メンバーの紹介を行って時間を潰し、ダイニングサーバーからトレーが乗った料理が出てきたことをもって、奇妙な会食が開始される。
「どうですか、悪くはないでしょう?」
司波兄妹が口に入れたものを嚥下するのを待って、すかさず鈴音が訪ねたのは生徒会に反抗して一人だけ何も食べていない宮芝への当てつけだった。
「そうですね」
とはいえ、悪くはないのは確かだが、良い点にも乏しく、物足りなさは否めない料理だ。司波深雪の肯定が微妙になってしまったのはやむをえまい。
「ところで、そのお弁当は、渡辺先輩がご自分でお作りになられたのですか?」
司波深雪の意図は、会話を円滑にするため、そして話題を変えたいという思いも少しはありそうだった。
「そうだ。……意外か?」
「いえ、少しも」
摩利のちょっとした悪戯心からの発言は、司波達也の手により無効化される。
「ああ、少しもおかしなことはない。女であれば意中の異性のために少しでも何かをしてあげたいと考えるのは自然なこと。君の場合は、それが料理という方向に向かったというだけの話だ。君の想いは、きっと意中の男に届くことだろう」
そして、宮芝によって見事にカウンターとなって返された。
「いや……別に、私は……」
はっきりと男性の存在を指摘され、摩利は狼狽を隠せない様子だ。
「はいはい、もう止めようね、摩利。口惜しいのは分かるけど、どうやら達也くんも宮芝さんも一筋縄じゃ行かないようよ?」
摩利の不利を見て取った真由美が割って入り、ひとまず場を収める。
「そろそろ本題に入りましょうか」
少し唐突な感はあるが、これ以上、先延ばしをしても戦況を悪くするだけだろう。昼食を終えていなかったが、真由美は司波深雪に第一高校の生徒会長と生徒会の仕組みの説明を開始した。
生徒会については、生徒会長は選挙で選ばれ、その他の役員は生徒会長の指名により選任がされること。風紀委員等の一部の委員については例外があり、風紀委員では生徒会、部活連、教職員会の三者が三名ずつ選任し、委員の互選により選ばれること。例年、新入生総代を務めた一年生は委員になってもらっていること。
ここまでの説明の間は、司波達也、司波深雪ともに疑問は差し挿まず、危険人物である宮芝も沈黙を守っていた。
「深雪さん、私は、貴女が生徒会に入ってくださることを希望します。引き受けていただけますか?」
真由美に問われた司波深雪は俯いた後、思いつめた瞳で顔を上げた。
「会長は、兄の入試の成績をご存知ですか?」
「ええ、知っていますよ」
答えた真由美に司波深雪は有能な人材を生徒会に迎え入れるのなら兄の方が相応しいとまで言ってきた。
「デスクワークならば、実技の成績は関係ないと思います。むしろ、知識や判断力の方が重要なはずです。わたしを生徒会に加えていただけるというお話については、とても光栄に思います。喜んで末席に加わらせていただきたいと存じますが、兄も一緒というわけには参りませんでしょうか?」
「残念ながら、それはできません」
回答は鈴音が行った。
第一高校には、生徒会の役員は第一科の生徒から選任されるという明文規定がある。そのため仮に真由美が深く共感をしようと、その指名は行えない。深雪が指摘したように事務能力と魔法実技の能力には全く関連性がない。その意味では非合理的な規則だ。しかし、規則は規則。明文の規則を破る訳にはいかない。
真由美にもどうしようもないことなら、それは自分が行うべきだ。強い思いを持って、鈴音は自らの口で規則のことを説明した。
「……申し訳ありませんでした。分を弁えぬ差し出口、お許しください」
司波深雪が立ち上がり、深々と頭を下げたことで、この話はここまでになった。少なくとも鈴音はそう思っていた。
しかし、司波深雪が生徒会入りを受諾し、具体的な仕事内容はあずさから教わること、放課後に生徒会室に来てもらうことを伝えたところで、摩利がおもむろに手を挙げた。
「風紀委員の生徒会選任枠のうち、前年度卒業生の一枠がまだ埋まっていない」
「それは今、人選中だと言っているじゃない。摩利まで、そんなに急かさないで」
摩利まで、の前には、和泉に困らされている中で、という言葉が隠されている。
「第一科の縛りがあるのは、副会長、書記、会計だけだよな」
真由美の抗議も気にせず摩利は質問を続ける。これは彼女には珍しい傾向だった。
「そうね。役員は会長、副会長、書記、会計で構成されると決められているから」
「では、私が書記長に就任して……」
「お願いだから、無茶ばかり言わないでよ……」
心底弱り切った真由美の様子に、さすがの和泉も口を閉じた。
「ええと、つまり私が言いたいのは、風紀委員の生徒会枠なら、二科の生徒を選んでも規定違反にならないのでは、ということなのだが……」
「ナイスよ!」
真由美は歓声をあげ、そのまま生徒会は司波達也を風紀委員に指名すると明言までしてしまった。これは鈴音としても完全に予想外の一手だった。
けれど、風穴を開けるという意味では悪くないかもしれない。
「ちょっと待ってください! 俺の意思はどうなるんですか? 大体、風紀委員が何をする委員なのかも説明を受けていませんよ」
「妹さんにも生徒会の仕事について、まだ具体的な説明をしておりませんが?」
だから、司波達也の抗議の声を封じる方向に動く。
その後、司波達也からの風紀委員の仕事に関する説明を求める声にはあずさが答え、風紀委員について、魔法使用に関する校則違反者の摘発と魔法を使用した争乱行為の取り締まりを行う警察と検察を兼ねた組織だと伝える。すると、殊の他、嬉しそうに声を上げた人物がいた。
「素晴らしい。その役目、私が就任しよう」
全員が、何を言ってるんだコイツ、という目で宮芝を見つめた。
「間違いなく、冤罪が横行するから却下だ」
摩利がその答えを出すのは当然のこと。その証拠に宮芝以外の全員が頷いている。
「では、真面目に風紀委員の仕事をする代わりに私に指導教官を付けてもらうという交換条件としよう。そうすれば、私としても無用な殺生をせずに済む」
「そもそも、どうしてそこまで一科生にこだわるのですか?」
聞いた真由美に対して、宮芝が暗い笑みを浮かべる。
「私が一科生に上がらないのでは、父が無駄死となってしまうからな」
「無駄死? それはどういう?」
「簡単な話だ。私の第一高校の受験に反対したから殺した。それだけのことだよ」
それだけのことで父を殺すのか、という問いは誰も発せない。他人から見れば、それだけのこと。けれど、宮芝はそこに大いなる価値を見ている。迂闊な発言は虎の尾を踏むことになりかねない。
「なぜ、そこまでして第一高校に入ろうと思ったのですか?」
危険を感じた鈴音は別角度からのアプローチを試みてみる。
「無論、より我らの魔法を発展させるため」
「なぜ、そこまでして魔法を発展させねばならないのですか」
「知れたこと。このままでは、近く宮芝の術は役目を果たせなくなるからだ」
「役目、とは?」
「この日の本を異国の脅威より守り抜く。それこそが宮芝が遥かなる昔に帝から命じられ、受け継いできた役目だ」
もしも宮芝の言葉が本当なら、手段はともかく目的自体は脅威ではない。しかし、偽りがないとは言い切れない。どうする、自分の力を使ってみるか。
「分かりました。そういうことならば、学校側と話してみましょう」
鈴音が迷っている間に、真由美は宮芝の提案に前向きな返答を返した。
「おい、いいのか、真由美?」
「だって、ここで断ったら宮芝さんは宣言している通り一科生を全員殺してでも個別指導を受けられる権利を獲得しに向かうでしょう? そこまで行かなくとも一科生が十人も退学になれば第一高校の存続に関わる一大事です。現状、宮芝さんを退学させるだけの不正の証拠はないですし、彼女の場合、退学にしたら報復が怖いです」
「確かに、安易な特例は問題だが、今回は特例を認めることのマイナスより彼女と抗争を繰り広げることのマイナスの方が大きいか。分かった、もしも学校側が許可をしたら、彼女は風紀委員会が引き取ろう」
真由美と摩利の話がついたところで、それまで黙っていた司波達也が再び口を開いた。
「あの、俺の風紀委員の話は……」
「もう、達也くんまで困らせないで。宮芝さんが風紀委員になるんなら、当然、達也くんも目付役として風紀委員に入るの」
「とりあえず、そろそろ昼休みも終わる。放課後に続きを話したいんだが、構わないか?」
「……分かりました」
真由美と摩利によって強引に風紀委員入りの道筋がつけられた司波達也のことを、この日、鈴音は初めて同情した。