十月二十一日、日曜日。
宮芝和泉守治夏は十文字克人とともに京都の地に降り立った。治夏たちの任務は、宮芝家が伝統派の拠点の捜索を行うための補助、と克人には伝えている。具体的には、ときどき探査の術式を打って伝統派の気を引き、相手が偵察に出てきたところを、周囲を見張る護衛部隊に捕らえさせる、というものだ。
とはいっても、これは建前という面が大きい。すでに宮芝家の術士たちは各地で伝統派の拠点を潰し始めており、治夏の行動は引っかかる間抜けがいれば儲けものという程度。治夏の真の目的は、克人との単なる京都旅行。要するに真由美からかけられた疑いは、完全なる当たりだったわけだ。
ともあれ後悔なんてない。建前を用意した上で自分の欲望を満たす。これは人の上に立つ際には大事なことだ。
「克人、宮芝の出自は京都だからね。だから今日は私が案内するね」
克人はしっかり京都観光を行ったことはないらしい。ならば、いきなりディープな場所よりも有名どころを抑える方向がいいだろう。
というわけで最初に訪れたのは蓮華王院の三十三間堂だ。宮芝の歴史よりも、なお古いお堂の中には千手観音座像が本尊として安置されている。左右に並ぶ千体の観音像には必ず会いたい人に似た像がいると有名だ。
ということは、治夏が深夏であった頃の母に似た像もあるのだろうか。探してみたい気もする。けれど、もしも見つからなかったときは。或いは逆に見つけてしまったときは。そのときに治夏がどんな顔をしているか、それが分からない。
楽しい京都旅行の最初から、克人に心配をさせてしまうわけにはいかない。それに声が聞こえるほどの近さではないとはいえ、護衛たちもいるのだ。今日は見合わせよう。
多少、後ろ髪を引かれる思いを抱えつつ、お堂の外に出ると、一応、探査の術式を打つ。が、このような歴史も人目もある場所に伝統派が隠れているはずもなく、当然のことながら何事も起きない。
「残念ながら、ここには敵の手は及んでいないようだね」
「ならば少しくらいは残念そうに見せたらどうだ。ここに敵がいないことは分かっていたのだろう」
「ここまで敵に毒されていたら、逆に残念で仕方ないところだよ」
「それは確かにそうだが……」
「なんでもいいよ。それより次に行こ」
次に治夏たちが目指したのは清水寺である。実はこの場所は昨日、達也たちが訪れ、すでに何もないと調べがついている。それにも関わらず足を運んだのは、言うまでもなく単に克人と来たかったというだけだ。
古より時が流れ、今では清水の舞台より遥に高い建物などいくらでもある。それでも尚、舞台上から眺める京都の町並みは輝きを放ち続けている。
「朝靄の中の京も良いけど、私はすっきりと晴れやかな昼間の方が好きかな。だから、この時間にしてみた」
「なるほど、深夏は何度かここを訪れているのか?」
「残念ながら、今日で四回目。私の家は東京といっても山の中になるから、そう簡単には来られないよ」
何度も来ることはできていない。けれど、ここから見る景色こそが、遥かな昔、宮芝の初代たちが守らんとしたものに思えてならないのだ。だから、これまでは宮芝の行く末に悩んだときに来ることが多かったのだ。
けれど、今日だけは何も考えずに楽しむことをお許しください。この地に眠る宮芝の草創期を支えてくださった皆様。
「じゃ、次に行こ、克人」
「ああ、そうだな」
軽く祈りを捧げ、治夏は大きな克人の手へと自分の右手を伸ばす。
清水寺への参拝の後に二人で向かったのは、参道の途中にある店だ。伝統派の一派を率いている者が経営している店ということだが、伝統派とはいっても外国勢力に協力する者たちとは一線を画していたと達也たち経由で聞いている。そして、深雪経由で湯葉鍋がおいしかったことも。
治夏も湯葉鍋を注文し、時間がかかることも聞いていたので手持ち無沙汰とならないように克人にも同じものを注文させた。豆乳を温めて、表面の幕を竹串で引き上げて食べる。工程に時間はかかるが克人とのおしゃべりの時間としては悪くない。
一時間以上かけて食事を終えると、気持ちばかりのお仕事の時間だ。治夏は店の奥に向けて式神を飛ばして店主を呼び出す。そうして主人も席につけると遮音結界を展開する。
「さて、私は昨日、貴殿が伝統派を抜ける決断をしたと九島の倅から聞いて訪れたのだが、誤りはないか?」
「はっ、間違いございません。和泉守様」
実際には目の前の店主がそこまで決断をしたという連絡は受けていない。けれども宮芝からこのように問われて敵対を続けると明言できるのは、馬鹿としか言いようがない。
「ならば、これからは我らの手足となって働くがよい」
「仰せのままに」
仰々しい言葉は交わされているが、この場は遮音結界を張っただけの店内。目立つのを避けるために伝統派の術士も僅かに頭を下げたのみだ。
「追って指示を与える。まずは己の言葉に偽りがないことを行動で示せ」
そう言って治夏は席を立った。必要ならば粛清も行うが、無意味な血を流すことはない。切り崩しが可能ならば、その方がよっぽど良いに決まっている。
そのまま代金は店主持ちにして出ようと思ったが、克人に襟首を掴まれた。弱い立場の者に負担を押し付ける行為は、克人には許せないことだったらしい。
克人にお小言をもらいながら店を出る。近場で有名どころということで、次の目的地として選んだのは八坂神社だ。
「ねえ、克人、私、自分の好みでお寺とか神社ばっかり回っちゃってるけど、克人は今のままでいいの?」
その途中、ふと不安になって克人に尋ねてみた。
「ああ、俺も歴史のある建物は好きだから問題ない」
克人の言葉は完全に本音でも完全に嘘でもなさそうだった。観光地と考えて回るのは嫌いじゃないけど、普段からあちこち回っている、というわけではなさそうだ。そういえば、初詣のとき、お祭りにあまり行ったことがないと言っていたはず。だとすると、ここらで趣を変える必要があるかもしれない。
けれど、趣を変えるといっても、嵐山方面は敵に取り込まれているという情報があった場所だ。あまり近づきたい場所ではない。
となると、もう少し別の場所を、と思ったところで、ふと思った。克人ならば半端者ばかりの伝統派の術者の攻撃など、なんということもないだろう。そして治夏も古式の術に対しては後れを取るつもりはない。
ならば嵐山訪問に向かったとしても何でもないのではないか。むしろ、二人で危機を乗り越えることで絆が深まるかもしれない。
腕の中に治夏を庇いながら襲い来る敵と雄々しく戦う克人の姿が思い浮かんだ。治夏の周囲は村山右京、山中図書、皆川掃部の三名が密かに護衛についている。郷田飛騨が率いている隊からも十名程度を回させれば、おそらく危険は皆無になる。
伝統派の粛清は本当なら部下たちに任せるつもりだったが、別に治夏が行ってはならないということはないのだ。部下たちに克人の強さを見せるためにも、一緒に戦うというのは悪いことではないはず。
「克人は、今日は荒事を避けた方がいい?」
「どういうことだ?」
「実は先程の伝統派の術士から、嵐山が怪しいという情報を得ててね。せっかくだから調べておいた方がいいかも、って思いと、このまま何事もなく一日を終えたいな、って気持ちがあって私も悩んでるとこ」
「気になるなら、見ておいた方がいいだろう」
「克人は危険なことに巻き込まれて、嫌じゃないの?」
治夏は僅かに瞳に不安を覗かせて尋ねた。
「今更だ」
その不安を、克人は綺麗に笑い飛ばしてくれた。