西暦二〇九七年二月五日火曜日、午前十時二十分。
珍しく自分自身で学校の授業を受けていた宮芝和泉守治夏は、緊急を知らせる式神を受け取っていた。内容は十師族会議が行われている箱根のホテルの周辺で死体を使った人形を感知したというものだ。連絡はその術者が送ってきたものだ。
隠密に特化した行動を行う宮芝の術者は、現在でも一切の電子機器を持っていない。隠密ということでは有効なその対策が、今回は裏目に出た。治夏のところに式神が到達するまでに生じたロスは小さいものではない。
治夏はすぐに教室を飛び出すと、達也の元に急ぐ。授業終盤での闖入者に驚く者たちを無視して、治夏は叫ぶ。
「達也、急ぎ師族会議の面々に連絡を入れろ!」
その一言に教室内がざわめく。
「何があった?」
ただならぬ様子の治夏の様子に気づいたのだろう、達也が席を立って廊下へと出てくる。ひとまず腕を引いて達也を教室から引き剝がした。
「私の部下が師族会議の行われている会場付近で、死体を人形として使役する術式が使われているのを感知した」
それだけで達也はすぐに端末を取り出し、どこかに連絡を取り始めた。警戒を強めるように伝えて通話を切った達也は、今度は治夏に尋ねてくる。
「使われている人形の数や、それを使う術者の数は分からないか?」
「まだ私も第一報を受けたところだ。師族会議を探っていた者が通信機器を保有していないため、連絡が式神を通じてのものになるため時間がかかるんだ」
面倒な方法を、と達也が呟いていたが、この方法が一番、機密保持性が高いのだ。何せ送られてきた式神から通信内容を聞きだすにも、専用の術が必要なのだから。少なくとも現代魔法師では再生ができず、古式魔法師でも術の種類が漏洩していなければ再生のための術式を特定することは難しい。ちなみに術式を間違えると式神が消滅するため、再生は不可能となるというオマケつきだ。
待ち望んでいた続報が届いたのは、午前十時二十三分過ぎだった。どこにでもいるようにしか見えない茶色の鳥が昇降口の中を飛行して治夏の前に降り立つ。烏が口を開くと、指先ほどの大きさの虫が中から飛び出てくる。治夏は予め定めていた順である火、土、水の順で精霊を虫の口から飲ませる。
すると、虫は尻から小さな卵を生み出した。治夏は迷わず、それを口に含む。
和泉守様、確認できた人形の数は三十体前後。術者は一人だと思われます。人形たちから魔法師の痕跡を感知できないことから察するに、まず間違いなく標的は師族会議の会場付近の民間人と思われます。
術者のメッセージが頭の中で再生されるのを聞き終えると、すぐに治夏は達也へと内容を伝えた。そして、聞いた達也はすぐに顔を顰めた。
「標的は本当に十師族ではないんだな?」
「相手がよほどの馬鹿でない限り、それはないだろうね」
死体を使った人形程度で、一流の魔法師を相手にするのは不可能に近い。ましてや相手が十師族ともなれば力不足は明らかだ。報告をしてきた術士も、それを念頭に民間人が標的と判断したと思われる。
「なんとか阻止はできないのか?」
「派遣しているのは偵察と隠密術式に長けている術士だ。解呪のような術式は得意としていない。それに相手を捕らえた上でならともかく、一定範囲を対象とできるほどの術士となれば宮芝でも数人しか思い浮かばないな」
「解呪でなくとも、なんとかならないか?」
「それこそ十師族の仕事だろう?」
単純な魔法力に劣る宮芝には無理だ。そう言外に滲ませると達也も宮芝への要請を諦めたようだ。
「君がそれだけ慌てるということは、十師族でも阻止できる可能性はほとんどない、ということだな」
「普通の十師族が優れているのは、一般的な魔法力の高さだ。探知のような能力には長けていない。そして、会場の広さに対して今回はあまりにも手が足りない。加えて、咄嗟の連携は期待できない面々だ。おそらく民間人を守りきるのは不可能だろう」
「そうなると、あとは少しでも被害が少ないことを祈るしかないね」
今から駆け付けたところで、とても間に合わない。
「ひとまず帰宅の準備をしておこう」
達也に言われて、治夏も教室へと戻る。治夏自身は十師族でないので直接の影響はない。けれど、今回の事態は間違いなく魔法師界全体を揺るがす騒ぎになる。
ちょうど二時限目の授業が終わったところで、教室内は喧騒の中にあった。その中を脇目もふらずに進み、自らの鞄を掴む。何かが起きたことは察しているエリカたちは、治夏の厳しい表情を見てか、声をかけてこなかった。
達也の端末に通信が入ったのは、指導教員に早退の許可を取っている途中だった。届いたメッセージを確認した達也は治夏に向けて緩く首を振りながら言う。
「テロの阻止には失敗したようだ」
「内容は?」
「自爆テロだそうだ」
「うん? 人形が爆発したのか?」
「それは宮芝の魔法だろう。今回は死体に爆弾を運ばせたらしい」
自爆というと何かと宮芝と結びつけるのは止めてほしい。とはいえ、それは今、言うことではないだろう。反論することなく足を進めた治夏たちは校門まで続く並木道に出たところで深雪と出会った。
「お兄様にも緊急通信が?」
深雪はすっかり血の気を失った顔で、達也に言葉短く問いかけていた。どうやら達也は深雪にまでは情報を伝えていなかったようだ。
「急ごう」
更に短く、達也が答える。
「深雪先輩!」
続いて背後から呼び掛ける声を発したのは、一科生の昇降口から出てきたばかりの七草泉美だ。見ると、姉の香澄と桜井水波もいる。
「泉美ちゃんにも?」
「やっぱり誤報じゃないんですね!?」
深雪が頷くと、泉美はガタガタと震えだした。
「俺たちは状況を見に行く。お前たちは?」
「ボクたちも行きます!」
香澄が震えている泉美の手を取った。
「では私は別行動とさせてもらうよ」
そして治夏は箱根に向かおうとする五人に別行動を宣言した。
「そうだな、和泉は十師族ではないからな」
「そういうことだ。すでに警察も出ているはず。身内以外の人間が向かうには不適当だ」
「分かった。テロを引き起こした犯人は十中八九、古式系の魔法師だろう。場合によっては力を借りてもいいか?」
「ああ、相手は日本の敵だ。我々もできる限りの手助けはさせてもらうつもりだ」
協力を約束すると、達也たちは箱根に向かうために駅への道を駆けていく。それを見送り、治夏は部下を指揮するための式神を用意していく。
本音で言えば、治夏も克人の身の安全が気になる。人形では一線級の魔法師を害するのは難しいのは達也にも語ったとおり。ましてや克人の防御魔法は十師族中でも最強。きっと傷一つなく帰還してくれるはずだ。
そう信じていても気になるものは気になる。今は事態への対処に忙しいはずで、治夏に連絡をしている暇はないはずだ。それでも、早く無事の連絡が入らないものかと、つい端末を取り出して画面を見つめてしまう。
けれど、いつまでも端末の画面を見ていても仕方がない。今は治夏も自分にできることをするべきだ。
まず警戒すべきは敵魔法師の国外への逃亡を許すこと。それだけは絶対に阻止しなければならない。
東京、神奈川、千葉、静岡の各地に探査を得意とする術士を回しておく。それだけで宮芝の動かせる術士は払底する。敵の捜索は後回しとなるが、まずは逃げられないことが第一。次の手は十師族との役割分担ができてからでもいい。
克人、早く連絡を。治夏の祈りが届いたのか、克人からのメッセージが画面に表示される。それを見て無事を知った治夏は、その場に立ったまま静かに涙を流した。