二月十一日、月曜日。この日の第一高校内は妙にざわついていた。
妙に、と表現はしたものの、その原因を宮芝和泉守治夏はとうに知っていた。それは克人の下で一条将輝が捜索に当たるということを知っていたためだ。
ついでに言えば、一条が一ヶ月の期限で第一高校の二年A組の教室にある端末を使って、第三高校のカリキュラムを履修することも聞いている。しかし、そんなことは些細なこと。治夏には特に利も損もないので放っておけばいい話だ。
それよりも目下の課題はやはりテロの首謀者である顧傑のことだ。一昨日の夜、司波達也は鎌倉で顧傑の隠れ家を急襲したという連絡を受けている。生憎と取り逃がしてしまったようだが、少し前まで滞在していたのは確定的らしい。
その情報を受けて、宮芝家は武蔵国の捜索を進め、顧傑を相模一国の中に押し込めることに成功した。更に言えば、その途中に副産物として少々面白い者を入手することもできた。今すぐ使用すべき駒ではないが、手持ちとしておくには悪くない。
今のところ、宮芝は更なるテロ攻撃の被害を防ぎつつ顧傑を順調に追い詰めている。だが、治夏の心にあるのは大いなる不満だけだった。
翌二月十二日は、本来なら宮芝家で新年の祝賀行事が行われる予定だった。しかし、高位の術者たちを軒並み現場に張り付けている現状で、満足に行事を行うことはできない。結果として、宮芝は新年の祝賀行事を、ひとまず二月十七日に延期することを決定した。
ちなみにわずか五日間という短い延期を行った背景には、反治夏ともいえる者たちの存在がある。要は、あと五日もあれば当然に顧傑を抹殺できますよね、という治夏に対する挑戦状である。
彼らの言う通りに五日で片付けることができれば治夏の評価は上がり、逆に再延期となれば治夏の評価は下がる。実にくだらない嫌がらせといえなくもないが、実際に治夏は焦りを覚えているのだから有効な手段だった。
狩りは焦らず、じっくりと。焦って包囲網を縮めようとしすぎて逃してしまえば、また包囲網の構築からやり直しだ。そうならないように、直前まで居たとされる相模ではなくて武蔵から捜索を行ったのだから。
とはいえ、気持ちの方は簡単に抑えることは難しい。なんといっても、今回の新年会では治夏と克人との婚約話を切り出すつもりだったのだ。印象の悪化が避けられない新年会の延期を繰り返しては、婚約話が立ち消えにすらなりうる。
「よりにもよって、こんな時期でなくてもいいのに」
顧傑が宮芝の新年会に日程をぶつけてきた可能性は、万にひとつもないはずだ。それだけに巡り合わせの悪さが苛立たしい。
ともあれ、それを嘆いてばかりいても始まらない。せっかく四葉に優秀な諜報能力があると分かったのだから、それを最大限に活かすべきだ。そう考えて授業終了後に達也の教室を訪ねるも、達也はすでに深雪の教室に向かった後だった。仕方なく、治夏も二年A組の教室に向かう。
「一条、任務の件で十文字先輩がミーティングを開いているのは知っているか?」
治夏が深雪の教室に入ると、達也が一条に話しかけていた。
「いや、聞いていないが……」
「ミーティングといっても十文字先輩と七草先輩と宮芝と俺とで情報交換をしているだけなんだが、一条も来ないか?」
「そうだな……」
達也の誘いに、一条が考え込んだ時間は、十秒にも満たなかった。
「差し支えなければ、俺も参加させてもらおう」
捜索に当たって意思の疎通と情報の共有が必要だということは一条にも分かっているはずだ。それでも迷ってしまったのは、他のメンバーが個人的に友誼を結んだ者たちばかりであるためだろう。
「そうか。今日のミーティングは十八時からだ。地図を転送するから端末を出してくれ」
「あ、ああ」
一条がポケットから出した携帯情報端末にデータを送ると、達也は深雪と生徒会室に向かってしまう。
「第一高校に不慣れな一条さんを放置して婚約者と仲良く生徒会活動なんて、達也さんにも困ったものですね」
「ええと、宮芝さん、でしたか?」
「はい、そうです。一条さんに覚えていただけているなんて光栄です」
治夏と一条との接点は少ない。明確に顔を合わせたのは今年の九校戦の前夜祭くらいのものだ。そして、そのときとは雰囲気を変えてあるので、一条は少し自信なさげだ。
ちなみに今日の丁寧口調は深雪を意識したものだ。一条が深雪に対して交際の申し込みをしたということは、彼の好みは清楚なお嬢様系ではないかと思ったのだ。別に一条の好感度など、どうでもいいことではある。ただ、治夏が近くにいるにも関わらず、去っていく深雪の背中にばかり視線を注がれると面白くない。
「一条さん、この後、お時間はありますか? もしよろしければ、簡単にですが、校内を案内させていただきますが?」
「いえ、校内の地図に関してもデータはもらっていますので」
「ですが、いくらデータがあっても、実際に施設を使うとなると分からないことが多いのではありませんか? 一条さんは東京の御出身ではないので、この後、十八時までの時間の使い方を迷われるのでないかと思ったのですが?」
「……そうですね、お願いできますか?」
少し迷った後、一条はそう言ってきた。
「はい、お任せください」
笑顔で答えた治夏が一条を連れて行ったのは演習林だ。ここで森崎の訓練の相手にでもなってもらおうと思ったのだ。
「一条殿、どうされた?」
演習林に入ってすぐに、森崎は治夏たちの元にやってくる。
「学校の地図を渡されても、いきなり訓練施設を使うことは難しいと思って、私が使い方を教えようと思ったのです」
一条が答える前に、治夏は前に進み出て森崎と話をする。
「けれど、私が教えるより森崎君の方が適当ですね。一条さんも同じクラスの森崎君の方が色々と聞きやすいでしょう?」
「そうですね」
「では、この場は森崎君にお任せしますね」
そう言って治夏は二人から離れる。
「一条殿、実際に使いながらということでよいか? その方が小官の訓練にもなるので都合がよいのだが」
そう切り出して森崎は一条と演習を始める。治夏はそこから少し離れて情報収集用の精霊を飛ばす。
治夏が一条の歓心を買うようにしたのは、無論のこと単に深雪に対する対抗心だけではない。一条を森崎の強化のための訓練相手とすること、それと同時に一条の魔法の情報を少しでも得ることが目的だ。
九校戦のスティープルチェース・クロスカントリーで、一条は本当ならもっと順位を落とすはずだった。けれど、治夏の予想以上に短時間で、一条はカスタムタイプの量産型関本にダメージを与えてレースに復帰した。
やはり日本最強の魔法師集団と言われる十師族の実力は侮れない。しかし、残念ながら、すでに宮芝は警戒されすぎていて四葉や七草の魔法を解析する機会は得にくい。それに比べて一条は宮芝への警戒心が薄かった。治夏にとって一条は、正に飛んで火にいる夏の虫。あるいは葱まで背負ってきた鴨。
とはいえ、さすがに奪ってばかりでは後味が悪い。幸いと言うか、真っ直ぐな性格の一条は搦め手からの攻撃に弱いように見える。その弱点を森崎がしっかり認識させてやるということで対価としてやろう。
まあ、支払う対価も得られる利益も治夏が一方的に決めたものという時点で、どう考えても平等ではないのだが、そこは勝手な契約に気づけない一条が悪い。
こうして、治夏はしばらく一条に対する情報収集を続け、いつものように十八時の三十分前に着くようにミーティングの会場となるレストランへと向かった。
ちなみに少しだけ警戒していた、一条を相手に色目を使ったのでは、と思われるかもという懸念は杞憂に終わった。色目でなく下心を持っての接近だということは、すでに周囲には知れ渡っていたということだろう。
それはそれで、どうかと思わなくもないが、今は克人に妙なことを吹き込む者がいないということに安堵しておいた。