官位を変えられ、宮芝淡路守と名乗りを改められた治夏様が屋敷を出て行きました。その後ろ姿を見送った私、杉内瑞希はそっと溜息を吐きます。
本日、帰宅した治夏様は酷く落ち込んでいるように見えました。それは分かりましたが、私の役割はあくまで魔法の関わらない範囲の治夏様の補佐です。私は宮芝家に認められた術士ではありませんので、宮芝の業務に関わってはならないのです。なので、治夏様の方から切り出されるまで、私から何か言うことはできません。
沈んだ足取りで部屋に戻った治夏様は私服に着替えると、そのまま外出をすると言って出て行ってしまったのです。着替えたのは制服から私服へ。それと下着も替えていました。それで克人様のところに行ったのだろうと想像がつきました。
単なる気分転換のために外出するだけの場合、治夏様は下着まで替えません。治夏様が下着を替えるのは、それなりに大事な相手と会うときだけなのです。そして、今日は宮芝の重鎮との面会の予定はありませんし、出かける前に何の指示もありませんでした。ですので、お相手は宮芝以外の方。そうなると克人様意外に思い当たりません。
克人様に会われた後は、治夏様はすっきりとした顔で帰宅なさいます。ですが、治夏様が出かけている間は代わりに私が憂鬱になります。それは、最近の治夏様が克人様に会いに行くと、朝帰りになることが非常に多いからです。
私も経験がないので断言はできませんが、治夏様の雰囲気に変化はないため、一線は超えていないと思います。ですが、婚姻前の性交渉が快く思われていない現状で、疑いを持たれる行為はすべきでないと思うのです。
もしも相手が宮芝家の関係者なら、こんなことは考えません。昔ながらの価値観に強い影響を受けている宮芝家では、婚約者を相手とした行為なら特に何も言う者はいません。けれども、治夏様は十文字に嫁がれる身です。十文字家の方々に悪い印象を与える行為は慎んだ方が良いと思うのです。
そういった意味で、私は克人様に少しばかり腹を立てています。けれど、一方では感心してもいます。治夏様は恥ずかしそうに、抱きしめてもらっているうちに眠ってしまったと告白されたことがございます。おそらく一度きりのことではなく、何度か身に覚えがあるのだと思います。ということは、無防備な治夏様を前にしても、克人様は欲望を抑えられたということです。
治夏様の容貌は大変、優れていると私は思っています。背が高くなく、可愛らしい顔立ちですので万人にとは申しませんが、多くの男性には魅力的だと思うのです。その治夏様を前に我慢するのは容易なことではないと思います。
そう考えると、克人様にとっては生殺しです。治夏様は無自覚だと思いますが、残酷なことをなさっています。諫めた方がよいのかもしれません。
そんなことを考えながら、治夏様の脱いだ服と下着を洗濯に回します。そのときに気づいてしまいました。治夏様の下着の出し方が、普段と異なるのです。具体的には新しい下着であるにも関わらず、妙に綺麗にたたまれているのです。
治夏様は特別な衣装については誂えさせていますが、普段の衣服についてはご自身で購入していらっしゃいます。下着についても同様で、見慣れないものが洗濯に出されることは珍しくありません。けれど、その場合には普通に洗濯に出されます。
躾の行き届いた治夏様は、普段から脱いだ衣服はたたまれて洗濯に回されます。けれど、そのたたみ方はあくまで自分のためというか、旅行に持参するためのたたみ方といった感じなのです。けれども、今日のたたみ方は誰かのためといった雰囲気でした。
治夏様が洗濯物をそのようなたたみ方をされて洗濯に回されるときに、私は心当たりがあります。というのも、同じようなことを何度か経験したことがあるからです。
初めて当主として宮芝の会議に出席したとき、初陣のとき、思わぬ邂逅で分家の方と言い合いになったとき、言ってみれば酷く緊張したときです。特に宮芝の会議では特別な衣服を身に纏いますので、着替えをお手伝いさせていただきます。そうすれば、治夏様が下着を汚してしまっていることには嫌でも気が付きます。
そのときの治夏様はご自身の手で洗われた後、殊更に丁寧にたたんで洗濯に回されていました。今回の下着は新しい物でしたが、洗濯の出し方がそれらのときと同様でした。おそらく少し汚してしまう程度では済まなかったのでしょう。
治夏様は普段の言動と違って非常に憶病な方です。治夏様の手が触れ合う距離での戦闘力は、古式の術士の中でも非常に低いものらしいのです。そのため近距離に踏み込まれることを非常に恐れています。
私の予想ですが、今回はそのようなことがあったのではないでしょうか。考えられるのは、手の者を使って起こした反魔法師活動家の仕業に見せかけた一連の犯罪でしょうか。それが第一高校の生徒に発覚したとしたら、詰め寄られたとしても不思議はありません。私は宮芝の業務には深く関わらないようにしていますが、知ってしまうこともあります。その漏れ伝わったことから考えると、怒りを買っても仕方がないと思うのです。
もしも私の考えたことが合っていたとしたら、治夏様が酷く落ち込まれていたのも分かります。三年生になろうかという時期に、同級生、あるいは下級生の前で恐怖に震えて粗相をしてしまったとなれば、宮芝の元当主としての誇りも威厳もあったものではありません。治夏様は羞恥心に関しては、むしろ人より強い方なのです。
治夏様は強い方です。どんなに自分の思いと違うことでも、それが宮芝のためと思えば、迷わず実行することができます。けれど、治夏様は弱い方です。痛みや恐怖に対しての耐性は普通の女性と同程度しかないのです。
治夏様の行動原理の根底には、この恐怖心があったように思われます。恐怖心があるから、人より努力して実力を上げようとする。恐怖心があるから、慎重な行動を心掛ける。そして、恐怖心があるから、先制攻撃を心掛ける。
自らの想定していない時に相手から仕掛けられることの恐怖から逃れるため、治夏様は自らの力を最大に発揮できる時を選んで攻撃をされるのです。それが間違ったことだとは思いません。けれど、正しいことだとも思えないのです。
普段は宮芝家当主としての義務感で覆い隠しておられますが、治夏様はその報いを受けることを恐れているように思えます。それが、無意識のうちに自分を守ってくれる存在を求めることになり、克人様に惹かれることになったのではないかと思うのです。特にUSNAが日本の反魔法師活動に関与していることが明らかになって以降の治夏様は余裕を無くされているように見えます。
魔法大学前で起こした事件については、警察官の犠牲はもっと小規模とする予定だったようです。けれど、警察に非難が向かないようにと、直前で攻撃をより激しいものに変えたという話です。
第二高校の生徒に対して起こした事件も、反魔法師活動が収まらない場合の二の矢として考えていたようでした。けれども、より確実に終息に導く為にと翌日に事を起こすことにしたようです。
連絡を取っていたUSNAの高名な魔法師を処断したことについても、治夏様にしては些か短絡的だったように思えます。普段の治夏様ならば、もっと慎重に背後関係を探っていたように思えてならないのです。
そして、何より宮芝の闇には触れないはずの私がこれらの情報を得てしまえるほど、無防備になっていることに気づいていないように思えます。総じて言えば、今の治夏様は精神の安定を欠いています。そして、治夏様はそのことに気づいていません。
治夏様、私は貴女を敬愛しています。
治夏様、私は貴女を愛しく思っています。
けれど、貴女はもうじき、私の前からいなくなってしまう。
治夏様、私は大切なものこそ、自分の手で壊したくなってしまう悪癖がございます。
治夏様、私は貴女がどのように壊れるのか見たいと思っています。
治夏様、私のこの歪んだ愛情を、貴女は気が付いていらっしゃいますか。