動乱の序章編 使用された戦略級魔法
そのニュースが日本に届いたのは、二〇九七年四月一日朝七時のことだった。
宮芝淡路守治夏の元に届いたのは、南アメリカ大陸の旧ボリビア、サンタクルス地区にて三ヶ月にわたり続いていた独立派武装ゲリラとの戦闘において劣勢に陥ったブラジル軍が戦略級魔法『シンクロライナー・フュージョン』を使用したという臨時ニュースだった。
さしもの宮芝も地球の裏で、ほぼ利害関係のないブラジルに諜報員を派遣はしていない。そのため情報は流れてくるニュースが全てだ。
ブラジル軍の公式発表によると、爆心地はゲリラが拠点とするゴーストタウンの中央部。犠牲者は武装ゲリラ構成員のみで、死者およそ千人。だが、その程度が相手ならブラジル軍も劣勢になど陥らないし、戦局を覆すための戦略級魔法を投入するとは思えない。これは意図的に犠牲者を少なく見積もっていると考えた方がよいだろう。
「淡路守様、いかがなさいますか?」
「学校に行くよ」
警護のために詰めていた掃部の問いに、少し考えて答える。
「今日は入学式の打ち合わせが行われることになっている。その場には四葉の深雪と達也、七草の泉美と香澄、そして新入生として十師族の三矢家の詩奈が参加する。情報収集としては申し分なかろう」
「なるほど、独自の情報網を持つ四葉と、政治力にも長けた七草。そして国防軍とも関係のある三矢ですか。それならばよき情報が得られそうですな」
宮芝も国防軍とは深い関わりがあるが、宮芝の懇意にしているのは反十師族の佐伯など。三矢家と関わりの深い者たちとは派閥が異なるのだ。
「……済みません。入学式では目立たない物にします」
そうして登校した治夏が生徒会室に入ると見知らぬ女子生徒が達也たちに謝罪しているところだった。その女子生徒はヘッドホンを付けていた。ということは、目立たない物というのは、少女が付けているヘッドホンのことだろう。
部屋の中にいるのは達也と深雪と桜井、泉美と香澄、そして件の女子生徒。ということは、このヘッドホン少女が三矢詩奈なのだろう。
「入学式では、余り目立たない物の方が良いだろう。だが普段は学校でもそれで構わないと思う。何せ、当校にはもっと非常識な前例がいるからな。教員も含め、そんなことを気にする者はいないはずだ。だから今も、気にする必要は無い」
「達也、いきなり人の方に目を向けながら礼を失した発言をするのは、非常識なとは言わないのか?」
「非常識と呼ばれたくないなら、まずその腰の物をどうにかしたらどうだ?」
治夏の腰にあるのは愛刀一振りのみ。
「ああ、すまない。けど、脇差は使い道がないから、持たない主義なのだ」
「二本差しでないことを咎めるわけがないだろう。帯刀したまま登校することを非常識だと言っているんだ」
「そんなもの、森崎も関本も帯刀しているだろう」
「全員、和泉の部下じゃないか。部下の非常識も上司の責任だと思うぞ」
刀の危険性はCADより低い。達也の言い分は簡単に受け入れられるものではない。
「あの……この方は?」
しかし、その前に女子生徒が声を発した。そういえば、お互い自己紹介もしていない。
「和泉、こちらは今年の新入生総代の三矢詩奈だ。和泉なら知っていると思うが、十師族の三矢家の出身だ」
「はじめまして、三矢詩奈です」
丁寧にお辞儀をした後で三矢が説明するには、彼女は鋭敏すぎる聴覚を持っており、その対策として外部の音量を自動調節して伝えるための機器が欠かせないということだった。
「なるほど、そのような理由であればやむをえないな。私の前でもヘッドホンを付けたままでいることを許そう」
「それで、この尊大な女が宮芝和泉だ。宮芝家という古式の名門の当主で、風紀委員を務めている。三矢さんには十文字家当主の克人さんの婚約者と言った方が通りはいいかな」
克人の婚約者と言ったところで、三矢はようやく相手に思い当たった顔をした。宮芝では全く反応がなかったのが癪だが、それだけ三矢家とは接点が少ないのだ。
ちなみに治夏と克人が婚約したということは、十師族には内々に伝えられている。大々的な発表とならなかったのは、箱根のテロとその後の反魔法師活動家、もとい治夏が命じた凶行の直後という状況に配慮したためだ。
「はじめまして。宮芝淡路だ」
「淡路……さん?」
達也から和泉だと聞いた直後であったためだろう。加えて、和泉はともかく淡路は名前としては一般的ではない。三矢は困惑した様子を見せていた。
「以前は宮芝和泉を名乗っていたが、今は宮芝淡路を名乗っている。そういうことだ」
「ちょっと待て、聞いていないぞ」
「ああ、達也には言ってないな」
「普通、名前が変わるようなことがあれば連絡くらいはするものだろう。というか、そもそも名前が変わることは、ほとんどないだろう」
「ちょっと前に四葉に名前が変わった人に言われたくはないな」
達也も戸籍上は昨年末に司波達也から四葉達也になっているはずだ。だが、未だに司波達也を名乗り続けている。
「伝えてくれなかったのは少し寂しい気もしますが、私もこれからは淡路と呼んだ方がいいということですか?」
そう聞いてきたのは深雪だ。
「これまで通り和泉でいいよ。せっかく名が通ってきたのだ。変えて別人と認識されてしまうのは惜しい」
「なら、名前を変えなければよかったんじゃないか?」
「敵を攪乱するためには、ときどき官位を入れ替えた方がいいのだよ。本来、宮芝は全体で宮芝なのだからな」
治夏が言ったことのうち後段は本当のことだが、前段は正しくはない。宮芝が官位の入れ替えを行うのは人事異動に伴ってのもの。ただ、その人事異動を外部に伝えることをしないために、敵が勝手に勘違いをしてくれるというだけだ。
現在の和泉守は先代だが、今はまだ対外的には治夏が当主と思ってくれた方がいい。達也たちは淡路守が当主の座を譲った和泉守が名乗る官位と知らないはずだが、念のために和泉と呼ばせておいた方が無難だろう。
ちなみに宮芝家中にせよ親交のある十師族にせよ、治夏のことを和泉と呼ぶ者はいない。宮芝家当主である治夏を呼ぶときに用いるべきなのは、正式な官位である和泉守だ。略称である和泉と呼ぶような無礼者はいない。唯一の例外が、治夏が第一高校に入学するに当たり使用した現在だけ。つまり和泉と指名した場合は学友が治夏を指したものと容易に判断できるというわけだ。
「ところで、今日わざわざ登校してきたのは、こんな無駄話のためではない」
「ブラジル軍が使った戦略級魔法のことだな」
やはり達也もニュースで見て気になっていたのだろう。皆まで言わずとも治夏の要件を分かってくれていた。
「率直に聞く。今回の件、四葉、七草、三矢はどの程度の情報を持っている?」
「残念だが、今のところ情報はない。本家には連絡を取っていないが、さすがにブラジルの情報は持っていないだろう」
「七草はそもそも国外の情報はほとんどありませんから」
「私も同じだと思います」
達也、泉美、三矢から揃って情報がないという情報を得られた。考えてみれば魔法師の国外移動が厳重に管理されている現下で、その筆頭たる十師族が国外に出るのは容易なことではない。そもそも十師族は強力な魔法師であって、諜報機関の人間ではない。高い魔法力を生かして精密探査等が得意な者はいるだろうが、それが本分ではない。
加えて言えば、仮にいくらかの国外情報を持っているにしても、それは日本に強い利害関係を持つ国のみだろう。もしもブラジルに情報を持っていると言われれば、何と物好きな、と返していたかもしれない。
「なるほど、今回は空振りということだね」
そう言って帰ろうとしたときだった。
「あの、私、皆さんとお近づきの印にと思ってこんな物を作ってきたんですけど……」
そう言って三矢がスポーツバッグの中のバスケットから取り出したのは、片手に乗るくらいの大きさのパンケーキサンドだった。それは思いの他に美味であり、気づいたときには治夏はパンケーキサンドを三個も平らげていた。
余談だが、その夜、治夏はカロリーに追いかけられる夢を見た。
どこかで、この時代には肥満はない、とか見た気がしない気もしますが……。
まあ、宮芝は昔ながらを維持しているということで。