西暦二〇九七年四月七日。今日は魔法科高校九校の入学式が一斉に行われる日だ。
普段は風紀委員の仕事をさぼりまくっている宮芝淡路守治夏も、今日は勤務を怠るわけにはいかない。さすがに去年の七宝のような暴走新入生はそうはいないだろうが、警戒だけは緩めずに式を見守る。
厳粛な空気の中、入学式は滞りなく終わった。いつもより浮ついた空気が抑制されていたのは、新入生も父兄も来賓も舞台の下に控える生徒会の顔ぶれが気になっていたからに違いない。
なんといっても、十師族の中でも悪名高い四葉の次期当主がいるのだ。迂闊な言動で目をつけられてはかなわない。そう考えると、最初から治夏の出番はなかったのかもしれない。楽ができて喜ぶべきか、骨折り損と悲しむべきかは難しいところだ。
張り詰めた入学式の雰囲気が唯一和んだのは、三矢詩奈が答辞を読んでいた時間だ。お世辞にも「堂々と」とか「流暢に」とは言えない、何度も支えそうになりながら何とか踏み止まって、読み終えた瞬間に全身から達成感を漂わせたその姿は「一所懸命」という言葉がとてもよく似合っていた。
三矢は治夏には絶対に似合わない、可愛らしい姿を皆に存分に披露していた。そんな三矢を見て、治夏が少しだけ嫉妬したのは秘密である。
「詩奈ちゃん」
「泉美さん」
そんな感じで式を終えた三矢の元に七草泉美が近づき、声をかけた。その瞬間に三矢の周りから、自然に来賓たちが離れていく。
七草家は四葉家と並ぶ日本魔法界の双璧だ。一高の入学式に招かれている人間で七草家の不興を敢えて買う度胸の持ち主はいなかった。
「例の件を正式にご相談したいので、これから少しお時間をいただけませんか?」
「はい、構いません。泉美さんについていけばよろしいでしょうか」
これから行われるのは恒例の主席合格者に対する生徒会への勧誘だ。とはいえ、今年はすでに色よい回答を受けている。治夏が立ち会う必要はないだろう。
一応は風紀委員であるので入学式の後片付けを手伝い、後の清掃と施錠を職員に引き継いで、治夏は達也、吉田、ほのか、雫と一緒に講堂を出た。その瞬間、治夏は表情を険しくして第一小体育館の方を睨みつけた。
「どうした、和泉」
「誰かが術を使っている。これは古式魔法の『順風耳』だな。遠く離れた特定の場所の音を拾う術だ」
達也の質問に答えた治夏に、ほのかと雫が顔を見合わせた。
「盗み聞きの術?」
「そういうことだ、雫。これは許せないな」
「許せないとは?」
憤慨している治夏に対して、達也は落ち着いたものだ。
「標的となっているのは生徒会室だ。あそこにいるのは、深雪と泉美、桜井水波に三矢詩奈。女子ばかり四人だぞ。男子の目がないのだ。達也にも、ちょっと聞かせられない話をしていたらどうするつもりだ」
「深雪はそんな迂闊なことはしない」
「それは兄馬鹿というものだ。女だってそれなりには、そういう話をするものだぞ」
「新入生の前でする話ではないな」
そういえば、深雪と三矢の間には面識はほとんどないのだったか。さすがにそれで際どい会話はしないかもしれない。いや、やや幼めの外見のくせに三矢はそれなりに大きなものを持っていそうだった。そのことに誰かしらが言及している可能性は……ないな。
「ともかく、秘密の花園の覗きなんて許せない。そんな不届き者は校内引き回しの上で打ち首にするぞ、達也」
「いや、もう少し穏便に行こう。きっと和泉が思っているような理由ではないから。それに生徒会室をはじめとした重要施設には、特に厳重なプロテクトが掛かっているのは和泉も知っているだろう?」
「プロテクトはともかく、達也は術者に心当たりがあるのかい?」
達也の口振りは、術者の正体に気づいているのではないかと思わせるものだった。しかし、達也は治夏の問いに答えてくれない。
「場所は分かるか?」
「第一小体育館だ」
「とにかく現場を見に行ってみよう」
百聞は一見にしかず。治夏も達也の意見に反対するつもりはない。達也の後について第一小体育館に向かう。
「この裏側の壁際だな」
第一小体育館の前に着くと、治夏はすぐに術者の場所を伝える。
「達也さん、それでどうしますか?」
「このまま捕まえる?」
「当然だろう」
ほのかと雫は達也に質問していたが、達也が答える前に治夏は断じた。女として覗き魔を見逃す手はない。
「俺と和泉が裏から近づく。幹比古たちは少ししてから正面から近づいてくれ」
「おや、この配置だと捕らえるのは裏からの組だろう? 吉田と組まなくていいのか?」
「和泉から目を離すのは危険すぎる」
勝手に標的を抹殺してしまいそうだと疑われているらしい。別に治夏が今回の被害者でないのだから、そこまで過激なことをするつもりはない。ひとまず達也が治夏のことを信用していないことだけはよく分かった。
「分かったよ、今回は達也の方に行く。そして、何もしないで見ていることにする。これでいいか?」
「そう不貞腐れないでくれ。相手を傷つけない魔法なら使ってもいいから」
何もする気をなくしていると、なぜか魔法を使ってもいいと言われた。達也の考えがよく分からない。が、魔法を使っていいのなら、色々と楽だ。
「とりあえず達也と二人分、気配遮断の術をかけておく。それでいいかい?」
「ああ、それで頼む」
達也に言われて治夏は二人分の気配遮断を使い、魔法の不正使用者の逃走予想経路で待ち伏せをする。しばらく待っていると、吉田の気配に気づいた相手が治夏たちの方へと逃げてくるのが分かった。
「新入生だな? この付近で不正に魔法が使用されたのを感知した。話を聞きたいので同行してもらいたい」
達也の呼びかけに対する、容疑者である男子生徒の答えは逃走だった。髪を縛っていた紐を解いて顔を隠すと、高速移動の古式魔法『韋駄天』を発動させる。
「待て」
達也が言いながら、術式解体で韋駄天の効果を吹き飛ばす。それと同時に治夏も魔法を発動させていた。
「があっ……」
前のめりに地面に倒れた男子生徒が、顔を打ち付けて苦悶の声を漏らす。治夏が使用したのは『重石』という、単純に身体を重くする魔法だ。はっきり言って、それほど強力な魔法ではないが、治夏が咄嗟に使える魔法など、この程度なのだから仕方がない。
それでも、十分だ。達也はすでに男子生徒に手を伸ばそうとしているのだから。
だが、男子生徒は抵抗を諦めてはいなかった。視界に入った街路樹の枝を見つめて何かをしようとしている。
あくまで抵抗するのなら仕方がない。少し痛い目にあってもらうのみ。
「雷網」
治夏は男子生徒に向けて雷撃を纏わせた網を作る魔法を使い、上から被せる。男子生徒は雷を急に浴びた者特有の奇妙な叫び声をあげ、そのまま意識を失った。
「達也、宮芝さんのことは、ちゃんと監視しておくんじゃなかったのかい?」
小体育館をグルリと回り込んで再合流した吉田が、男子生徒の状態を見るなり開口一番で言ったのが、これだった。
「なかなか厄介な能力を持っているようで、和泉を止める間がなかったんだ」
「それに後遺症が残るような怪我じゃない。軽く失神しているだけだ」
「……二人に任せた僕が馬鹿だったよ。ひとまず保健室に連れていくよ」
吉田が盛大に溜息をつきながら言ってくる。どうやら、吉田には達也もやり過ぎの傾向があると思われているらしい。
「そうか、それでは私はここいらで失礼するよ」
「ちょっと、宮芝さん」
「こいつが目覚めるまで待つなど、時間の無駄だろう。私はどのような処分となろうと異は唱えないから、後は好きにやってくれ」
「ああもう、あの人はいつまでたっても!」
吉田は相変わらず何か言っているが、治夏はそれには耳を貸さずに、その場から逃走した。ちなみに、治夏が処分を求めなかったからかは知らないが、その男子生徒は特に処分はされなかったらしい。