兄の達也が登校を控えるようになってからも、司波深雪はこれまで通りの学校生活を過ごしていた。深雪としては達也の傍にいることを望んだのだが、達也が頑として首を縦に振らなかったためだ。仕方なく深雪は生徒会室で兄の分も業務に励んでいた。達也の同級生である十三束鋼が生徒会室を訪ねて来たのは、何気ない水曜日の放課後のことだった。
「達也様が次に登校されるご予定ですか? あいにく、うかがっておりませんが」
深雪と十三束は親しいというほどではないが、それなりに面識はある。次に達也が登校するのは何時か、という問いに不本意な現状への不満を混じえて深雪は答える。
「じゃあ……司波君が今何処にいるのか、教えてもらえないでしょうか」
「それを知ってどうするつもりだ?」
十三束の質問に答えたのは、最近は張り詰めた雰囲気で生徒会室に詰めていることも多い宮芝和泉だった。
「司波君と、話をしたいことがある」
「なるほど、達也の暗殺に加担するつもりというわけか」
「そんなことは言っていないだろう!」
「同じだと言っている。天才と称えられていたトーラス・シルバーは同時に他国にとっては脅威でもあった。自国の利益のために、手に入らないならば殺してしまえ、と考える者は大勢いる。そうでなくても達也は注目を浴び過ぎた。先日の校門前の銃撃、忘れたわけではなかろう。それを警戒せねばならないから登校も控えて身を隠している。その状況で会いに行くというのは、暗殺者をご案内と同等の行為だ」
それは十三束には想像もできていなかった現状だったのだろう。十三束はしばし言葉を失っていた。
「お話でしたら、よろしければわたしがうかがいますけれど」
さすがに少し不憫に思い、深雪は十三束に話をしたいと思った理由を聞く。
「母が倒れたんです」
「お母様が!?」
「あ、いえ、倒れたと言っても命に別状はありません。急性の胃潰瘍で……一ヶ月程度安静にしていれば退院できるそうです」
「そうですか……。お大事になさってください」
「ありがとうございます」
深雪のお見舞いの言葉に謝辞を返した後、十三束はまだ何か言いたそうにしていた。
「……母はこのところ、政府から厳しく責められていたそうです」
少し待ってみると、深呼吸で間を取り、十三束が続きを語り始める。
「達也様のことで?」
「そう、ですね。エネルギープラント計画を取り下げてディオーネー計画に参加するよう、司波君を説得しろと……」
「では、その者は私の方で手を下しておこう」
和泉の唐突で物騒な発言に皆で一斉に振り向いた。
「私に面倒な奴の暗殺をしてほしいから、この場でそのような話をしたのだろう?」
彼女はなぜ、物騒な方向にばかり話を飛ばすのだろうか。和泉の思考が理解できずに深雪としては困惑するよりない。
「違う! 僕はそんな話をしていない」
「じゃあ、どんな話をしにきたのだ?」
「僕は政府の思惑に関係無く、司波君はディオーネー計画に参加するべきだと思っている。人類の未来にとって間違いなく有意義な計画だし、USNAは司波君を最大限の名誉ある待遇で迎えようとしているじゃないか。彼にも色々とやりたいことがあったのかもしれないけど、ここは日本の為にも日本人魔法師の為にもUSNAの招待を受けるべきだ」
「ふむ、お前がこれほどまでに愚昧だとは思わなかった。なるほど、これ以上は何を話しても無駄なようだな」
和泉の心から侮蔑する視線に、普段は温厚な十三束も顔を歪める。
「司波君一人の我が儘で、皆に迷惑を掛けて良いはずがない! 司波君が少し我慢すれば、全部丸く収まるんだ!」
「十三束君、お母様が倒れられた所為で我を失っているようですね。今日のところはお引き取りください。それがお互いのためです」
普段の十三束はむしろ我が弱いくらいで、こんなに独善的なことは口にしない。それに和泉の雰囲気の危険性に気づかないほど、周囲が見えないわけでもない。
深雪はそれを知っているから、平和的な解決を図ろうとした。
「……司波会長、僕は貴女に決闘を申し込みます」
「決闘というのは、意見の対立を解決するための試合のことですか?」
「はい。僕が勝ったら、僕に司波君を説得させてください」
「ならば私が勝ったら、お前の命を貰おう」
そう言って入ってきたのは、またもや和泉だった。
「命って……それでは本当の決闘になってしまうではありませんか」
「この試合は、そもそもそれに近いものだ。私は先にトーラス・シルバーは他国にとっては脅威でもあると告げた。脅威となる相手が帰国することを他国が許すと思うか? 司波達也はUSNAに向かえば、間違いなく二度と日本の土を踏むことはない。それを少しの我慢と言い切るのだ。ならば自分も国のために命を捧げる覚悟は持っていてしかるべきだろう。その覚悟に従い、私はこやつを来るべき戦いのための素材に変える」
よく言えば素直、悪く言えば平和ボケした十三束にとって、和泉が語る言葉はいちいち予想外で衝撃的なことのようだった。
「お前は達也が国のために死ぬことを望んだ。ならば私はお前が国のために死ぬことを望もう。さて、お前はこの勝負、受けるか?」
「十三束君、私からの最後の忠告です。この勝負は断ってください」
普段の十三束ならば、これだけ言われれば引いたはずだ。けれど、今日の十三束はなんだか意固地になっているようだった。そして、深雪の想像通り、悪い方向に出た。
「分かりました。それで構いません」
十三束と和泉との関りは薄い。和泉の戦い方についても概要くらいしか知らないはずだ。けれど、二科生で成績もよくない和泉との正面からの戦いでは負けないと考えたのだろう。だが、それは大きな間違いだ。
「残念だが、失格だよ。十三束」
和泉がそう言うのと同時に、十三束が膝から崩れ落ちた。十三束を倒したのは和泉が密かに放った雷童子だ。
「何を……」
力が入らない中で辛うじて口を開く十三束に対し、和泉は素早く抜刀した刃を寝かせて胸から突き入れる。
「十三束君。和泉さんにとっての決闘とは、開始の前にいかにして終わらせるかの勝負です。開始の合図がかかるまでは攻撃されないという思い込みは命取りです」
「そんなことが……許され……」
胸に穴を空けられた十三束が苦しそうに呻く。
「許される、許されないの話ではない。勝つか負けるかだ。戦というのは勝った者が正しく、負けた方が間違っているのだ。お前はその程度も理解できない頭しか持たないのに、迂闊な言動を繰り返した。お前は達也や国に害悪となる無能だ。だから、その無能な頭を無にして宮芝の素材となれ」
和泉が合図を送ると、外から平河千秋が入ってくる。
「これが新しい素材ですか?」
「ああ、そうだ。お前の好きにして構わん」
「本当ですか、ありがとうございます」
千秋は同級生のはずの十三束を素材と言い放った。それは十三束を研究材料としか見ていないということを意味していた。
「あの、十三束先輩を放っておいて、いいんですか?」
「十三束君は負けたら宮芝家の素材になるという提案を受け入れました。和泉さんと、まだ決闘の詳細を詰めていないにも拘わらず」
聞いてきた泉美に言うと、泉美は初めて気づいたように目を見開いた。
「私はこの結果が予測できていたため、何度も制止をしました。けれど、十三束君は最後まで自分の行っていることも、相手が言っていることも理解できていませんでした。さすがに庇うことは難しいです」
それに今、宮芝は達也に多大な支援をしてくれている。それは達也の平穏のためには絶対に必要なもので、今は失うわけにはいかないものだ。それを守るためならば、十三束一人くらいの犠牲では深雪は揺るがない。
けれど、懸念がないわけではない。今の和泉は十三束以上に余裕がなかったようにも感じたからだ。何やら黒い箱に入れられて、呼び出された関本に担がれて運び出される十三束を黙って見送りながら、深雪の心もまた焦燥を感じずにはいられなかった。
深雪も原作に比べて冷酷に。
ここ最近、死に慣れ過ぎて皆さん麻痺しているのかも。