十三束鋼が姿を消してから三日後の土曜日、司波達也は滞在中の伊豆の別荘で深雪から事情を聞いた。そのときは、さすがに十三束を気の毒に思った。
達也はこれまで同級生である十三束に悪感情は持ったことがない。それでも十三束の母親が倒れたというだけでは、何の感慨も抱かなかっただろう。だが、同級生にもう二度と会えないとなれば、少しは思う所もある。
そうして和室に、二組の布団を並べて深雪と眠った翌日曜日の夜明け前、達也は自分と深雪に向けて押し寄せて来る悪意を知覚した。
水の分解、酸水素ガスの生成と再結合。達也は覚醒直後の状態で魔法の性質を読み取る。それはトゥマーン・ボンバと思われる魔法の兆候だった。
昨日の昼から降り続いていた小雨が、既に霧に変えられている。
雨粒をさらに細かく、霧に分割する工程。
霧を水蒸気に気化する工程。
水蒸気を水素と酸素に分解する工程。
そして、水素と酸素を同時に結合し、点火する工程。
何の対抗策も取らず観察を続けたことで、戦略級魔法トゥマーン・ボンバの性質を、達也は今こそ認識した。
この間にも、新たに空から落ちてきた雨粒から酸水素ガスが生成されている。もはや達也をもってしても止められない。
霧の塊が水素と酸素に分解され、酸水素ガスは外側から内側に、同時ではなく連続的に燃焼した。
押し寄せる衝撃波により標的とされた木造の別荘は粉々に吹き飛ばされる。けれど、達也のいる別荘は水波の障壁魔法により守られて無事だ。おそらく直撃であれば、いくら障壁魔法に特化した水波にも防ぎきれなかっただろう。けれど、三百メートル先からの衝撃波だけならば水波でも十分に対応可能だ。
原理は非常に単純。四葉の財力と宮芝の精神干渉魔法を用いて三百メートル先の別荘を買い取った上で地下を移動できるようにしただけだ。付け加えるならば、本体の別荘には情報遮断の結界を敷き、身代わりの別荘の中には宮芝が情報を映した形代が置いてあるので、魔法的な探査も誤魔化すことも行っている。
ベゾブラゾフからの攻撃を防ぎきってからの計画は二通りあった。一つはこのまま何も行わずに達也はトゥマーン・ボンバにより死亡したことにする方法。こちらは様々な面倒から解放されるという利点があり、本来ならばこちらが本線のはずだった。だが、今は深雪が一緒にいる。深雪まで死んだことにして姿を隠すというのは、良い手段ではない。
ゆえに達也が選択するのは二つ目の方法。ベゾブラゾフへの反撃だ。
達也は固有魔法、エレメンタル・サイトを、トゥマーン・ボンバの発生源に向ける。幸いにも作戦の成功を信じているのか、第二射はない。
爆発の発生源ではなく、魔法の源へ。魔法を放った魔法師へ。
達也が到達したのは、二人の若い女性のエイドスだった。
酷く歪で脆弱な、おそらくは壊れかけた調整体魔法師。
世界には十三人の国家公認戦略級魔法師以外にも、三十人から四十人の戦略級魔法師が隠されていると噂されている。
他ならぬ達也自身が「隠された戦略級魔法師」だ。
この二人が何者であれ、彼女たちがトゥマーン・ボンバの発生源であることは確実だ。
「ならば、消し去る」
他者の魔法の侵入を妨げる事象干渉力のフィールドを消し去り、魔法師の肉体を守る情報強化を消し去り、肉体を、構成元素に分解する。
人体焼失ならぬ、人体消失魔法。
およそ千キロメートルの距離を超えて、人間を消し去る魔法を発動させた。
二人の敵魔法師が焼失し、トゥマーン・ボンバに使われていたCADが破損したのを情報の次元で観測して、達也は戦闘態勢を解除した。
「水波もよく守ってくれた」
「いえ、おそれいれます」
寝室に入ってきた水波を労いつつ、達也が行ったことを二人に説明する。
「トゥマーン・ボンバを使ってきた魔法師は二人の若い女性だった」
「女性? ベゾブラゾフは四十代後半くらいの男性ではありませんでしたか?」
深雪の疑問は当然だ。それは達也も思ったことなのだから。
「記者会見を行ったのがベゾブラゾフ本人だったという保証はない。だが、ロシア人男性であることは確実だったはずだ」
「では、今回の攻撃はベゾブラゾフではなかったということですか?」
「そうだろうな。だが、二人がトゥマーン・ボンバの発生源だったのは確実だ」
「それで、その二人はどうしたのですか?」
「消した。安心はできないが、ひとまずの危機は脱したはずだ」
そう深雪に答えて日常に戻りかけたところで、和泉からの通信があった。
「達也、ベゾブラゾフは生きているぞ!」
「そうだろうな。俺が反撃したのは若い女性の魔法師だったからな」
和泉は慌てた様子で言ってくるが、達也にとっては新情報でも何でもない。ごく当たり前のことと受け止めて簡単に返す。
「何で落ち着いていられる。早くベゾブラゾフを狙え!」
「狙うも何も、ベゾブラゾフがどこにいるのか分からない」
「何だと? 私はベゾブラゾフは君が攻撃をしたCAD車両に乗っていたと部下から報告を受けたが?」
「そうなのか。どちらにせよ、俺の魔法だって万全じゃない。再度の攻撃でも仕掛けてくるのでなければ、どうしようもない」
達也の魔法は自分に対する魔法発動を知覚して行う。何もなしに千キロも先の情報を得ることは、達也にもできることではない。
「ところで、そこまで分かっているということは、宮芝の術士はベゾブラゾフを何らかの手段で観察しているということか?」
「達也に対しても使ったことのある方法だよ」
思い当たるのは、遠距離からの目視確認だろうか。和泉が言葉を濁したのは万が一、傍受をされたときに観察をしている魔法師の身が危険であるからだろう。
「宮芝で対応は難しいんだな」
「遺憾ながら、そうだ」
「ならば、今回は諦めるしかないだろう」
「今回は偽装が上手くいったが、そう何度も使える手ではないぞ。奴の魔法に対する対抗策は分かったのか?」
「ああ」
当初は熱量の増大を禁じる魔法『凍火』で対抗をしようと思っていた。けれど、実際に使わせてみたことで、物体の運動を減速する『減速領域』で衝撃波を減衰することで破壊力を失わせることができることが分かった。これなら、次は防げる。
「対抗方法が見つかったのなら、何よりだ。では次はベゾブラゾフにトーラス・シルバーを暗殺しようとした理由を問い質さねばならないな」
「そうだな。これでディオーネー計画に参加するという選択肢は消えた。俺にとっては幸いとも言えるが、次はなりふり構わず仕掛けてくるのではないか?」
「念のため聞いてみるのだが、今回の報復として奴の本拠を消し去るという方法はないのだな?」
「当たり前だ」
ここで達也が戦略級魔法を使ってしまえば、いよいよ戦略級魔法の撃ち合いになってしまう。一方的に攻撃をされて黙っているのも得策ではないが、今は世界を巻き込んだ魔法戦の兆候を見せるべきではない。
「まあ、仕方ないか。それにしても、新ソ連との全面対決は避けたかったのだが、事ここに至っては、やむを得んか」
「今回は俺から手を出したわけではないからな」
同盟国が何とも怪しい状況で、軍事大国である新ソ連と正面からの戦いは日本としては避けたいところだろう。しかし、達也としては攻撃を続けられれば反撃に出るしかない。
「分かっている。まあ、どの道、新ソ連を放置という手はありえなかったしな」
またも言葉を濁したが、和泉の頭にはUSNAとの開戦が念頭にあるはずだ。
「何とか穏便に事態が収まるのを祈るだけだな」
思い切り当事者であるのだが、達也がどうにかできる問題でもない。そのため返した言葉は予想以上に他人事のようになってしまい、和泉に苦い顔をされたようだった。