二〇九七年六月九日、日曜日早朝。
正確な時刻は、午前五時六分。
伊豆半島中央やや東寄りの高原地帯が、大規模魔法による爆破攻撃を受けた。
その爆破攻撃を観測するため、国防陸軍第一〇一旅団独立魔装大隊の隊長である風間玄信は偵察用の装備を施した装甲車で出動していた。
達也が滞在している別荘の周りには、半径およそ一キロメートルに渡って、四葉家配下の魔法師によるものと思われる結界が張られていた。
それは魔法師であるか否かを問わず、精神干渉系魔法に耐性の無い人間は無意識の内に避けてしまう人払いの陣であると同時に、内部に侵入した者があれば、それを術者に伝える対人センサーの役目も兼ねたものだった。けれど、風間の乗る装甲車は四葉家の結界に掛からないまま観測を行っている。
それを可能としたのが、認識阻害魔法、天狗術『隠れ蓑』。
見えているのに見ない。
聞こえているのに聞かない。
光や音波を遮断あるいは攪乱するのではなく、意識に干渉し「そこにいない」と思い込ませる魔法だ。
装甲車の存在を覚られていないのは、風間の天狗術が四葉家の結界を上回っているからに他ならない。とはいえ、四葉家の魔法師の結界に対抗するのは『大天狗』の異名を取る風間をもってしても容易なことではなかった。結果として、風間は身動きもできずに念を凝らすことになったのだ。
その甲斐あって上手くトゥマーン・ボンバの情報を記録することができ、撤収という段になったのだが、そこで一瞬の気の緩みを四葉家に気づかれてしまう。そうして風間たちは四葉配下の十一名の魔法師たちに囲まれることになった。
「全員、車内に待機。こちらに敵対の意思があると相手に誤解を与える行為は禁じる」
今、四葉家と争うことは絶対に避けなければならない。部下に釘を刺して、風間は装甲車を降りる。
「津久葉夕歌と申します。四葉家を本家と仰ぐ、津久葉家の長女です」
そう名乗った津久葉が追及してきたのは、風間が乗っていた装甲車についてだ。
「申し訳ありませんが、軍機につきお答えできません」
風間の乗る装甲車は偵察仕様のもの。それは、外国が達也を標的とした攻撃を仕掛けてくると察知していたと白状しているも同然だった。
「誤解しないでいただきたい。我々に四葉家と敵対する意思はありません」
「四葉家は守られる民間人には含まれないと?」
「形式はともかく実質的には、完全な非戦闘員ではないでしょう」
民間人ではあっても戦闘能力は有していることは間違いない。少なくとも、論理が破綻しているということはない。あと一歩で津久葉の追求をかわせそうだ。
「そんなことより、トゥマーン・ボンバによる攻撃を、軍が予期していたかどうかを知りたいのですが」
けれど、そうはならなかった。そう言いながら、達也が木立の陰から姿を現したからだ。不覚にも、風間は達也の接近に気づくことができなかった。
「風間中佐、自分は中佐に義理と恩義を感じています。ですから、こういうことは言いたくないのですが」
達也の言葉には隠し切れない不快感が見える。風間は宮芝家から今回の一連の件には達也にできる限りの便宜を図るよう依頼されていた。今回の件は、それには反していないはずだが、今は達也に敵意をもたれるのは得策ではない。
「宮芝家の手も借りての対策がなければ危ういところでした。あらかじめ警告をいただいていれば、そもそも新ソ連に奇襲を許しはしなかったものを……」
それまで、なんと言って切り抜けるかを考えていた風間だが、達也の言葉の中には無視しえぬものがあった。
「遠距離魔法による奇襲が新ソ連によるものというのは確かなのか?」
「奇襲攻撃に使われた魔法はウラジオストク近郊の線路上から放たれました」
「線路上?」
「トゥマーン・ボンバと推定される魔法を放った術者の情報を読み取った結果です」
「線路上ということは、新シベリア鉄道の軍用車両か」
国防軍にとって、これは大きな意味を持つ情報だ。
トゥマーン・ボンバの発動には、一車両をまるごと占める大型CADを使うらしいというのは、以前から言われていたことだ。だがその説には裏付けが無かった。
それに宗谷海峡でトゥマーン・ボンバらしき魔法が使われた時には、そのような列車の移動は観測されなかった。その所為で国防軍は、専用列車を使うという情報が誤りだったのか、それともあの時の魔法がトゥマーン・ボンバではない別の術式だったのか、頭を悩ませることになったのだ。
「国防軍は、今朝この場所に奇襲攻撃が行われることを知っていた。そうですね?」
「分かっていたわけではない。それに日時までは予測できなかった」
「つまりここが奇襲を受けると予測はできた。それは何故ですか?」
「ベゾブラゾフがウラジオストクにまで来ていることは宮芝からの情報で確認していた。攻撃がありうるかも、というのは単なる予測だ」
おそらく四葉も同じ情報は得ていたはずだ。その情報から、国防軍は攻撃がありうると予測した。一方の四葉は、そこまではしないだろうと予測した。それだけのことだ。
二人の間の緊張した空気を破ったのは、達也の端末に届いた通信だった。端末をちらと見た達也が僅かに顔を顰める。
「宮芝からです」
「それならば、取った方がいいだろう。別に、その間に逃げたりはしない」
「分かりました」
そうして通話を始めた達也だったが、すぐに風間の方に視線を戻した。
「中佐に伝言を依頼されました。すぐに部隊を率いて北海道に向かえと言っています」
「北海道へ?」
考えられるとしたら、新ソ連の侵攻への対応だろうか。
「早く基地に戻った方がいいのでは? 自分の方は宮芝からも仲裁を受けたので今日の所は何も言いません」
背を向けた達也を最後まで見送ることなく、風間は装甲車の中に戻り出発を命じた。そうして戻った基地で、まず報告を受けたのは今回の魔法攻撃の被害についてだった。
今回の魔法攻撃の被害は、重軽傷者が十一名。幸いなことに死者はなし。物的な被害としては民間の別荘二十七戸が全半壊。
爆発の規模に対して相対的に被害が少なかったのは、家屋が疎らな別荘地であるのに加えて、オフシーズンで利用客が少なかったからだ。負傷者は全員、別荘の管理業務に従事する者と報告されている。
死者がでなかったとはいえ、国土が不当な攻撃に曝され、国民の身体と財産が脅かされたのは、紛れもない事実だ。
程なく日本政府は大規模魔法が新ソビエト連邦の国家公認戦略級魔法師ベゾブラゾフの行使する『トゥマーン・ボンバ』であると断定し、新ソビエト連邦に対してベゾブラゾフの引き渡しを要求するということだった。
「ベゾブラゾフの引き渡しですか? そんな要求が新ソ連に受け入れられるはずはないと思いますが」
いつにない日本の強硬姿勢に、思わず説明を行ってくれる上官の佐伯をまじまじと見つめてしまった。佐伯は苦い顔をしながら、風間に向けて話を続ける。
「受け入れられない場合……間違いなく受け入れられないだろうが、ともかく要求が拒否された場合、または明日の午前三時までに返答がない場合、我が国はウラジオストクに攻撃を敢行する」
「馬鹿な!」
思わず叫んだ風間を佐伯が視線で窘めてくる。
「我が国に正面から新ソ連と戦う余裕はないはずです」
「そう思って宗谷海峡で穏便に済ませようとした結果が今日の事態だと宮芝がたいそうなお怒りだそうだ。政府や軍内の強硬派に手を回して今回は何としてもベゾブラゾフを葬ると息巻いているらしい」
宮芝は宗谷海峡の戦いでも敵を徹底的に叩くべきと主張していたらしい。そのときは折れてくれたが、それが裏目に出たようだ。
「ともかく、攻撃はすでに決まったことだ。風間少佐にも出てもらうしかない」
不本意そうな佐伯に対して、風間は不承不承、敬礼を返した。