六月十一日、火曜日の朝。司波達也は最寄り駅から第一高校へと続く真っ直ぐな道を歩いていた。隣には妹の深雪もいる。
「達也さん、戻ってこられたんですね!?」
達也の姿を見つけて駆け寄ってくるのは、ほのかだ。その顔は喜びに満ちている。
「ああ。今日からまた、よろしく頼む」
そんな様子に微かな苦笑いを浮かべながら達也は応える。
ほのかの後ろには、「やれやれ」という顔のエリカ、レオ、幹比古、美月が控えている。達也の視線に気付いたエリカが軽い仕草で手を振った。
達也は左隣のポジションをキープしている深雪と、右に並んだほのかと共に校舎へと進んでいく。
達也が一高に復学したのは、ディオーネー計画に関わる騒動が達也の手を離れたからだ。トーラス・シルバーにディオーネー計画への参加を求めていたベゾブラゾフが日本に対して魔法攻撃を仕掛けてきた。その時点で日本が新ソ連が参加しているディオーネー計画に参加する見込みは薄くなっていた。
それに加えて、昨日は日本側からウラジオストクに向けてミサイル攻撃が行われた。和泉も参加しての攻撃で、科学アカデミーは壊滅的な打撃を受けたらしい。ただ、新ソ連は早々にベゾブラゾフの無事を宣言し、逆に日本に非難の声明を発してきた。
それに対して日本は改めてベゾブラゾフの引き渡しを要求。両者の開戦の危険は今までになく高まっており、もはやディオーネー計画への参加はありえなくなった。
元々、ディオーネー計画と達也の計画は両立しえないものではない。ただ単に同じ魔法師が両方の計画に同時に参加することはできないというだけだった。そこにディオーネー計画参加が不可能となれば、残るは達也の計画のみとなる。元から達也の計画を支持してくれていたインド・ペルシア連邦とともに計画を進めることができる下地はできつつある。
魔工科の昇降口は二科生側にあるため、前庭で深雪たちと別れた達也は自身の三年E組に向かい、午前中は教室の席で過ごした。欠席中に未履修だった一般科目を集中的に受講していたのだ。
残念ながら半日で終わる量ではなかったが、達也も今日一日で遅れを全て取り戻せるとは思っていない。昼休みになったので、食事に行こうと立ち上がった。
「達也さん、お食事ですか」
「ああ」
美月に答えて教室を出るまでに無人の十三束の席が目に入った。彼の不在に対し、他の生徒たちは一様に口を閉ざしている。達也も無人の席から目を逸らし、食堂へと向かう。だが、久しぶりの食堂での大勢の食事は、賑やかなものとはならなかった。
原因の一つとなったのは水波が報告した七草泉美と香澄の欠席だった。何度かの動画の配信を行って魔法師として知名度が高くなっている二人は、今回の新ソ連との開戦に反対する勢力から標的とされる可能性があるため欠席したということだ。
七草家の姉妹が動画配信を行うことになったのは、元はといえば七草家の謀略が原因だ。けれど、その直接の原因となったのは深雪を広告塔とすることに対する身代わりだ。少しばかりの後味の悪さは避けられない。
「今の所は反魔法師活動が活発化はしていないようだ。状況さえ落ち着けば二人も登校できるようになると思うが……」
「けれど、反戦活動がどうなるかは分からない。実際、二人が欠席したのも、二人の動画にも反戦に関する投稿がされたからみたいだし」
エリカの的を射た発言に、皆が沈痛な表情を見せる。今回の伊豆への魔法攻撃では、日本の被害は大きくなかった。それにも拘わらず開戦辞さずの反撃を行ったことには、平和を志す者たちから反発を招いている。
魔法師はどうしても戦力という側面を持つ。反戦活動の標的とされる可能性は低くない。日本と新ソ連の諍いがどのような経緯を辿るのかは、まだ予想が難しい。何より、二十八家会議の内容を忠実に守るなら、他の魔法師たちは七草家の双子を守ってはくれない。用心はしておくに越したことはない。
「先程、受け取りました淡路守様からの伝言をお伝えいたします」
そして、原因の二つ目が、普段は参加していない平河千秋がこの場にいることだ。
「和泉はなんと?」
「一部の魔法師たちが四葉に対して不穏な空気を醸し出しているとのことです。どうやら、四葉が七草を貶めたと考えているようですね」
「他人事のように言ってほしくないんだが、一部とはどの程度だ」
結果的には、深雪が担いそうになった役割を七草が受けた形になった。だが、その件に対して四葉は何もしていない。そんな達也の思いを無視して平河は話を続ける。
「二十八家の会議の経緯を知った若手の一部のようです。ですが、何人かは無視しえぬ者も加わっているようです」
「無視しえぬ者?」
「九島家の光宣殿にございます」
九島光宣とは奈良に行った際に一日、行動を共にしただけだ。けれど、あのときは達也たちに友好的な姿勢を見せていた。もっとも、あのときはまだ達也たちが四葉であるとは明かしていなかった。
「しかし、四葉家と九島家の関係は悪くなかったはずだが。まして宮芝と九島については言わずもがなだ。それなのに、なぜ光宣は敵対的な姿勢を見せているんだ?」
「九島光宣は七草家と交流があったようです。おそらく、七草に何か吹き込まれたのではないかと」
「また七草家か。どうにも困ったものだな」
七草弘一にせよ智一にせよ、どうしてあの家は大人しくしておいてくれないのか。現下の国際情勢が不穏であるだけに、余計にそう思ってしまう。
「して、四葉殿、淡路守様の伝言はもう一つございますが、内容がここで話すには憚られるものでございますれば、生徒会室をお貸しいただけませぬか?」
「分かった、行こう」
平河にそう言われ、達也は結局、他の皆に断って大急ぎで食事を終えて生徒会室に向かうことになった。
「それで、和泉からの秘すべき伝言とは何だ?」
早く面倒事を終わらせたくて、室内に入るなり達也はそう訊ねた。
「失礼ながら、こちらを使わせていただく」
そう言って平河が取り出したのは、漆黒の布であった。
「こちらは防音と外部からの光の遮断をしてくれます。こちらで防諜をします」
生徒会室内のカメラによる撮影と録音を防ぐということのようだ。平河の念の入れようを見て、達也の戦略級魔法にも話が及ぶのだと分かった。
「まずはベゾブラゾフについてですが、おそらく昨日の攻撃では仕留められなかったということ。それ故、今後も彼奴の戦略級魔法に警戒が必要となります」
「それは何となく予想できていた。仮にも戦略級魔法師な上に、ベゾブラゾフは用心深いとも言われているからな。簡単に仕留めることはできないだろう」
「すでに予測されておりましたか。それならば、話は早い」
そう言った平河が達也を真っ直ぐに見てくる。何だか、嫌な予感がする。
「達也殿、次にベゾブラゾフが戦略級魔法を使ってきた時には、反撃としてウラジオストを灰にしていただけ……」
「それは断らせてもらう」
皆まで言わせず、達也はきっぱりと言った。
「何故ですか? 達也殿にとってもベゾブラゾフめは倒しておかねばならぬ敵ではございませんか?」
「それは確かだが、ウラジオストにそんなことをすれば、俺の周囲は、いよいよ危険なことになってしまう。そんなものは許容できない」
「では、ベゾブラゾフ個人に対しての反撃ならば、行っていただけますか?」
「どういう狙いだ」
「達也殿から連絡をいただければ、すぐにでも我らはウラジオストクに再攻撃を行います。それならば、達也殿の魔法も幾らかは痕跡を隠せましょう」
達也の分解の痕跡は、すでに幾らかは入手されているはず。宮芝の申し出は、さほど得とはいえない。だが、損でもないのは事実だ。
「分かった。その申し出は受け入れよう」
どちらにせよベゾブラゾフは放置できない。達也は、そのような判断で平河に向けて返答を行った。