二〇九七年七月四日、木曜日。大亜連合と新ソ連の戦争は今日で七日目を迎える。
この日の朝、戦況に大きな変化が生じた。東シベリア方面の新ソ連軍の再配置が完了し、ハバロフスクの南で防衛に当たっていた機甲部隊が南下を始めたのだ。
同時にそれまでウスリースク郊外で大亜連合軍を食い止めていた沿海地方軍が挟撃を狙い後退を開始する。それに対して大亜連合が選んだのは急戦策だった。
南下・後退する新ソ連軍の後を大亜連合軍が追い掛ける。しかし追跡の決断に多少の時間を要したのと戦闘車両自体の速度差で、両軍の間隔は大きく開いていた。
そして両軍の間隔が二十キロを超えた時、戦局は劇的な転換を迎えた。
追撃する大亜連合軍の部隊は戦略級魔法トゥマーン・ボンバに晒され、ベゾブラゾフの存命を知っていた宮芝家の必死の分散策をもってしても尚、侵攻軍の半数が無力化されることになったのだ。
第一高校の教室で宮芝淡路守治夏は、その報告を受け取った。正直に言って、この展開は最悪に近いものだ。USNA戦に集中したい日本が望んでいたのは両国の戦争の長期化だ。だが、これほどの被害を受けては大亜連合軍はもはや戦争を継続することは困難だ。
大亜連合という南の脅威を排除できた新ソ連はこれで日本戦に注力できることになる。大亜連合軍との戦いで受けた損害は軽微。極東艦隊にいたっては、大亜連合側が横浜事変で海軍に打撃を受けていたことで陸戦を選択したことにより無傷。これでウラジオストクに甚大な被害を受けたままである新ソ連に、日本と講和するという選択肢はないだろう。
間違いなく極東艦隊が南下をしてくる。だが、その名目は何だろうか。ウラジオストクの件に対する報復だけでは、やや弱い。大亜連合との戦争は早期に終戦に至るとして全くの無傷ではないのだ。その状況で矢継ぎ早に戦を仕掛けるというのは、違和感を抱く者の方が多いだろう。
ともかく、新ソ連との戦いが確実になった以上、関係者と今後の話をしておく必要がある。具体的には達也である。もしも達也が最大威力で魔法を使ってくれるなら、新ソ連戦は随分と楽になるはずだ。一方、いよいよ他国から暗殺者がわんさかと送られることが予想できるため達也が応じる可能性は低い。
というわけで現実的な協力点を探るために達也の家に向かう。すると治夏を迎え入れた達也はなぜか疲れた表情を見せていた。
「どうした? まさかすでに一戦してきた等と言わないよな」
「そんな訳がないだろう。今までずっと新魔法を設計していたんだよ」
それが対新ソ連戦を見越したものであることは明らかだった。
「要は君も新ソ連は大亜連合に勝利した余勢を駆って日本海を南下してくると考えているということか」
「そうだ。もっとも、いきなり宣戦布告してくるのではなく、何らかの理由を付けて艦隊を出動させるのではないかと考えている。例えば、今回の紛争における戦争犯罪者が日本に逃げ込んでいるから引き渡せ、とかかな」
「大亜連合の亡命者を日本政府が受け入れることなど、さすがにないだろうがな」
「大義名分はこの際、どんなものでも良い。新ソ連の目的も様々な憶測が成り立つ。彼らの狙いが何であっても、侵攻を受ける可能性があるなら、それに備えなければならない」
「まあ、それはそうだな」
いずれにしても新ソ連との戦いは起こるのだ。他国が参戦する見込みが薄いのなら、正直に言って大義名分など無くともよいのだ。
「それで、君はその新魔法を使って新ソ連を攻撃するのか?」
「そんなわけがないだろう。何度も言っているが、俺は民間人だ。戦争は、参加の意思がある者にやってもらう」
「新ソ連戦に参加の意思がある者……まさか!」
「そのまさかだ。新しい戦略級魔法は一条将輝に使わせる」
達也の発言は治夏を大いに驚かせるものだった。まさか自分以外に使わせるために新魔法を開発しているとは思わなかったのが一つ。そして、もう一つさらりと告げられた見逃せない発言があった。
「君、新魔法とは戦略級魔法だったのか」
「ん……ああ、そうだ」
「戦略級魔法とは、簡単に作れるものではないだろうに」
本当に達也のこの非常識ぶりはどうにかならないのだろうか。
「それで、君はすぐにでも一条に戦略級魔法を教えるために金沢に向かうつもりか?」
「いや、一条に戦略級魔法を習得させるのは俺じゃない。吉祥寺真紅郎だ」
「戦略級魔法の作成という大手柄を簡単に他人に譲るなど君くらいのものだろうな。だが、悪くない選択だ。君はこれ以上、注目を浴びても良いことなどないからな」
「そういうことだ」
そうして新しい戦略級魔法についての話を聞いてみると、トゥマーン・ボンバの基幹技術であるチェイン・キャストという技術を使った海上用の超広域爆裂ということだった。それを聞くと、一条は確かに術者として最適だ。
「ところで、君の魔法の存在は新ソ連も知っているだろう。取ってくる対策はどのようなものになると予想している?」
達也が民間人の立場にこだわりを持っていることは新ソ連は知らないはずだ。それに四の五の言っていられない状況になれば、達也とて戦略級魔法を行使する。その可能性を排除した作戦を立てるほど新ソ連は無能ではない。
「俺が攻撃できなくする方法を取るだろうな」
「例えば?」
「難民船団を仕立てて、戦闘艦から通常兵器では流れ弾の被害を受けない程度、離しておく。散開した艦隊を殲滅する為にはある程度規模が大きな攻撃をしなければならないが、それを実行すれば難民船団を巻き込んでしまう」
「つまり君が魔法を行使できるように、我々が難民船団を沈めてしまえばいいということだな」
「泥を全て被ってくれるというのは、嬉しく感じるより、お膳立てのされすぎで迷惑に感じるということを初めて知ったよ」
外堀を全て埋めてしまえば、何だかんだ言いながら義理堅い達也は動いてくれる可能性が高くなる。それに、難民船団など新ソ連が仕立てたもので実態は工作員の集まりなのだ。沈めてしまうに限る。
適当に沈めてやれば、貴重な工作員を失いたくない新ソ連の艦隊が勝手に救出に動くことも考えられる。そうすれば国際的な非難もない。仮に救出に来なくても、既に周辺に味方は居ない状況なのだ。外国の言うことなど放っておけばいい。
「それよりも、そろそろベゾブラゾフを殺せないのか? 最早、彼奴は戦略級魔法の使用など何とも思っていないぞ。君もいつまでも保身に汲々としている場合ではないぞ」
「保身だと?」
達也が俄かに怒りを見せる。達也にとって大事なのは深雪のこと。それを軽く扱われたと思ったのだろう。
「戦略級魔法魔法の使用で君と深雪が危険に晒されるというのは分かる。だが、日本に実際に戦略級魔法での死者が出てから重い腰をあげたのでは、今まで何をしていたのかという声が出てくるのは避けられない。そのとき君は何と答えるつもりか? まさか自分たちに危害が及ばなければどうでもいい、という本音を言うつもりではあるまい」
「無論、適当な理由は考える」
「君なら考えることができるだろうな。けれど、君はある意味では分かり易いからな。本音がどこにあるのかなど、分かる者には分かるだろう。或いは犠牲者の中に分かる者の知り合いがいた場合、その者は君だから仕方がないと言ってくれるかな?」
返答がないというのは達也も、そうなれば、その遺族は達也のことを許してくれないと考えたということだろう。
「君が戦略級魔法を使っても使わなくても、君は今のままではいられない。そのつもりで覚悟を決めておいた方がいい。それが私からの忠告だ」
それだけ言うと、神妙な顔をしている達也を残して、治夏は達也の家を後にした。