達也たちが図書館に向かい始めるよりはるか前に、宮芝和泉守治夏は風紀委員本部に山中図書を残して、皆川掃部とともに図書館へと向かっていた。本来は自ら前線ということは考えていなかったが、敵の狙いが分かった以上、黙って待っているという手はない。
襲撃者側と生徒側が小競り合いを繰り広げる中、治夏は自らの姿を隠す術を使い、戦闘を行うことなく図書館内への侵入を果たす。悠々と中まで進めたのは、両者が目に見えている敵にのみ注意を払っていたためだ。こういう場面では、宮芝の術は真価を発揮できる。
館内では常駐の警備員が無力化をされているところだった。治夏はそれを無視し、注意が逸れている隙を狙って二階の特別閲覧室へと進む。
特別閲覧室からは魔法大学が所蔵している一般閲覧禁止の非公開の機密文献にアクセスができる。ブランシュの尖兵が図書館に向かうのを見た治夏は、すぐに目的がそれらの機密文献にあると気づいた。
日本の貴重な研究結果が国外に流出することは断固阻止しなければならない。それと同時に、それら研究資料は宮芝にとっても魅力的なものだった。仮にそれら研究成果を手にできるのならば、場合によっては証拠隠滅のために、その場にいる者は生徒も含めて皆殺しとすることも視野に入っている。
特別閲覧室に入ろうとしている一行の、最後尾の一人を音もなく引き抜いた短刀で首筋を切り裂いて殺害。この際に防音の魔法を使ったのは掃部で、治夏は実際に得物を手にしての敵の抹殺を実行した。
死体と血溜まりは短時間であれば、術により誤魔化すことができる。が、このままでは、いずれ階段に残った者に異変に気付かれる。
「どういたしますか?」
小声で聞いた掃部の目は、階段に残ろうとしている一人の男子に向けられていた。男子生徒は剣道部に所属する第一高校の生徒のようだった。その意味するとことは原則通りに拘束で済ませるか、ということだ。
「いいよ、処分して」
階段付近に残るのは四人。掃部の腕ならば気づかれることなく三人の殺害と一人の拘束も可能であろう。しかし、可能であるということと、確実に成功が見込めるというのとは別の問題だ。
自分の腹心を危険に晒してまで、同じ学校の所属というだけの縁しかない敵を助ける義理はない。自ら国に仇なす行為に加担した以上、殺されても文句はいえないというのが治夏の認識だった。
自らの姿を殺害した一人に偽装する術を使用。続けて治夏のことを、その男と同一人物であると誤認させる術も保険でかけ、特別閲覧室の中に。その間、掃部は階段で外からの敵を警戒する四人の殺害に当たる。
そのようなことが自分たちのただ中で行われていることに、誰も気づかない。警戒とは前方と後方に向けられるもの。中央への意識は薄くなることを巧みに突いているためだ。
もっともそれ以上に大きいのは、侵入者たちの対魔法耐性が低すぎることにある。特別閲覧室の中にいる者たちで一番なのが壬生紗耶香なのだから、程度の低さは惨憺たる有様だ。
「これなら労せず全員を殺せるな」
防音の術を使った上で小声を出してみるが、それに気づいた者はいない。やはり、この者たちのレベルはかなり低い。
「……よし、開いた」
機密文書にアクセス可能な端末にハッキングを仕掛けていた男の言葉に小さなざわめきが走る。記録用のソリッドキューブが慌ただしく準備された。そこに記録が移され次第、治夏はこの場にいる全員を殺してソリッドキューブを奪い取るつもりだった。しかし、その前に事態は動いた。
「ドアが!」
壬生の悲鳴に振り向くと、四角に切り取られたドアが内側に倒れるところだった。
「バカな!」
驚愕の叫びが耳に届く。その男以上に治夏は焦っていた。
外からの攻撃ということは、相手は学園側。そして、学園側ならば掃部が中に治夏がいることは伝えているはず。問題は、いつ偽装の術を解くかだ。早すぎれば敵に攻撃を受ける可能性があり、遅すぎれば味方に攻撃をされてしまうかもしれない。
常識外の光景に凍りつく男たちの手許で、記録キューブが砕け散る。惜しいと思う間もなく、続いてハッキング用の携帯端末が、製造工程を高速逆回転させたかの如く分解した。
「産業スパイ、と言っていいのかな? お前たちの企みはこれで潰えた」
淡々とした口調で告げる司波達也に、私の企みも見事に潰されたよ、と心の中で毒づく。
「司波君……」
呟く壬生の隣の男で拳銃を上げた男が、司波深雪の魔法により無力化される。
「壬生先輩。これが、現実です」
「えっ……?」
「誰もが等しく優遇される、平等な世界。そんなものはあり得ません。才能も適性も無視して平等な世界があるとすれば、それは誰もが等しく冷遇された世界」
達也の声が続く。今や室内の者の注目は達也に集まっている。好機と見た治夏は密かに大きな魔法の準備を始めた。
「壬生先輩は、魔法大学の非公開技術を盗み出す為に利用されたんです。これが他人から与えられた、耳当たりの良い理念の、現実です」
「どうしてよ! 何でこうなるのよっ?」
壬生が感情を爆発させる。差別を無くそうとしたのが間違いだったと言うのか、平等を目指したのが間違いだったというのかと問いかける。そうして、自らが蔑まれたこと。馬鹿にされたことを訴えて、達也もそうであるはずだと叫ぶ。
心からの叫び、心からの絶叫。しかし、治夏には心を乱した甘美な響きに聞こえるのみ。
「わたしはお兄様を蔑んだりはしません」
けれど、代わりに司波深雪の心に届いたようだった。
「仮令わたし以外の全人類がお兄様を中傷し、誹謗し、蔑んだとしても、わたしはお兄様に変わることのない敬愛を捧げます」
「……貴女……」
怒りをも込めた深雪の言葉に壬生も絶句していた。
「結局、誰よりも貴女を差別していたのは、貴女自身です」
あまりにも鮮烈な深雪の言葉に、壬生が反論もできない様子で佇む。そこに声が響いた。
「壬生、指輪を使え!」
「させると思うか」
右手の短刀で壬生の指を切り落とすと同時に、左手の拳銃で壬生の背中に隠れるようにしていた男を撃とうとする。しかし、短刀は司波達也の手で受け止められた。他の二人は深雪の魔法で無力化されている。
結果的に、治夏は男の方を銃撃で殺したのみ。壬生は図書館の外へと逃れていく。
「どういうつもりだい?」
「小野先生に、彼女を頼むと言われていた。そんなことより、和泉こそどういうつもりだ?」
なぜか達也の目には怒りの感情が見える。理由の分からない治夏は、ありのままの事実を答えることにした。
「全てを否定された壬生の最後の拠り所が剣道だ。まずは指を切り落とすことで、それさえも失わせる。そこで今回の戦闘で死んだ剣道部員とブランシュのメンバーの死体を見せて、お前のせいだと囁けば壬生の心は壊れる。そうすれば残るのは空虚となった器のみ。死体よりよほど素晴らしい人形にできる」
「森崎も、そうして人形にしたのか?」
「森崎は人形ではない。実際、問題なく日常生活を送っているだろう?」
「あの命令を忠実にこなすのみの機械のような状態が、か?」
吐き捨てるように言う達也の怒りがどこから来ているものか、治夏には分からない。だが、少なくともこのままここで話し込むのは得策ではなさそうだ。
「校内には、まだ残党がいる可能性がある。私はその狩りに向かうとするよ」
思うところはあるが邪魔をする気はないのか、達也は道を譲るように体を傾けた。最大の目的だった、壊されてしまった記録キューブを名残惜しく視界に収めて治夏は風紀本部に戻るために外へと歩き出した。