「動くみたいだね」
標的の動きをじっと観察していた宮芝和泉守治夏がぽつりと呟く。それと同時に、治夏の後に控えていた者たちが一斉に動き始めた。
時はミラージ・バット予選、第一フィールド・第二試合の終了直後。司波深雪の披露した飛行魔法に魅了されていた観客たちが、ようやく我を取り戻して席を立ち始めていた中であった。
治夏たちが監視をしているのは、気妙な無表情でヘッド・マウント・ディスプレイに映るメッセージに見入っている様子の男である。その男が今まさに、のっそりと立ち上がろうとしたところだった。
しかし、男が立ち上がることはなかった。何かが男の肩を押さえているかのように、男の体は上へと持ち上がらない。そして、次の瞬間には、屋根から逆しまに降ってきた男が着地直前に振り抜いた短刀が、男の体に深々と突き刺さっていた。
「終わったようだね」
短刀を刺された男は、細かく体を痙攣させたまま椅子に座り込んでいる。この間の男の異常は、会場の誰にも気づかれていない。治夏をはじめ三人もの宮芝の術士たちが視覚・聴覚・嗅覚に対する完全な欺罔を行っていたためだ。
男は脳外科手術と呪術的に精製された薬品の投与により意思と感情を奪い去り、思考活動を特定方向に統制された「ジェネレーター」と呼ばれる生体兵器だった。兵器と呼称されるのは、もはや人としての意思を持っておらず、ただ命令の通りに行動をするだけの存在であるためだ。
治夏は会場で警戒をしていた皆川掃部からの連絡を受け、ジェネレーターが観客席に入り込んでいることを知った。相手がジェネレーターであれば、これまでのような繊細な妨害作戦は実行されない。
比較的単純な命令を実行する程度の判断能力しか持たないジェネレーターが十全に能力を発揮できる場面は何か。それは、ジェネレーターならではの精神面に左右されない戦闘。要するに普通の人間であれば忌避するような無差別な殺戮のような行為だ。
宮芝は日の本の守護者を自負する一族。そのような蛮行は許すわけにはいかない。
「手筈通りに運び出せ」
治夏は痙攣の止まった男の体を搬出するよう、短刀を刺した男……部下の郷田飛騨守に指示を出す。男の体は術によって動きを封じられただけで、未だ死んではいない。
意思と感情を奪い去され、ただ命令のままに動く兵器。それは命令の上書きさえ可能なら、すぐにも自らの兵器として運用できるということだ。そして、人間を人形とすることもできる宮芝は、元からの人形を扱うことなど造作もない。それが男を破壊するのではなく、鹵獲することを選んだ理由だ。
宮芝は使命のためならば主義も理想も捨てきる一族。たとえ敵の兵器でも、優れていれば、最大限に活用する。
「図書、通信は辿れたか?」
「はっ、無事に辿ることができました」
「よろしい。では、飛騨。そのまま無頭竜の殲滅に向かってくれ」
「はっ、承知仕りました」
そして、人形の扱いに慣れた治夏たちが、男がジェネレーターであることに気づきながら動き始める直前まで、制圧を行わなかった理由。それが、男に命令権を持つ者が発する指令を傍受し、逆探知することで敵の本拠を割り出すためだった。
「飛騨、奴らは日の本の民に手を出そうとしたのだ。考えうる限り残虐な方法を用いて殺害した上で、更にその死に方が他の犯罪組織にも知られるようにせよ」
「心得ております」
治夏に嗜虐趣味はない。けれど、残虐な死を与えることが将来、抑止力として効いてくるというのなら、どれだけでも冷酷になることができる。
「さて、それでは私たちは望まぬ仕事に向かうとするか」
飛騨守たちの出立を見送った治夏は、隣に立つ掃部に声をかける。
「気は進みませんがな」
「だが、やらねばならないだろう。ここらで少し引き締めが必要だ」
そして、これから達也が捕らえた大会委員に対して行う行為も、全てはこれ以上の裏切り者を出さないためだ。
「ジェネレーターの調整は万全か?」
「はっ、抜かりありません」
「現場での指示は私が与えよう」
「いえ、自分もお供いたします」
治夏が宮芝の保有するジェネレーターを用いるのは、これから行う行為の残虐性を加味して、なるべく正常な人間を関わらせない方がよいという判断のためだ。それなのに、わざわざ現場に同席することを志願するということは……。
「掃部にそのような趣味があったとは、意外だな」
「そのように思われるとは心外ですな」
「戯言だ。掃部の気持ちはありがたく思う。しかし、捕らえた大会委員……真鍋といったか。今回はあれの妻にも責任を取ってもらうことになる。だから、お前は同席するな」
「承知仕りました」
治夏の言った責任というのは、真鍋を責める材料として使うということだ。人は己に対する責め苦に対しては、心を壊すという逃避を取ることがある。しかし、他人に対する責め苦では当人の心は壊れない。
最終的には自責の念から自らを追い詰めることは多いが、少なくとも責め苦を見せられている最中に逃避はできない。だから、宮芝の処刑は当人より近親者を先に実行していくことが多い。
そして、今回の治夏は真鍋当人のみならず親族までを最大の残虐性で撫で斬りとすることを心に決めている。真鍋の妻は、ただただ真鍋に涙を流させるためだけに裸にされ、凌辱され、息子が全身を切り刻まれて死ぬまでを見させられる。
夫の愚かな行為により、大切な子を失うのだ。妻は最後には夫に向けて心からの怨嗟の叫びを投げつけるようになる。
残虐行為は、裏切り者の末路を日本の魔法師界に示すために必要なことだと、すでに治夏は割り切っている。しかし、普通の一人の女としての感性が、知人の男性に女性が非道な目にあっている場面に同席してほしくないと言っているのだ。
掃部も、それが分かったからこそ引いたのだ。他者を傷つけるという行為は見ている者の心も傷つける。だから、残虐な行為を成すのは全てジェネレーターたち。けれど、それを命令するのは治夏だ。
つまり、これから行われる行為は全て治夏だけの責任によって行われる。仮に冥府や地獄があるとして、そこに行くべきは治夏一人だ。
是非、そうあってほしいと願いながら治夏は村山右京たちが見張っているはずの大会委員会の天幕に向けて歩いていった。