幕間編 渡辺風紀委員長の引退
夏休みが終わり、治夏は久方ぶりに風紀委員室にいた。今日は委員長である渡辺摩利の後任候補の紹介がされるという連絡がされたためである。
ところで、他の魔法科高校生と違い、宮芝和泉守治夏にとって夏休みは普段は行えない、宮芝に関する各種の視察を行える期間であった。言い換えると、仕事漬けの毎日であったということだ。
魔法研究の成果や財務状況の確認も重要だ。しかし、治夏が特に力を入れたのは、宮芝の次代を担う十代前半の修行者たちの仕上がりであった。
現代魔法会では、名目的には実技について教わるのは魔法科高校入学後からということになっている。しかし、実際は入学時にはすでに自己の得意魔法を認識している者が大半であるように、それぞれに父母等から学んできているのが普通だ。けれど、それでは純粋な資質というより、入学試験前にどれだけ質の高い教育を受けてきたかが重要になる。
この点は、代々、家業として受け継がれてきた古式魔法でも同様であった。宮芝ではその弱点を軽減するため、有力な家の出身ではない実力上位の術者を宮芝家として師範に取り立て、そこで中小の家の魔法師の子弟たちを教育させているのだ。
しかし、優れた術者が優れた教育者であるとは限らないのは、今も昔も変わらない。また、性格等の相性により上手く育てられる者と、上手く育てられない者が出てくることも避けられない。治夏が確認をしていたのは、修業中の術士の実力の確認とともに、そうした師範たちの資質と特性についてであった。
その成績によって、実績に劣る師範は解任し、代わりに新しい師範を取り立てる。もしくは特性に合わない弟子の移籍を斡旋する。
それにしても、人が人を評価するのは極めて難しいものだ。特に治夏は人生経験が圧倒的に不足しているため、誰が優秀で誰がそうでないのかを判断することに自信がない。ともすれば表面的な数字だけを評価しそうになってしまう。
ところが、経験豊富な者に言わせると、問題は割り当てられた弟子の才能であり、指導力は十分に評価に値するという意見が出たりする。そう言われて見てみると、大成した者を輩出したことがない家の出身者ばかりであった。
では、そもそも弟子の才能というのはどう評価すればいいのか。そもそも弟子が才能豊かであれば、師範が指導をしなくとも勝手に成長していきそうである。
周囲の言いなりになってしまうのでは、当主として資質がないと言っているようなもの。かといって周囲の意見を全て無視するのも、当主の資質に欠けると言わざるをえない。結局は周囲の意見に若干の修正を行うということで決着させた。それが正しかったのか否かが判明するのは、しばらく後のことなのだろう。
いずれにしても、治夏にとっての夏休みとは、少しも気の休まらない、疲れることが多い日々であったということだ。それに比べれば、高校生活は何と素晴らしいことだろう。口うるさい重鎮たちがいないということが、どれほど素晴らしいかということを世の魔法科高校生たちは、もっと噛みしめるべきである。
「ま、そんなことを考えるのは、若くして責任者になってしまった者だけだろうけどね」
「ん、何の話だ?」
「いや、何でもないよ」
隣にいた達也に聞かれてしまい、治夏は慌てて答えた。そして、話題を変えるために近くにいた渡辺に話を向ける。
「ところで、風紀長殿、此度は随分と多くの委員が参集されたようですが?」
「私に対してだけ、君の口調が違うのは、どうしてだ?」
「風紀長殿、和泉守様は長幼の序をわきまえぬ不分別者ではございませぬ」
「そして、森崎。君はもはや別人だな」
治夏に代わって答えた森崎にげんなりした表情を見せた渡辺だったが、気を取り直して当初の治夏の疑問に答えてくる。
「宮芝も知っての通り、風紀委員はそんなに団結力のある組織ではない。けれど、私の代わりに入るのは女子なんだ。風紀委員は荒事が仕事であるため、女子が選ばれるのは珍しい。それで、暇人が多く集まったということだ」
「風紀長殿、私も女子なんだが……」
「宮芝は選ばれたのではなく、押し入ってきたのだろう?」
それは確かにそうだ。けれど、入るまでの過程と男臭い風紀委員の中に可愛らしい女子が入ってきてくれるという結果とは別問題ではないだろうか。
治夏の立場では自由恋愛は許されない。しかし、異性にチヤホヤされたいという願望まで失っているわけではない。
「なら、委員長が選ばれた時も注目を浴びたのでしょうね」
達也が口を挿んできたのは、治夏に対するフォローのつもりだろうか。
「……まあ、あたしのケースは置いておくとしてだ。今回、新委員を迎えるに当たり、しばらく君に面倒を見て貰いたいんだが」
「……俺が、ですか」
「ああ、特に和泉に虐められないように、しっかりとサポートしてやってくれ」
「風紀長殿、和泉守様は故なく他者を傷つけるような方ではございません」
そう言った森崎の顔を見ながら、渡辺が尋ねる。
「仮に新任の風紀委員が和泉の行動を制限するようなことを言ったら、君はどうする?」
「和泉守様の妨げとなる者は、小官が排除いたします」
ほらな、という言葉が聞こえてきそうな表情で渡辺が達也を見る。その達也が治夏のことを見つめてくる。
「ちょっと、調整しすぎたかな」
当然ながら、そう言ったところで視線が和らぐことはない。
「そういった訳で、君にお願いしたいんだが」
「仕方がありませんね」
確かに治夏に対抗ができるのは、風紀委員の中で達也だけだろう。それが分かったからか、がっくりと肩を落としながら、達也は補佐役を引き受けていた。
その後、紹介がされたのは、千代田花音という二年生だった。治夏は面識がなかったが、達也は九校戦の折に知己を得ていたらしい。治夏も女子アイス・ピラーズ・ブレイクの優勝者として、その名だけは記憶していた。
ともかく達也がお守りをしながら校内の巡回をするというのであれば、治夏の出る幕はない。であるならば、風紀委員を引き受ける代償として得た特権を行使するとしよう。
治夏は入学当初の目的である一科生入りを断念することと引き換えに得た、指導教官による実技指導を受けるために教職員棟へと歩き出した。