論文コンペまで一週間後に控えた日曜日、司波達也はロボット研究部のガレージで論文コンペ用の起動式のデバッグを行っていた。市原鈴音と五十里啓は完成済の大道具の作動テストを行っていて、今日のデバッグ作業は達也一人で行うことになっている。
「お帰りなさいませ」
ガレージにいる「人間」は達也一人だが、達也の入室から一拍遅れて出迎えた「人影」があった。
黒を基調とした膝下十センチのバルーンスリーブワンピースにフリルのついた淡い水色のエプロン。白のストッキングに黒のローファー。頭にはこれまたフリルのついたホワイトブリム。
出迎えた「少女」は人型家事手伝いロボットだ。ロボ研では型番を縮めて「ピクシー」と呼ばれている。
「ピクシー、サスペンドモードで待機」
ピクシーが達也の座ったコンソールデスクのサイドテーブルにコーヒーを置くのを待ち、命じる。
達也がピクシーを遠ざけた理由は二つ。一つはロボットと分かっていても、人間そっくりに作られている物が背後に立っていると落ち着かないため。そして、もう一つがピクシーの管理には宮芝家が関与しているためだ。本来は白色で会ったエプロンを水色にしたのも彼らの手によるものだ。
「かしこまりました」
ピクシーは機械であることを感じさせない滑らかな動作で一礼して、入り口脇の椅子へ向かった。
腰を下ろし、背筋をピンと伸ばす。そして、そのまま微動だにしなくなった。
グルッと首を回して、達也はキーボードに指を置いた。
軽快な打鍵音が奏でられ始める。
達也の魔法開発効率が異常に高いのは、エレメンタルサイトという情報体を視る眼を保有しているためだ。この「眼」で魔法式の動作情報を直接観察しながらチェックを進める。
作業開始から、およそ一時間が経過した。
ふと、達也は身体に不調を感じた。
突然睡魔が襲ってきたのだ。
深呼吸をしてみると、眠気がなおさら強くなった。
それなりの訓練を受けた者なら、肉体的な睡眠欲求を意思の力でコントロールすることは可能だ。何日も徹夜続き、というような状況なら話は別だが、達也はそんな不規則な生活をした覚えはない。
脳裏を危険信号が貫いた。自分の体調不良は明らかに、不自然に、異常だ。
達也の持つ自己修復能力が活動を開始。体が瞬時に「眠気に囚われる前の状態」に戻る。
しかし、まだ問題は解決していない。
先程ピクシーが淹れたコーヒーに有害な薬物が含まれていないことは、エレメンタルサイトで確認済だ。だから、薬物を盛られたとしたら、ガス。
室内の情報にアクセスして、毒性が低く持続時間も短い代わりに即効性が高い睡眠ガスが部屋の空気中に混入していることが判明した。
校内の至る所で魔法を観測する機器が稼働している今の状況では、秘密にしなければならない魔法がばれないように睡眠ガスを無害化することは、達也の技術では不可能だ。
とにかく息を止めて計算機をロックして立ち上がり、達也は出入口へと振り返った。
だが、その前に華奢な人影が立ち塞がる。
「空調システムに・異常が・発生しました。マスクを・お使いください」
ピクシーの名を持つ少女型ロボットは簡易防毒マスクを差し出してきていた。
受け取った達也が素直にマスクをつけると、今度は目を閉じるよう言ってくる。
「角膜が・汚染される・おそれがあります。手を引いて・外へ・誘導します」
「ピクシー、強制換気装置を作動。避難時の二次災害を警戒し、俺はここに留まる。監視モードで待機。救助のための入室に備え、排除行動は禁止する」
達也がわざわざ排除行動を禁止と明言したのは、今のピクシーには火器を内蔵し、防衛戦闘を行えるようにする違法改造が行われているためだ。無論、やったのは和泉であり、宮芝家から出張してきた技術者たちだ。
「二次災害回避を・合理的と・認めます。強制換気装置を・作動させます」
通常の空調システムとは別系統で設置されている災害時対応の強制換気システムが作動を始めた。
達也は睡眠ガスが排出されるのを待ち、端末の前に座り直すと、マスクを外す。眠っているはずの達也の様子を見に来るであろう人物を驚かせないようにするためだ。
待ち人は、すぐにやって来た。
「司波?」
聞き覚えのある上級生の声。
「司波、眠っているのか?」
もう一度達也に声を掛け応えが無いことを確認して、侵入者は何かを探す素振りを見せた。しかしすぐに、侵入者の視線はデモ機に固定された。
達也が薄目を開けて見ているとも知らず、監視モードのピクシーに映像を記録されているとも知らず、侵入者はサブモニター用のコネクターからハッキングツールを使って起動式のデータを吸い上げようと悪戦苦闘していた。
その背中に、最大威力からは加減されたエア・ブリッドが命中する。侵入者は耐えきれず、頭をモニターにぶつけていた。
「ハッキングツールか。産学スパイの現行犯だな」
その言葉と共に侵入者の背中に日本刀が突きだされる。
「がああっ」
「煩い、黙れ!」
殴打する音が聞こえ、侵入者の声が聞こえなくなる。
「司波達也、起きているのだろう?」
そう呼びかけられ、達也は目を開けて椅子から立ち上がった。
「相変わらず容赦がないな。ところで、ちゃんと急所は外しているんだろうな?」
「無論だ。このような小者の命を奪って大切な情報源を失ったのでは、和泉守様に申し訳が立たぬ」
侵入者の後から入ってきていた人物。それは風紀委員の森崎駿だ。
達也の手によりピクシーに施された設定により、この部屋内での有事の際には、森崎に連絡がいくようになっていた。そのように設定をすることを受け入れたのは、遺憾ながら森崎が非常に優秀なためだ。
森崎は元から魔法実技で成績上位の優等生だった。ただし、魔法力の高さが魔法に対するプライドの高さに繋がってしまい。何でも魔法力を中心に考える視野狭窄に陥っていた。
しかし、宮芝の指導を受けてからの森崎は魔法を自らの手札の一つにまで割り切るようになった。その結果、実弾の入った拳銃と拳銃型のCADの二丁拳銃という魔法師としてはかなり特殊な戦い方も行うようになった。加えて刀を持ち歩くようになり、魔法で身体能力を高めた上での剣戟での近接戦闘を行える。
また、思い切りのよさも敵と対峙した場合には頼もしい。先ほども怪しいというだけで、まずは弱めの魔法を放った。そうして反撃能力を低下させつつ、接近して本当に敵か確認するという方法を取った。仮に敵でなかった場合は問題となりそうだが、それよりも反撃を許す方が危ないと判断したのだ。
「ともかくは、こやつの治療を行うか」
森崎の足元で蹲るのは風紀委員に所属している関本勲だった。同僚ともいえる関本に対して、森崎の送る視線は冷たい。その目は関本がすでに仲間でも何でもなく、単なる尋問対象であると雄弁に語っていた。
「学校内だ。あまり無茶はやるなよ」
「無論、和泉守様にご迷惑をおかけするようなことはせぬ」
夏の富士での宮芝の行いを踏まえて行った忠告に、森崎は自信を持った様子で頷く。その様子から、達也は森崎が富士で行われた虐殺を知っていると悟った。
森崎が関本の襟首をつかみ、引きずっていく。そこには死にさえしなければ痛かろうと、どうでもいいという思いが見て取れた。
かつての森崎は視野の狭かったが、自分勝手ではあれども正義感のようなものも持っているように感じた。戦闘能力が高まった分、そうした部分も失ってしまったようだ。
正直に言って、達也にとってかつての森崎は、最初の印象は最悪。二度目も無意味に敵対的な態度を取る嫌な相手だった。けれど、良くも悪くも真っ直ぐな部分を失ったことについては少しだけ惜しく感じた。