十月二十五日、司波達也は渡辺摩利、七草真由美とともに八王子特殊鑑別所を訪れていた。目的は、論文コンペの情報の盗取を試みて森崎に拘束された、元風紀委員である関本に面会するためである。
達也は真由美と共に中の様子を見ることができる隠し部屋に入り、狭い個室で関本と相対するのは摩利一人である。
「余り時間が無いからな。要点だけを聞かせてもらうとしよう」
多少の問答の末、言いながら摩利が魔法を発動させる。真由美の話によると摩利が使用したのは、気流を操作して複数の香料を鼻腔の嗅細胞に送り込む魔法ということだった。それにより、心理的抵抗力を低下させる匂いを強制的に知覚させ、自白剤と同じ効果を生み出すことができるらしい。
「達也くん、見るのは初めて?」
「初めてです。大っぴらに使われてもこちらが困ってしまいますが」
真由美と会話しながらも、達也は関本の「自白」を聞き逃してはいなかった。関本の目的は達也自体にもあったのだ。敵は達也の仕事にも興味を持っている。達也が警戒心を新たにしていると、突如として八王子特殊鑑別所内に非常警報が鳴り響いた。
摩利は意識が朦朧としたままの関本をベッドに押し倒し、その間に達也と真由美は隠し部屋を出る。
「侵入者ですね」
天井のメッセージボードを見て達也が言うと、真由美と摩利が同時に上を向いて、達也の発言が事実と確認していた。
「何処の命知らずだ……」
戦慄混じりの呆れ声で摩利が呟く。一昨日の魔法大学付属病院襲撃事件で西東京一帯は警視庁による特別警戒態勢が敷かれている。この八王子特殊鑑別所は二百パーセントの警戒態勢だ。そこに敢えて突っ込んでくる者は、余程腕に覚えがあるか、あるいは真正の馬鹿。そして、この相手は、おそらく前者。
「達也くん、何処から来てるか分かる?」
真由美に問われて、達也は端末を操作した。表示された避難経路から逆算して侵入者の現在位置を割り出す。
「屋上から侵入したようですね。飛行機から飛び降りたか、カタパルトを使ってジャンプしたか、そんなところでしょう。現在位置は東階段三階付近だと思います」
達也の回答を聞いて、真由美が虚空に焦点の合っていない目を向けた。真由美の先天性の知覚魔法「マルチスコープ」をフル稼働させて達也の示した場所を見ているようだ。
「さすがね、達也くん。侵入者は四人、ハイパワーライフルで武装しているわ」
ハイパワーライフルは対魔法師用の携行武器で、対物防御魔法を撃ち抜く弾速を得る為に通常のアサルトライフルの三倍から四倍の爆発力を発揮する発射薬を使用する。威力が大きい分、高度な製造技術が必要で、そこらのテロリストが手にできる代物ではない。
「警備員が階段の踊り場で盾のバリケードを作って応戦してる」
「廊下の出入口は隔壁で閉鎖されているようですね」
真由美の実況中継に続いて、達也が建物内立体地図の表示を読み取る。三人の現在位置は中央階段寄りの二階。
「こちらが本命ですか」
その中央階段を達也が鋭く見据え、一拍遅れて摩利が階段の出入口を睨みつけた。二人の様子を見て、真由美も階段へと視線を向ける。
三人の視線の先に、大柄な若い男が姿を見せた。身長は達也より頭一つ上の百八十センチ代後半。良く引き締まった身体は鈍重さなど欠片も無く、大型肉食獣のしなやかさを感じさせる。妙に気配が薄いのは青年の技によるものだろうか。視界に映っていてもうっかりすると見過ごしてしまいそうな気配の希薄さだった。
男の隠形はかなりの腕前なのだろう。だが、隠形に限定すれば、男よりも一枚も二枚も上手が、この場所にはいた。
「ようこそ、呂剛虎。また会えたことを嬉しく思うよ」
達也たちの背後から音もなく和泉が姿を現した。そして、和泉の姿を見た瞬間、呂の表情は劇的に変化した。
「どうした? ここに私がいることが、そんなにも不思議か? 悪いが、君たちが取りそうな行動など、お見通しということだ」
和泉の挑発を受けて、呂がこちらへと歩みだす。それにしても、八王子特殊鑑別所は二百パーセントの厳戒態勢下にあったはずだが、和泉は易々と侵入している。鑑別所の警備体制を呆れればいいのか、和泉の魔法に関心すればよいのか、何とも難しいところだ。
「あたしが前に出る。達也くんは真由美のガードを頼む」
「おや、前風紀長殿、私には何かないのかい?」
「あたしが指示を出さずとも、勝手に動くのだろう?」
「その通りだね」
和泉に軽口で答え、摩利が達也の前に立つ。確かに摩利は高校三年生にして既に一流とも言える魔法戦闘技能を身につけている。しかし呂剛虎は魔法近接戦闘において「超一流」だ。正面からぶつかるのは余りに分が悪いように思われた。
「摩利、気をつけて」
だが、真由美が摩利の意見に賛成のようであるため、達也は引き下がることにした。
「ただ者でないのは、見ただけでも分かっているさ」
前を向いたまま軽く上げられた摩利の左手が、自分のスカートをはたくように後ろから前へ勢い良く振り下ろされ、振り上げられた。普段は形状保持機能に隠されている極薄の生地で作られたサイドの三角プリーツが広がりスカートが大きく捲れ上がる。レギンスに包まれた形の良い足が付け根近くまでが露わになり、太股に巻いたホルスターが露出する。すかさず引き抜かれた得物は、長さ二十センチ程度の短い角棒だった。
「前風紀長殿、少々、はしたないぞ」
「……今は、それどころではないだろう」
摩利の言う通り、呂剛虎はわずかに前傾姿勢を取り両手を身体の前に垂らす。指を軽く曲げ、今にも跳び掛からん勢いが呂の身体に満たされる。
火蓋を切ったのは摩利でも呂でもなく、真由美だった。
左右の壁と天井に靄のような物が浮かんだと見えた瞬間、無数の白い弾丸が呂を目掛けて降り注ぐ。すかさず呂が前へダッシュしたにも関わらず、ドライアイスの弾丸は半数が呂の身体を捉えていた。
しかし、呂にダメージは無い。体を覆う剛気功の鎧がドライアイスの弾を弾き返していた。そのまま呂は摩利へと襲い掛かる。それを摩利は角棒から伸ばした刃で迎え撃った。
鈍い金属音がして、摩利の打ち込みは呂の右手に阻まれる。しかし、その直後、呂が顔を仰け反らせた。呂の前を通過したのは、摩利の得物から伸びた細いワイヤーと二枚の短冊だ。摩利の小型剣は三節構造となっていたのだ。
直後、呂は大きく後方に跳んだ。その直感に誤りはなく、真由美の第二射が直前まで呂がいた床と壁に無数の傷跡を刻む。けれど、それで終わりではない。呂の着地直後を狙って和泉が鋼の縄を丸めた玉を投げつけていた。
「四条縄手」
和泉が呟くと同時に鋼の玉は空中で解け、踊るように四本に別れた。別れた縄は呂の身体を拘束しようとする。それを見た呂は、自らの力で縄を引き千切ろうとした。呂ほどの術士であれば、いかな鋼の縄であろうと、それは十分に可能と思えた。しかし、呂は縄を千切ることができなかった。
呂が力を込めようとすると、縄はまるで意思を持っているかのように自ら拘束を緩め、たわんでしまう。それでいて、腕に力を込めれば足、足に力を込めれば首と呂の狙いと異なる部位を締めようとしてくる。ひゅるん、ひゅるん、と風切り音を響かせながらしなる四本の縄は、呂の足を完全に止めていた。
ここにきて、呂も覚悟を決めたようだ。隠形を切って眼前の敵の突破に全魔法力を注ぐ。
呂の全身を覆って何層もの想子情報体が構築された。それが対物障壁魔法と同じ性質を持つ情報体であることが達也には解った。今までは高密度の想子を皮膚上に流すことで皮膚の構造情報を強化しているのと同じ効果を出していた。それが、障壁魔法に切り替わったのだ。
足に絡まる和泉の縄を引き摺るようにしながら突進する呂に向けて、真由美の第三射が放たれる。それを呂は対物障壁で防いだ。そのまま神速とも言える突進で摩利に肉薄する。
摩利は二本の刃を直線状に固定して迎撃の構えを取る。
だが、摩利と接触する直前に呂の姿は消えた。
「落盤」
眼前にあるのは廊下に空いた五メートルほどの穴。和泉が魔法で空けたものだ。
しかし、それだけでは呂に傷を負わせることはできない。少しの後、穴の向こうの廊下が下からの攻撃により崩落した。
崩落個所が広がったことで、一階にいる呂の姿がはっきりと見えるようになる。呂は自らの成した結果に驚いているようだった。
「不思議かい、呂剛虎。どうして私たちが攻撃した場所と違う場所にいるのかが」
その呼びかけで達也は、和泉が呂に対して、森崎に使用した奇門遁甲という術を使っていたことを知った。おそらく落盤という術で一階に落ちている最中にかけていたのだろう。
「その術は知っている。次は騙されん」
「まあ、君たちの術だからね。さ、そんなことより第二ラウンドといこうか」
和泉の誘いに対し、呂は無言で二階に向けて跳躍することで応える。しかし、その身体は崩落した床の高さを超えた所で停止した。よく見ると、呂は無数の細い魔法の糸に捕らえられているようだった。
「姿が見えているのが敵の全てだとは思わないことだ」
和泉が言うのと同時に四人の男が姿を見せた。四人の男の指からは他の三人に向けて糸が伸ばされている。どうやら、呂はこの糸で作られた網にかかったようだ。
「そもそも、どうして私たちは君の動きが読めていたと思う? いや、その前に、どうして病院で私たちは君を逃がしたと思う?」
呂の顔に動揺が色濃く出る。
「君は顔に掛けられた油と火を、皮ごと取り去ることで逃れたが、その際に大きく呼吸をしてしまったな。その際に君は、我々が魔法で作った寄生虫を飲み込んでいたのだよ。後はその寄生虫の反応を追うだけ。簡単だったよ」
その一言で、呂の顔が驚愕に染まった。
「理解したようだね。君たちの動きも、君たちの拠点も、そこで君が交わした会話も、全ては我々に筒抜けだったということだ」
呂の、魔法の糸から逃れようとする動きが激しくなった。それは、呂の内心の動揺を示すものだった。
「反響結界」
「拡声器」
「地獄耳」
「鐘音」
四人の男たちから、立て続けに四つの魔法が放たれた。
内容は、音を反射する結界を作る魔法、対象者が発する音量を増加させる魔法、対象の聴覚を鋭敏化する魔法、鐘を突いた音を発生させる魔法。一つ一つは弱い魔法たち。特に最後の魔法は遊んでいるかのようなふざけたものだ。
しかし、他の三つの魔法のお膳立てがあれば、ただの鐘の音を響かせる魔法も脅威となる。反響を伴った轟音は物理防御力を無視して身体を直接に揺さぶる。
音による攻撃は、達也も一条将輝との戦いで使用したことがある。その攻撃力は、上手く使えば相手を戦闘不能にまで追い込める強力なものだ。
「前会長殿」
和泉に促され、真由美が射撃魔法を放つ。
呂の反応は「超一流」の評価に恥じぬものだった。
脳自体を揺さぶられるような衝撃の中、懸命に情報強化型の鋼気功を再構築する。
しかし、その強化は万全には程遠いもの。それでは、弾数を減らした代わりに一発一発の威力を上げた真由美の射撃を完全に防ぐことはできない。
弾着の衝撃と大量の想子を浴びせられたことによる感覚の混乱で、呂の鉄壁の守りも風前の灯火。そこに摩利の魔法が襲い掛かる。
左手で振り上げた小型剣から二枚の刃が抜ける。短冊形の刃はクルクル回りながら呂の頭上に達した。
摩利の右手が突き出され、その手から黒い粉が呂の頭部に向かって飛ぶ。黒い粉は呂の首から上を包み込むように広がり、薄暗い光を発して消えた。
呂の身体がグラリとよろめく。熱と光を抑え酸化のみに結果を絞った摩利の吸収系魔法によって急速「燃焼」した炭素粉末が、酸素を喰らい尽くして二酸化炭素となり、瞬間的な低酸素状態を呂剛虎の周りに作り出したのだ。
「閃雷」
そこに和泉の魔法が直撃する。吉田幹比古の雷童子に似ているが、威力はやや上のように見えた。
いかな鋼気功といえども音波攻撃の後に真由美の射撃魔法を浴び、更には酸素欠乏状態に陥った状態では本来の効果を発揮できず、呂は遂に崩れ落ちた。