第一高校三年生にして今は宮芝の配下に入らされている平河小春は、桜木町駅前でヘリの到着を待ちながら、ただ一つのことだけに注意を傾けていた。それは、妹である千秋の安全のことだ。
千秋の安全を確保するためには、何としても敵を近づけさせてはならない。宮芝から千秋に指示された内容は、千秋を唆した何者かが接触をしてきた場合に、自爆して相手を道連れにすることのみ。しかし、小春は千秋の自爆装置の起動スイッチを、宮芝の者たちも握っているのを知っている。
あの宮芝が、千秋が敵の捕虜となることを容認するか。答えは、どう考えても否である。
捕虜となることができないなら、死力を尽くして敵を倒すしかない。だから、千秋の安全の確保とは、敵は全て倒すことに他ならない。
だから千秋の警戒は常に地上に向けられていた。それは、敵が急に現れそうな路地のみではない。そもそも和泉守は九校の制服を身に纏った者すら、内通の可能性を疑って警戒を怠らずにいた。それに比べてもゲリラが混じることが遥に容易な、一般市民という存在は小春にとっては敵の予備軍でしかない。
小春に実戦魔法師としての経験はない。小早川のように宮芝で戦闘訓練を受けたわけでもない。使える魔法も精巧なものがほとんどで、学術的な用途は高くても戦場ではあまり役に立たないものばかりだ。
一科生とはいえ、そんな小春では、できることは限られている。ならば、小春にできることをやるしかない。
小春が宮芝の配下となってからの期間は短い。だが、短い時間でも宮芝の魔法師ができること、できないことの割り切りについて驚くほど淡泊なのは分かった。
無論のこと、修業の場面においては、できないことを、できることにするために努力する。だが、修業の場で成果が出せなかった場合、それはできないことなのだと諦める。少なくとも練習でできないのに、実戦で使うということは絶対にないと言っていた。
その考え方は小春にも分かる。学力テストにしても、魔法実技にしても、練習で成功しないものが本番では成功するというケースは、あまりない。
それでも、テストであれば真剣さが増したことで解けるということもあるだろう。だが、使う場面があるかないか分からない実戦で、急な機会にぶっつけ本番で使用となると、成功することはないと考えた方がいいだろう。
小春は自分ができることしかしないと決めていた。だから、ダブルローターの輸送ヘリの着陸の直前に季節はずれの蝗の大群が現れたときも、それがヘリを包もうとしたときも何もしなかった。
これには、着陸前のヘリは千秋の危険と直接の関りがなかったということもある。しかし、それ以上に明らかに自然の生物と異なる蝗に対して、自分の手持ちの魔法では、できることはないと悟っていたためだ。それよりも小春がすべきことは、皆の意識が上空に向いている間の地上の警戒。そう信じて、地上に視線を向けていた。
それは、北山雫という少女が蝗たちを迎撃しているときも、黒尽くめの人影が空に現れたときも、同じ服装の集団が飛来してきたときも、同様であった。戦場に対して、何の知識も経験もない小春がすべきことは、未知の危機への対応を考えることではない。
未知のことを想定できるほど、小春は自分を賢明だと自惚れてはいない。小春がすべきことは、小春でも考え付くことに対して警戒をするのみだ。
ただ、少しだけ思うこともあった。飛行魔法を行使していた黒尽くめの集団は、その行動から考えて、おそらくは国防軍の部隊なのだろう。ということは、あの中には司波達也もいた可能性がある。
九校戦で見た司波達也は、同じ高校生、しかも下級生とは思えない魔法に関する知識と技術を有していた。当初は小春も、その技能の差に打ちのめされた。しかし、彼が現役の国防軍の士官であったのなら、その差は比較の意味がないことになる。
ただの高校生と、軍に所属して実践的な研鑽を積んできた人物とでは、差ができて当然だ。もしも、あのときに知っていれば、自分も妹も、道を誤ることはなかっただろうに。
そう思ったところで、主である和泉守の声が聞こえた気がした。それは、なぜ君は相手にとって何の得にもならないのに情報を開示してもらえると思うのか、というものだった。今はその言い分が実感として理解できる。
現状、小春の仮想敵は市民たちである。七草真由美は十師族の義務として市民たちを守ることを自らに課していたが、小春は少しでも不審な点かあれば、即座に魔法で攻撃しようと考えていた。
小春の最大の関心は自らと妹の命。だから、真由美には何も告げずに、小春は宮芝特製の腕輪型のCADの上に指を置いたままにしている。
宮芝特製のCADといっても、はっきり言って性能的には見るべきものはない。設定されている魔法は僅かに一種類。発動速度も最大で九種類の起動式が設定できる普通の特化型のCADと同程度。唯一、優れている点が、種類が一種類のみであるため、使用者が魔法を選択するという行為が不要ということだ。
ゆえに小春が行うのは、ただ標的を定めて、サイオンを流しながら腕輪に付いたボタンを押すだけ。小春は仮にも一科生。そのくらいなら造作もない。
ヘリが着陸して、市民の収容を開始する。それでも小春の行うことは変わらない。
ゲリラが襲ってくることを警戒して、他の皆は周囲に視線を向けている。それに対して小春は、戦闘用の魔法は使えない風を装って、ひたすらに内側を見つめていた。
一機目のヘリが上昇して少しして、二機目のヘリが到着する。到着したのは、軍用の双発ヘリだった。
到着したヘリと通信を行っていた真由美が市原鈴音に声を掛ける。
それに応えて、鈴音が振り返る。
その背後に迫る影があるのを見て、小春は迷わず腕輪のボタンを押した。瞬間、無音で飛んだ毒矢が鈴音に迫る男を穿った。
腕輪に込められた魔法は、加速と移動。すなわち、袖口に仕込んでいた毒矢を魔法の力で飛ばすという単純なものだ。
倒した敵の他にも怪しい動きをする者がいた。確信はないものの、敵である可能性は高いように思える。小春は迷わず、その男にも毒矢を撃ち込んでおいた。
「平河さん?」
さすがに二度目の射撃ともなれば、目端の利く真由美なら気づく。
「和泉守様から市民に紛れたゲリラに注意せよと助言をいただいていましたので」
詳しく聞かれる前に、そう答えておく。
「貴女も宮芝の流儀に染まってしまったということなの?」
「確証に至るまで待っていたのでは、間に合いません。私たちが生き残るには、先手を打つしかありませんので」
どこか悲しそうな真由美から目を逸らし、小春に対して恐れを含んだ視線を向ける市民たちへと目を戻す。
「分かりました。鈴音を助けてくれて、ありがとうございます」
「はい」
鈴音を助けたことへの礼を言う真由美にも軽く声だけで返し、小春は市民たちへの警戒を続けた。