司波達也が属する国防軍独立魔装大隊は、敵の本陣である偽装揚陸艦を前にして進軍の停滞を余儀なくされていた。
偽装揚陸艦の周囲にしとしとと降りしきる雨。それは、異様に淀んだ想子を持っていることが、達也の眼には見て取れた。いや、淀んでいるという表現すら生温い。あの水滴には一滴一滴に至るまで人の怨念が詰まっている。
降りしきる雨水に込められた呪いは、人に限って猛毒を発揮する。それだけに周囲にいる小動物は平気な姿を見せている。
だが、それに油断して中に足を踏み入れようものなら、一瞬にして猛毒に冒される。その威力は極めて高く、達也固有の魔法をもってしても対処が不能な凶悪なものだ。何せ、一瞬のうちの治療が終わると同時に新たな呪いに冒されるのだ。治療の度に発症する病など相手にしないに限る。
敵が投入した戦力は、二十輌の装輪式大型装甲車、六十機の直立戦車、八百人の戦闘員。その中には魔法師も多数含まれていた。
占領維持には足りなくても、一局面の打撃力としては不足のない戦力が、今や装甲車、直立戦車の残存数ゼロ、兵士の損耗率八十パーセントという壊滅状態に陥っている。
加えて特殊工作部隊の隊長である陳祥山は達也の妹である深雪に敗北して捕らえられており、大亜連合のエースとして名を馳せた呂剛虎に至っては、今や完全な宮芝の操り人形。もはや大亜連合側に勝ち目はないのは明らかだった。
それを知ってか、敵艦は兵の収容が完了していないにも関わらず、早くも離岸し沖への航行を開始した。これは、宮芝が放った魔法がどれだけの効果時間であるのか読めないという点も影響していると思われた。もし、この雨が数時間に渡って振り続けるとしたら、どれだけ待っても兵の収容が終わることはない。
「逃げ遅れた敵兵は後詰めの部隊に任せて我々は直接敵艦を攻撃、航行能力を破壊する!」
達也の上官の命で独立魔装大隊の兵たちが追撃の準備に入る。確かに飛行魔法を使用する独立魔装大隊の機動力なら、呪いの雨の降り続く場所を迂回して敵艦の前に回り込み、指向性気化爆弾のミサイルランチャーと貫通力増幅ライフルによる攻撃で敵艦を沈めることすら難しくない。
だが、彼らは今まさに飛び立とうとしたその時、制止の声が届いた。
「敵艦に対する直接攻撃はお控えください」
通信で割って入ってきたのは藤林響子だった。
「どういうことだ」
「敵艦はヒドラジン燃料電池を使用しています。東京湾内で船体を破損させては水産物に対する影響が大きすぎます」
「ではどうする」
「退け」
「隊長?」
再び通信に割って入ってきたのは独立魔装大隊の隊長、風間玄信少佐だ。
「勘違いするな。作戦が終了したという意味ではない。敵残存兵力の掃討は鶴見と藤沢の部隊に任せ、一旦帰投しろ」
「了解です」
上官の返答に従い、隊は移動本部に帰投を始める。しかし、その中に達也の姿はなかった。別途、風間に指示されてベイヒルズタワーの屋上に向かうことになったためだ。
「来たか、特尉」
「はっ」
今の達也は軍人だ。風間にも略式ながら敬礼で応えておく。
「早速だが、頼めるか?」
「はっ。しかし、先にお耳に入れておきたいことがあります」
「何だ?」
達也はその質問には答えず、藤林に話を向けた。
「藤林少尉、敵艦の現在地は?」
「敵艦は相模灘を時速三十ノットで南下中。房総半島と大島のほぼ中間地点です。撃沈しても問題ないと思われます」
「その敵艦の中に、宮芝の人形が複数体……しかも、自爆できるタイプが、潜入しているようです」
「分かるのか?」
「以前、学内にテロリストが潜入した事件の折に見た宮芝の人形を見ていますので。自爆機能を持っているという点は、胸に妙な想子の印が刻まれていることからの推測です」
驚いて聞いてきた風間に返すと、風間は考え込む様子を見せた。
「宮芝の狙いは何だと思う?」
「おそらく、何らかの方法で敵艦がヒドラジン燃料電池を使用していることを掴み、我々と同じ理由で攻撃を控えているものと思われます」
「それは分かる。その後のことだ。和泉守はどこで自爆させると思う?」
「和泉守の性格を考えると、二種類でしょう。一つは敵国内に寄港する直前……敵の水産資源に最も打撃を与えられる場所。もう一つは周囲に民間の漁船等がいるタイミングです」
「いずれにしても悪趣味なことだな」
海洋環境に大きな影響を与えるヒドラジン燃料電池の艦など、和泉が知れば激怒することは想像に難くない。おそらく、相手にとって最も嫌な場面で自爆させることは確実だ。
「敵艦を逃がさない、ということだけを考えれば放置しても問題はないと思いますが、いかがいたしますか?」
「宮芝は、我らが艦を沈めれば不快に思うか?」
「知る限りの和泉守の性格から考えると、多少は残念に思うでしょうが、不興を買うということはないと思います」
「そうか……ならば頼めるか?」
風間は敵兵を爆弾に作り替えて自爆させるという手段自体を快く思っていないようだ。その気持ちは達也としても分からないものではない。
「分かりました。撃沈します」
そう答えるとにわかに周囲が慌ただしくなる。
「サード・アイの封印を解除」
風間が叫ぶ。隊員が大きなケースを達也に渡す。
「色即是空、空即是色」
達也の声を用いた声紋照合と暗証ワード。それに静脈認証とカードキーという厳重な封印が解かれ、大型ライフルの形状をした特化型CADが姿を現す。達也は、その特化型CAD
「サード・アイ」のストックを肩に当てて構える。
「成層圏監視カメラとのリンクを確立」
隣でノート型のモニターを見ていた藤林が、風間にそう告げた。
日本列島をぐるりと囲む形で空中に浮いた成層圏プラットホームに搭載された国境監視カメラが、サード・アイのアンテナを通じて達也のバイザーに映像を送り込んでくる。
「発動」
達也がそう呟いて、引き金を引く。
次の瞬間、相模灘を南下していた大亜連合の偽装揚陸艦は灼熱の光球に包まれる。それは空気を加熱して衝撃波を発生させ、甲板を溶かして金属蒸気の噴流を生み出し、ヒドラジンを含めた全ての可燃物を一瞬で完全燃焼させ、巨大な炎の塊と化して艦を呑み込んだ。
その灼熱の地獄は、成層圏監視カメラを通じてベイヒルズタワーの屋上でも確認された。
「……敵艦と同じ座標で爆発を確認。同時に発生した水蒸気爆発により状況を確認できませんが、撃沈したものと推定されます」
「撃沈しました。津波の心配は?」
モニターを見ていた藤林の報告を、達也は修正をした上でそう訊ねた。
「大丈夫です。津波の心配はありません」
「ご苦労だった」
「ハッ」
敬礼で応えた達也に頷き、風間が作戦の終了を宣言する。
日本に侵入した偽装揚陸艦と乗員は、こうして太平洋に消えることになった。