西暦二〇九五年の十月三十一日、ハロウィンの朝を、宮芝和泉守治夏は十文字家の客間で迎えた。といっても、それを知ったのは目覚めてから少し経ってからのこと。最初は見知らぬ部屋での目覚めに大いに困惑をしたものだ。
最初に考えた可能性は誘拐。しかし、その割には手足が全く拘束されていない。それに薄明りの中ではあるが、ベッドの脇にあるサイドテーブルの上には治夏が愛用しているCADの光が見えている。これは、誘拐ではありえない措置だ。
そうして昨日のことを思い出していき、治夏は驚愕の結論に至る。昨夜、十文字の前で大泣きして以降の記憶がない。ということは、ここは十文字の家か。
布団をめくって着衣と下着に不自然な点がないか確認してしまったのは無理のないことだと思う。十文字のことを信用していない訳ではないが、それでも万が一ということはありえることだ。
結論は、何もされた形跡はなし。スカートの中くらいは覗かれたかもしれないが、少なくとも身体は無事のようだ。そこまで確認して、治夏は再びベッドへと倒れ込んだ。普段の治夏は男の家で無防備になるほど愚かではない……つもりだ。けれど、昨日はそんなことさえ考えられなくなるほど、心が乱されてしまった。
その最大の原因が、横浜の魔法師協会を巡る防衛戦での宮芝の被害の大きさだった。片瀬志摩守が率いる宮芝家の一番隊四十名は、敵の侵攻軍との戦いで死者九名、重傷者十二名、軽傷者十四名という大損害を被った。しかも重傷者のうち半数は後遺症により戦闘能力に支障をきたす可能性があると聞いている。
仮に六名全員が復帰できないとなると、宮芝は一気に十五名もの術士を失うことになる。しかも、その全員が宮芝で精鋭とされている人員なのだ。精鋭を一気に補充する方法など、あるはずがない。穴は容易に補えない。
この責任は治夏にある。十文字にも言ってしまったが、宮芝の術士は直接戦闘には長けていない。いや、そもそも軍隊を相手にするには宮芝はあまりにも非力なのだ。宮芝の戦いは防諜など、一対多を望めるものに限るべきなのだ。
この戦いで命を落とした者たち。この戦いで術士としての生命を断たれた者たち。
彼らにどのように詫びればいいのか、今の治夏には分からない。けれど、彼らの戦いを無駄にしないためにも、治夏は教訓を次の戦いに生かさなければならない。
その思いを胸に、治夏は多摩にある宮芝家の本拠に詰め、情報の整理を行っている。治夏の元に届いているのは国防軍から提供された大亜連合の巨済島要塞の向こうにある鎮海軍港の写真だった。そこには十隻近くの大型艦船とその倍に上る駆逐艦・水雷艇が出港準備に取り掛かっている様子が映っている。
ちなみに十文字で起床してから本拠に詰めるまでの時間が飛んでいるのは、その間に経緯があまりに情けないからだ。というのも治夏が目覚めたのは午前三時で、客間を出るには不適当な時間だったが、身体が尿意を訴えていたのだ。とてもではないが、朝まで待つことはできそうになかった。
それで、深夜に部屋を出るもトイレの場所が分からず彷徨っているうちに、家内を動く者の気配を察して出てきた十文字に会ってしまったのだ。お陰で昨晩のことについての礼を言うでもなく、謝罪をするでもなく、トイレを貸してほしいという、情けない第一声を放つことになってしまった。
でも、それは暗闇の中から急に浮き上がってくる方も悪い。おかげで、ちょっと我慢が緩んでしまい、もうトイレに駆け込む以外の選択肢がなくなってしまったのだから。
治夏は頭を振り、嫌な思い出を追い払う。今は大亜連合にどう備えるかが肝要だ。
とはいえ今回については、治夏は積極的に部隊を動かすつもりはなかった。大亜連合軍とまともにぶつかれば、どうなるかは明らかになった。基本的には宮芝は敵が上陸後に後方の兵站を狙う方針とする。
その場合に重要となるのは敵艦隊がどこを目的に進軍してくるかだ。候補地は北部九州、山陰、北陸のいずれか。その中でも最有力の候補地を、治夏は九州だと考えていた。
北陸には新ソ連に備えた部隊がおり、簡単に制圧はできない。山陰は上陸までは容易かもしれないが、陸路が険しく他地域への侵攻が困難で海路を維持し続けなければ孤立の危険がある。そして、日本は伝統的に海軍国であるため、それは容易ではない。となれば、残る選択肢は九州しかありえない。もっとも沖縄に再びという線も捨てがたいが、さすがに日本も三年前を教訓に防衛を強化している。それはないと思いたい。
「中四国の魔法師は広島に、九州の魔法師は熊本に布陣させろ」
主眼は北部九州に、一応は山陰にも動員をできるように、治夏は傘下の魔法師たちへの動員を指示する。
「和泉守様、大亜に侵入させていた小十郎より連絡です」
「回せ」
直後、治夏の使い魔である鳥から声が聞こえてくる。
「小十郎です。ただいま、鎮海軍港に到着。これより敵方に侵入を試みます」
この通信はまずは大亜連合の小十郎と他の大亜連合に侵入中の工作員との間で行われている。そこで、また別の工作員と使い魔を介した通信を行い、それから長崎の術士、京都の術士と使い魔通しの通信を経て宮芝の作戦本部へと届けられている。
特徴はそれぞれに異なる術式での通信を介しているため秘匿性に優れるという点。弱点は極めて属人的な方法のため途中の術士が体調不良だと通信が叶わない点だ。
「できそうか?」
「警備は厳重でありますれば、成功するかは半々かと」
「それでも、やってもらわねばならん」
「心得ております。必ずや成し遂げ……なんだ!?」
急に小十郎の声に焦りの色が混じった。まさか敵に発見をされたか、と思ったが、小十郎からその答えが返ってくることはなかった。小十郎が叫んでからまもなく、通信自体が途絶してしまったのだ。
「和泉守様、重蔵から通信。小十郎の使い魔が消滅したようです」
その言葉が意味するのは、小十郎が死んだということ。
「小十郎ほどの遣い手が一瞬で殺害されたというのか……」
呟く治夏に向けて部下が追加の情報をもたらす。
「国防軍より映像の提供あり。画面に映します」
映し出されたのは、圧倒的な暴虐の嵐が過ぎ去った後の軍港だった。艦隊は跡形もなく消滅している。巨済島要塞は嵐の後の小舟のように破壊しつくされ、瓦礫の山の様相だ。周辺の島々も津波の跡がはっきりと見て取れる。
「一体、何が……」
そう言いながらも、これは魔法による攻撃だと治夏の冷静な部分が告げていた。自然災害であれば、一瞬のうちに何もかもを破壊するということはない。大なり小なり、時間差というものがある。核攻撃であれば、これと似た状態を作り上げることができるが、ミサイルにせよ何にせよ。全く気付かれることなく着弾は、またありえない。
ゆえに、これは魔法攻撃。そして、タイミングを考えれば、これは間違いなく日本の魔法師によるものだ。知らぬ間に、日本に新たな戦略級の魔法師が誕生していた。けれど、治夏はその戦略級魔法師が誰であるのかに心当たりがあった。
「まさか、君なのか……」
昨夜、治夏が頼ろうとしたのは、十文字だけではなかった。その前に、弱音だけでも吐けないかと一人の人物に電話をしていた。けれど、その相手は留守であり、代わりに電話に出た相手によれば、昨日は帰ってこないということだった。
まさかという思いとともに、そうであれば納得ができると思う自分もいる。しかし治夏は確かめたいという思いに蓋をする。今、それを確かめるのは、どちらにとってもあまりにも危険と思えたからだ。
灼熱のハロウィン。
後世の歴史家は、この日のことを、そう呼ぶ。
それは軍事史の転換点であり、歴史の転換点とも看做されている。
それは、機械兵器とABC兵器に対する、魔法の優越を決定づけた事件。
魔法こそが勝敗を決する力だと、明らかにした出来事。
それは魔法師という種族の、栄光と苦難の歴史の、真の始まりの日でもある。
そして宮芝和泉守治夏にとっても前日の横浜での戦いと合わせて、大きな人生の岐路となった出来事でもあった。
そのことを、治夏はまだ、知る由もなかった。