宮芝の後継者となった私は、宮芝の姓と宮芝家の通字の「治」の一字を受けての治夏の名を与えられることになりました。ちなみに父が桐生家に入ったときと違い、私は宮芝の養子になったわけではないので、本名は桐生深夏のままです。
宮芝の当主は基本的に宮芝和泉守、または宮芝和泉と名乗ります。そして特別に個人を識別する場合には各々の当主に与えられた通名を使い、宮芝治夏と名乗ります。私の本名である桐生深夏という名を知る者は、後継者就任前から私を知る一部の人だけです。
さて、宮芝の後継者と決まったわけですが、そこから正式に当主となるためには、更に一年の修行期間が必要となります。その期間で宮芝の中でもごく一部しか触れないような秘中の秘について学ぶことになります。
その間に宮芝の後継者はもう一つの仕事があります。それは一年後に当主となった暁に側近として仕える人物を指名することです。
私が最初に指名したのは、身の回りの世話を担当してくれる杉内瑞希です。彼女は桐生家の使用人として働いており、このときの私にとっては最も古くから知っている相手でした。瑞希に対しては話をすると、すぐに了承してくれたので当主と決まった翌日には指名して、宮芝家に移ってもらいました。
続いて指名したのが修行時代に私のことを庇護してくれた年長者の二人、村山利明と山中幸弥でした。二人もあまり迷う様子なく了承をしてくれ、以後は村山右京、山中図書という名で私を助けてくれています。
最後に指名した皆川崇明は当主に就任する直前に指名しました。彼だけは既知の間柄ではなく、宮芝の術士養成所で見かけた実力者五人の内から、面接で選びました。皆川掃部と名を変えた崇明は、古式には珍しく対人戦闘に優れています。そのため敵と交戦する際の護衛役を期待しての指名でした。
こうして側近の指名を行うのに引き続いて、頑張らなければならなかったのが歴史の勉強でした。宮芝は六百五十年もの歴史を持っています。しかし、私は今では桐生を名乗っているとはいえ、元々は宮芝傘下の森山という小さな家の出身です。本家の歴史については最低限しか持っていません。必然的に学ぶ内容は多くなります。
これが単なる暗記のようなものなら、それほど苦労はしなかったでしょう。私は中学校を中退したような格好ですが、それまでの成績はわりと良い方でしたから。けれど、宮芝の歴史は単なる暗記の座学ではありません。
宮芝の歴史というのは、魔法の歴史でもあります。発祥の陰陽道から後に神道に広がり、更には修験道まで取り入れて生き残りを図ってきた宮芝は、多くの秘術を己のものとしてきました。
その大半は属人的な資質に基づいていたため、再現するのは困難ですが、長き時を経て再び陽の目を見ることもあるので、その判断に役立てるため仕組みをある程度は理解しなければなりません。とはいえ、昔の資料になればなるほど単なる伝説なんじゃないかと思える記載も多く、実際に今も完全に理解しているかと問われると、首を横に振るしかありません。
けれど、その中には面白いものもありました。それが、とある村で長雨に悩んだ末に龍神への生贄として池に沈められた乙女の物語でした。
ぱっと見では、よくある伝説。けれど他の物語と違ったのが、池には龍など住んでおらず、乙女の犠牲は無駄になったということ。そして、自分の死が無駄であると知った乙女がくだらない伝承を信じて自分を池に沈めた者たちを恨んだという記述でした。
龍神伝説は数あれども、このような記載があることは珍しいです。何より、死にゆく者が直前に誰かを恨んだなどということを一体、誰がどうして知れるというのか。これでは、よくある怪談の類です。
けれど、なぜか私はその記述に心惹かれました。わざわざ宮芝の魔法に関する書物の中にそのような記述があるのです。単なる伝説を記したものではないはずです。そう考えた私はその魔法の再現を試みることにしました。
そうして記述を読み解いていくと、魔の者を滅ぼすために、乙女の人に対する恨みを魔の者に転嫁して用いたものであることが判明しました。私はそれを、本来の形である人に対する恨みとして発動させる魔法とすることを考えました。
宮芝の魔法には、広範囲に影響を及ぼす攻撃系の魔法がありませんでした。そもそも古式は現代魔法の戦略級魔法のような目立つ魔法は得意とはしていません。だからこそ、私は呪いを元にした広範囲攻撃魔法を面白いと感じたのです。しかし、大きな問題が立ちはだかりました。それは干渉力の大幅な不足でした。
広範囲に影響を及ぼすためには、それだけの魔法力が必要でしたが、十師族ほどの力を持たない私たちには、それを賄うだけの力がなかったのです。かといって威力を低下させてしまったのでは本末転倒です。
私たちはまず少ない魔法力を増幅して、大きな力を引き出す方法を編み出す必要がありました。もっとも、それには心当たりがありました。古式魔法には昔から大勢の術士が同じ効果を願って力を注ぐ、大規模儀式という方法が伝わっていました。
綿々と受け継がれてきた儀式が、何の意味もないものだとは考えられません。必ずやそこに現代魔法では例外的な事例として報告されているだけの、複数人で一つの魔法を完成させるための方法があるはずです。
そのときに宮芝が受け継いできた数々の古文書が役に立ちました。書かれている内容をしらみつぶしに試してみて、感覚として効果があったものとなかったものを振り分けているうちに、どのような方法を取れば効果を発揮できるかが分かってきました。
そうして半年間の研究を経て、ついに儀式系広範囲呪法である呪水落滅が完成しました。その魔法は私の当主就任の席で披露され、どこの馬の骨とも分からない小娘の当主就任を冷ややかに見ていた者たちの度肝を抜くことに成功しました。
現代魔法のみならず古式魔法においても、複数人での魔法行使は属人的な技術とされていました。それを覆したことは大きな驚きをもって迎えられたのです。それは、その後の当主としての運営にも影響を与えるものでした。
しかし、それでも私は外様の人間です。形式的には有力分家の桐生家の娘ですが、元は無名の家の出ということは広く知られています。
救いなのは、宮芝にとって外部の当主が珍しくなかったことです。現代魔法師たちと私たち古い家は魔法師としてのなりたちがそもそも異なっています。
現代魔法師の名門は、卵子と精子の正しい組み合わせを科学的に導き出した上で両親を定められた、作られた家系。一方の古式魔法の名門は歴史が長く、他に比べて平均値が高いものの、あくまで自然に代を重ねてきた結果です。そのためなのか、私たちは良く言えば可能性に満ちている、悪く言えば能力にばらつきが多いのです。
しかも古くから伝わる家で、実力主義を取っていることもあり、養子が当主に就任することも、過去に例がないということではありませんでした。当主の弟の子等の身内からの養子までを含めれば、むしろ半数以上が養子等による当主になります。それでも、反発がないというわけではありません。
現状では私の味方は父が当主を務めている桐生のみ。他の分家も同様に思って、私のことを侮っていることでしょう。けれど、それでは駄目なのです。私が宮芝家の当主として力を振るうためには、たった一家の協力では足りません。
一年の当主見習の期間が過ぎ、私は正式に当主の座に就きました。当然、宮芝本家の後見の元になりますが、自分なりの施策も打てるようになりました。
そして、それを機に私は大きな決断を下したのです。