「……借りだなんて思わないからな」
生徒会役員の姿が校舎に消えたのを見届けて、達也に庇われた形になったA組の男子生徒が、棘のある視線を向け、同じく棘のある口調で、達也に向けてそう言った。
「貸してるなんて思ってないから安心しろよ。決め手になったのは俺の舌先じゃなくて深雪の誠意だからな」
「お兄様ときたら、言い負かすのは得意でも、説得するのは苦手なんですから」
「違いない」
わざとらしい非難の眼差しに、達也は苦笑で返した。
「……僕の名前は森崎駿。お前が見抜いたとおり、森崎の本家に連なる者だ」
「なるほど、森崎の者だったのか。だったら、君は彼らに大いに感謝すべきだ」
声を上げたのは、不気味にも黙っていた和泉だった。不快感を隠しもしない視線を気にする素振りもなく、森崎の前に進んでいく。
「なぜなら君は、己が無能で何の役にもたたない人間であることを自覚することができたのだからな。さ、早く退学届けを出したまえ」
「ウィード如きが、何を……!」
あまりの怒りで、森崎は言葉にならない様子だ。せっかく場を収めたというのに、二回戦が始まりそうだ。とりあえず、今度は深雪を関わらせまい。
「短慮軽率、注意力散漫、視野狭窄、無知蒙昧、頑迷固陋。これだけ揃った愚か者に誰かの護衛などできるはずがないだろう」
「貴様!」
森崎の家業とも言えるボディーガードの仕事を揶揄され、森崎が怒りを爆発させる。幸いだったのは、エリカから弾かれたCADを拾ってなかったことか。それゆえ森崎の攻撃は単なる拳によるものだった。
「きゃあっ」
響いた悲鳴は同じA組の女子生徒のものだ。
森崎の拳が、同じA組の女子生徒に振るわれたのだ。いきなり殴りかかられた女子生徒は防御を取ることもできず、男の拳を頬に受けた衝撃でその場に倒れる。気絶してしまったようで女子生徒はぴくりとも動かない。
「三上さん!」
「ちょっと、森崎! 何を!」
周りの女子生徒が、ある者は慌てて介抱に向かい、ある者は森崎に批難の視線を向ける。
「俺は……何を……」
そんな中、森崎は呆然と己の拳を見つめていた。
「大陸系の古式魔法でね。奇門遁甲と言う。簡単に言えば方向感覚を狂わせるというものだ。君はずっと前から私の術下にあった。もしも、そこのエリカくんが君のCADを弾いてくれなければ、君はそこの男子生徒の頭を吹き飛ばしていた」
和泉に指差された男子生徒が初めて自分が命の危機にあったと気が付いて、驚愕に目を見開いた。
「それをせっかくウィード諸君によって救われたというのに、その直後にまた過ちを犯す。まったく、度し難い愚昧さだ」
ゆっくりと森崎の前まで進んだ和泉が肩に手を置く。
「今度は殴らないのだな。いや、殴れないのだな。君は私を攻撃できる自信がない。もしも、また無関係の者に拳を振るってしまったら……いや、必ず振るってしまうと自覚できたから殴れないのだろう。襲ってきた敵と、守るべき相手。識別を誤って守るべき相手を攻撃してしまっては一大事だ。けれど、どうすれば敵味方の識別ができるのか分からない。君は、それで一体、誰を守るというんだい?」
和泉が森崎を追いつめる。魔法は精神に大きく影響される。己の魔法に自信が持てなくなれば、魔法師は簡単にただの人となる。
「今後の教訓のために、君には先ほどエリカくんが君のCADを弾いてくれなかった場合の未来を見せてやろう。友人の頭が吹き飛ぶさま、しかと目に焼き付けて、二度と魔法に関わらないようにして生きるといい」
和泉は森崎を見逃してなどいなかった。ここで森崎を潰してしまうつもりだ。けれど、和泉の狙いは実現しなかった。
「そのくらいでいいのではありませんか?」
深雪が止めに入ったからだ。
「おや、君は君の兄上をあれほどに愚弄した彼の行為を許すというのかね」
「ただ一度の過ちで全てを失うというのは酷ではありませんか?」
「違うな。戦場で命を失うのは一度の過ちで十分だ。彼の愚かな行動は彼のみならず、友軍全体を危険に晒す」
「今は戦場に出ているわけではないでしょう?」
「今は戦場でないからといって、明日も戦場でないという保証はどこにもない。力が足りぬなら足りぬで使い道はあるが、友軍を害する兵器など一片の存在価値もない」
和泉の発言を聞いて、達也は和泉とは絶対に分かり合えないと悟った。和泉の発言は、魔法師は兵器であるという前提に立ったもの。一方の達也は、魔法の平和利用と魔法師の兵器としての立場からの解放を目指している。
「今回は、これで矛を収めていただけませんか。もしも再び、貴女の言う愚かな行動に出たのならば、その時は何も言いませんので」
口調こそ丁寧だが深雪の瞳には、これ以上続けるつもりなら実力行使も辞さない、という強い気持ちが宿っていた。先ほどまでは、さすがにやりすぎ、という程度だった深雪の態度を硬化させたのは、間違いなく魔法師を兵器扱いした発言だろう。
「なるほど、確かに君が嫌いそうな発言だったね。まあいい、次に一科生が愚かな言動に出た場合には私の邪魔をしない。約束をしてくれるね?」
「深雪! 答えるな!」
達也が叫んだのは、和泉がその言葉を発する際に何らかの魔法を使用したのを察知したためだ。
「心配はいらない。ただ単に、約束は絶対に守らなければならない、という制約をかけるだけの魔法だ。ちなみに、約束は私にも有効だ。だから、次に何らかの愚かな行為にでない限りは私も彼に手を出せなくなる。どうだい、受けてもらえるかい? 深雪くん」
「分かりました」
達也が止める間もなく、深雪は答えてしまった。彼女をこれほど意固地にさせてしまったのは、他ならぬ達也の目標だ。それゆえに達也は苦い顔をすることしかできない。
「契約は成立した、此度は私は退かせてもらおう。彼女に感謝することだ、森崎くん」
そう言うと、和泉は制服の裾を翻して駅の方へと去っていった。