スティープルチェース編 二度目の九校戦
今年も九校戦の季節が近づいてきていた。そして、第一高校は例年より早く忙しい日々に突入していた。
これは、万事に慎重な生徒会長、中条あずさが例年より一ヶ月も早く九校戦の準備に着手したためである。その甲斐あって今年は余裕をもって準備が整う見込みであった。しかし、それは儚く消えることになった。
「いやあぁああぁあ」
七月二日月曜日の放課後、叫び声をあげて頭を抱える中条を、宮芝和泉守治夏は冷めた目で見つめていた。
「中条さん、どうしたんですか?」
治夏と違って気遣った五十里も、中条から渡された紙を見ると顔色を変えた。重い空気が漂う生徒会室に次に入ってきたのは、司波兄妹だった。
絶望感を放ちながら頭を抱える中条と、途方に暮れる五十里。そして完全に他人事でただ面白がっている治夏を見て二人も足を止めていた。
「お疲れ様です、五十里先輩。一体何があったんですか?」
達也が質問の相手に選んだのは、五十里だった。
「いや、それがね……」
「九校戦の運営委員会から、今年の開催要項が送られてきたのだよ」
歯切れの悪い五十里に代わり、治夏が事情を口にした。
「そうですか。それで、何が問題だったんですか?」
「何もかもです!」
中条が勢い良く顔を上げ、呪詛にも似た愚痴をこぼし始めた。
「開催要項は競技種目の変更を告げるものでした!」
「……何が変わったんですか?」
「三種目です!」
「スピード・シューティングとクラウド・ボール、バトル・ボードが外されて、代わりはいずれも実戦的な競技ばかりだ」
治夏が補足すると、達也も深雪も表情を曇らせた。
「追加競技は、USNA海兵隊の上陸支援訓練がルーツのロアー・アンド・ガンナー。魔法と格闘の両方のセンスが要求される、対人格闘戦シールド・ダウン。そして極めつけと言えるのがスティープルチェース・クロスカントリーだ」
治夏が競技名を告げると、達也ははっきりと眉を顰めた。
「お兄様、スティープルチェース・クロスカントリーとはどのような競技なのですか?」
「スティープルチェース・クロスカントリーはその名のとおり、スティープルチェース、つまり障碍物競争をクロスカントリーで行う競技だ。障碍物の設置された森林を走破するタイムを競う。各国の陸軍で山岳・森林訓練に採用されている軍事訓練の一種だよ。障碍物には物理的な自然物や人工物の他、自動銃座や魔法による妨害も用いられる」
「随分ハードな競技ですね……」
「スティープルチェース・クロスカントリーは高校生にやらせる競技じゃない。運営委員会は一体何を考えているんだ?」
詰るように呟く達也に、治夏は面白い情報を追加してやることにした。
「スティープルチェースは二年生、三年生なら男子も女子も全員エントリーが可能だ。実質的には全員参加だな」
「和泉は随分と楽しそうだな」
「そうだな。何せ我ら宮芝にとっては日常的と言っていいほどに取り入れられている訓練だからな。せいぜい張り切ってしごいてやるつもりだよ」
「……余程しっかりと対策を練らなければ、ドロップアウトが大勢出ますよ、と忠告をしようと思っていましたが、当校には山野の訓練のスペシャリストの和泉がいましたね。和泉、宮芝なら訓練でドロップアウトなど出さないようにできるだろう?」
達也の言うドロップアウトは競技からではなく、魔法師人生からのドロップアウトだ。
「無論だ」
山野での訓練の度に脱落者を出していては、魔法師部隊など作れない。どの程度で強制的にリタイアさせれば致命傷とならないか、宮芝は加減を熟知している。
「ならば、まずは選手選考のやり直しからですね」
「今年はただでさえ主席の退学なんていう異常事態があって選手選考が難しかったのに、やり直しですか」
「こちらを見ながら言わないでくれ。七宝の退学は本人がどうしても力士になりたいと希望したからで、私としても全くの計算外だ」
しごきのつもりで相撲を続けさせていたら、七宝は力士になると言い出して学校を辞め、実際に相撲部屋に入門してしまった。治夏としては本当のことを言ったのだが、中条は疑わしそうな目で見てくる。だが、考えてもみてほしい。誰が好き好んで第一高校で主席を張れるような優秀な人材を、例え一時的とはいえ魔法を封じて相撲部屋に放り込むことをするものか。そんなことなら国防軍に入れた方がましだ。
七宝のことはともかく、変更となった競技だけでなく既存の競技も従来からのソロに加えてペア形式が追加されている。選手は出場競技と人選を全面的に見直す必要がある。達也が声をかけ、中条を励ましつつ選手から再考し始める。
そうなると治夏としては口を出すこともない。治夏は第一高校の魔法師たちをより実戦向きに調整すべく訓練プランを練り始める。
そして生徒会業務の終了後、治夏は久しぶりに達也たちの生きつけとなっている喫茶店「アイネブリーゼ」に顔を出した。集まっていたメンバーは達也と深雪に、エリカ、美月、レオ、吉田にほのかと雫の二年生八人に、達也たちの従妹だという桜井水波という一年生が一人だ。治夏が顔を出したときには、達也が生徒会室にいなかったメンバーに新競技についての説明をしているところだった。
「へえ……楽しそうじゃない。特にシールド・ダウンとか」
自らも近接戦魔法師であるエリカは、弾んだ声でシールド・ダウンに興味を示す。
「えっ、そうかな……何だか怖そう」
逆に荒事が苦手な美月は、エリカとは対照的に不安そうな声を漏らしていた。
「うん……去年まで採用されていた競技はどれも、選手同士が直接ぶつかり合わないものばかりだったよね」
「モノリス・コードですらそうだったのに」
同じく成績は優秀だが戦闘は得意でないほのかも同様の感想のようだ。
「でも本当に危ないのは、シールド・ダウンよりスティープルチェースの方だと思う」
「ええ、お兄様もそう仰っていたわ」
そこへ雫が口を挿み、深雪がその言葉に頷いた。
「道のない森の中じゃ、ただ移動するだけでも慣れてなきゃ危ないからな。物理的な障碍物に加えて魔法による妨害とくりゃ、怪我人が出なかったら不思議ってもんだぜ」
「山駆けは道があっても経験豊富な先導者が必要だ。不慣れな森の中でスピードを競うなんて無謀すぎる」
レオと吉田もそれぞれの経験から否定的な意見を口にする。けれど、それは治夏にとっては看過できない発言だった。
「なぜ吉田は否定的なのだ。このような競技は古式にとっては望むべきものだろう。お前が一科生として皆を引っ張ればいいだけの話だ」
「古式の魔法師でも初めての森は危険だ」
「そうか? 使い魔を十体程度前方に放射状に飛ばして、合わせてピンを百発も打てば地形も障碍物も簡単に感知できるだろう?」
「なあ、ピンって何だ?」
聞いてきたのは古式には疎いレオだった。
「意味としては、そのままだね。もっとも宮芝のピンは音波の代わりに精霊を飛ばすというものだがね。それにより対精霊用の欺罔を施していない全てのものを検知できる」
「それだけ高性能な探知手段があるなら、和泉が自信満々だった理由が分かるな。いっそのこと選手として出場したらどうだ?」
「シールド・ダウンなら相手によっては勝てるかもしれないが、それでいいのか?」
今日はずっと中条と人選で頭を悩ませた達也の提案に、治夏は笑顔で答える。
「やはり、やめておいた方がよさそうだな」
「おや、それは残念だ」
本来のシールド・ダウンは盾を使った格闘戦で、相手の盾を破壊するか奪う、または相手選手を場外に落とせば勝利となる。競技の性質上、相手への魔法自体が禁止されているわけではないため、治夏の場合は幻影魔法と隠蔽した精神干渉魔法で相手を場外に導く戦い方となるだろう。しかし、それは達也には許容できないことのようだ。
達也もルールの隙をつくのは得意だ。けれど、それは競技の内容自体にまでは影響を及ぼさない範囲に留まる。一方、治夏の場合は競技性が消滅しようと、次回は禁止されるような方法であろうと構わず用いる。加えるなら、ルール違反であろうともばれずに済ませられるならば遠慮なく使う。それを達也は嫌ったのだ。
ちなみに、ルールの逸脱を嫌うのは、おそらく達也が潔癖だからではない。単に変な形で目立つのを嫌っているだけだろう。そのあたりが、できるだけ目立ちたい治夏と達也の大きな違いだ。
「達也、今回加わった種目って、やけに軍事色が強い気がすんだけど?」
レオの問い掛けは、治夏も語ったことだった。
「おそらく横浜事変の影響だろう。去年のあの一件で国防関係者が改めて魔法の軍事的有用性を認識し、その方面の教育を充実させようとしているんじゃないか」
「反魔法主義マスコミがアジっているとおりになってるね」
エリカが人の悪い笑みを浮かべて茶々を入れる。
「ああ、時期が悪いとしか言いようが無い。何故こんな分かり易い変更を行ったのか……。現下の国際情勢下で焦る必要は無いと思うんだがな」
時期が悪いというのは、達也の言う通りだ。治夏が反魔法師報道に手を打ってから二か月ほどしか経っていない。あるいは、何か裏があるのかもしれない。
達也たちが話を続ける中、治夏は大会運営委員回りを調べてみることを決意していた。
ひっそりと七宝、力士になる。