ならばその調律がいかようにして成されたかも
外ならぬお前ならば知っているだろう
黒とは深淵であり 白は漂白され浮き彫りにされた
お前たち自身の真実である事がな
黒鍵と白鍵が反転されたグランドピアノのように
手掛けた伴奏は小気味良くも煉獄に涙を落とす程には悲劇的だ
それが 嘆きというものだ
間桐 鶴野(まとう びゃくや)は人生の理不尽さを嘆いていた。
何時ものように自室へと引きこもり胡坐をかきつつ、皿につまれたピーナッツ
やら、ジャーキーやら酒のつまみを咀嚼して適当なタイミングで冷やした
グラスから琥珀色の液体を嚥下して喉へと熱いものが通り過ぎる。
締め切った障子が何時か開けられる不安に目を背けるように体を、目線が決して
そちらに向かないように反対方向に座って地下蔵で起きているであろう
事を予想しつつも極力考えないようにする。
間桐の家の負の遺産を継承する事を避けるために縁を切った裏切り者の弟。
それが今更ながら出戻りして聖杯戦争へと買って出た事。そんな家族の
情など完全に切れてる彼は、雀の涙ほどの嫌悪やらの感情が弟にあっても
わざわざ関わろうとする気概も関心も持ち合わせていなかった。
あるのは自己保身と恐怖。何かの間違いで、いや弟が召喚の失敗なりで死亡し
自分に対象が向けられる事。そう起き得る未来を恐れていた。
彼は体こそアルコールで心身を弱まらせてるが雁夜ほどに夢想家でもなければ
無謀とも縁の薄い男である。クソ爺い(臓硯)の手中、蜘蛛の巣の中で
生き残る術を彼なりに模索して、寝る虎もとい蟲を刺激しない事だ。
(そうだ、俺には関係ない事なんだ……じっと大人しく、何もしなければ)
今までの人生は碌なものではなかった。これからも、きっとそうだ。
表向きは、平凡な人生を送ったように見える。幼少時代は普通に学校へと行き
中学、高校と進学する。当たり障りのない学生生活だったし、家柄が特殊なため
金にものを言わせて自分に取り入ろうとする人間も居たが、煩わしかったし
それに何かの手違いで間桐の家と言う蟻地獄に入ってしまう事を恐れて人間関係は
極力最低限の付き合いだった。
社会で生きる事において、何よりもアドバンテージになるのは金だ。そう言う意味合い
なら自分は生まれながらの勝ち組だが、幸福には一番程遠いと思う。
常に、複数のおぞましい視線に晒されて生きて来たのだ。風呂に入る時も寝る時も
いや……臍の緒が繋がる赤子の時から、あの怪物に晒されて産まれてきた。
生殺与奪の権利を全て預け、半ば奴隷として生きた日々。反骨精神なんてものは
根こそぎ奪われ、彼にとって日々の慰めは手元にある酒のみだ。
だからこそ、召喚の夜に起きた地下蔵から発生したであろう謎の揺れに関して
グラスを取りこぼし動揺を示しつつも、決して様子を見に行ったり機転を利かして
外に出る真似もしなかった。もし、外に出ればまた違った展開もあっただろうに。
――ガラッ。
「っ ……じじ !!? だ、っ誰だっっ お前ら!!?!」
「ふむ……ようやく情報を確保出来そうな関係者に出逢えたな」
勢いよく開けられた障子に、あの蟲の先祖が何か小用でもあって来たのかと
億劫そうに振り向いて、そして言葉を失った。
目に映るのはスーツに白衣を羽織った無機質な瞳の女。その後ろに、自分を
胡乱気に見るスーツの男性が見た事のない鈍器やら大砲めいた武器を携えている。
鶴野にはソレが現実的に地下蔵で行われているであろうサーヴァント召喚に
よって招かれた英霊である等と考えつかなかった。いや、誰も一般的な感性で
近代的で現実感溢れるスーツ姿の数人の登場に対してサーヴァントを連想するより
外来の魔術師か、それに近い団体である事を予想するのが普通だ。
(ま、魔術師か!? クソ爺いの悪行が遂にバレたのかっ!!?)
お世辞にだって、あの肉親(口にしたくない事実だが)が魔術師として善行を
務めているなんて思っていない。凡そ、自分では考えつかぬ程の多数の人間を
物理的に食い物にしてきただろうし、被害は相当の規模だろう。
ソレ等が何処かしらの裏の団体やら魔術師関係者に関わるものに飛び火した
可能性は無きに非ずだ。最悪の予想を想定する事に関しては、間桐の人間として
育ってきた鶴野には容易な事だった。
「ぉ おい! 俺は無関係なんだ本当に! この家の、あのクソ爺いのやった
事に関しては何も関わっちゃいないんだ!」
「……管理人、彼が何を言っているのか解りますか?」
「いや、アレックス。だが観察するに何か後ろめたい事は抱えているんだろう。
あの私室で精神を死なせていた娘のようにな」
アレックス、と呼ばれた男に。この集団のリーダーなのだろう女性が発した娘と
言う言葉に鶴野は過剰に反応した。
「! あ、あの娘にっ、桜にやれって言ったのはアノ爺いの指示だ! やらなきゃ
俺が餌食になってたんだよ!! 俺だって被害者だ!!」
「……ほぅ」
唾を飛ばしながらの弁明が藪蛇だったと後悔したのは、目を細めて温度が低くなったと
思えた女の気配を感じ取った時だ。
「君の処遇に関しては……記憶抽出装置に掛けてからだ。まぁ、発言とアルコール中毒と
思える現状からして、まともな生涯を送っていたようには見えないが……
少しばかり大人しくして貰うぞ。――アレックス」
短い肯定の返事と共に、アレックスと呼ばれる温和な顔立ちながら勇ましい目つきと
体格に付いてる二の腕が振り下ろした(懺悔と呟いていた気がする)メイスが
脳天に振り下ろされるのを、鶴野がよせと叫んでも其の速度が緩がまる事はなかった。
それが、鶴野にとって最後の間桐邸での記憶だった。
……間桐 鶴野は人生の理不尽さに嘆き、そして居るか知れぬ神へ呪い語を
心中で罵詈雑言の嵐と共に叫んでいた。何で俺がこんな目に。
降りかかった痛みは、二日酔いのように未だこの見慣れぬ施設でも続いている。
まだ現実が受け入れられない中で、緑色の長い髪の男が口の端を吊り上げて
自分を見下ろしているのを、拘束を受けながら歯噛みして睨む精一杯の抵抗を表す。
華奢な体つきの男だった。光を携えない茶色の目が自分の姿を
鏡のように映している。
「そんな怖い顔して見たって何も変わらないさ……お前がどんなに怒ったって
恨み事を告げたって、此処ではな。まぁ、ちょっと相談と言うか
管理人の指示だから拒否権利は無いんだが、ビャクヤって名前なんだろ あんた。
とりあえず、その名前は此処じゃあ縁起が悪くてな。ツルノって此処の奴等には
名乗ってくれよ、簡単な事だろ? それさえしてくれりゃ、俺から管理人に
あんたへ贈呈される筈の抗酒剤への命令を撤回してやってもいい」
「それと、今日からツルノ。あんたには自堕落に家で酒を飲む生活を止めて
此処のcoopでの従業員としての生活をして貰う事になる。
はは、一気に世界有数の企業の会社員だぜ? 大出世じゃないか」
「……っ……!」
「っと、悪い悪い。口にテープ付けられてちゃ質問させようにも出来ないよな」
緑色の男の手が伸ばされ、唇と周りを覆ったガムテープが勢いよく剥がされる
小さな痛みと、まともに呼吸が出来る感覚が戻ると共に一気に息を吸って叫んだ。
後ろ手に回され拘束されてるバンドが無ければ殴っていた勢いで。
「ふざけるなっ、この野郎!!! いいから俺をこの訳の分からない場所から
とっとと出せ!!」
怒鳴る鶴野に対して、飄々とした口調を緑を基調とするスーツの男性は崩さない。
何処か羨むような目線で語り掛けるのを止めない。
「元気がいいな。うん、元気がいいのは一番だ。何よりの活力だ。
お前、虫を扱ったり世話するのが得意なんだろ?
T-02-43やT-04-50 O-02-74の専用職員として有望だな。
俺は正直、お前の活躍に期待してるんだよ。魔術師って言うのがどう言う奴等
なのか見当つかないけど、俺達にはないパワーがあるならアブノーマリティにも
少しは効果があるかも知れないってな」
「……何を言ってるんだ、お前。魔術師じゃ、無いのか?」
「んっ、俺は『セフィラ』さ。此処じゃあネツァクと呼ばれてるが……
そんな事はどうだっていい。ただ、俺が言いたいのは、だ。
あんたの背景に関しては、機械を通して色々と見せて貰ったが
俺と違って、あんたはどうしようもならない部分はあるけど
挽回できる機会はあるって事さ」
「はっ? どう言う事だ」
「言葉通りさ。まぁ、直ぐにと言うのは酷かも知れないが安心しろよ。
時間が有れば慣れる筈さ……こんな事言うのは自分でも笑えるが
精々頑張ってくれよな」
そう言う事だけ言って立ち去る男を茫然と見下ろしつつ、数人の彼と同じ
スーツを着こなす奴等が自分の拘束を外すのを尻目に未だ
上手く状況が飲み来なかった。魔術師の団体で無ければ、一体全体
此処は何処で、結局俺に何をさせる気なんだ??
無機質な壁、特に電灯など使ってる様子は見えないのに発光している天井。
床や扉、何処もかしこも人工的で木材なりの自然で出来たものを使ってる
ようには見えない。何の用途に使用するのか得体の知れない機械、壁に連結
された大量のパイプ、窓と思しき場所は緑色の発光した液体が漂っている。
今更ながら気づいたが、自分の周りを往来するスーツ姿の人間達は自分に対し
少し不思議そうに視線を向けるものの声を掛けたり干渉しようとするものは居ない。
通り過ぎる者達は全員、何かしらの役割に尽力してるのが早足で通り過ぎていく。
鶴野も、わざわざ彼らに怒鳴り散らすような真似は避けた。下手に騒いで
袋叩きにされたり、それよりもっと悪い状況になる事を恐れたからである。
それに良く見れば各自 腰元に警棒なり拳銃なりを携行しているのが見て取れた。
余計に、この謎の空間に不吉さを覚えた。
(何だって言うんだ一体全体……訳がわからないぞ)
長い事、同じ体勢をとらされてたからか。少々足取りが覚束ないながらも
此処ではない見慣れた場所を求めて歩き始める。
自分が未知の場所に拉致された事は理解してる。だが、首謀者の意図は不明だが
拘束を解除してるのならば抜け道を探す糸口はある筈だ。
見慣れない部屋以外は、何処までも続きそうな長い通路が築いている。
切れ目のような部分に人が一人は入れそうな隙間も見えたが、到底入る気になれない。
とても……終着点が見えないほどに長い長い道に感じた。
鶴野は通路の突き当りまで歩くのを諦め、手近にある扉に視線を遣る。
O-01-73 そう、プレートに刻まれた部屋だ。
ドアノブはなく自動式らしい扉に近づく。開く気配はなく、扉の横に設置している
ボタンらしきものへと触れる……開いた。何かないかと一歩踏み出す。
ガー
……女が居た。
ただの女じゃない。全身に黒と藍色の混じった銀河のような輝きのドレスを身に着けた女。
青色の長髪も輝きを帯びており、その顔の半分は惹き付ける美しさをもった少女の
外観をしている。目元には、黒い涙のような模様が刻まれていた。残る半分は?
……黒い、暗黒だ。両手を組んだ二の腕から首元に顔の半分までが漆黒に染め上げられ
その容貌は闇で構成された鬼のようだった。
白く透き通った絹よりも薄地に思えるマント。そして、腰にはドレスに不釣り合いな
神秘的な力を匂わせる大きな剣らしきものを提げている……剣?
(あの剣……確か、クソ爺いが以前持ち込んできた)
「――ちょっと! 貴方、何をしてるんですか!? 直ぐに退室してください」
その剣に対する思考を打ち破ったのは聞き慣れぬ一人の若い女性の声だった。
振り向くと、黒髪で丸顔の女性が激しい剣幕で部屋から出ろと告げる。
「っお前、行き成り何……」
「いいから早く言う通りにして下さい! 管理人の指示じゃないんでしょ!?
アブノーマリティが何かしない内に、早くっ」
「……っ」
ただ直球的に戻れと、見ず知らずの女に命令されるのは癪だった。だけど
この場で一番事情を把握してそうな人物だったし、良く知りもしないが
底辺の魔術師である自分でも部屋に居合わせる存在が人外の自分を一瞬で
葬る事ができるだろう威圧感が肌に刺さっていたのも今更ながら、それを
直視して硬直していた体にも伝わってきて素直に部屋から出た。
ドアの開閉音と、女の溜息が同時に聞こえる。
「何事もなくて良かった……WAWクラスのアブノーマリティが上層の部署に来る
事なんて殆ど無い事で、職員達もピリピリしてるって言うのに勝手な事をして。
新人でしょう、貴方? スーツのネクタイだって、ちゃんと結べてないわ」
女は訳知り顔で指す一本を掲げながら、もうちょっと新人職員としての節度と
規律を重んじて……と説教を与えてくる。
理不尽さに対して再度怒りがぶり返してきた。
「っざけんな! 言いたい放題、訳のわからない事をピーチクパーチク
話やがって! 大体行き成り攫ってきたのはそっちだろうがよ!」
怒りをぶつける、女は目を白黒して鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をする。
止めようとする気にはならない。胸の中にある全ての理不尽さを一挙に
喉へと迫り上げ罵詈雑言の嵐をぶつける。
あらかた叫び終え、喉が枯れて一息つくように呼吸を整える。罵倒された
女は、自分の激昂に対し少しだけ不機嫌さが見える胡乱な目つきに変化する
ものの返された言葉は予想に反して落ち着いていた。
「そう。貴方、此処の社員じゃないのね
と言う事は、管理人の事前説明は本当だったと言う事ね……羨ましいな」
「は? 何の話だ?」
嫌味の一つや二つは言い返される覚悟だったが、その女性は少し沈んだ
表情に移り変わっていた。何故か申し訳なさのような気持ちが浮かぶも
卑屈な無いに等しいプライドが邪魔して謝罪出来ないでいると勝手に
話は見知らぬ女性から進んでいく。
「私はエージェントのユメカ。
此処はアブノーマリティを収容しエネルギーを生成する会社。
Lobotomy coop(ロボトミー コーポレーション)よ」
……信じられない話を幾つも聞かされた。
三流にすら劣る魔術師だが、人とは異ならざる怪物については嫌と言う程
知るものが肉親に居るゆえに、そんな怪物を収容すると言う団体組織が居た
と言う話については、まだ理解出来る範疇だ。
だが、そんな怪物から未知なるエネルギーを取り出す?
空間移動を瞬時に可能とするエレベーターに、人と同じように思考して行動する
ロボットが上司として働いている? あの緑色の髪の男もそうだと??
馬鹿げている。だが、短時間で目にしてきたものは魔術と異なる人工的な
自分がまず目にした事ない最先端の科学技術に思える事は確かだ。
その話の中で、引っ掛かりを覚える部分があり、話しを遮るように口を開く。
「ちょっと待て……って事は、その管理人って奴が此処の会社の最高権力者であり
そいつの許可がない限り、この会社から出られないって事だよな?」
「そうなりますね」
「出せるように話を付けてくれっ」
あっさりとした肯定を前に、齧りつくような調子で訴え出る。
専門用語が多く出る会社の実態などより、鶴野にとって見慣れた町の外に出る事が
先決だ。元の、あの自室に戻って平常な生活に戻れれば……。
『私と話しをしたいのか』
ぅおっ、と短く野太い声と共に仰け反る。目の前のユメカと名乗る女性と異なる
無機質で、気絶する前に冷徹に自分がこうなる要因の指示を下した声が突如
相対する彼女から発せられたのだから。
一方、ユメカは僅かに喜色の声と共に口を開く。
「管理人っ。お疲れ様です……えぇ、はい 問題ありません」
上の空といった感じで、微かに頭上を見上げて返事をすると。彼女はスーツの
胸ポケットから補聴器のようなものを取り出す。多分、通信機の類だ。
見慣れぬ機器だが、恐らく電話のスピーカーモードと同じだ。そんな
虚仮脅しに近いものに一瞬怯んでしまった羞恥心をガキのように隠そうとするように
半ば奪い取るような手つきでソレを耳に嵌め込み、声を荒げる。
「おいっ、よくも人の事を殴りつけて異常な場所に放り込んでくれたなっ。
俺は言っておくがクソ爺いのやる事と全く関係ないし、聖杯戦争って奴とも
何の関わりもねぇ! だから、とっとと……!」
『簡潔に述べておく。そちらの呼称するクソ爺い、若しくは亜種T-04-50
または間桐臓硯と呼ばれる存在は、こちらが鎮圧した』
……なに?
「……は? お前が、何をしたって??」
『間桐臓硯と呼ばれるアブノーマリティは、こちらに収容している
アブノーマリティと相殺する形で、その構成する群体の大部分は駆除し得た。
核と思える存在の発見と、こちらの準備が整い次第は完全に処理するつもりだ』
「ちょっ、ちょっと待ってよ!? お前がアノ爺いを倒したって言うのか……っ!?」
『正確には、私が管理するアブノーマリティに対し。アレが過剰に攻撃した結果の
自滅だ。詳細を述べれば……』
そう機械的に説明する声を他所に、頭が酒で酔ったかのような浮遊感が全身を満たす。
あの妖怪からの束縛が、無くなったと言うのか……?
『……然しながら、君を完全に開放する事は出来ない』
「何でだっ。もう、あの化け物は居なくなったんだろうが」
そうだ。奴が本当に消え去ったと言うのなら不安の種は無い。
『繰り返して告げる。あのアブノーマリティの核と思える存在は未発見だ
更に、貴方はこの聖杯戦争とツール型アブノーマリティの延長で選ばれた
間桐雁夜の血縁者であり、他の参戦者から狙われる可能性も少なくない
当面、アブノーマリティの現象が終結するまでは此処に居て頂く』
「……っ、あいつの所為かよ」
つぐつぐ泥を被らせてくる弟だと臍を噛む。
自分が長男であると言う事を踏まえ、あの蟲爺いは弟が家を出る事に関して
何ら制裁や制止をする訳でもなく黙認をした。それからと言うもの奴の
玩具となる存在は自分を除いてなかった。その地獄がどれ程のものかっ!
あの化け物が消え去っただろう今でも、俺を苦しめるのかと怨嗟の声を上げるのを
グッと我慢しつつ、耳からの説明へ長年に培った忍耐を注ぎ耳を傾ける。
『……暫く、Mr.鶴野にはアブノーマリティの管理作業……あぁ、それと銀行からの
引き落としなども頼みたい』
「はぁっ!? 何で俺がそんな事を……っ」
『働かざるもの食うべからず。聖書の言葉も、たまには良い事を載せる。
まず、成人であり社会的な生活を送るに十分な身体能力を所有してる貴方は
我々が安全の保障を約束する代わりに対価を要求したいと言うわけだ。
労働の対価として、我々Lobotomy coop一同は、未だしぶとく貴方の住居下か
その周辺で復活を狙ってる君の血縁者及び、聖杯戦争と言う出来事の情報源として
そちらを確保しようとする可能性がある脅威からの安全を取り図る。
それが嫌だと言うのなら、仕方がない。直ぐに破損痕が真新しい自宅へと帰そう』
幾らか考えていた反論は、その理路整然とした説得力の溢れ出る脅迫めいた説明の前に
口を開く前に泡となって消えた。
あの化け物が、のこのこ巣へと戻って来た自分を許容して黙認するとは思えない。
どう言う手段で撃退させたのか知らないが、手痛い仕打ちをされたのなら絶対に報復の
機会を狙っている筈だ。その為なら、どんな手段でも俺に口を割らせる。いや、それだけ
なら未だ可愛いほうだ。傷ついた自分の体を元に戻す為に自分の肉を喰らいかねない。
何時喰われるのかと、昼も夜も決して安穏を浮かべる事が出来ず過ごす。
ある程度の保証があった以前よりも更に悪い事を認識する。あの化け物の死骸なり
消えた確証がない限り、未だこの訳の分からぬ場所に軟禁される方がいいのかも。
「此処で働く……って言うのは置いといて。銀行からってのは」
『Mr.雁夜に関しては、心身へのダメージが深刻な事と他の協力があって外出
させるのに暫く時間が掛かる。何より、今回起きてるツールの当事者だ。
表に出て標的にされるリスクが高すぎる故に、暫く安静にして頂く。
我々は、このような会社を運営しているが現代の金銭を産みだすような事は難しいし
貨幣を偽造するような事にcoopの技術を使用する気もない。食事の提供は出来ない事は
無いが、未知のサプリメントなど摂取したいと言う気持ちが無いのなら暫くの
生活資金と食事の調達として、今までしてきたように口座から貯蓄を削るべきと思うが?』
暫く、その欠点のない理屈に閉口してから鶴野は気になる事を聞いた。
「聞きたいんだが、お前は雁夜のサーヴァントなのか?」
『そうなる。クラスは、バーサーカーと言うらしいな』
(絶対に嘘だろ……)
こんな研究者か学者めいた話し方をするバーサーカーがどの時代から召喚されるんだ。
と言う心の声を口に出すのを堪え、彼は代わりに大きく溜息をついて最後の質問をする。
「……何時ごろ外に出られるんだ?」
『君の財布を借用したので、数日は水と食事に関して不足はないが。
カードの使用が制限される懸念も無い事は限らない。明後日には君にこちらから
指定するエージェントと共に新都に出て貰おう』
そうか、と長く喋り乾いた唇を軽く舐めつつ頷く。
不平不満はあるものの、この得体の知れないバーサーカーは自分を取って食うような
真似はしないようだし、制限や監視が付くとは言え護衛となる人物と外出が出来る。
(悪くねぇな……ははっ、蟲爺ぃ。わざわざ出戻ってきた雁夜の頼みを了承なんてするから
てめぇも俺と同じように割を喰う嵌めになったんだ。ざまぁ見ろ)
今頃、物理的な意味合いで草葉の陰なりで必死に生き延びる策を練ってるであろう
まったく同情の念を浮かばない化け物の祖父に対して嘲笑を頭の中で高鳴らせ
明るい展望の兆しが見える未来に少し浮き立ちながらユメカに促されるままに彼は
言われた通りの装飾と、警棒を携えてcoopの初日を迎える。
……つい昨日の希望を、出鼻で木っ端微塵にしながら。
「――ぎゃぁぁぁぁああああぁぁぁ!!!?」
「Mr.鶴野! 叫んじゃいけませんっ、落ち着いて! アブノーマリティが暴走しても
良いんですか!? こらっ! 逃げないでください! オフィサー! 彼を捕獲して!」
考えが甘かった事を知った。
間桐 鶴野(まとう びゃくや)は人生の理不尽さと、疫病神の雁夜に関わった
故の不幸とこの家に産まれたと言う人生全てに対し罵りながら自分の不憫を嘆いていた。
T-02-43……此処で覚醒した時に緑の無気力と怠惰を纏っている此処の上司らしき奴が
口にしてたようなネームの部屋に入った瞬間、事前に指示された事以外で余計な反応を
するなと言われてた事すら忘れ恐怖に満ちた絶叫を通路に響かせた。
目にしたのは蜘蛛、蜘蛛、蜘蛛、蜘蛛。夥しい蜘蛛の群れ、それだけなら未だ地下蔵で
いやいやながら蟲を操っていた時に耐性があったので我慢は出来た。
だが、天井でロープより太く平均男性より一回り巨大な蜘蛛がいるとなれば話は別だ。
ただの怪物ではない。人智の理外の気配を放つ深淵の場所を徘徊する生き物。あの
蟲で出来合わさった妖怪以上の生物が君臨しているのだ。ほんの少しの対峙でも
解る力強さと言うものがある。瞬時に自分が捕食される対象である事を。
本能のままに逃げようとした彼を、ユメカは無慈悲に他の者へ告げて体を羽交い絞めにする。
乱暴に暴れるのを無造作に彼、彼女等は怪物の居る部屋へ再度引き摺り戻した。
未だ抵抗して逃げ出そうとする彼を抑えつける職員を尻目に、ユメカは呆れ声を隠さず
冷たい地面に額を擦りつける鶴野に言い聞かせる。
「……T-02-43は、床にいる子蜘蛛達に危害を加えない限りは、あちらも無闇に襲う事は
ないので大丈夫ですよ。守り抜く事としては……清掃作業はしない事、彼女の子供達を
誤って死なせてしまう確率が高いので。それと、彼女の目を凝視したりする事もいけません」
「っお、おいっ。お、俺はアレを直視したぞ!? だったら、もう入らないほうが……」
彼女の言葉に、藁にも縋る思いで弁明して直面する脅威から何としてでも回避しようと
するが、それを容認するほど現実は寛容ではない。
「天井にある、とされる中心の目に視線が合わなければ大丈夫です。Mr.鶴野は目にして
直ぐに一目散に部屋から逃げただけですし、部屋に半歩踏み入れましたけど、蜘蛛達の徘徊
する場所までは到達してなかったので大丈夫ですよ」
「好き勝手ばかり言いやがって……っ」
「言っておきますけど、彼女はアブノーマリティの中でも危険度は下から数えたほうが
早い部類なんです。特例として全く無害と思えるアブノーマリティも居ますが、それに
関して作業する意味合いは低い事は事前に説明しましたよね?」
ZAYIN TETH HE WAW ALEPH
左から安全性が高く、殆ど何も世話をしなくても良い部類の未知なる生物や無機物。
そして右にかけて下手をすれば人類すら脅かしかねないものが封じ込まれている。
そんな物を利用してる会社は一体全体どう言う所なんだと再度の文句と溢れ出る
疑問がぶり返すものの、その証明がなさる前に時は経過して答えを明らかにする
機会は逃した。もう少し自分の態度を顧みれば良かったと言う後悔が襲う。
「畜生……なんだって俺がこんな目に」
何度も、壊れたラジカセのように同じ汚い罵りを口にしつつ鶴野は今にも勝手に
別の場所へ走ろうとする足を制御して部屋に入る。
全身が其のアブノーマリティの制御室に入るとドアは自動で閉じて一気に視界は
悪くなった。部屋の電灯は意味をなしておらず、空間全体に何かが這いずっている
のが理解出来る。そして天井の中央に佇む巨大な気配も。
(上を見るな……っ 上を見るな)
説明された注意事項を思い返し、そして身に迫る頭上の危険が発する視線に自然と
出しかねない悲鳴を押し殺し、震える手で携帯していたバックのチャックを開く。
――ポトッ ――カサカサ カサカサカサ
「っ!! ………っ゛」
両手でしっかりと抱えたプレートには、コオロギだがイナゴだが知らない見た事が
あるような無いような虫の死骸と、半ば液状化してる肉ゼリーのようなものが
入っている。それを地面に置こうとした瞬間、肩に当たったモノが首を這いずり回り
腕や背中のほうに回って小さな点の群れの触感が移動するのを感じた。
(落ち着け……っ、落ち着くんだ。何時もの……クソ爺いの蟲の世話と同じだ)
まだ自分が間桐の傀儡として閉鎖的な生活を送る前、あの化け物は自分の魔術を
教えるが為に、夥しい群れの蟲を見せつけ手に乗せた。
思い出したくもない記憶。そして、その記憶は変化していき最近に起きた出来事。
我が家へと養子入りをした小さな少女が、阿鼻叫喚の中で蟲に埋め尽くされる光景が
フラッシュバックしていく。少女の悲鳴、縋りつくような瞳
女性の悲鳴……助けを求める声、隣から聞こえる嘲笑。
(…………そうさ、こんな事。慣れたもんじゃねぇか)
気づけば、体の震えが止まる。じっと未知なる視線が頭上から注がれてたのも
関心をこちらに無くしたのか、威圧感が無い。
または、自分がそちら側に近い人間なのだと野生の本能で見抜いたのかも。
肩に留まっている子蜘蛛に対しても、わざわざ振り払おうとする意志はない。
地面に気を払い、足元に重々と念を入れて摺り足のように前進して出入口へ戻る。
開いたドアからは、薄暗き蜘蛛の王女の私室と異なる眩しい光が鶴野の目を襲う。
その光に体に付いてる幾つかの小さな存在が背後へと逃げていくのを感じ取り
つつ、念を入れて頭から肩にかけて手を触れて、まだ背中を這っていた蜘蛛が
手の甲へ移ったのを感じると、落ち着いた動作で扉近くの暗い地面に下ろした。
「ほらっ、行けよ……俺なんかに纏わりついても面白くも何ともねぇんだから」
普通の蜘蛛でない故か、その言葉を理解したかのように小蜘蛛は少し観察するように
鶴野の周囲を移動し、そして中央の母の元に戻っていった。
通路に体を移動させる。賑やかな足音と、空調を利かせた空気が肺の中へ入っていく。
ドアの開閉音を聞いて、ようやく彼は無意識に忘れていた呼吸をすると
大きく深呼吸を行い、壁へとズルズル背を預け、へたり込んだ。
「……こんな事を、もう暫く続けなくちゃいけないって言うのか」
命が幾つあっても足りない職場だと肌で実感した。
管理者の指示と言うのを守り抜けば、幾らか安全は約束されてるとは言え
これじゃあクソ爺いの言う通りにしてたほうが未だマシだったように思えてならない。
奴の下なら、折檻の一種として蟲のプールに押されるような陰湿且つ心を凌辱する
責め苦を与えるかも知れないが、それでも最低限の命の保証はあるのだから。
「――Mr.鶴野!」
俯かせていた顔を上げると、黒い髪に黒い瞳が見えた。自分とは違って、その瞳には
思わず目を細めてしまいかねない輝きが宿っている。
「管理作業、お疲れ様でした。管理人はモニタールームで観察していたようで
初めてにしては、とても筋が良かったと私に報告してくれました。
評価される事は栄誉ある事ですよ! この調子で続けていきましょう」
どうして、こんな異常な状況がまがり通る場所で彼女は生き生きとして居られるんだ?
その疑問は自然と口をついで出た。
「何で、そんなに明るくいられるんだ? 死ぬのが怖くないのかよ。
あんな化け物と一日中接しなくちゃいけないのに……他にも居るんだろ?」
あの銀河のような暗黒を兼ね備えた女に、先程の蜘蛛の女王。他にも居るのは
似たような数字が記載されてる部屋や、職員の人数から推察出来る。
鶴野の言葉に、彼女は驚く事に朗らかに告げた。
「怖いですよ、それは。けど、こう言う生き方を選んだのは私自身なんですよ。
まぁ、最初は少し詐欺だと感じた事は正直ありましたけど。管理人は全部
私たちに説明をしてくれました。だから、良いんです」
「……答えになってねぇよ」
「うーん、何て言えば良いんでしょうね。
……この世界が、どれ程に残酷かって想像をMr.鶴野はした事がありますが?
私は、自分の体験談を交えて管理人に告白した事があるんです。
管理人は、何も言わず全て聞いてくれて。そして、私の話した事なんて
殆ど微小だったと思える位の凄惨な話をしてくれました。
どう言う話だったかは、これは管理人のプライベートな事ですので
私の口からは言えませんけど……つまり、私が言いたいのは
誰しもが自分が一番不幸だって、境遇が下回っていたら思うけど
けど、見方を変えれば皆 同じなんですよ。そう、私は気づいたんです」
「……」
「Mr.鶴野が何に対して不満や苦しさあるのかは私は知りませんけど。
もうちょっと気楽な姿勢で過ごしてみれば如何です?
どんなに喜んだり、悲しんだり、怒ったりしても結果が悲観的なら。
過程でも、せめて楽しんだもの勝ちですよっ」
返された言葉は決して自分を癒したり、新たな啓示となるものでなかった。
言ってる事は、何かしらの新興宗教に囚われてるか洗脳されてるかのように
危ないようにも受け取られる。謂わば、これは一種の狂信だ。
それでも……その笑顔は綺麗だと思えてしまった。
「……はっ、悪いが楽しめるような人生なんて送ってないもんでね」
「それじゃあ、私が手取り足取り指導しますよ。その為に、管理人から
役目も仰せつかってますしね。大丈夫ですっ、私の指導に従えば
きっと、今までと違った生活を送れますっ」
(そりゃあ、こんな場所じゃな)
立ち上がらせる為に差し伸べられた手を、一瞬の躊躇と共に鶴野は手に取った。
犯してしまった過ちは変わる事はない。あの爺いの傀儡となって
遠坂の子供に自分がした仕打ちが、こんな所での仕事で贖罪になるとも思えない。
他にも我が身可愛さから逃げ続けて来た許されるべきでない事柄に対しても。
だが、流されるままに生きてきたが……少なくとも、此処でこの場所での仕事を
するかしないかの選択肢で、する事を選んだのは自分自身だ。
一生を、あの怪物の下で終えると思っていた認識が変わりつつある。
なら少しでも、心境が変化する事は許されるのではと思えてしまった。
女性の割には強く引かれる手に誘われるままに立ち上がり、スーツの背中を
軽い口答えも交えつつ廊下を歩く。
「なぁ、アルコールはこの会社には貯蔵されてないのか?」
「アルコールですか? メチルアルコールにエタノールでしたら、この先の保管庫に
確かあったと思いますけど。案内しますか?」
「……いや、いいよ」
(明後日まで、辛抱だな……)
自分で買った酒類しか信用しない方がいい。工業用のアルコールについて返答
された事から段々と頭の回転が速くなってきた思考でそう理解した。
……Lobotomycoop内で、そのようなやり取りがなされる最中。
外界では、このような出逢いも齎される。
「君の名前は?」
「私は……コトネ」
Lobotomy coop内は、Time Track社による技術 会社の大きな歯車の
一つであるホクマーの力により時間の経過は冬木の時間の流れにズレが
生じる事がある。また、間桐雁夜に関しても これ等の力により
下層で可能な限りの治療を施した。