根暗男が異世界転生してTS美少女になったら幸せになれますか? 作:みずがめ
わたしがマグニカ王国から出てから、一度も「エル・シエル」と、すべてを名乗ったことはない。
名前を捨てることまではしなかったけれど、すべてを正直にさらけ出せる勇気はなかった。そんな臆病者の名前を知っている人物は、少なくとも他国には誰一人としていないはずだった。
なのに、聖女は知っていた。実質、スカアルス王国のトップである人物が知っているという事実。その意味に思い至り、わたしは咄嗟に動き出していた。
そう広くもない部屋に窓は一つだけ。椅子に座って油断している聖女様を置き去りにして、わたしは窓に向かって駆け出す。
瞬時に魔法で強化された身体能力なら、窓までの距離なんてないようなものだ。走る勢いをそのままに、無詠唱で岩の弾丸を放った。
狙いは聖女様、ではなく、目の前へと迫る窓だ。さすがに、下手をすれば国王よりも重要人物であろう聖女様を攻撃するだなんて後が怖すぎる。
「なっ!?」
しかし、驚愕に目を見開く結果となった。
放たれた岩の弾丸は、狙った通りに窓へと直撃した。そのはずだ。なのに、窓はビクともせず、その形を保ったままだった。
あまりないとは思ったが、強化ガラスみたいに、窓が丈夫だったらどうしようかと考えて破壊しようとした。しかし傷一つすらつけられないだなんて予想外にもほどがある。
それに、今のは何かおかしかった。放たれた岩は砕かれるでもなく、突然塵にでもなったかのようにかき消えた。わたしにはそう見えた。
何かの魔法か? 触れたものを塵に変えてしまうとか……。勉強してきた中ではそんな魔法なんて聞いたこともない。ディジーの「ディスペル」とも違う。あの魔法は物体に付与するとか、そういうことができるほど扱いやすいものではない。
不可解な窓。いや、魔法か? 答えが出せない以上、生身で触れたらどうなるかわかったもんじゃない。このまま窓に突っ込もうとしていた足を急停止させる。そんなわたしの慌てっぷりを眺める聖女様は微笑みの表情で眺めていた。
「そんなに慌てて、どうされたのですか?」
わたしの行動など些細な抵抗でしかないのだろう。彼女の目はどこまでも柔らかだ。これでも逃亡しようとしているのに……。
窓からの脱出は難しい。だからって聖女様を攻撃するなんて論外だ。
引き返そうと入ってきたドアへと振り返れば、気づかない間に閉ざされてしまっていた。わたしを案内したメイドが閉めてしまったのだろう。
だったら蹴破ればいい。そう思うには、さっきの光景が頭から離れない。窓すら壊せなかったのに、扉を破壊することはできるのだろうか?
その躊躇が、わたしの抵抗の終わりだった。
「エル・シエル。まずは落ち着いてください。ほら、椅子に座りましょう?」
微笑む聖女様。彼女がパンパンと手を叩くと、いつからいたのか独りの執事が椅子を持ってきた。
「って、マーセル!?」
「ケケ……。しばらくぶりだなエルさんよ」
力なく笑うマーセルがそこにはいた。このツンツン頭を忘れるわけがない。だが、現状を考えればここにいるのが似つかわしくない人物でもあった。
なぜマーセルがここに? そもそもなんで執事服なんか着ているのか? ていうか似合ってない!
様々な疑問が頭の中を飛び交う。パニックになったわたしは完全に動きを止めてしまっていた。逃げなければ、という考えよりも、今抱いた「なぜ?」を解消しなければならないと思った。
つい今しがた逃亡しようとしていたっていうのに、執事マーセルに促さられるまま椅子に座ってしまう。対面の聖女様は満足そうな微笑みを向けてくれる。完全に流されてしまった。
「お話するのでしたら、お茶とお菓子が不可欠でしょう」
そう言った聖女様がまた手を叩けば、今度はマーセルとは別の執事が現れた。白髪のおじいさんで、マーセルと違ってちゃんとした執事のようだ。きびきびとした振る舞いから、洗練された年月を感じる。
手際よくテーブルにお茶とお菓子が用意される。優雅なティータイムって感じの空気になった。なんでだよ!?
突然のお茶会に、わたしの喉はゴクリと鳴った。
「遠慮なさらずどうぞ」
遠慮しているんじゃなくて緊張しているんだよ! ……いや、微笑みを絶やさない聖女様ならわかってて言っているんだろうな。こっちの緊張をほぐすつもりなのか、ただ単にからかっているのかまではわからないけれど。
それに、和気あいあいとおしゃべりするための席ではないはずだ。しゃべらなきゃいけないのはわたしだけだろうし……。
聖女様は優雅な動作でカップに口をつける。紅茶の良いにおいが鼻孔をくすぐってくる。
「本当に遠慮なさらないでいいのですよ? それとも、紅茶はお嫌いでしたか……?」
ここで初めて、聖女様の微笑み陰りが見えた。
眉の端を下げてしゅんとする表情は、本気で落ち込んでいるようで。思わず心配になってしまうほど心が動かされてしまった。
「そ、そんなことないですよっ」
慌ててカップに口をつける。ちょっと渋みのある味が口内に広がった。
それを目にした聖女様は、華やいだような表情を見せてくれた。
「それは良かったです! お菓子もたくさんありますので、どうぞ遠慮なさらないでくださいね」
「ど、どうも……ありがとうございます……」
なんだか、本格的に現状がわからなくなってきたぞ……。
微笑む聖女様とちびちび紅茶を飲むわたし……。誰か今どういう状況なのか説明してくれ……っ。というか助けて!
これなら一思いにバッサリ切り捨ててくれた方がマシだ。緊張のしすぎで心臓が痛む気がしてきた……。
「ああ、ご心配なさらないでください」
聖女様は何事もないように口を開く。
「魔王の墓場へ侵入した件ですが、事情は聞かせていただきました。最初に言っておきますが、あなたからとくに追及することはありません。なのでご安心してください」
紅茶を噴きそうになった。
むせて咳き込むわたしを無視して、彼女はこともなげに続ける。
「おおよそのいきさつはマーセルさんから聞きました。どこまでのことを知って、どういう結果となったのか……」
「あ、あの」
引きつったみたいな声になった。みたい、じゃない。情けない声が自分自身を震わせる。
逃げようとしておきながらなんだけど、罰は受けるべきだと思っている。逃げ癖のついたわたしには、こうやって逃げ場なんてないのだと思い知らされなければ、覚悟が決まらないらしい。
聖女様は「心配しないで」と言った。でもそれはこれ以上の追及はない、ということだけだ。罰しないだなんて一言も口にしてはいない。わたしは勘違いなんかしないし、変な期待だってもうしない。
上げて落とすという手法をとる聖女様には正直驚いたけど、もう過剰に落胆する気はない。希望なんて一かけらも残っていないとわかっていれば、わたしだって期待しないのだ。
すべてを受け入れようと口を開いたまではよかったものの、口の中がカラカラになって言葉が上手く出てくれない。
おかしいな、さっきまで紅茶を飲んでいたはずなのにな。声を出そうとしてみるけれど、体が震える程度の変化しか起こせない。
「もう一度言います。安心してください。あなた方が復活させたと思っている魔王は、別に魔王本人ではありませんから」
「は?」
呆けた声を漏らしてしまう。
いや、だって、魔王の墓場にある棺から出てきたのだ。戦闘力含めて魔王でないとしたら、あれはなんだったのだ?
「考えてみてください。何百年も前に亡くなった魔王の体が、今なお形を保っているわけがないじゃないですか」
そ、それもそうなんだけど……。でもファンタジー世界でその理屈が通用するかはかなり怪しい。魔法さえあれば不思議でもなんでもない。とても便利な魔法なんていくらでもある。わたしの「固定化」なんてその一例だろう。まああれも人体にはかけられないのだけども。それでもわたしができないのは理由にならない。
けれど、聖女様がわざわざ嘘をつく理由もないと思う。
あれだけの大事になったのだ。むしろ誰かに責任を取らせた方がいろいろと都合がいいはずだ。それも、不法侵入して都合の悪い存在を起こしてしまったという人物がいるならなおさらだ。
なのになぜだ? わたしを庇おうとしている? 一体どんなメリットがあればそんなことをする理由となりえるのだろうか。
考えろ……。何かあるはずだ……。わたしを生かす理由……。
考えども答えは出ない。それもそうだ、自分を肯定できる理由があるのなら、一番知りたいのはわたし自身なのだから。
「……」
考えることに没頭していたせいで聖女様が黙り込んでしまっていることに気づかなかった。黙っているというより、じっとわたしを見て、まるで観察しているみたい。
「あ、あのっ」
何か取り繕おうとして、その何かが出てこずに言葉が消える。嫌になるほど変わらない自分だ。
そんなわたしを責めることもなく、聖女様はニッコリ笑った。おかしそうに笑った。
「あなたはとっても面倒くさい人ですね」
「面倒、くさ……い……?」
いや、なんかめちゃくちゃ責められた?
ニコニコ笑顔の聖女様が立ち上がる。ゆっくりわたしの背後へと歩く彼女を目で追うことしかできない。顔を向けられないほど緊張してしまったせいで、視界から外れてしまうと緊張が倍増してしまう思いだ。
「ヒッ!?」
わたしの背後に立った聖女様に肩を掴まれる。「掴まれる」というほど力を入れられたわけじゃない。むしろ優しく手を置かれた程度のものである。
ただ、もう逃げられないと思った。そう確信した。聖女様の言葉の一音たりとも聞き逃すまいと勝手に神経が研ぎ澄まされる。
「エル・シエル……。そんなに罰がほしいのならくれてやりましょう。ええ、この私自らあげてやろうじゃないですか」
背後にいるせいで、聖女様の表情がわからない。きっと微笑んでいるだろうと予想できるのに、ぽっかりと顔が抜け落ちてしまったようなものしか想像できない。
「では、言い渡します……。これから私の専属メイドとして働きなさい。それを、あなたへの罰とします」
「は?」
思わず素っ頓狂な声を漏らしてしまう。
今わたしは何を言われた? 専属メイド? 聖女様の? それは……罰、なのか?
「あなた好みの言葉に変えましょうか。あなたは私の玩具になるのです。私がどんな命令をしたとしても、口答えをせずに、いいなりとなるのです。……いいですね?」
鈴を転がすような心地の良い声色。ずっと変わらないその声色で、わたしの中で聖女様の言葉が浸透していく。
これはただの「専属メイド」ではないのだろう。
きっと聖女様はただの善人ではない。この世界はただの「いい人」が君臨し続けられるほど甘くはないのだから。
それでも「聖女様」だ。その事実がわたしを安心させてくれる。安心して彼女の「駒」になろうと決断させてくれる。
もとより、すでにわたしは詰んでいるのだから。
「……はい」
小さく、けれどよく響くように、わたしは返事をした。
それが「罰」だというのなら、喜んで受け入れよう。たとえ、彼女の命令で、この手を汚すことになったとしても……。
どうせ、いくら自分で考えて行動したとしても、その結果はよくないことばかりだ。それならば「聖女様」という肩書に身を預けてしまえればどんなに楽になれるだろう。それで「駒」のように扱われ、切り捨てられたとしても文句なんてない。むしろ本望だ。
こうして、今この時より、わたしは聖女ルーナ・ウォーレンのメイドとして働くこととなったのである。メイドという名の便利な存在へと、なれたのだ。
ここまでが四章プロローグ(ここからです)