担任がやたらくっついてくるんだが…… 作:ローリング・ビートル
道のど真ん中に僕は立っていた。
辺りを見回すと、どうやら寂れた田舎町みたいだ。
屋根に雀がとまっている古い家屋、畦道、田んぼで農作業をしている人。どれもが初めてのはずなのに懐かしい。
僕はそれらを眺めながら、何処を目指すでもなく歩き続けた。
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何処かから戻ってきたような感覚と、頭をさらさらと撫でられる感触で、目が覚める。
部屋の照明がやけに明るく感じて、目を細めると、聞き慣れた声が降ってきた。
「大丈夫?」
やわらかな声に誘われるように、もう一度瞼を開くと、先生がこちらを見下ろしていた。
「せ、先生……」
「大丈夫?」
さっきと同じ質問を繰り返す先生の顔を見て、今の自分の状況に気づく。
先生は僕を覗き込むように見下ろし、後頭部には自分の枕を遥かに凌ぐ癒しの感触。こ、これは……間違いなく……ひ、ひ、膝枕!?
「す、すいません!っ!」
慌てて体を起こそうとすると、がしっと肩を押さえられ、また先生の膝枕に後頭部がぴったりとくっつく。
先生は、今度は咎めるような目で見下ろしてきた。
「まだ起きちゃ駄目よ。寝てなさい」
「あの、何で僕は先生から膝枕を……」
「覚えてないの?君は思いきり鼻血を出して倒れたのだけれど」
「は、鼻血!?」
そういえば鼻の辺りがムズムズするような……あれ?何で鼻血なんて…………あ。
確か、若葉がバスタオル1枚で出てきて、それを追いかけて先生もバスタオル1枚で出てきて、若葉が転んで、先生のタオルが落ちて、それから…………!!!!!!!
その時の光景が、霧が晴れるように蘇ってくる。
床に落ちたバスタオル。
転んだ若葉。
先生のキョトンとした顔。
そして、紅潮していく頬。
首から下、水滴が艶めかしく伝っていく真っ白な……
「…………」
「どうかしたの?」
間違いない。
間違いなく僕は先生の……裸を……見て……。
その事実を認識しただけで、ドクン……ドクン……と鼓動が鳴る。
や、やばい……思い出さないようにしなきゃ。
「……祐一君?」
「い、いえ、もう大丈夫です!」
「そう……」
立ち上がり、先生の方を向くと、当たり前だが服を着ている。風邪をひいた時に見た物と同じだ。
……あの服の下に……いや、待て。思い出すな。
一人懊悩している僕の方をじっと見つめながら、先生は手招きした。
「……祐一君。とりあえず座りなさい。また鼻血が出たらどうするの?」
「は、はい……」
とりあえず畳の上で胡座をかくと、先生がぴたりと背中をくっつけてきた。
また頭の中で先生の裸が蘇りそうになり、頭をブンブン振って、何とか記憶を振り払う。
すると、先生は僕の隣に座る位置を変えた。
それだけで、何となく先生が話しかけてくる気配がした。
「祐一君…………見た?」
「……ごめんなさい」
……そうだ。テンパり過ぎて、謝罪を忘れていた。
頭を下げるために体を離そうとすると、肩に手を置かれ、動きを止められる。
「いえ、あれは君が悪いわけじゃないから。でも……」
「?」
先生の手が僕の手にそっと重なる。
左手から火照った体がやんわり冷めていくのを感じたが、これはこれで別の緊張が……。
おそるおそる隣を見ると、先生もこっちを向き、口を開いた。
「これは、責任を取ってもらうしかないわね」
「ええ!?で、でも……いや、確かに……」
確かに。いくら事故とはいえ、女性の裸を見たんだから、逃げずにその責任は取らなきゃいけない。いや、僕じゃ力不足もいいとこだけど。でも……。
正直不安しかないけど、僕は言うべき言葉を頭の中から絞り出し、深呼吸して、覚悟を決めた。
「わ、わかりました!」
「……冗談よ……え?今、何て……」
「せ、先生!その……僕、まだ全然先生と釣り合いが取れる男じゃないですけど、そ、その……」
「…………え?あ、その……」
先生は、珍しくポカンとした表情でこちらを見ていた。
艶やかな唇は、震えるように動き、何やら空気が掠れるような音が聞こえる。
「……あ、あれ?先生?」
その表情に、僕は肩透かしにも似た気分になる。あ、これ冗談だ。
先生は向こうを見てから、ブンブン顔を振り、バシバシ頬を叩き、こっちに小さな笑みを向けた。やっぱり冗談だった。相変わらずわかりにくい。
「…………ふふっ、冗談よ。少し、夜風でも浴びましょうか?」
「あ、はい……そういえば、若葉は?」
「宿題があるそうよ」
「ああ、なるほど……」
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「ふっふっふ……今日中に全部終わらせれば、夏休みはお兄ちゃんと……ふあぁ、眠い……」
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サンダルを履いて庭に出ると、夜風がさらさらと頬を撫で、吹き抜けていった。一人なら散歩にでも出かけたかもしれない。
先生の方を見ると、漆黒の長い髪が風に泳ぎ、夜の闇に溶けてしまいそうに見えた。
「……月が綺麗ね」
「はい」
その視線を追うように夜空を見上げると、数多の星が瞬き、その中央にまんまるい月が仄かに夜の街を照らしていた。
「……月が綺麗ね」
「は、はい」
うん?大事なことだから二回言ったのかな?
「8月の始めに、君には課題図書を百冊用意します」
「え!?何の脈絡もなく!?」
「夏休み中に読み終わるように」
ど、どうしたんだろう、いきなり……やっぱり、裸を見たことを怒ってるんだろうか?
必死に何を言おうか考えていると、先生が動いた。
「せ、先生?」
「…………」
先生は今度は、僕の正面に立ち、至近距離から上目遣いで見つめてきた。同じシャンプーを使ったはずなのに、何でこんなに甘い香りがするんだろう……。
夢の中にいるようなふわふわした気分に、さっきの風景の残像がちらつきながら、何だか不思議な気分になってきた。
しかし、そんな時間は長く続かなかった。
「そろそろ戻りましょう。君もお風呂に入らないと」
「あ、はい……」
この後、風呂に入った僕は、湯船に先生が浸かったことを想像し、一人悶々としながら全身を洗った。
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「……見られちゃった……やっぱり、さっき……お嫁さんにしてもらったほうがよかったかも……ううん、やっぱりちゃんと順序を……」
「……でも、少しくらい気づいてくれても……祐一君の鈍感」