担任がやたらくっついてくるんだが……   作:ローリング・ビートル

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第40話

 

「先生、ほ、本当にいいんですか?」

「…………」

「先生?」

「大丈夫よ。私が手取り足取り教えてあげるから」

「さっきと言ってることが違う気が……」

「とにかく大丈夫よ。心配しないで」

「は、はい、じゃあ……脚、広げてください」

「ええ。じゃあ……来て」

 

 先生がそう呟くのを聞いた僕は、意を決してそっと手を触れ、壊してしまわぬように優しく力を込めて……その背中を押した。

 

「先生、このぐらいで大丈夫ですか?」

「もう少し力を入れてもらえるかしら。あまり気にしなくていいわ。こう見えて体は柔らか……軟らかいほうだから」

「わかりました」

 

 はい。今僕は先生のストレッチを手伝っています。別に変な事はしていません。いや、誰もそんなの考えていないけれど。ていうか、先生の言葉が時折おかしな気が……。

 とりあえず、両手から伝わってくる先生の体温に落ち着かない気分になりながら、ゆっくりとその背中を押す。

 先生の体が、息を吐く音と共に畳に沈み込む。うわ、本当に軟らかいなぁ。何だか新体操の選手みたいだと思ったが、先生の艶めかしいレオタード姿が浮かんできたので、頭を振り、その姿を取っ払う。何考えてんだ、僕は。

 気を取り直して、先生に指示されるままにストレッチの手伝いをする。

 それが静かな時間が10分くらい続いたところで、先生がこちらを振り向き、沈黙を破った。

 

「祐一君」

「はい?」

「自分に自信、ない?」

 

 何の前触れもない、意味のわからない、輪郭の掴めない問いかけ。でも、内心は何故か焦っていた。

 僕は戸惑いながら聞き返す。

 

「ど、どうしたんですか?いきなり……」

「君を見てると、たまに考えてしまうの……」

 

 無表情のまま、先生は言葉を選ぶような間を置き、ゆっくりと口を開いた。

 

「君は自分が人から好かれるわけがないとか、そんな風に自分の感情に蓋をしている気がするのよ」

「…………」

 

 先生の言葉は、スコップのように脳内から過去を掘り起こした。

 

『いや、アンタのことなんて好きなわけないじゃん』

 

 胸の奥がチクリと痛む音がした。

 とっくに忘れたと思っていたのに……。

 とっくに忘れられてるはずなのに……。

 心に棘は刺さったままだった。

 

「祐一君?」

「あ、いえ、何でもありません。その、何て言うか……っ」

 

 気がつけば、先生の両手に顔を挟み込まれていた。

 さっきまでの背中の温もりとは真逆のひんやりした感触に、火照った頭を冷やされていく。

 そして、先生としっかり見つめ合う態勢になる。何度見つめ合っても、未だに慣れない。慣れる日なんてくるのだろうか。

 その漆黒の瞳に、薄紅色の唇に目を奪われていると、清らかなせせらぎのように、すぅっと先生の声が響いた。

 

「真っ直ぐに見て」

「?」

「君はまず自分の気持ちを真っ直ぐに見て。それは悪いことなんかじゃないから。君が思ってるより、ずっと素敵なことだから」

 

 そう言葉を紡いだ後の瞳は、これまでとは違う揺れ方をしていた。

 僕はただ見とれながら返事することしかできなかった。

 

「…………はい」

「じゃあ、まず私のことを「先生、そこまでですよ」「やっぱり抜け駆けしようとしてる……」あなた達、きちんと体は温めた?湯船では100まで数えた?夏だからといって「ああ、もういいです」

 

 いつから近くにいたんだろうか、先生の言葉をかき消すように割り込んできた2人は、どこか不満げな先生の視線をさらりと受け流し、僕の顔を掴んでいる先生の両手を優しく剥がす。

 しかし、先生がそれを拒否するように、両手に力を込めた。あれ?結構力強い。ぶっちゃけ痛い!いたたたた……

 

「先生、往生際が悪いですよ。はやくお風呂に入って、汗でも流してきてください。あと煩悩も」

「そうだよ、お姉さん。湯船に入ったら、ちゃんと100まで数えるんだよ」

「……さすがに一緒に入るのはまだ……」

「「そんなこと言ってません!!」」

 

 3人のやりとりを呆然と見ていると、先生は僕の頭を解放し、今度はてっぺんをさらさらと撫でる。

 

「祐一君」

「は、はい……」

「さっき私が言ったこと、忘れないで。すぐにわからなくてもいいから」

「…………はい」

 

 先生は優しい微笑みを残し、居間をあとにした。

 真っ直ぐに見て……そんなありきたりなフレーズが、胸にじんわりと染み渡り、心の奥で凍っていた何かを溶かしていく。そこから顔を覗かせたものが何なのか……今はそれがわからなかった。

 先生の背中を見送った奥野さんは、肩をすくめ、溜息を吐いた。

 

「ふぅ……まったく、油断も隙もないんだから……ん?どしたの、浅野君?顔赤いけど」

「お兄ちゃん?」

「え?あ、いや、何でもないよ!」

 

 慌てたのを不審に思ったのか、奥野さんは目を細め、距離を詰めてくる。クラスメートの風呂上りの姿は、何だか新鮮で、やはり甘い香りがした。こんな状況じゃなければ、変な想像をしていたかも……

 でも、奥野さんはそんなことどうでもいいのか、僕の正面に膝をつき、ジロリと睨んでくる。

 

「……ちなみに、先生とは何を話してたのかな?」

「え?…………よくある世間話だけど。ほら、最近学校はどうかとか……」

「いや、先生は知ってるでしょ、そんなの……」

「そうだよ。お兄ちゃんがノートに必要のない迷路書いてるのなんて、私でもわかるよ」

「な、何言ってんだよ、そ、そんなの中学1年で卒業したよ……」

 

 隣に腰を下ろした若葉は、しょうもない過去をばらしてくる。あんなの皆やるだろ。そして、実際に攻略することはあまりない。

 

「と、とりあえず迷路は置いといて!先生と、その……エッチな話とか……」

「何で!?」

 

 何をどう考えたらそうなるんだろう?いや、僕のせいなのかもしれない。女子は男子の下心がわかるらしいし。え?でも、下心っていっても、先生に積極的に変な目を向けたりは……いや、でも……

 結局、先生が風呂から上がってくるまで、この尋問は続いた。

 その間ずっと、頭の片隅で先生の言葉の意味を考えていた。

 


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